不信(十)
【出席番号17番: 丸田信也の証言】
「茶番ですね」
そう言うと、丸田信也はいかにも小ばかにするように肩をすくめた。
「何が、だね?」
「この聞き取り調査、そのものですよ。まるっきり茶番じゃないですか。こんなことに一体何の意味があるというのです?」
「意味はあるとも。事件当時者である君たちから証言は、事件解決の糸口とな……」
「それが茶番だと言っているんですよ! 私達の証言なんてものは、何の役にも立ちはしないんです」
文芸部部長の丸田はミステリーにも造詣が深い。
犯罪捜査にまつわる知識も豊富であった。
弁護士相手に丸田は、犯罪捜査について講釈を始めた。
「いいですか、捜査に必要なのは証拠が必要です。殺人であることを証明し、犯人を特定するに足る物的証拠が。この場で俺達がどんな証言をしたところで、それは状況証拠でしかない。状況証拠をいくら積み重ねた所で、物的証拠にはならないんです」
「まあ、そうだね」
「そして、あらゆる状況証拠が、殺人を否定している。現場である屋上には鍵がかかっていた。そして、その鍵は遺体のポケットの中にあった。つまり事件当時、現場は密室状態にあったわけです。もしこれが殺人だとしたら密室殺人だということですよ――密室殺人! さらに、容疑者である三年A組全員には鉄壁のアリバイがある。事件当時、僕たちは体育館に居たんです。殺人を行うなんてことは不可能だ。密室に、完全なアリバイ――まるっきり、出来の悪いミステリー小説だ!!」
そう言うと、馬鹿にするように丸田は肩をすくめた。
「いいですか、林田先生? 密室殺人とか、不可能犯罪などという物は現実には起こりえないのです。何故だかわかりますか?」
「何故かね?」
「馬鹿馬鹿しくて誰も取り合わないからですよ! 良識ある大人だったら、こんな推理小説みたいな話は信じませんよ――仮にですよ、もし、仮にですよ先生? ここで私が華麗な推理を披露して、密室トリックを暴いて見せたとしましょう。あなたは私の証言を、証拠として採用しますか?」
「いいや」
「そうでしょうね。仮にあなたが認めたとしても、警察が認めるはずがない。中学生の推理を元に、警察が事件捜査すると思いますか?」
「しないだろうね」
「そうでしょうとも。仮に、何かの間違いで警察が捜査をしたとしても、今度は裁判所が認めるはずがない。裁判になれば、僕たちが証人として裁判所に出廷しなければならないんですよ? 裁判員たちが、私の話に耳を傾けると思いますか?」
「そうだね」
「私たちは中学生なんですよ? 唯の、中学生。犯罪を犯しても実名報道されない代わりに、社会的な発言力を持たない、未成年なんです。少年探偵なんてものはね、漫画やアニメの世界の中だけのものなんです。現実には存在しないんですよ!」
「なるほどね」
感心したように、林田弁護士はうなずく。
小説家志望と言っていたが、丸田は誰よりも現実を理解していた。
そして、何より、中学生としての自分の立場を弁えている。
「こんなことしても時間の無駄だということは、弁護士である林田先生、あなたがよくわかっているはずだ。なのになぜ、こんなバカげたことに付き合っているのですか?」
「君の言い分はいちいちもっともだ。しかしね、私も弁護士として仕事を請け負った以上、この事件を何らかの形で解決しなければならないのだよ」
一部の隙も無い正論に、完膚なきまでに打ちのめされた林田は言い訳を始めた。
「依頼人である加納大悟氏が殺人事件であると言っている以上、殺人事件の可能性について調査をしなければならないんだ。殺人事件であることを立証することができないのならば、せめて殺人事件でないことを証明しなければならないのだよ」
「言葉遊びじゃないですか。バカバカしい。これ以上付き合ってられません。帰ってよろしいですか?」
「ああ、どうぞ」
中学生相手に完全に論破され、林田は退室を許可した。
疲れ切った表情で出口を指すその姿を哀れに思ったのだろう、
去り際に丸田はつぶやいた。
「……一つだけ」
「うん?」
「犯人を見つけ出し、この事件が殺人事件であることを立証する――とてつもなくバカげた方法が、一つだけあります」
「ほう、それはなにかね?」
「自白ですよ」
林田の方を向いて、丸田は言った。
「この国において、もっとも有力な証拠は自白です。弁護士のあなたなら知っているでしょう? この国の犯罪捜査において自白がどれだけ重要な意味を持つか」
「……まあね」
自白偏重主義の警察の取り調べが冤罪を生む温床となっていることは、しばしば問題になっている。
「殺人事件でないことを立証するのは難しいが、殺人事件であることを立証するのは恐ろしく簡単だ――本人が罪を自白すればいいのですから。この聞き取り調査で犯人が、自ら名乗り出て、殺害方法を自白すれば事件は全て解決です」
「……成程、バカげた話だ」
林田は苦笑する。
「犯人が自ら名乗り出てくれるのならば、はじめからこんな苦労はしてないよ」
【出席番号25番: 斉木杏の証言】
「私が加納瑞樹を殺しました」
何の前置きも無く、その斉木杏は加納瑞樹殺害を自白した。
「……すまないが、もう一度、言ってくれないか?」
「私が、加納瑞樹を、殺しました」
一字一句、
はっきりと答える彼女に、林田は重ねてたずねる。
「君は自分の言っている言葉の意味が解っているのかな?」
「はい、勿論です。私が、加納瑞樹を、殺しました」
「これは弁護士立会いの下に行われている、公式の聞き取り調査だ。場合によっては、偽証罪に問われることもある。嘘や冗談では済まされな……」
「嘘でも冗談でもありません。私が、加納瑞樹を、殺しました」
やはり、淡々とした口調で、斉木は答える。
見つめ合う事、しばし。
先に根負けしたのは林田の方だった
目をそらすと、隣に座る智也に視線を向ける。
「…………」
「いや、僕の方を見られても困りますよ」
助けを求めるように視線を投げかける林田に、
心底関わりたくない様子だったが、智也は説明する。
「この女――斉木杏って名前なんですが、こいつはいつもこんな調子なんですよ。占いだとか、魔術とか、オカルト趣味に傾倒して、普段から奇行や問題発言を繰り返しているんです。いわゆる中二病って奴で、クラスの皆から気味悪がられているんですよ」
「中二病って、君たち中学三年生だよね? 受験生だよね? 卒業しようよ、そういうの」
「問題は、こいつの実家が神社だってことなんです。宗教が絡んでいるんで、迂闊に変人扱いすることもできないんです。悪い事は言いません。こいつには関わらない方がいいですよ」
「そういうわけにも行かんだろう。仮にも殺人を告白したんだ。調べないわけにはいかない」
そう言うと、林田はあらためて斉木に質問した。
「まず、殺害の動機について聞かせてもらおうか? なぜ、加納さんを殺したのかね?」
「はい。大本の原因は、私の実家である斉木家と、加納家の間には古くから続く確執があるのです」
そう前置きして、斉木は語り始めた。
「斉木家は代々、この地域で神職に携わってきました。日野原市がまだ日野原村と呼ばれていたころから、日野原神社の神主として祭事全般を取り仕切ると同時、地域の相談役として日野原村の発展に寄与してきました。水はけが悪く、米を作るのに適さない地形であった当時の日野原村で、日野原ネギを特産品として扱う事を思いついたのは、斉木家の当主であったと言われています」
長々と話し始めるが、要するに身内自慢であった。
前置きの部分を軽く聞き流しながら、林田は斉木の説明に耳を傾けた。
「こうして近郷近在の住民たちから敬われていた斉木家でしたが、近代化の波に逆らうことはできず、その権勢は徐々に衰退していきました。それと入れ替わりに勢力を伸ばしたのが、加納建設の社長である加納大悟だったのです。小さな工務店だった加納建設は、バブル経済の波に乗り、市内の土地を次々と開発を行っていきました。無謀な開発を繰り返し、農業の衰退を招いた加納家との対立は徐々に表面化していきます。両家の確執が決定的になったのが、建設途中の県営スタジアムです。あのスタジアムは、市の外れにある貯水池を埋め立てて造られたのです。その貯水池というのは元々、日野原神社が所有していたものを、農業用貯水池として農民たちに貸し与えていたものなのです」
「……なるほど」
「貯水池はネギ農家の生活を支える生命線であると同時、日野原市の歴史的を伝える文化財でもあるのです。それを破壊するという事は、日野原神社の培ってきた功績に唾する行為と同様なのです。日野原神社は地元住民と共に、スタジアム建設に反対しました。しかし、加納大悟の卑劣な企みにより、スタジアム建設は強行されたのです」
「その、卑劣な企みとは、スタジアム建設に関係した、贈賄疑惑の事かね?」
「はい。確たる証拠はありませんが、彼らが不正を行ったのは明らかです。結局、加納大悟の企て通り、貯水池は埋め立てられスタジアム建設は強行されました。日野原市発展のためとは言え、私は彼らの所業を看過することはできませんでした。日野原神社の巫女として、加納家に、その娘である加納瑞樹に、天罰をあたえようと考えたのです!」
「成程、動機についてはよくわかった」
大方の理由を理解して、林田はうなずいた。
一見して、よくある没落した旧家と新興成金の対立に見えるが、その対立の裏には市内に建設中の県営スタジアム複雑な利権が絡んでいるようだ。
しかし、林田が知りたい事は、日野原市の歴史でも、複雑な利権争いの構造でもなく、加納瑞樹転落死の真相であった。
「それで、どうやって彼女を殺害したのかね? 事件当時、君はクラスの皆と体育館にいたはずだろう?」
「はい」
「ならば、彼女を殺すことは不可能なはずだ、一体どうやって殺したというのだね」
「木づちと、五寸釘で」
「……え?」
間髪入れず答える斉木に、
林田は拍子抜けしたような声を挙げる。
「いや、ちょっと待ちたまえ。加納さんの死因は転落死だ。遺体には、刺し傷や打撲痕などは無かったはず。あれば、さすがに警察が気付くだろう」
「木槌で叩いたのでも、釘で刺したのでもありません。呪いの力によって殺したのです」
「……はい?」
「草木も眠る丑三つ時。神社の外れにある御神木に藁人形を突き立て、呪いの言葉と共に五寸釘を打ち立て――」
「……って、丑の刻参りかよ!」
「それを繰り返す事、七日と七夜! その七日目の夜こそが、加納瑞樹が死んだあの夜だったのです!!」
林田の突っ込みを無視して、斉木は叫ぶ。
「これぞまさしく天罰ッ!! 神仏を恐れぬ加納家の一族に下された、天罰に他なりません!!」
「そんなわけあるか! 呪いだの、天罰なんて非科学的な!」
「そんなことはないっ! 事実、わたしは死亡した日の三日前、加納瑞樹がトイレで苦しそうに嘔吐しているところを目撃しました。おそらく、呪いの効果によって、病魔に侵されたのでしょう。その苦しみから逃れる為に、加納瑞樹は自ら命を絶ったのです! たたりじゃぁっ! 日野原村のたたりじゃあっ!! アハッ、アハッ、アハハハハハハハッ!!」
「……委員長。大丈夫なのか、彼女?」
「……いやもう、手遅れでしょう」
天を仰ぎ、狂気に満ちた笑みで、高笑いする彼女は、
もう、いろいろと手遅れであった。




