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囚人教室  作者: 真先
第四章 不信
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不信(十二)

【出席番号14番: 古橋賢人の証言】


 長々と続いた聞取り調査も、ようやく終わりが見えて来た。

 残る最後の一人は、囲碁将棋部の部長の古橋賢人である。


「『囚人のジレンマ』ですね」


 何の前置きも無く、古橋はそんなことをつぶやいた。


「何だって?」


 怪訝な表情で、林田が問い返す。


「現在、我々三年A組の置かれている状況ですよ。これこそ、まさに『囚人のジレンマ』って奴ですよ」


 重度のゲーム廃人の古橋は、明晰な頭脳と無駄知識の持ち主だ。

 時折こうして、唐突に訳の分からない事を言っては周囲を困惑させる性癖があった。


「……ふむ?」


 感銘を受けたように、林田は深く頷いた。


「最近の中学生は難しい言葉を知っているのだね。成程、君の言う通り、これはまさしく『囚人のジレンマ』だ」

「……あの、なんですか。一体?」


 納得したようにうなずき合う二人に、

 一人蚊帳の外の智也がたずねる。


「なんですか、その『囚人のジレンマ』って?」

「ゲーム理論の一つさ。自己の利益が優先される状況下において、論理的思考は機能しないという事を証明した理論なんだよ」


 ゲーム廃人の彼は、ゲームの事となると途端に生き生きと話し始める。

 智也の質問に、待ってましたとばかりに古橋は説明を始めた。


「この事件の鍵を握っているのは、加納大悟だ。加納大悟が何を考え、俺達に何をさせたいのか。それを、考えることが重要なのさ。

 

 加納大悟は何故、殺人事件だと言ったのか?

 なぜ、聞き取り調査を行わせるのか?

 賞金を懸けたのはなぜか? そして、その金額がなぜ三億二千万円なのか?

 聞き取り調査を林田弁護士に与えられたのはなぜか? そして、立会人に委員長が選ばれたのはなぜか?


彼の不可解な言動と行動を読み解くことができれば、おのずとこの事件の背景が見えてくる――委員長、加納大悟は何故、こんな聞取り調査をやらせたと思う?」

「……さあ?」

「原因はお前だよ、委員長」

「僕?」


 目を丸くする智也に、人差し指を突きつけ、

 古橋は説明を続ける。


「この騒動のそもそものきっかけは、門脇の告発報道だ。あの告発報道のせいで、加納大悟は娘がいじめによって自殺したと思い込んでしまったんだ。そして、その事実を知りながら学校側は隠蔽しようとしている――と思い込んでいるのさ。委員長、記者会見で加納大悟が何と言ったか、覚えているか?」

「ええと……」

「あの時、加納大悟はこう言ったんだ。『私は家族を二度殺された。一度目は三年A組の生徒の手によって。そして、二度目はこの学校の教師たちの手によって、殺された』と。この場合の“殺された”というのはあくまでも比喩的表現に過ぎない」

「ヒユテキ?」

「物の例えだよ。つまり、加納大悟は、娘はいじめによって自殺に追い込まれたと思い込んでいる。そして、その事実を学校が隠蔽している――と、思い込んでいる。だから、加納大悟は、俺達に再調査を命じたのさ」


 古橋の説明は続く。


「問題は、どうやって俺達に証言させるかだ。この事件は、日本中が注目している。証言によっていじめの事実が発覚すれば、俺達は世間の非難にさらされることになる。そんなことにでもなれば、勿論、推薦入学は取り消しになるだろうな。俺達、クラス全員」

「……うわ」


 推薦取り消しと言う言葉に、智也は顔をしかめる。


「こんな状況で、証言をする奴なんて出てくるはずがない。普通に再調査を命じても、同じ結果になるだけだ。そこで加納大悟は三億二千万円の賞金を懸けたわけさ。いじめの犯人を告発した奴には、賞金として三億二千万円が支払われる。知っての通り、三億二千万円は生涯年収だ。一生遊んで暮らせる金が手に入るんだ。そうなるともう、推薦入試なんてどうでもいい。中卒でニートでも、一生安泰だ。賞金目当てにいじめを告発する奴が、必ず現れるだろう」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」


 調子よく説明を続ける古橋に、

 智也が慌てて止めに入る。


「それはちょっと、おかしいだろう? そもそもいじめなんてなかったんだぞ? 門脇さんの告発はただの出まかせだ。存在しないいじめを告発するなんて、どうするんだよ?」

「だから、この際事実はどうでもいいんだ。委員長。そもそも、いじめ、とは何だ?」

「……は?」

「直接的な暴力や、金銭を脅し取ったりすることだけが、いじめではないだろう。無視をしたり、仲間はずれにすることもいじめになる。言葉の暴力だって、いじめの一つだ。たった一言“デブ”と言っただけで、いじめになってしまうことだってあるんだ」


 副委員長の奸計にはまり、いじめの主犯にされた料理部部長の姿を思い出した智也は、思わず納得する。


「このように、いじめとは非常に曖昧な概念なんだ。どんな些細な証言でもいい。解釈次第で、いじめになる――そして、その判断をするのは林田先生あなただ」

「今度は私かね」


 人差し指を突きつけられ、

 林田は苦笑する。


「林田先生。あなたは、大悟氏からこの聞き取り調査に関する全権を委任されている。いじめがあったか、なかったか――その判断をするのはあなただ。そして、あなたはいじめの事実を認めなければならない。なんとしても」

「何故かね?」

「この聞き取り調査は、日本中が注目しているんだ。再調査までして“何もありませんでした”なんて言っても、世間が納得するはずがない。だからこそ、監視役として委員長、お前が選ばれたのさ」

「また、僕?」


 再び人差し指を突きつけられ、

 智也は目を丸くする。


「お前は前回の聞き取り調査でいじめの事実を隠ぺいした張本人だ――あ、いや張本人だと、世間では思われている。世間を納得させるためにも、お前はどんなことをしてでも、いじめの証拠を見つけなければならないんだ」

「それじゃあ……」


 智也は絶句する。


「それじゃあ、僕たちはやってもいないいじめを自白しなければならないってことか!?」

「まあ、そういうことだな」

「結局、僕達全員の推薦入試は取り消しになるってこと」

「そう。それこそがまさしく、加納大悟の狙いなのさ。」


 悲鳴を上げる智也を見て、古橋は愉快そうに笑顔を浮かべた。


「加納大悟は、いじめによって娘を殺されたと思い込んでいる。その復讐の為に俺達クラス全員の人生を破滅させようと企んでいるのさ」

「そんな……」

「この聞き取り調査は、加納大悟のしかけたゲームなんだよ。そして、このゲームに、俺達は絶対に勝つことはできない――このように、最悪な選択肢を選ばざるを得なくなる状況の事を『囚人のジレンマ』と呼ぶのさ」

「確かに、君の言う通りだ」


 古橋の状況説明に、林田は感嘆する。


「今回の聞き取り調査において、三年A組の生徒達は非常に協力的だった。おかげで、多くの証言を得ることが出来た。それ等の証言が『囚人のジレンマ』によるものだとしたら、加納大悟氏の狙いは成功したと言えるだろう――しかし、ひとつ。わからないことがある」

「なんです?」

「古橋君、きみだよ」


 おかえしとばかりに林田は、

 人差し指を突きつけ古橋に訊ねる。


「君は『囚人のジレンマ』を知っていた。ならば、『囚人のジレンマ』において最良の選択肢は何かを知っているはずだな?」

「沈黙です」


 うなずくと同時、古橋は答える。


「加納大悟の目的は、参加者全員を疑心暗鬼に陥らせることによって、証言を引き出す事にあります。参加者全員が互いを信じ沈黙を貫き通すこと――それが、このゲームの唯一の勝利条件です」

「そうだ。それなのになぜ、君はそのことをクラスメイトに話さなかったのかね?」


 非難するような眼差しで、林田は言った。


「機会はいくらでもあったはずだ。聞き取り調査は、君で最後だ。君は今までクラスの皆と一緒に、教室で待機していた。クラスみんなの前で、この聞き取り調査の真相を明かしたうえで、協調を呼びかけ、沈黙するように指示することができたはずだ。なのに、何故何もしなかったのかね?」

「だって、そんなことをしたら、ゲームが終っちゃうじゃないですか?」


 当然のことのように答える古橋に、

 言っている言葉の意味が理解できず、林田は唖然とする。


「……何だって?」

「これはね、加納大悟が仕掛けたゲームなんですよ。娘の復讐のため、俺達、三年A組全員を陥れるため――ただそれだけのために、三億二千万円をかけて作り出した、最高のゲームなんですよ」


 そういうと古橋は――笑った。


「先生、俺はね、このゲームを少しでも長く楽しんでいたいんですよ。クラスの皆が恐怖におののき苦しみあがく様を、あるいは欲望に身を任せ破滅してゆく姿を――見ているだけで、僕は十分楽しいんです。推薦入学がどうとか、三億二千万円がどうとか、僕にはどうでもいいんです」


 恍惚の笑みを浮かべる古橋の姿は、まさしく人生の全てをゲームに捧げた廃人だった。


「人生もゲームも同じですよ。勝敗なんて関係ない。楽しんだ奴が勝利者なんですよ」

 


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