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囚人教室  作者: 真先
第五章 迷走
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迷走(五)

 それから数日後のある日――三年A組でちょっとした騒動が持ち上がった。


 その日の朝、教室に慌てた様子で飛び込むように来たのは湯川望美だった。

 どうやら誰かを探しているらしく、教室の中を見渡す。

 目当ての人物が見つからないと知ると、湯川は先に登校していた智也の元へと駆け寄った。


「委員長! 冴子はどこ!?」

「冴子って、皆川の事?」

「そうよ、皆川冴子! あいつ、何処にいるの!!」

「いや、まだ来てないようだけど?」


 いつもクールな彼女が、こんな風に取り乱すのは珍しい事だった。

 整った顔に浮かんだ鬼の形相に怯えつつ、智也は訊ねる。


「一体、何があったの? 湯川さん」

「これよ! この記事見てよ」


 バッグの中から、一冊の雑誌を取り出した。

 それは、今日発売の週刊誌だった。

 おそらく、登校途中にコンビニで買ったのだろう。

 折り目のつけられたページを開くと、智也に見せる。




【スクープ: 本誌独占記事】


 女子中学生転落死事件で話題の日野原中学校で、新たな事実が判明した。

本誌取材班の得た情報によると、死亡した加納瑞樹さん (15)の、遺書と思しきものが発見されたことがわかった。


生前、加納瑞樹さんは、学校新聞に記事の執筆を依頼されていた。

以下がその文面である。


『人間の進むべき道は、運命によって導かれるものだと、私は思います。

運命に抗う事なんて誰にもできない、

ただ、運命に選ばれるだけなのです』


 一見して、高校進学を控えた女子中学生の心象を描いた記事に見えるが、その裏には重大な意味が隠されていた。

 

「所謂、三角関係、というやつです」


 先日、生徒との聞き取り調査を行った林田弁護士は語る。


「クラスメイトの証言によりますと、加納さんはクラスの男子生徒のS君に好意を寄せていたようなんです。S君の気を引こうと加納さんはあらゆる努力を試みました。よさこい祭りのセンターに立候補したり、英語の勉強をしようと図書館通いをしたり。ところがS君には既に、Yさんという恋人がいたのです」


相思相愛の二人の間に入り込む余地が無い事を悟ったその時、少女は抗い様の無い“運命”を感じ取ったに違いない。

品行方正、学業優秀、クラスのみんなに慕われる人気者。

運命に愛された少女は――しかし、たった一人の少年に愛されることは無かった。

純粋すぎる少女の思いが、死という手段を選択させたのではないだろうか?



「……何だこれ?」


一通り記事に目を通すと、智也は首をかしげる。


「これじゃまるっきり、加納さんは失恋したことがきっかけで自殺したみたいじゃないか。なんでこんな記事が……」

「そんな事はどうでもいいの。問題はこの“クラスメイトの証言”って所よ!」


 横から湯川が記事を指さした。


「この、男子生徒のS君っていうのは白井君のことよね?」

「そうみたいだね」

「ダンス部部長のYさんってのがあたしよね?」

「そうなるね」

「何であたしが白井君と付き合っていることになってんのよ!?」

「知らないよ、そんなの」


 困ったように顔を背ける智也に、

 湯川はさらに詰め寄った。


「冴子でしょう、証言したクラスメイトって!?」

「いや、聞き取り調査の内容については、守秘義務が課せられるので、答えることはできないんだ」

「とぼけなくてもわかるわよ! こんなこと話すのは冴子以外にいないじゃない。委員長もその場にいたんでしょう? 何で止めてくれなかったのよ!?」

「止めるって言われても、無理だよ。あいつのおしゃべりなんて、誰にも止められな……」


 湯川に問い詰められ、しどろもどろで言い訳していたその時、


「おはよー、みんな」


 噂の本人、皆川冴子が教室にやって来た。


「冴子!」

「あ、おっはよ! 望美」


 呑気にあいさつする皆川の元へと

怒りの形相で湯川は駆け寄る。

 

「あんたでしょう、コレ!?」

「あ、望美も買ったんだ、コレ!」


 週刊誌を突きつけそう言うと、

 皆川も学生鞄から同じ週刊誌を取り出した。


「驚いちゃったわよ。この記事に書いてある事って、あたしが聞き取り調査で証言した事なのよ」

「……え?」


 悪びれた様子もなくあっさりと自白した皆川に、怒りのやり場を失った湯川が絶句する。


「あたしの言葉が記事になるなんて、なんか感動。どうしよう、もしかしたらテレビの取材とかも来るかもしれないよね?」

「なに勝手な事、言ってんのよ!」


 感慨深げに記事を眺める皆川に、湯川の怒りは頂点に達した。


「なんでこんなこと言ったのよ!? その、あたしと白井君が付き合っているなんて!」

「だって実際、そうじゃない。あんたたち、付き合っているんでしょう?」


 ものすごい剣幕で詰め寄る湯川に、皆川は涼しい顔で答える。


「付き合ってないわよ!」

「でも、望美は白井君の事が好きなんでしょう?」

「好きじゃないわよ!」

「じゃあ、嫌いなの?」

「何でそう言う話になるのよ!? 白井君とはただのクラスメイトよ。別に、好きとか嫌いとか無いわよ!」

「嘘ウソ、隠したって駄目だよ」


 全てを見透かしたような口ぶりで、皆川は笑った。


「あたし知っているんだから。よさこいの衣装の試着の時にさ、白井君に写真撮らせてくれって頼まれた時、二つ返事でオーケーしたじゃん。望美ってさ、他の男子には絶対に写真なんか取らせないじゃん。なのになんで、白井君にだけには撮らせてあげたの?」

「あ、あれは違う。白井君は、衣装を撮影してただけよ!」


 しどろもどろで、湯川はこたえる。


「岡田さんの作った衣装がとてもきれいだから、写真に撮っておきたいって白井君が言うから……」

「そんなの口実に決まってんじゃん。衣装なんてどうだっていいのよ、白井君が欲しかったのは、あんたの写真よ」

「…………」


 そう言うと、湯川は真っ赤になって俯いた。

 いつもクールなダンス部部長の照れた姿に、

 面白そうに皆川は、けらけらと笑った。


「素直になればいいのに。白井君も望美の事、好きだと思うよ。丁度いいから、告っちゃえば?」

「……素直じゃないのはあんたでしょう」


 うつむいたまま、押し殺した声で、湯川はつぶやいた。


「何よ、それ。どういう意味?」

「あんたこそ、白井君の事が好きなんでしょう?」

「……え?」


 顔をあげると、湯川は皆川を睨み付けた。


「とぼけないでよ! あたし知っているんだから! あんたいつも、白井君の事、見ていたじゃない! 授業中とか、休み時間とか、いつも白井君のこと」

「…………」


 思わぬ逆襲に、皆川は口ごもる。


「あんた、前からそうだったじゃない! 他人の恋愛関係ばかり首突っ込んでさ、自分は告白する勇気もないくせに。そういうのって、卑怯よ!」


 湯川の逆襲にも動じず、皆川は平然と言い返す。


「それで?」

「……え?」

「そうよ、あんたの言う通り。あたしも白井君の事が好きよ」



「私、前から白井君の事が好きだった。イケメンだとか、。――それで、あんたはどうするわけ?」

「……どうって」


 突然の告白に、今度は湯川がうろたえる番だった。


「あたしが誰を好きだろうと関係ないでしょう? 重要なのは、あんたが白井君をどう思っているか。で、どうなの? 好きなの? 嫌いなの?」

「……それは」

 

 問い詰められ、湯川は口ごもる。


「あたしは、あたしは、ダンス部の部長だから……」

「はぁ? 何それ?」

「部長が男と付き合っていたら、他の部員に示しがつかないでしょう。」

「はぁ? 何それ? 何なの、それ?」


 激怒した皆川は、身を乗り出し湯川に詰め寄った。


「『あたしはみんなのアイドルなの。だから、男の人とはお付き合いできません』って? ふざけんじゃないわよ! 何様よ、アンタ! 前から思っていたんだけどさ、あんた自分の事、世界で一番の美人だと思っているでしょう? 世界中の男はほっといても自分になびくと思ってんでしょう?」

「そんな事……」


 胸の内に潜む傲慢さを指摘され、

湯川は激しく動揺する。


「思っているのよ! あんたのそういうお高くとまった所、前から気に食わなかったのよ! 瑞樹のことだってそうよ。ダンスじゃ、誰にもあんたにはかなわない。それがわかっていたから、あえて瑞樹にセンターを踊らせて、無様な姿を後ろで見て笑っていたんでしょう!?」

「そんなんじゃ、そんなんじゃない。あたしはただ……」



 それ以上は声にならず、とうとう湯川は涙を流して泣き出してしまった。


女子二人の生々しい痴話喧嘩は、聞いている方がいたたまれない気持ちになる。

 見かねた智也が、二人の間に割って入る。


「二人とも、もうよせって! みんな見ているじゃないか」


 周りを見渡しながら、諭す。

 言い争ってる間にも、クラスメイト達は次々と登校してきていた。

 教室にいる全員が、二人の喧嘩に注目していた。


「とりあえず二人とも落ち着いて……」

「委員長は黙ってて! これはウチらの問題なんだから!」


 聞く耳を持たない皆川は、智也を押しのけると。

 泣きじゃくる湯川を問い詰める皆川の頬も又、涙に濡れていた。

 

「そうやって、あんたはいつも高い所に立って人を見下しているのよ! あんたのその思い上がりのせいで、どれだけ周りの人間が傷ついていると思ってんだよ!」

「だからもうやめろって!」

「好きな人がいて、その相手もあんたの事が好きで、それのなにが不満なのよ!! あたしなんか、……あたしなんか、どんなに好きでも振り向いてもらえないんだから!」

「やめろって言ってんだろう!?」


 皆川の腕を掴んで黙らせると、ようやく教室に静寂が訪れた。

 静まり返った教室に、二人の少女のすすり泣く声だけが響く。

 

 重苦しい空気が漂う中、唐突に教室の扉が開いた。


「みんな、おはよう!」


 朝のあいさつと共に教室の中に入って来たのは、話題の主、白井僚であった。

 何があったのかは知らないが、白井はひどく上機嫌な様子であった。

軽妙な足取りで教壇に立つと、教室の皆に語り掛ける。


「あー、ちょといいかな、みんな」

「な、何だい? 白井、何かあったのかい?」

 

 教壇に立つ白井からは見えないように、湯川と皆川の二人を背中に隠して、

何事も無かったような調子で智也は訊ねる。


「そうなんだよ、委員長。クラスのみんなに報告したい事があるんだ――岡田さん、こっち来て」


 そう言うと、白井は手招きする。

 教室の入り口には、もじもじと教室の中を窺がっている一人の女生徒の姿があった。

 手芸部部長、岡田紀美子は気まずそうに白井に訊ねる。


「……本当にやるの?」

「うん。こういうことは、はっきりしといた方がいいし」

「でもぉ、こんなの恥ずかしいし」

「恥ずかしい事なんて無いさ。いいから、来なよ」


 なんとなく浮ついた二人のやり取りに、


『…………?』


 クラスの全員が疑問符を浮かべる。


 しばらくの間、愚図っていた岡田であったが、

 白井に促されてようやく教室の中に入ってきた。

 二人並んで教壇に立ったところで、白井が話を始める。


「みんな、今日発売の週刊誌の記事は読んだと思う。ここではっきりと、明言しておく。記事の内容は根も葉もない、全くの出鱈目だ。僕と湯川さんとは何の関係も無い」


 そう宣言すると、

白井は隣にいる岡田の肩を抱いて引き寄せた。


「僕が本当に好きなのは、この人――岡田紀美子さんです!」


 白井の爆弾発言に、


『…………え?』


 クラス全員――湯川と皆川の二人も含めた全員が、言葉を失う。

 

「以前から彼女の事が気になっていたんだ。さっき、告白してOKを貰いました」

「やだもお、やめてよお。みんなの前ではずかしい」


 クラスメイト達が注目する中、二人は人目を憚らずいちゃつきはじめる。

 

「本当に、あたしなんかでいいの」

「君でなくっちゃ、ダメなんだ」

「でも、あたしなんて全然可愛くないし、手芸以外、何の取り柄もないし……」

「そういう君の奥ゆかしい所が好きなのさ。僕は知っているよ。よさこい祭りの時、君はクラスのみんなの為に一人で衣装を作っていただろう? ……ホラ」


 そして、白井はスマートフォンを取り出した。

 待ち受け画面には、よさこい踊りの衣装を着た湯川望の姿があった。


「僕は知っているよ。クラスのみんなの為に君が一生懸命、衣装を作っていたのを。そういう目立たない、地味な作業をこつこつとやる君の姿が好きなんだよ」

「……白井君!」

「……岡田さん!」


 互いに見つめ合、二人きりの世界に突入する二人。

 


 結局のところ、また皆川の勘違いだったということだ。

 クラス全員の冷たい視線が、皆川に集中する。


『…………』

「……えーと」


 突き刺さるような視線に、皆川が小さくなる


「ボクの軽率な行動であらぬ誤解を招いてしまい、迷惑をかけた人たちにこの場を借りて謝罪したい」


二人だけの世界をひとしきり堪能した後、

白井は再び教室へと向き直る。


「特に、湯川さんには多大な迷惑をかけてしまった」

「……え?」


 名前を呼ばれ、湯川が硬直する。


「ごめんね、湯川さん。妙な噂を広められてしまって、迷惑だったでしょう?」

「……あー、うん。大丈夫、気にしないで。……うん。本当、大丈夫だから。大丈夫、大丈夫……」


 邪気の無い白井の謝罪は、湯川の乙女心をずたずたに切り裂いた。

壊れたように大丈夫を繰り返すその姿は――どう見ても大丈夫では無かった。

 

「おめでとうっ!」


 いたたまれない空気を払拭するように、智也は手を叩く。


「おめでとう、白井君! 岡田さん! おめでとう! 二人とも、おめでとう!」


 力の限り両手を叩いて、智也は二人を祝福した。

 拍手はやがて、教室中に広がってゆく。


「おめでとう、白井!」

「おめでとう! ……なんか知らんけど、おめでとう!」

「よかったね、紀美子! ……どうでもいいけど、よかったね!」

「お似合いだぞー、二人ともー」

「二人とも、お幸せに。……チッ!」

「キスしちゃいなよ! キスしちゃえばいいじゃんよ!」


 投げやりなクラスメイトからの祝福に、恋する二人は素直に感動する。


「あ、ありがとうみんな。ありがとう! ……なんか、みんな良いやつらだな」

「ありがとう、みんな! あたし達、幸せになります!!」


 新婚カップルのような事を言う壇上の二人を、

 光の消えた瞳で見つめ、皆川冴子と湯川望美は呟いた。


「……あー、なんか、ごめんね。望美」

「……いや、あたしこそ、ごめん。冴子」


 かくして、

 一つの愛が実り、

 二つの恋が破れ、

 一つの友情が生まれた。



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