事件(六)
再び、体育館は生徒達だけになった。
残された生徒達は、今後の対策を協議する。
差し当たっての問題は、泣き出した女生徒――室井悠里を落ち着かせることだ。
「大丈夫、悠里?」
「……うん」
しゃくりあげる室井を、女生徒たち数人が取り囲み慰める。
彼女が泣き止んだところで、三年A組の生徒達は相談を始めた。
「どうするよ、みんな?」
「どうするって、言われてもよ」
「大体、何が不満なんだよマエセンは!?」
「何処が悪いのか、はっきりと言ってくれってんだよ!」
前田の不明瞭な指導に、生徒達は口々に不満をぶちまける。
近年、改定された中学校指導要領に盛り込まれた『現代的なリズムダンス』を取り入れた授業は、 前田の古い頭では全くと言っていいほど理解の遠く及ばない代物であった。
根性や気合などと言った精神論をふりかざすだけで、技術的な指導は一切しない。
生徒としては正直、たまったものでは無い。
こんな無茶苦茶な指導であるにもかかわらず、よさこい日野原祭りで優勝できたのは、ひとえに生徒達の努力の賜物であった。
教師が頼りにならない以上、自分達でどうにかするしかない。
生徒達は結束し、試行錯誤を繰り返し、ダンスの技術を磨き上げて行ったのである。
当の前田教諭は、自身の提唱する『生徒達の自主性を重んじた考える教育』の成果であると、自画自賛しているのだから救いようがない。
「そんなことより、いつ帰れるんだよ!」
混乱の中、西崎が再び騒ぎ始めた。
学習塾を後に控え一刻も早く帰りたい西崎は、苛立ちを露わにする。
「もう、最終下校時刻過ぎてんだぞ!? どうすんだよ!?」
日野原中学の冬季における最終下校時刻は六時。
既に、学校に残っている生徒達は三年A組の生徒だけになっていた。
西崎の不満は、やがて周囲に伝播した。
「つーか、もう。本当に帰っちまおうか?」
「そもそも、今回のクリスマス・パーティーにしても、市からの要請によるものだったはずだろ?」
「やりたくもないのに無理やり駆り出されて、やる気が無いなら帰れ、ってどういうことよ?」
「こんなんじゃ、やってらんねぇよ。もう全部、取りやめにしねぇか?」
とうとう、クリスマス・パーティーを辞退する案まで出始めた。
元々、まとまりのないクラスがさらに分裂していく。
クラス全員が口々に不平を漏らす中、副委員長の門脇紗枝が智也に向かって言った。
「委員長、呼びに行ってきなよ!」
「僕が?」
「当たり前でしょう。こんなことになったのは委員長のあんたに管理能力が無いせいでしょう。とにかく、先生に戻ってきてもらわない事には話にならないわ。クラスを代表して、謝って来なさいよ」
あくまでも、智也一人の責任だと言いたいらしい。
クラスの代表と言えば副委員長の彼女も同じなのだが、門脇は一切動くつもりはないらしい。
智也一人に謝罪に行かせ、そして智也一人に責任をかぶせるつもりなのだ。
「……仕方ないな、ちょっと行ってくる」
「いや、そりゃ止めといたほうがいいな」
前田教諭を呼びに行こうとする智也を、引き止めたのは内海だった。
「マエセン、マジでキレてたからな。下手に謝っても、火に油注ぐようなもんだ」
「じゃあどうするって言うのよ?」
横槍を入れられたのが面白くなかったのだろう。
副委員長の怒りの矛先は、智也から内海へと向けられた。
「そりゃ、態度で示すしかないだろう。俺達がやる気のあるところを、マエセンに見せるんだ」
「やる気って、そんなものどうやって見せるのよ?」
「それについては俺に考えがある。まあ、ここは一つ、俺に任せろ」
「ふーん、じゃあ、あんたに任せるわ。何かあったらあんたと委員長の責任だからね」
面白くなさそうに鼻を鳴らすと、門脇はその場を立ち去る。
そんな副委員長の態度を意に介した風も無く、内海はクラスのみんなに向き直った。
「よし、みんな聞いてくれ!」
説明を始める内海に、A組全員が注目する。
サッカー部の部長を務める内海はリーダーシップのある男だった。
出席番号順で選ばれただけの委員長よりも、余程クラスの人望がある。
「とりあえずみんな、この場で待機だ。何しても構わないけど、外には出るなよ――それと、桑原」
内海は音楽担当の桑原七海を呼んだ。
「何、ウッチー?」
「とりあえず音楽だけは流しておいてくれ。エンドレスで、音源は最大でな」
「わかったわ」
うなずくと、桑原は足元に置いてある、CDラジカセのスイッチを入れた。
体育館に響き渡るよさこいのリズムに負けないように、内海は声を張り上げる。
「先生が来たら、音楽に合わせて踊ってくれ。その後の事は俺に任せろ。みんなは適当に俺に話を合わせてくれればいい。わかったな?」
彼の意図するところはわからなかったが、とりあえずクラスの全員がうなずいた。
○
そのまま待つこと一時間。
前田教諭がいつ戻ってきても慌てないように見張りに立った智也は、窓の外を見つめていた。
時刻はもうそろそろ、七時を回ろうとしている。
体育館の外は既に真っ暗になっていた。
何もせず、ただじっと待ち続けると言うのも疲れるものだ。
三年A組の生徒達はもはや、おしゃべりもドッジボールをする体力すら残っていない。
内海の指示通り音楽担当の桑原七海は、よさこい日野原踊りを大音量で流しつづけた。
スピーカーからエンドレスで流れる単調なリズムが眠気を誘う。よさこい音頭のけたたましい音ですら、子守歌に聞こえてきた。
再び前田教諭が帰って来たのは、七時を過ぎた頃。
蛍光灯がまたたく渡り廊下に、赤いジャージ姿を見つけると同時、智也は叫んだ。
「来たぞ!」
智也が合図すると同時、内海が叫んだ。
「よし、みんな踊れ! 踊るんだ!!」
内海が言うと、床に寝そべっていたクラス全員が一斉に立ちあがる。
そして、エンドレスで流し続けていた音楽に合わせ、よさこい踊りを始めた。
緊急事態の時になると絶妙のチームワークを発揮するのが、三年A組の特色であった。
先程までのだらけきった態度はおくびにも出さず、あたかも今まで練習を続けていたかのように踊り続ける。
体育館に入って来た前田教諭が目撃したのは、一心不乱に踊り続ける生徒達の姿であった。
懸命に踊り続ける生徒達の姿を、体育教師は黙って見守った。
やがて、曲が終わる。
フィニッシュのポーズを決めたまま微動だにしない生徒達に向けて、前田教諭は号令をかける。
「集合!」
号令と共に、生徒達は一斉に前田教諭の元へと駆け寄った。
整列した生徒達を見回し、前田教諭はたずねる。
「……お前達、今までずっと練習していたのか?」
「はいっ!」
わざとらしく息を切らせながら、前田の質問に答えたのは内海だった。
「先生のおっしゃる通り、問題点を自分達なりに考えて改善してみました。どうでしょうか、先生!?」
「……うん。いいんじゃないか」
内海の説明に、前田は満足そうにうなずいた。
「見違えたぞ、お前達。先程の動きとは全く違っていた。やればできるじゃないか、お前達。始めからそれを見せてくれれば、俺も怒ったりはしなかったんだよ。うん」
『…………』
うんうんと、しきりにうなずく体育教師を、生徒達は複雑な心境で見つめる。
実際には、練習などしていなかったのだから、先程と変わりがあるはずなどない。
いい加減な体育教師に、生徒達は内心、あきれ果てていた。
「今日はもうこの辺にしておこう。本格的な練習は明日から始めることにしよう。クリスマス・パーティーまで日数が無いが、この調子ならばきっと間に合うはずだ」
すっかり機嫌を良くした前田は、今日の稽古を切り上げることにした。
先程とは打って変わって、生徒達を気遣うような調子すら見せる。
「もうとっくに下校時刻は過ぎている。暗いから気を付けて帰るんだぞ」
『はいっ! ありがとうございました!!』
最後の気力を振り絞って元気よく挨拶をすると、その場で解散となった。
○
簡単に後片付けを済ませると、生徒達は体育館を出た。
生徒達は着替えをするために教室へと向かった。
「……うまくいったな」
本校舎へと続く渡り廊下を歩きながら、してやったりと、内海は笑みを浮かべる。
「要は、やる気の問題だ。やる気の。どうせ、ダンスの事なんて何もわからないんだ。やる気が無くても、やる気があるように見せてやれば、先生は納得する」
得意げに語る内海に、クラスメイト達は惜しみない賞賛を送る。
「さすが、ウッチーだよね」
「ホント、教師に取り入るのが上手いよな」
「ああ、体育推薦はダテじゃないってか?」
「……おまえら、実は褒めてないだろう?」
皮肉の効いた賞賛に、内海は苦笑する。
実際、内海の処世術は大したものだ。
如才ない立ち回りのおかげで、彼に対する教師の心象はすこぶる良い。
県内にあるサッカー強豪校の体育推薦を勝ち得たのも、この処世術によるものだ。
「そんなことよりも早い所、着替えて帰ろうぜ。……西崎、ちゃんと着替えてから帰れよ?」
「わかってるよ、うっせーな」
内海に注意された西崎が毒づく。
日野原中学の校則では、登下校時は制服姿でなければならないと明記されている。
急ぎの用事があろうが、制服に着替えて帰らなければならない。
一々、制服に着替えてから下校しなければならないのは面倒だが、教師に見つかればさらに面倒な事になる。
男子は三年A組の教室に、女子は空き教室へ、それぞれ着替えをするために向かう。
人気の絶えた校舎の中をA組の生徒達は、急ぎ足で教室へと向かった。




