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囚人教室  作者: 真先
第五章 迷走
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迷走(六)

 三年A組の生徒達が新たなカップルの誕生を祝福していた頃、

 校長室では林田弁護士と酒井刑事の面談が行われていた。

 部屋の中にいるのは、二人だけ。

 校長も、酒井の相棒である野本刑事の姿も無い。


「しかし、見事なものですな……」


 週刊誌に目を通しながら、酒井刑事は言った。


「遺書が発見されたことにより、この事件は自殺と断定されることになるでしょう。それも、いじめによる自殺ではなく、失恋による失意からの自殺ということで」


この週刊誌の記事により、殺伐とした自殺疑惑は一転、

ロマンチックな悲恋物語へと変わった。


「マスコミの論調は、瑞樹さんに同情する方に傾いています。おかげで、いじめ疑惑は完全に払しょくされました。学校側の責任問題を追及されることも無いでしょう。まったく、理想的な結末ですな。いや、実にお見事です」

「私は何もしていませんよ」


 酒井刑事の手放しの賞賛に、事も無げな様子で林田は答える。


「私はただ『遺書と思しき』文書を提示し、教室内の男女関係の『噂話』をそのまま伝えただけです。後は、マスコミが勝手に編集して物語を作ってくれる。大衆が求めているのは“真実”では無く“物語”なのです。より面白く、そして何よりわかりやすい物語」


 これは、林田弁護士が長年にわたる弁護士活動を通して、たどり着いた真理であった。


「重要なのは、世論を納得させる事です。被害者遺族も、PTAも、学校も警察も――現代社会に生きる以上、世論の声を無視することは誰にもできません」

「山梨の事件の時のように、ですか?」


 唐突に、酒井刑事の口調が変わる。


「あの時も、あなたは同じ手を使った。マスコミを通じて世論を巧みに操り、有罪確実と思えた裁判を覆し、無罪を勝ち取った」

「……どうも、刑事さんは弁護士の仕事を誤解していらっしゃるようだ」


 ようやく、本性をむき出した刑事に、

 林田は対峙する。


「弁護士と言えども、有罪を無罪に替えることはできません。ただ証拠を積み重ね、真実を導き出す事だけです」


 この手の非難は、よくある事だった。

 その度に林田は、同じ説明を繰り返して来た。


「あの事件では、有罪にたる証拠が存在しなかった。だから無罪になったのです」

「証拠ならばありましたよ。凶器であるバットには容疑者少年たちの指紋が付いていました。にもかかわらず、証拠不十分で逮捕することが出来なかった」

「凶器とみられるバットは学校の備品です。容疑者生徒以外の指紋もついていました。もちろん被害者の指紋も。犯人を特定するには、証拠として不十分です」

「だからと言って、被害者が素振りの練習中、誤って自分の頭を殴りつけてしまった、というのは無理がある解釈ではありませんか?」

「可能性として、まったくあり得ないとは言い切れないでしょう。私の仮説を採用し、判決を下したのは裁判長です」

「無理があるといえば、最終弁論もかなり乱暴でした。『可愛がっていた飼い犬を間違って殴り殺したようなもの』というのはいくらなんでも言い過ぎなのでは? ……間違って犬を殴り殺す事なんて無いでしょう、普通」

「私が言ったわけではありません。近所の住人の証言をそのまま伝えただけにすぎません」

「あなたが言わせたのでしょう。マスコミを使って、世論を巧みに操り、加害者少年たちに世間の同情が集まるように仕向け、無罪へと導いたのはあなただ!」


 刑事の口調は、徐々に鋭く変化していった。

 人の良い刑事の仮面は既にない。

 不快感を隠そうともせず、林田を嫌悪の眼差しで睨み付けた。


「あなたは、一つの殺人事件を葬り去ったのですよ。法に携わる者として、あなたは何とも思わないのですか?」

「わたしは日本国が定めるところの法に則した正当な弁護活動をおこなっただけです」


 ベテラン刑事の凄味のある視線を正面から受け止め、林田は反論する。


「事件を捜査し証拠を提示するのは、警察官であるあなた達の仕事だ。被告人を有罪へと導くだけの物的証拠を用意することが出来なかったのは、警察側の責任です。自分たちの怠慢を棚に上げて、私を批難するのはやめていただきたい」

「いいえ、私は別にあなたを批難しているわけではありませんよ」


 そう言うと、酒井は再び人の好い刑事の仮面をかぶる。

 

「私はただ、あなたの弁護活動に感心しているだけです。あなたは確かに、世論を操る天才だ」

「…………」


 心にもない世辞を並べ立てる刑事を、苦々しい表情で睨み付ける。


「マスコミなんて無責任なものです。新しい話題を提供すれば、あっという間にそちらに飛びつく。一月もすれば、この事件も忘れ去られてしまうでしょう――でもね、被害者遺族は違う。彼らは一生、家族を失った悲しみを抱えて生きて行かなければならないのです」

 

 そんな事は、言われなくても知っている。

 どんなに優秀な弁護士であっても、事件を無かったことにはできない。

死んだ人間を生き返らせることも、できない。


「あなたが相手をしなければならないのはただ一人、加納大悟氏です。今まであなたが相手をしてきた被害者遺族とはわけが違う。権力があり、財力がある。そして何より、あなたと同等に、マスコミを操る術に長けている」


 悔しいが、認めるしかない。

マスコミの扱いにかけては、加納大悟の方が一枚上手だ。

 加納大悟の狙いは、この事件を利用して贈賄スキャンダルから世間の目をそらすことにある。

 そのためには、事件が長期化することが望ましいはず。


「加納大悟氏は、この事件を殺人事件だと断言しているのです。そして、犯人を見つけるために賞金までかけている。彼が賞金を取り下げない限り、事件は終わったとは言えない」

「承知していますよ……」


 この事件の、加納大悟が握っている。

 そして、加納大悟を沈黙させることができるのは、この酒井刑事を於いて他にいない。


「だから、これをあなたにお渡しします」


 そう言うと、林田は酒井刑事にファイルを差し出した。


「聞き取り調査の結果をまとめたファイルです。三年A組の生徒達のプロフィールと加納瑞樹の交友関係。事件当日の動向。学業成績に至るまで、この事件に関する全てが記されています」

「……これはすごい」


 成績表まで添付された詳細なファイルに、酒井刑事は感嘆する。


「さすが弁護士先生だ。ここまで細かく調べているとは思いませんでした。いや、これなら証拠として十分、通用しますよ」

「くれぐれも、内密に願いますよ。生徒達の個人情報を警察に引き渡したと知られれば、わたしもただでは済みませんのでね」

「承知しておりますとも。このファイルは有効に活用させていただきますよ。市民のご協力、ありがとうございます、林田先生。これから先は、我々警察にお任せください」


 有頂天の刑事に、無性に腹が立った。

 林田の口から、憎まれ口がついて出る。


「これだけのお膳立てをしたのですから、確実に加納大悟を逮捕してくださいよ。くれぐれも、証拠不十分で逃げられるなんてことが無いようにお願いします」



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