真相(一)
日野原中学を後にした加納大悟は、建設途中の県営スタジアムへと向かった。
国道沿いを車で走る事、約十分。
加納大悟とその秘書、彰は、日野原市のはずれにある県営スタジアム建設予定地に到着した。
風の強い、午後であった。
スタジアム建設予定地の周囲は、見渡す限り一面のネギ畑が広がっている。
風を遮る高層建築物が無いため、工事現場には直接北風が吹きこんでくる。
工事現場のところどころには砂埃が舞い散り、建築資材を覆うブルーシートは強風にあおられ、バタバタとけたたましい音を立てる。
「……寒いな」
吹きすさぶ寒風に、加納彰は身をすくめる。
大悟は時折、思い出したように現場視察に訪れる。
視察は名目に過ぎず、実際にはただの気晴らしだ。
現場で働く仲間たちの姿を見ると励まされるらしいのだが、社長の気まぐれに付き合わされる社長秘書はたまったものではない。
彰の口から、思わず不満がついて出る。
「何もこんな日に、視察に来ることないだろうに。もうそろそろ作業終了の時刻だし……」
「文句があるなら、お前は帰れ」
ぶっきらぼうに言い捨てると、大悟は一人、建築途中のスタジアムへと歩いてゆく。
今日の父は一際、感傷的だった。
やはり、服部親子の事が気にかかるのだろう。
息子として、社長秘書として――彰の出来ることは、大悟を一人にしてやることぐらいであった。
「まだ仕事している人がいるんだから。邪魔しないようにな!」
「誰に向かって言っている?」
憎まれ口を残して、大悟は立ち去った。
いつもよりも小さく見える父の背中を見送ると、彰は工事現場の入り口にある仮設事務所へと向かった。
まさか本当に父を置いて帰るわけにも行かず、さりとて吹きさらしの工事現場に突っ立っているのも御免被る。
仮設事務所に行けば、風は防げるしストーブもある。
顔なじみの現場監督もいるだろうから、茶の一杯も出してくれるだろう。
寒さしのぎに、ついでに暇をつぶすには、うってつけの場所であった。
「よお、若社長」
「ども、監督」
予想通り、仮設事務所の中には現場監督がいた。
初老の現場監督は、折り畳み椅子に腰かけストーブの前に陣取っていた。
事務所の中に、他に人はいない。
夕方、そろそろ今日の作業が終了する時刻が迫っている。
他の作業員たちは今頃、後片付けしている最中だ。
現場監督は、彰を見るなり立ち上がり、いそいそと茶を淹れはじめた。
ポッドのお湯を確かめつつ、彰に訊ねる。
「社長、来ているのかい?」
「ええ、現場を見て回っていますよ」
この現場監督は、先代社長――加納建設がまだ小さな工務店だった頃から務めていた古株である。
大悟と共に加納建設の繁栄を支えてきた、筋金入りの職人だ。
彰にとっては叔父のような存在であり、この年になっても頭の上がらない人物である。
「なんかあったのかい、社長?」
「ええ、服部さんの事で、ちょっと」
「ああ、真美ちゃんのことかい?」
二年前に他界した服部真美の父親は、加納建設の社員だった。
家族的な社風の加納建設では、社員同士のつながりが深い。
この現場監督も服部親子と面識があり、今回の事件をとても気にかけていた。
「それで、どうなるんだい、真美ちゃん?」
「ついさっき、学校に寄って弁護士の先生と相談してきました……このままだと、有罪になるそうです」
「そんなバカな!!」
彰に向かって茶碗を差し出しながら、現場監督は叫んだ。
「真美ちゃんが人殺しなんてするはずがないだろう!? やってもいないのに、有罪になるなんてそんなバカな話があるかい!」
「そんなことは、俺だってわかっていますよ。でも、真美ちゃん本人がやったと主張している以上、有罪にするしかないそうで……」
「何とかできねぇのかい? アンタは次期社長だろうが」
「そんなこと言われたって、無理なもんは無理っすよ。つか、次期社長とか関係ねぇから。俺、法律とか全然わからねぇから」
「……ったく、頼りねぇ若社長だな!」
現場監督は吐き捨てるように言った。
古参の社員たちは、事あるごとに彰のことを“頼りない若社長”と言って非難する。
そして、偉大なる父、加納大悟を引き合いに出して説教を始めるのだ。
「こんな時、大悟さんだったら『よし、わかった。俺に任せとけ』って言って胸を叩いて引き受けたもんよ。そして、どんな無理難題でも瞬く間に解決しちまったもんさ」
「俺は親父とは違いますよ」
「そんな事はわかっているよ。これはな、出来る出来ねぇの問題じゃねぇ。やるかやらねぇかの問題なんだよ。要はやる気の問題なんだよ、やる気の。若社長に大悟さんの代わりが務まらないことぐらい、会社のみんながわかっているよ。あんたがどんなボンクラだろうが、役立たずだろうが構わねぇよ。一言、俺に任せろって言ってくれれば、俺達は黙ってついて行くんだ」
「そういうもんですかねぇ……」
「このまんまじゃやべぇぞ、彰さん」
あくまでも楽天的に構える彰に、真剣な顔で監督が諭す。
「服部さんは古くからの付き合いだ。社員の中でも服部さんと一緒に仕事をしていた人は大勢いるんだ。その家族を見捨てるようなことをすれば、会社が空中分解することになりかねない」
中堅ゼネコンにまで成長した加納建設だったが、その経営体制は工務店時代と変化していない。
カリスマ的指導者である加納大悟を中心に、義理と人情で結ばれた部下たちの固い絆によって会社は支えられている。
社員同士の結束が強い反面、僅かな綻びで会社組織としての脆さを露呈することになる。
「成り行き次第じゃ、役員会で取り上げることになるかもしれん。そうなったら、社長の進退問題にまで発展するかもしれないぞ」
「わかってますよ」
投げやりに、彰は答える。
この時、彰は現場監督程に事態を深刻に考えていなかった。
大悟を崇拝しているのは、息子である彰もまた同じであった。
「まあ、なんとかなるでしょうよ。いざとなれば、それこそ親父がなんとか……」
その時、
工事現場に轟音が響いた。
「……何だ!?」
「現場の方だ!」
金属が激しくぶつかり合う破滅的な轟音に、ただならぬものを感じた二人は、慌てて事務所の外に出る。
砂埃を巻き上げる突風の中、工事現場の方向から逃げるように作業員たちがこちらに向かって駆け寄ってくる。
そのうちの一人を捕まえ、監督は訊ねる。
「どうした、何があった!」
「足場が崩れました!」
監督の声に負けないくらいの大声で、作業員は叫んだ。
「突風にあおられて、足場が崩れたんです! それで、社長が下敷きに……」




