真相(二)
加納大悟の突然の死は、各所で波紋を投げかけた。
大悟という求心力を失った事により、加納建設は分裂の危機に直面した。
次期社長には長男である彰が就任する予定であるが、社内の一部では世襲に反発する動きがある。
後継者争いを巡る騒動により社内は機能不全に陥り、県営スタジアムの建設作業も一時中断となった。
市内最大の企業の混乱は、日野原市の経済に深刻な打撃を与えることになった。
スタジアム建設にまつわる贈賄疑惑の捜査についても、主犯格である大悟の死により頓挫、事件は迷宮入りへと向かった。
マスコミはこの死亡事故を大々的に、そしてセンセーショナルに報じた。
結果、世間の興味はいつの間にか、加納瑞樹転落死事件から加納建設収賄疑惑へと向けられた。
○
事故から数日後、林田弁護士は校長室に呼び出された。
「今夜、加納大悟氏の通夜が行われるそうです」
「……そうですか」
疲れ切った声で、林田は答える。
立て続けに起きる予想外の事態に、林田は憔悴していた。
その一方、過労で倒れた校長は、見る見ると回復していった。
加納大悟の死と贈収賄事件の影響で、加納瑞樹の転落死は風化しつつある。
マスコミの追及も和らいだところで、校長は一安心であった。
「学校代表として、林田先生に出席していただきたいのです」
「私が、ですか?」
「ええ。本来ならば私も行くべきなのでしょうが、生憎と色々立て込んでおりましてね。やらなければならないことがいろいろとあるんです。何しろ明日は、終業式ですから」
月初めに起きた事件も、気が付けば年末に差し掛かっていた。
明日はクリスマスイブ。
二学期の終業式が行われる日であった。
「準備の何やかんやで忙しいんですよ。申し訳ないが、ここは林田先生にお任せします。いろいろご迷惑をおかけしましたが、明日の終業式が終れば、事件も一件落着です。御迷惑でしょうが、よろしくお願いします」
「一件落着ですって?」
ホッとした様子の校長に、林田は反論する。
「まだ、事件は終わっていませんよ。服部さんの事はどうするのです?」
「それは、加納家と服部さんの問題です。日野原中学は関係ありません」
江副校長の中では既に、過去の出来事になっていた。
結局、校長は自分の責任問題さえ回避できれば満足だった。
生徒が死のうが、警察に逮捕されようが、彼にとっては関係ない。
「後は両家の話し合いに任せましょう。明日の終業式で、林田先生の仕事も終わりです。今までどうも、ありがとうございました」
「そうですか……」
この仕事から手を引きたいのは、林田も同様であった。
もうこれ以上、この事件に関わり合いになりたくないというのが本音である。
「ああ、そうそう。私の代わりと言ってはなんですが、通夜には相沢君が出席します」
「委員長が?」
「ええ。葬儀場まで連れて行ってあげてください」
○
同時刻、智也は職員室に呼び出されていた。
通夜に出席するように言われた智也は、青木教諭に訊ねる。
「……何で、僕が通夜に出席しないといけないのですか?」
「それは、あなたが委員長だからよ」
わかっていたことだが、予想通りの答えが返って来た。
「加納家の話によると、大悟社長と一緒に瑞樹さんの葬儀も合同で執り行うそうよ。そうなると、三年A組の中から誰も出席しないわけには行かない。そこで、生徒代表としてあんたに出席してもらいたいわけ。頼める?」
頼む、と言ってはいるが、拒否権など存在しない。
諦めたように、智也はうなずいた。
「わかりました。加納さんの家にいけばいいんですか?」
「いいえ。市営の斎場でやるそうよ。林田さんも行くから、一緒に行きなさい」
「林田さんが?」
「ええ。あの人も通夜に出席するそうだから、車に乗せてもらうといいわ。ああ、それともう一つ」
彼女の用事は、一つで済んだ試しがない。
例によって、追加の仕事を押し付けてきた。
「明日の終業式が終った後に、追悼式をやるから」
「追悼式?」
「マスコミやPTAを集めて、加納瑞樹の追悼式をやるの。そこで、クラスを代表してあんたに挨拶をしてほしいのよ」
「挨拶ってどんなことを話せばいいんですか?」
「難しく考えることはないわよ。加納との生前の思い出とかを話してくれればいいのよ。あ、ほら、前に追悼文を書いたじゃない? あれをそのまま読み上げればいいのよ。簡単でしょう?」
言われて、思い出す。
あの時、書くように言われた追悼文は結局、一行も書かずに終わっていた。
通夜に出席して、その後でもう一度原稿に取り組むのは途方もない手間であったが、勿論智也に拒否権は無い。
「……わかりました」
不承不承、うなずくと、智也は職員室を後にした。
○
林田弁護士が待つ駐車場に向かう前に、智也は一先ず教室に向かった。
時刻は夕方。
校舎内に人影はない。
人気のない廊下を歩き、置きっぱなしの鞄を取りに教室へと向かう。
夕日の差し込む教室には、一人の女生徒が残っていた。
「……あ、委員長」
「竹内さん?」
教室で智也を待ち構えていたのは、竹内遙だった。
席に座ってスマートフォンを眺めていた竹内は、戻ってきた智也の姿を見るなり立ち上がった。
「何やってるの、竹内さん?」
「何って、委員長が帰ってくるのを待っていたんだよ」
「僕を? 何か用?」
「委員長、これから瑞樹のお通夜に行くんでしょう?」
「ああ」
「これを、瑞樹の家族に渡してもらおうと思って……」
そう言うと、持っていたスマートフォンをこちらに差し出した。
「何、これ?」
「瑞樹の遺品」
「遺品?」
けばけばしいデコレーションが施されたスマートフォンを怪訝な表情で見つめる。
パープルカラーにビーズのアクセサリーが所々に施された――はっきり言ってかなり悪趣味なスマートフォンだった。
「瑞樹の私物ロッカーの中にあったの。この間の、大掃除の時に見つけたのよ。また、置き忘れていたんだろうね。ホントにあいつは、だらしないんだから。……見てよ、ホラ。パスワードもかけていないの」
受け取ったスマホの画面を見る。
そこには、在りし日の加納瑞樹の姿があった。
よさこい踊りの時の、
修学旅行の時の、
体育祭に文化祭の時の、
学校生活を写し取った数々の写真は、彼女が生きていたという確かな証だった。
「委員長が来るのを待ってる間、ずっと瑞樹の写真を見ていたんだけどさ……」
「……竹内さん?」
唐突に竹内は声を詰まらせた。
「おかしいよね? ロクな思い出しかないのに。瑞樹の事、思い出したら何だか――泣けて来ちゃってさ……」
横顔を見た智也はその時、
目の端に涙がにじんでいる事に気が付いた。
「本っ当にヤな奴だった。自己中で、身勝手で、大っ嫌いだった。友達だなんて思った事、一度だってなかった。だけどさ、だけどさ、……それでも、同じクラスの仲間だったんだよ! 死んじゃったから、もう二度と会えないんだよ!! そんなの、そんなのって……」
とうとう、本格的に泣き出した。
口を抑え、竹内は静かに嗚咽する。
「竹内さん……」
慰めようと、手を差し伸べたその時、
教室の扉が開いた。
「委員長、居る!? ……あーっ! 居た居た!!」
教室に入って来たのは皆川冴子だった。
智也の姿を見つけると、まなじりを吊り上げる。
「探したよ委員長! ちょっと、話があるんだ、け、……ど?」
泣きじゃくる竹内と、手を差し伸べる智也の姿を見て、
安達の顔が瞬く間に赤くなる。
「……あ、ゴメン!」
致命的な勘違いをした皆川は、踵を返すと教室を飛び出した。
泣きじゃくる竹内を置いていくことに後ろめたさを感じつつも、智也は慌てて後を追いかけた。
「ちょっと待て! 皆川」
幸いなことに、廊下に出てすぐに、安達を捕まえることができた。
呼び止めると、安達は素直に足を止める。
振り返った安達は、智也に向かって頭をさげた。
「なんか、御免! すっげー御免!」
完全に誤解をしているらしく、顔を背けたままひたすらに謝り続ける
「邪魔するつもりはなかったの! ただ、ちょっと委員長に話したい事があって……ってか、ええっ? 二人って、……そーだったの? そーゆー関係だったの!?」
ようやく顔を上げると、今度は好奇心いっぱいの表情でこちらに訊ねる。
「誤解するなよ。竹内さんとは何でもないんだ」
「いや、そうは見えなかったけどぉ?」
「いいから。で、用件はなに?」
「ああ、そうだった、そうだった。クリスマス・パーティーの話なんだけど」
智也に言われて正気に戻った安達は、ようやく用件を思い出した。
「ほら、市民ホールでよさこい踊りを踊るっていう、あの話。どうするの?」
「……ああ、あれか」
思い起こせば、全ての発端はクリスマス・パーティーだった。
あの日、クリスマス・パーティーに参加することが決定し、よさこい踊りの居残り訓練をやらされて――そして、加納瑞樹は死んだ。
その後、色々な事があり過ぎて、クリスマス・パーティーの事などすっかり忘れていた。
「今、それどころじゃないってことぐらい、わかっているだろ?」
「それはそうなんだけどさ。……ちょっと、これ見てよ」
そう言って皆川は、一枚の紙片を差し出した。
A5サイズの用紙には、日野原市主催クリスマス・パーティーの文字が印刷されていた。
「……なんだよ、これ?」
「クリスマス・パーティーの案内よ。……ほら、ここ見て」
そう言うと、皆川は演目の欄を指さした。
『日野原中学生徒有志による、よさこい日野原踊り』
「あたしたち、このパーティーに出るってことになっているのよ」
「……本当だ」
「今朝の新聞の折り込み広告に挟んであったの。多分、市内中に配布されているはずよ。どうするの?」
「……どうするって、いわれてもなあ」
突然の難題に、智也は頭を抱える。
「とりあえず、これは預かっておく。このことは、明日になったら先生と相談しておくから」




