動揺(三)
三年A組所属。出席番号21番。門脇紗枝は、日野原中学を代表する優等生であると同時に――最悪の問題児であった。
成績優秀者の集まる三年A組の中でも、門脇紗枝はとりわけ優秀な生徒であった。
学校での成績は勿論、推薦入試の選考対象になる毎月行われる公開模試においても高い成績を維持している。
部活ではボランティア部の部長を務め、地域社会への奉仕活動や学校行事にも積極的に参加している。
自分磨きを惜しむことなく、妥協を知らない彼女は――所謂、意識高い系の女子であった。
彼女は入学当時から、何かと目立つ存在だった。
上昇志向の高い門脇紗枝は、日野原中学での三年間を実りあるものにするため学校改革に乗り出した。
彼女が真っ先に取り組んだのが『更衣室問題』である
日野原中学では予算の都合上、更衣室というものが存在しない。
そのため体育などでは男女が入れ替わりに、教室で着替えをしなければならなかった。
これでは時間がかかるし、風紀の上でも問題がある。
そこで門脇紗枝は、学校側に空き教室を更衣室として利用できるように直訴し、これを認めさせた。
これを皮切りに日野原中学校内の様々な問題に着手し、改革に取り組んでいった。
その多方面にわたる活躍により、生徒のみならず教職員達の間からも一目置かれる存在となった。
二年生になり、生徒会長選の季節になると、彼女は当然のように生徒会長に立候補した。
何処の学校でも同じなのだろうが、面倒なだけで役得など何もない生徒会長になりたがる生徒はそう多くはない。
選挙の公示に応じて立候補したのは、門脇紗枝、ただ一人であった。
対立候補がいないため、選挙は門脇紗枝の信任投票となった。
そのまま行けば何の問題も無く紗枝が生徒会長に就任するはずだった。
問題が起きたのは選挙演説の時だった。
体育館に集まった全校生徒を前に、彼女は弁舌さわやかに演説を始めた
『近年、激変する世界情勢の波は先人たちが築き上げてきた、自由と民主主義を大きくおびやかそうとしています。差別と貧困。地球温暖化をはじめとする環境汚染。テロの恐怖と難民問題。続出するこれらの問題に、私たち若者の力によって積極的、いやむしろ、より攻撃的に取り組んでいくべきではないか、と私は考えています』
と、持論を展開し、全校生徒を唖然とさせた
民主主義がどうしたの、地球温暖化だの、世界平和だの――おおよそ中学校の生徒会長選挙にはふさわしくない支離滅裂な演説内容は、生徒のみならず教師すら閉口させた。
当然のことながら選挙結果は、不信任。
生徒会長選挙に門脇紗枝は落選した。
その後、日野原中学は長期にわたって生徒会長が不在となり、学校行事に深刻な障害を来すこととなった。
三年生になり、門脇は特別進学クラスである三年A組に進級した。
クラスの代表である学級委員を決める際、ここでも彼女は当然のように委員長に立候補しようとした。
生徒会長選の二の舞になるのを恐れた三年A組の生徒達は対立候補を擁立――それが、出席番号一番の相沢智也である。
多数決により、相沢智也が委員長に就任。
紗枝には副委員長という形だけの役職をあてがわれた。
この一件以降、門脇は智也に対し深い遺恨を抱きつづけることになる。
智也の委員長としての仕事ぶりに、事あるごとに文句をつけては、復讐の機会をうかがっていた。
○
門脇紗枝の暴露報道は、すぐに三年A組の生徒達の知ることとなった。
進路相談の待ち時間。
生徒達の暇つぶしの手段と言えば、携帯電話である。
携帯電話の持ち込みは、校則により禁止されているが、守っている生徒などいやしない。
教師たちの目を盗んで、生徒達は動画配信サイトを閲覧していた。
「……これ、門脇だよな」
「そうみたいだな」
「男子生徒の●●君、ってのは平松だよな?」
「学級委員の○○君、ってのは相沢か?」
「……って、他にいないだろうが」
校長室で智也が見たものと同じ、ニュース映像を発見した生徒達が騒ぎ出す。
音声は伏せられていたが、インタビューに答えているのは誰か、そして誰の事を話しているのかは、関係者の目から見れば明白であった。
「門脇、これお前だろう!?」
ざわざわと、噂話でにぎわう教室に、一際大きな声が上がった。
男子生徒●●君こと、平松明良は、スマートフォンを掲げ門脇の席に詰め寄った。
「ええ、そうよ」
迫りくる肉の塊を煩わしそうに一瞥すると、門脇はあっさりと認めた。
「昨日の放課後、レポーターに呼び止められたのよ。事件のことを聞かれたから、素直に答えたわ」
「何でこんな事、言ったんだよ! これじゃあまるで、俺だけが一方的に悪者みたいじゃないか!」
「私は真実を伝えただけよ。嘘は言っていないわ」
真っ赤になって抗議する平松を、門脇は涼しい顔で受け流す。
「文句があるならあなたもマスコミの取材を受ければいいのよ。校門前にはテレビクルーが大勢いるんだから、今すぐ行って釈明してくれば?」
「そんな事、出来るわけないだろう!?」
今回の事件に関して、生徒達には緘口令が敷かれている。
禁を破ってマスコミに情報を流せば、どんな処罰を受けるか知れたものでは無い。
「どうすんだよ、こんなことになって。推薦取り消しなんてことにでもなれば……。それに、ウチの店もどうなることか……」
やってもいないいじめの主犯に仕立て上げられた平松は、世間から非難を浴びることになる。
高校進学以外にも、中華料理屋を営む実家にも影響が出るだろう。
「いったい俺に、なんの恨みがあってこんな事を!」
「勘違いしないでよ。別にあんたに恨みなんて無いわ」
嘲るように、門脇は笑った。
門脇は上昇志向が高い反面、無意識に他人を格付けし、自分より下の人間を見下す傾向がある。
社会奉仕に熱心なのも、こういった差別主義の裏返しであった。
そして、彼女の中の優先順位で平松は最下層に位置していた。
「あんたがどうなろうと知ったことじゃないわ。って、いうか、あんたの事なんて誰も気にしていないわよ」
「……なんだと?」
「あんたが破滅しようと、小汚い中華料理屋が潰れようと、誰も気にしないって言っているのよ」
事実、紗枝にとって平松の事など眼中に無かった。
紗枝の真の狙いは、学級委員の相沢智也だ。
学級委員長選以来、彼女はずっと智也に遺恨を抱いていた。
成績も彼よりも上だし、一年生の頃から校内改革に取り組んでいた自分こそが学級委員長に相応しいと思っていた。
情報を漏洩したのも、彼を学級委員の座から追いやることが狙いである。
事件が大ごとになれば、学級委員の智也の責任問題に発展するという算段であった。
このまま順当にいけば、彼女の目論見通りに事が運んだかもしれない。
彼女の誤算は、目の前にいる男の事を全く考えていなかったことだ。
「そもそも、あんたみたいなのが、進学クラスにいることが間違いなのよ。中華料理屋の息子が進学してどうすんのよ? 受験なんかしないで、中卒で働けば……」
「ふざけんなぁっ!!」
平松は、絶叫と共に門脇に殴りかかった。
門脇の告発によって追いつめられた平松は、正気を失っていた。
ぶちかましのような、全体重を乗せて突き出された拳は、門脇の顔面に直撃した。
「ぶきゃあっ!」
奇妙な悲鳴と共に、門脇はもんどりうって椅子から倒された。
平松はさらに、教室の床に倒れた門脇の上に馬乗りになる。
「うわぁあああああああああああっ!!」
涙と鼻水を振りまきながら、平松は拳を振るう。
組伏せられ、身動きの取れない門脇は、されるがままに殴られ続けるしかなかった。
「ひっ! やっ、やぁっ……!! 誰か、助けっ……」
必死で助けを呼ぶ門脇紗枝を、クラスメイト達は助けようとはしなかった。
それは、門脇の卑劣なやり口に嫌悪を抱いたわけでもなく、平松に同情したわけでもなく――体重 九十kgを超えるデブを、止める事が出来る人間がその場にいなかっただけだった。




