迷走(三)
校長と教育委員会との間で密約が取り交わされていた同時刻、三年A組の教室では、生徒達主導による学級会が開かれていた。
「マジかよ、トミー?」
「ああ、間違いない」
議題は、推薦入学辞退についてである。
教育委員会との密約を漏えいしたのは、富永の息子、新一である。
「昨日の教育委員会の会議で決定したらしい。親父が電話で話しているのを盗み聞きしたんだ。推薦辞退を交換条件に、マスコミに謝罪するって……」
「冗談じゃねぇ! そんな事、納得できるか!」
真先に抵抗したのは内海だった。
サッカー部部長の彼は既に、スポーツ推薦で推薦入学が決定している。
三年間、必死に部活に撃ち込んできた末にようやく手にした推薦入学を、こんな形で失うなど、到底、納得できるものではなかった。
「いまさら推薦取り消しなんて、そんなバカげた話あるかよ! 何でそんなことになるんだよ!?」
「謝罪の意思を、明確に示そうとしているんだろう」
激昂する内海を宥めるように、藤村が言った。
「よさこいの練習の時、おまえも同じことをやったろう? 『やる気が無くても、やる気のあるフリをすればいい』。それと同じさ。とりあえず、反省しているフリだけでもしておいて、世間は納得させるつもりなんだろうよ」
慌てふためく内海とは対照的に、藤村は冷静であった。
校長室で行われていた会話を、的確に予見していた。
「また、室井のように怪我人が出るようなことにでもなれば、学校側の管理責任が問われることになる。そうなる前に、予防線を張っておきたいんだろうよ」
「ようするに、責任逃れをしたいだけじゃねぇか!?」
大人たちのやり口に、
侮蔑も露わに、内海は吐き捨てる。
「そんな、大人の都合で振り回されてたまるか。なあ、みんな! これから校長室に抗議に行こうぜ!!」
拳を振り上げ、クラスの皆に直談判を呼びかける。
しかし、内海の呼びかけに応える者はいなかった。
「……どうしたんだよ、みんな?」
誰もが皆、内海と目を合わせようとはしなかった。
「別に、いいんじゃねぇ」
静まり返った教室で
気のない様子で答えたのは、西崎庄司だった。
「学校側が決めた事なら、しょうがないよ。俺達は黙って従うしかない」
「……何言ってんだよ、西崎?」
愕然とした表情で内海は西崎を見る。
クラスで最も受験に
「だってよ、ここまで話がこじれちまったら、推薦どころの騒ぎじゃないだろう。日野原中学ってだけで、世間から白い目で見られるんだぜ。ここでゴネたりなんかしたら、ますます俺達の評判が悪くなるだけじゃないか。このまま日野中の評判が悪化すれば、推薦の意味なんて無くなる。だったら自分から辞退して、少しでも世間の印象をよくしておいた方がいいじゃないのか?」
「それで本当にいいのかよ、西崎? 推薦が取り消しになるんだぞ? 志望校に行けなくなるんだぞ?」
「だって、ほら。俺はちゃんと勉強していたから」
「え?」
「だから、俺は推薦なんか無くても、通常受験で進学できるから」
自信たっぷりに答える、西崎。
「俺は三年間、地道に計画をたてて勉強していたから、大抵の高校には自力で合格できる学力があるんだよ。今の時代、贅沢さえ言わなければ、そこそこの高校には合格できるからな――みんなだって、そうだろう?」
クラスの皆に訊ねるが、返事はない。
つまり、西崎の言う通りだという事だ。
「そんな……」
茫然とする内海に、西崎はさらに言い募る。
「みんな、ちゃんと考えて勉強していたんだよ。お前はどうすんだよ、内海?」
「……うっ」
「お前、体育推薦だもんな。部活ばっかやってて、全然勉強していないだろう? 対抗試合だとか、合宿だとか言って授業もろくに出ていなかったもんな?」
「……ううっ」
「今更、受験勉強しても、手遅れだろ? 日野原高校ぐらいしか、行く場所ないんじゃねぇか?」
「……ううっ、うわあぁぁぁぁっ!!」
獣のような雄たけびを上げると、内海はクラス委員の智也の元へと駆け寄った。
「相沢! 委員長! 何とかしてくれよ。……委員長?」
頼みの綱の委員長に縋りつくが、智也は何も答えない。
虚ろな瞳で、力なくうなだれる。
「……燃え尽きている」
○
その日の放課後、『推薦入学辞退反対』の決起集会が開かれた。
会場である教室に残った三年A組有志達の数は、
その数――総勢五名。
「……五人しか集まらないのか」
予想以上の反応の悪さに、集会の発起人である内海は、がっくりとうなだれる。
「いいじゃないか。重要なのは数じゃない」
落胆する内海を、富永が慰める。
「俺達の意志を、学校側に伝えることが重要なのさ。このまま泣き寝入りしたら、それこそ奴らの思う壷だ」
彼の言う奴らとは、学校と父親の所属する教育委員会の事を意味していた。
富永の目的は父親の横暴に反抗することにあった。
その顔には、ゆるぎない決意の強さが浮かんでいた。
「みんな口には出さないが、学校側の決定には反対なはずだ」
後を継いだのは、
三年A組一の策士である、藤村だった。
「進路のことを抜きにしても、今までやってきたことが、全部無駄になるんだ。このまま学校側の言いなりになるつもりはねぇよ」
「何か、手はあるのか、藤村?」
「あるから、みんなに集まってもらったのさ」
そう言うと、藤村は不敵な笑みを浮かべた。
藤村浩成、詐欺師と呼ばれた男である。
「上手く行けば、学校側の。詳しい事は――福島、お前から説明してやってくれ」
「おっけー」
場違いに明るい声で答えたのは、
会計係の守銭奴、福島麗である。
「よさこい祭りは元々、市の地域振興が目的だったって言うのは知っているわよね?」
「ああ、それを教育委員会が横槍を入れて、青少年の教育に利用したんだよな?」
すかさず答える富永に、福島がうなずく。
よさこい祭りで会計係を務めていた彼女は、金の流れを把握していた。
「よさこい祭りの参加団体には、市の地域振興課から助成金が出ているのよ。衣装だとか、小道具だとかは、全部、その助成金で賄っているんだけど――計算が合わないのよ」
「なんだって?」
怪訝な表情で訊ねる内海に、福島がこたえる。
「だから、本来ならばもっと予算が多いはずなのよ。衣装は岡田ちゃんが作ったから、材料台しかかからなかった。機材とかは、学校の設備を使っていたでしょう。ラジカセとかは、加納ちゃんの寄付だったじゃない? 本来ならばこういった服装代とか、設備費用とか、助成金で賄うはずだったのよ。それが使用されなかったんだから予算が余る筈なんだけど、それがきれいさっぱり無くなっているのよ」
「それが、どうかしたのか?」
「つまりね、誰かがよさこい祭りの予算を横領したんじゃないかってこと」
「まさか、そんな……」
絶句する内海に、藤村が説明を加える。
「そう考えると、色々不審な点に説明がつくんだよ。学校側はよさこい祭りに以上にこだわっていた。俺達、進学クラスを使って、しかも年末の差し迫った時期にまで駆り出そうとしている。どう考えても、おかしいだろう? それに、最近の校長はやけに羽振りがよさそうだった。中学校の校長がベンツなんか乗り回せるか?」
「横領した金で買ったって言うのか? そんな、まさか……」
否定しようとして、言葉が見つからない。
確かに、校長が横領していたということになれば、全ての疑問が氷解する。
「これは、とんでもないスキャンダルだ。この事をマスコミに流せば、教育委員会を巻き込んだ大騒ぎになるはずだ。そうなれば推薦辞退の話も自然消滅……」
「ちょ、ちょっと待て! 藤村、待て!!」
先走る藤村を、内海が慌てて引き止める。
「証拠はあるのか? その、校長が横領したっていう、証拠は?」
「そんなものはない」
「それじゃダメだろ!」
「証拠なんてものはどうでもいいのさ。重要なのは世間に与える印象さ。使途不明金があって、それに教育委員会が関わっていて――校長が悪趣味な高級車を乗り回している。その事実だけで、非難の対象になる」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんなんだよ。世の中なんて。元々は、存在しないいじめをでっちあげて、俺達に謝罪させようと企んだ学校側に責任がある。目には目を、嘘には嘘だ」
過激な意見に、内海は考える。
「……問題は、どうやってこの話を公表するかだ」
答えは、すぐに出た。
選択の余地はない。
肚が決まった以上、打つ手は迅速でなければならない。
「俺たち生徒とマスコミは接触が禁止されている。こちら側から話を持ち込もうとしても、マスコミは会ってもくれないぞ」
「そこで、こいつの出番ってわけだ――なあ、谷本?」
「ようやく、俺の出番かい?」
そう答えたのは最後の一人、
パソコン部部長、谷本晴人であった。
「みなさーん。こちらをご覧ください」
自前のノートパソコンを開き、説明を始める。
「こちらは、絶賛炎上中の掲示板です。」
ブラウザを立ち上げ、大手掲示板を表示する。
『週刊文鳥、逝ったな』
『怪我人だしちゃあ、さすがにヤバイな』
『階段から突き落とすなんて、いくらなんでもやり過ぎっしょ』
『記者の話によると、室井悠里が勝手に転んでけがしたって言う話だが?』
『そりゃ、出版社はそういうだろうさ』
『これってさ、自演の可能性ってないか?』
『室井悠里が、わざと階段から落ちて怪我をしたって言うのか?』
『そりゃ、いくらなんでも、深読みしすぎだろう』
掲示板では、相変わらず、根も葉もない憶測記事で盛り上がっていた。
「室井の転落事件以降、スレは伸び続けています。そこに、さらに燃料を投下します――ぽちっとな」
エンターキーを押すと同時、
掲示板に新たな記事が表示された。
『日野原事件で新事実。校長が学校の金を横領』
谷本の立ち上げた新たなスレッドに、
ネット住民たちはすぐに反応を示した。
『kwsk』
『ソースはあんのかよ、ソースは?』
『なんでも、教育委員会と癒着して、よさこい祭りの予算を使い込んだんだって』
『マジかよ。校長、最低だな』
『校長の車ってベンツだよね?』
『そうだよ。それも、Sクラス。教師の給料で乗れるような車じゃねぇよな』
『今日、教育委員会が日野原中学に来たって話を聞いたぜ。この噂、マジかも知れねぇぞ?』
『教育委員会って、富永って生徒の父親だろう?』
『やべぇな、また盛り上がっちまうぜ』




