事件(一)
日野原中学三年A組に在籍する相沢智也が職員室に呼び出されたのは、その日の授業を終えた五時限目終了直後のことであった。
学級委員長を務める智也にとって、担任の青木教諭に呼び出されるのは今回が初めてでは無い。
いずれの場合も碌な要件では無かったのだが、今回も例外では無いようだ。
「クリスマス・パーティー、ですか?」
「そう、クリスマス・パーティーよ」
智也が訊ねると、担任の青木美津子は鷹揚に頷いた。
今年、三十歳になる担任の青木美津子は、智也にとって苦手な存在だ。
いっそ天敵と呼んで差し支えない。
この女教師は学級委員長を自分専属の召使か何かと勘違いしているふしがある。
事あるごとに委員長である智也を呼び出しては、欠席者にプリントを届けさせることから、職員室のゴミ出しまで――自分専属の召使いのように、様々な雑用を言いつける。
今回も、智也に無茶な仕事を押し付けるつもりらしい。
「二十四日、イブの夜に市主催のチャリティー・パーティーがあるの。場所は日野原市市民ホール。毎年やっているから知っているでしょう?」
「……ああ」
そういえばそんな季節か、と、しみじみ思う。
十二月。
文化祭が終わり、学生生活のイベントも一通りこなすと、一年の終わりが見えてくる。
冬休みに入れば、クリスマス、年の瀬、新年――それが過ぎれば、いよいよ受験シーズンの到来である。
まったく興味のそそられない話題に気もそぞろの智也であったが、そんな事はお構いなしに青木はクリスマス・パーティーの話を続けた。
「でね、ウチのクラスが招待されたのよ」
「ウチって、A組が?」
「そう。ほら、よさこい祭りでウチのクラスが優勝したでしょう?」
彼女の言うよさこい祭りとは、今年の夏、市内で催された『日野原よさこい祭り』の事である。
このよさこい祭りに、日野原中学を代表して三年A組はクラス全員で出場。
参加チーム総勢五組の頂点である――名誉だかなんだかいまいち微妙だが、とにかく優勝したのである。
「それでね、優勝チームである私たちに舞台を用意するから、一曲踊ってくれって言われたのよ」
気安い調子で言う青木教諭に、智也は殺意すら抱いた。
よさこい日野原踊りは、そこらへんにあるような伝統舞踊とはわけが違う。
緻密な計算の上で構成された、歌と踊りの総合芸術であると同時に、生徒達を酷使するために編み出された拷問装置だ。
音楽に合わせ、振り付け通りに手足を動かし、それをチーム全員が同時に行うには、どれだけの訓練を必要とするか、この女教師はまるで理解していない。
「まあ、無理を言っているのはわかっているわよ」
さすがに無茶な要求であることはさすがに自覚しているらしく、青木教諭はとりなすように付け加えた。
「年末だし、みんな受験勉強で忙しいでしょうしね――でもね、これはあなた達のためでもあるのよ」
あなた達のため。
これは生徒達に言う事を聞かせるとき、教師たちが用いる殺し文句であった。
体育祭の組体操で難易度の高い演目に挑戦させるのも、文化祭で手間のかかる露店販売をやらせたのも、どれもこれもが全て、生徒のためだ。
よさこい祭りに参加することが決定した時もそうだ。
クラス全員で参加すれば公立高校受験に有利に働くと言って皆をたきつけ、結果、受験生にとって貴重な夏休みを無駄に浪費することとなったのだから、本末転倒この上ない。
「なんてったって、市長自らのお招きなのよ。他にもパーティーには、県内の教育関係者が大勢列席するのよ。披露するのは、とても名誉なことだわ。内申書にも良い事がかけるわよ」
とうとう女教師は伝家の宝刀、内申書を持ち出した。
内申書を掲げた教師は、生徒達には神にも等しい絶対的な存在である。
この紙切れにサインするだけで、教師たちは生徒の人生を自在に操ることができるのだ。
「まあ、無理強いはしないわよ。こう言う話があるって言う事を、みんなに伝えておいてほしいの。伝えるだけでいいわ。参加する、しないの最終的な判断はみんなの自由意思に任せるわ」
「……はあ」
学校内に於いて、生徒達に自由意志などというものは存在しない。
教師の言葉は全て命令であり、強制である。
生徒のとるべき選択肢は二つ――服従か、死か。
教師に逆らって人生を棒に振るか、従って未来を勝ち取るかのいずれしか存在しない。
「今日のホームルームまでに参加の意志を決めておいて頂戴」
碌な要件では無いだろうとは思っていたのだが、見事に的中したわけだ。
大体、午後の授業が終わってから呼び出すと言うのが狡猾だ。
この後、掃除の時間を挟んで、HRが行われる。
みんなに考える時間を与えないつもりなのだ。
しかし、生徒側の利益代表であるところの学級委員長としては、唯々諾々と教師の要求を受け入れるわけには行かない。
かなわないと知りつつも、智也はせめてもの抵抗を試みた。
「……踊るだけでいいんですか?」
「そうよ。一曲、だけでいいの」
「パーティーに出て、一曲踊って、それで終わりなんですか?」
「ええ、そうよ」
「稽古とかは必要ないんですよね。また夏休みの時のように、毎日遅くまで稽古を続けるとか……」
「無い無い。ただの余興なんだから、そこまで気合入れる必要ないわよ」
しつこく念を押す智也に、女教師は手を振って笑った。
青木の言う通り、一曲踊って終わりならば話は簡単だ。
いくら受験勉強で忙しいと言っても、クリスマスの一日くらいならば休んでも問題は無いはずだ。
体育教師の地獄の特訓が無いと知れば、クラスのみんなを説得することも容易い。
「わかりました」
あらゆる状況を精査し、ようやく智也はうなずいた。
「とりあえず、みんなに話しておきます――話すだけですよ? 参加する、しないは、クラスのみんなと相談した上で決めます」
「ええ、それでいいわよ。まあ、よろしく頼むわよ、委員長。いい返事待っているわよ――ああ、それとそこにあるゴミ、捨てといてね」
青木教諭は最後の最後まで、雑用を押し付けることだけは忘れなかった。
勿論、智也に拒否権なんてものは存在しない。
智也は無言でゴミ箱を抱えると、職員室を後にした。