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王国-0001 三つの波紋と連鎖の始まり

~~"奴隷商会互助会王国総支部"の報告書より抜粋


英雄王アイケルの長女ミューゼが土台を作り、彼女の"弟子"達が築いたるは【輝水晶(クー=レイリオ)王国】であり、またの名を『長女国』とも呼ばれる。

王家が強い指導力を発揮した"賢き時代"も今は昔。現在、『長女国』の最高貴族【魔導侯】達は三派閥に分かれている。


【四元素】のサウラディ家率いる"王権"派。

【紋章】のディエスト家率いる"継戦"派。

【騙し絵】のイセンネッシャ家率いる"破約"派。


"謀略の獣"たる魔導侯達は、それぞれの配下たる中小貴族や諸勢力を巻き込んで、派閥の"内"でも"外"でも激しく相争っている。

【盟約暦519年・眠り猫の月・第30の日】


■【紋章】侯ディエスト家

~侯子ジェローム、代官邸にて


石造りの狭い執務室には、書類が散乱している。

執務室の主ジェロームは一人、書類に埋もれるようにして、何日も湯浴みに入っていない脂ぎった長髪をかき乱し、ぶつぶつと何事かを呟き続ける。

痩身の上に頬はこけており、病的とは言わないまでも相当の無理を重ねて執務にあたっていることが伺える。


「どうしてこんなことになったのだ……ロンドールめ、役立たずめ……」


呻く男は豪奢な礼服の乱れも気にせず、彼の"父"がこの場にいれば、それだけで折檻の理由とされることであろう。だが、幸か不幸かこの執務室にはジェロームしかいない。

部屋には窓も無く、また機密の情報を取り扱う場所であることからろくに使用人に掃除をさせてもおらず、書類をかき回すたびに舞うほこりにゴホゴホと咳き込む。


そんな執務室には、四方に拳大の『紋章石』が配置されて淡く紫色の光をぼうっと放っていた。

ここは【紋章】のディエスト家の所領であるアンズスール市の代官邸であり、ジェロームはその代官にして――【紋章】侯ジルモの長子である。


北方蛮族にルーツを持つ【紋章】家では、伝統的に長子であることが即『嫡子』と見なされない文化を引き継いでいる。事実ジェロームは『嫡子』に指定されておらず、その息子ジグルドが『嫡孫』に指定され、王都侯邸で英才教育を受けさせられている。

息子ジグルドが産まれるや、用済みとばかりに、放逐されるようにアンズスールの代官を任ぜられてから、優に5年は経っただろうか。最近は妻ですら彼を見限り、父と息子のいる王都へ行ったきりになることが増えていた。

つまり、ジェロームは極めて微妙な立ち位置にある存在であった。

"落とし子(バスタード)"でもないにも関わらず、なぜこのような扱いを受けねばならないのか? 北方文化を持つ外様の出身とは言えそれは何百年も昔の話――父ジルモの「古臭い」やり方への辟易も、頂点に達しようとしていた。


なにせ、外交大権や家政大権を持つ"侯家評議会"の一員となることはおろか、領内統治や王国行政の要職等につくこともできず、アンズスールなどという寂れた小市の代官――を隠れ蓑として、ディエスト家の"懐刀"であるロンドール家を影で操らねばならない。

……要するに"汚れ仕事"の総元締めを担わされる日々である。


だが、父を恐れるジェロームには、冷遇に表立って反抗する気概も実力も無し。

砂を噛むような、胃の奥底で灼熱が煮えたぎるような、しかし怒りを吐き出すことのできない鬱屈した日々を送る。


「役立たずめ……くそ、ハイドリィめ、あの面従腹背者め……ッ」


一時の怒りに任せて破り捨てた報告書を、そんな己の行動を悔いながら、また拾い集めて内容をもう一度読もうと努力する、という行為にジェロームという男の人間性が現れている。

【紋章】家の"闇"を司るロンドール家の現当主は老齢で病に伏せており、代わりに彼の嫡子ハイドリィが各種暗闘事業を一手に担っているが――若く有能で、さらに自信に満ち溢れたハイドリィはジェロームの指令になかなか従わない。

彼をすっ飛ばして父ジルモに直接指令を伺いを立てることも幾度となくあり、ドブネズミがやるようなこんな汚れ仕事においてさえ、役立たずであると間接的に言われているようである。


そんな彼を、ここまで激怒させたのは、やはり【御霊】家の生き残り追討に関する顛末の報告であった。


結果は、派遣部隊の壊滅。

【騙し絵】家の厚意で伝えられたと今更ながら短い報告があり、それが今ジェロームが必死に元に戻そうとしている、破り捨てた紙の内容である。


なぜ、どのように、ということが一切伏せられているのも大問題だが、ジェロームにはハイドリィがおおよそどのような野心を抱いているか、見当がついているのだった。


――リュグルソゥム家の生き残りが逃げ延びた土地は、ハイドリィが代官として任されている、国境の関所街ナーレフの近郊に位置する"禁域(アジール)"内であったのだから。

それだけではない。

派遣部隊の隊長としてハイドリィが選んだのは、現ロンドール鎮守伯への忠誠心の高い熟練の工作員であるモーズテス。彼とハイドリィが不仲であることぐらいは、ジェロームとて把握していた。


「ハイドリィめ……モーズテスを謀殺したか!!」


本来、手綱を握るべき走狗であるロンドール家の世代交代は、監督役であるジェロームにとっては影響力を増す好機であった。だが、その際にハイドリィを押さえられる数少ない手駒として目をつけていたモーズテスを、先に潰される形となったのだ。


ジェロームにはハイドリィの野心の向かう先がよく理解できていた。


関所街ナーレフは峻厳な山岳地帯の中間にあり、『長女国』と『次兄国』を繋ぐ交易路の一つである。

だが、同時に、かつてそこに存在していた小国を【紋章】家が征服(・・)した土地であり、敗残勢力が20年経った現在でも秘密結社『森の兄弟団』として存続し、闇に蠢動していた。

関所街の外へ、他市や他家領に散った『兄弟団』員の連携を阻止するすべく、ハイドリィはナーレフ代官として「住民の移動制限」を布告。強烈な抑圧による"ネズミ狩り"を実行しており、ロンドール家の力を大きく割いていた一方で、先のリュグルソゥム家攻め等では、モーズテスを始めとした自身に反抗的な部下達を送り込んでいたのである。


「そんなに陽の光を浴びたいか……ドブネズミめが!」


ハイドリィは優秀な男である。

切れすぎるナイフのように優秀で、さらに自信家であるが故に――あくまで道具として【紋章】家の"懐刀"という裏方に徹するロンドール家本来の役目から、脱却しようとしているのである。それが「家」としてのものか、あるいは彼個人の成り上がりのみを志向したものかまでは、現時点ではわからないが。

リュグルソゥム家の兄妹が逃げ込んだ先が、よりにもよってナーレフ近郊の"禁域"であったことを利用しようとしていることが、ジェロームには容易く想像できた。


……だが、どうやって? というところまでは掴みきれないことが、彼の限界ではあったが。


「【騙し絵】家が素直に情報を渡すとは思わない――くそ、どうすれば……」


【紋章】家のために危険な野心家であるハイドリィを除く、というよりは、汚れ仕事という役割ですら競合者であるハイドリィに奪われてしまうことを阻止しなければならない、そんな利己的な動機からジェロームは必死に頭を巡らせる。


そして浮かんだ奇策は、彼としては初めて父ジルモに背くようなもの――少なくとも、その方針に反するものであった。


「ええい! やってやる、やってやるぞッ!」


不健康な男が髪を振り乱しながら、書状を何通も書き連ね始める。


   ***


■【騙し絵】侯イセンネッシャ家

~私生児ツェリマ、侯邸にて


ディエスト家の"侯子"が不退転の決意を固めた頃、遠く離れた【騙し絵】家の侯邸において、一人の"私生児"はただただ困惑していた。


「私を"一門衆"へ……? なぜ、どうして今頃になって……ッ」


思わず問い返す女性は、先日オーマの【異星窟】へリュグルソゥム兄妹を追撃し、光魔法使いグストルフの狂気の機転によって生き永らえた女性ツェリマである。

当主の子ながら私生児であり、【騙し絵】家の汚れ仕事役であるに過ぎない彼女である。

己が侯邸の表玄関をくぐることなど、本来ならば有り得ないことと考えていた。しかし、正装で彼女を迎えたのは、現嫡子たる血を分けた弟と【騙し絵】家の家令を務める壮年の鎮守伯である。


窓枠に手をかけて外の日差しを眺めながら、肩越しに振り返る弟【騙し絵】家の嫡子ゾーディエが、あからさまに見下すような挑発の言葉を吐き出す。


「二度は言いませんよ、姉さん。喜んでください、"婿"殿はフルーピンさんですから……嫁ぎ遅れには、まぁ願ってもない相手じゃありません? さっさと産んでくださいね。一族のためにも」


これが例えば、長年の汚れ仕事で積み上げた功績が認められて、一応は一族の"駒"として正式に認めてもらえたということならば、まだツェリマとて納得できるものであった。無論、それですら前例を無視した破格の待遇だろうが。

例え【魔導侯】の実子であったとしても、この時代【輝水晶王国】において、法に基づいた婚姻が貴族としての権利と財産の継承に深く関わっているがゆえに、その制度と安定的な継承を揺るがす「落とし子(バスタード)」は上流層であるほど忌避される。


だが、周囲の反対と実利を睨んだ政治的調整の結果等により、こうした私生児達が認知されることも、偶にはある。


私生児達はおよそ一人前として扱われないため鬱屈しやすい。

しかし一方で、こうした「認知」の可能性をちらつかせることで、親たる狡猾な貴族にとっては汚れ仕事を行わせる都合の良い手駒に仕立てやすいのが私生児(バスタード)達。

そうした例に漏れず、ツェリマは十数年以上も"駒"として父に仕えてきた。

故に、これまでの待遇が急転直下に激変することに、戸惑いを隠せないでいた。


だが、繰り返すが、例えば功績を認められて引き上げられるならまだしも――"女"として一族の繁栄に貢献することを求められるなどとは、想像の斜め上であった。

およそ"女"を捨て、イセンネッシャ家が"表には出せない"技を継承する道具として育てられ、使い潰されていくはずだった彼女に、よもや「子を成せ」とは。


もう少し闊達な性格であれば、笑い飛ばすこともできたろうが、生憎にも愚直にして実直なるツェリマはただ動揺するのみ。意図も経緯も事態も飲み込めず、遥かに目上の立場であるはずの弟に、思わず反駁するような問いを重ねてしまう。


「何故だ……何故、なのですか? 何故今ごろになって――私は」


この際、フルーピンが【騙し絵】家の縁戚に連なる"伊達男"として有名な女たらしであることだとかは、どうでも良かった。


自らの「先達」を何人もツェリマは見届けてきた。

【騙し絵】家の直系に産まれながらも、日陰者として使い潰され、それを当然の忠義であるとして喜んで死んでいった叔父や叔母らの姿を見てきたのだ。

確かに、"再活性化"した迷宮があり、あまつさえ強力な力を持つ【魔人】の存在を情報として持ち帰ることはできたが――それが、【騙し絵】家のたかだか一汚れ役を、ここまで表に引き上げるほどの功績になるとでも言うのだろうか?


「誤解していますね、下郎……おっと、姉上、慣れませんね……ア・ネ・ウ・エ・ど・の? フルーピンの屑野郎を、貴女の"入婿"にするんですよ!」


「なんだとッ!?」


ツェリマにとっては晴天の霹靂の連続であった。

彼女が分家への嫁として家を出るのではなく、入婿を迎えることの意味を、目の前の弟が理解していないはずがなかったからだ。

イセンネッシャ家は【魔導侯】家としては比較的珍しく、女性の相続権が高い。

言わば"中継ぎ"的な相続が認められているのである。具体的に言えば、ツェリマが姓を変えぬ"一門"として男児を得た場合、その子の継承順位は弟ゾーディエに先んじるのである。

――ただし、生まれた男子が「成人」するまでの摂政政治が認められる、という意味においてだが。仮に、その男児が後継を成さずに死ぬことがあれば、ただちに地位は弟のものに戻るだろう。


なるほど、だからここまで悪態を隠しもしていないのであろう。

だが、二人の父にして当主の命は絶対であり、逆らう器量が無いからこそ、ゾーディエはツェリマにここまで辛く当たっているというわけである。


「ゾーディエ様……まさか、でも、どうして私が――」


「あぁ、うざいなぁ。優しく伝えてやってりゃ……調子に乗りやがって。ベリゲ、有無を言わせず厳然たる事実を言ってやってくれ。僕ぁ疲れたよ」


飽きたのか、ゾーディエが再び窓の外に目線を移す。

意地の悪い笑みはどこへやら、ぼうっと日差しを見つめて目を細めているようで、そこにはつい先程までの悪意が欠片も残っていないようにも見えた。

これ以上、話すつもりは無いということだろう。


「お嬢様。以後は、お館様のことを"父上"と呼ぶことを許されております。そして若君に対しても、敬称を使うものではありません――お嬢様は『一門』となられたのですから」


口調こそやわらかだが、家令のベリゲ伯は厳しい表情を隠そうともしていない。

この総髪に片眼鏡を掛けた老紳士は、まるで背筋に鉄の棒でも入ってるかのごとく姿勢が良く、単なる侯邸の一執事と言われれば皆信じることだろう。しかし、その実は【騙し絵】家の"表"の家政を取り仕切る有力貴族であり、扱うことのできる権力は決して小さなものではない。


「お館様は、お嬢様の功績を、特に【紋章】家領内の迷宮が再活性化した情報を掴んだ功績を高く評価しておいでです……あまつさえ、事故に見せかけて他家の犬どもを皆、口封じた手並みも」


「いや、あれは――」


己のあずかり知らないところで、実力以上、事実以上の"功績"が広まっている。

何か泥沼に飲み込まれるような嫌な感じを受けて思わず後ずさるツェリマであったが、つかつかと歩み寄ってきたベリゲが耳元で、おそらくゾーディエに聞こえないように小さな声で囁いた。


『早くお子を孕むことです。そうすれば継承法に則り、お嬢様は"評議会"への参与権を得る……そうすれば、今疑問に思っておられることも、多少は答えが見えるでしょう』


助言であるが、同時に、有無を言わせぬ凄みがベリゲ鎮守伯の声には込められていた。彼が決して自分の存在を歓迎しているわけではないことをツェリマは悟り、それ以上の言を無くす。

そして、年甲斐もなく戸惑い、みっともなくあれこれと問いを放った自らをようやく恥じた。その様子を見て、鼻息を鳴らすゾーディエと、少しだけ厳しい視線を緩めるベリゲ伯。


やがて、どこからともなく侯邸使用人の女給衆が現れ、あれよあれよという間にツェリマを"お色直し"の採寸作業のために連れ去っていった。


   ***


■【四元素】侯サウラディ家

~"愛し子"ヴォーシェ、王都別邸にて


英雄王の長女が祖となった【輝水晶(クーレイリオ)王国】またの名を『長女国』。

王都では城下の貴族区画――それも最高位の【魔導侯】達が住まう地区で起きた凶事について、3ヶ月近くが経った現在でも、密やかに人々の口の端に話題として登る。王都住民には火災による悲劇との布告されているが、信じる者は誰一人としておらず、酒場の片隅で、あるいは井戸端会議で、数人集まった仲の良い者達がああでもないこうでもないと、議論の肴とするのである。

聞き咎める者は王都警邏隊ぐらいのもので、ことによっては噂の蔓延が、あえて見逃されているのではないか、とも言われる始末。


あるいは、それすら"謀略の獣"と称される【魔導侯】達による、何らかの"仕込み"であるのか。


一人の"侯子"と一人の"私生児"がそれぞれの「逆境」に立ち向かう頃。

三大派閥が一つ"王権派"を率いる【四元素】のサウラディ家が王都に持つ別邸(・・)にて、一人の少年がまどろんでいた。

年の頃は10を越えたばかりか、少女にも見える中性的な顔立ちの少年である。


緑と黄色を基調とした貴人の子供部屋の央で椅子の上に座り、地面にまで届く長髪には、"最古"の魔導侯たるサウラディ家一族の特徴が全て(・・)兼ね備えられていた。

炎のような赤と深海の群青、若葉の如き緑と豊土の如き黄の"四色"が入り混じった極彩の長髪を、窓から吹き込む風にわずかになびかせながら、少年はどこでもないどこか"虚空"を見つめている。


その両の瞳にすら「一族の特徴」が現れていた。『赤と青』の異虹彩(オッドアイ)は角度によっては『緑と黄』にすら見える、秘境の宝石のような瞳である。

――しかし、ここで言う"瞳に宿った一族の特徴"とは、そのような副産物(・・・)のことではない。


「"会議"は来週なんだ、思ったより早いんだね」


サウラディ家の少年は名をヴォーシェと言う。

ヴォーシェの極彩の双眸が、まるで目の焦点をぼかすかのように、"どこでもないどこか"を泳ぐように、小刻みに震えていた。何も事情の知らない者が見れば、単に「気の触れた子供」にしか思わないことだろう。それほどまでにただならぬ様子であった。


「そうなんだ――【騙し絵】侯も、【紋章】侯も不参加、代役を立てるんだね……え? "禁域(アジール)"が破れている(・・・・・)?」


極彩の少年ヴォーシェ以外に部屋には誰もいない。

つまり、少年は虚空に向かって会話しているのである――しかし、"火水風土"いずれかに高い魔法適性を持つ者がこの場にいれば、わずかとはいえ違和感を感じることだろう。少年を取り巻く魔力の流れが少々歪なものであることに。


「坊ちゃま……!?」


慌ただしい駆け音と共に、部屋に入ってきたのは壮年の給仕女(メイド)長バルバローザ。

少年の身の回りの世話だけでなく、その護衛(・・)として武術の心得があり、筋骨隆々とした"大男"然とした女傑である。顔に斜めに刻まれた刀傷が歴戦の古参兵といった風格を漂わせている。


だが、すぐに他のメイド達を呼び寄せようとしたバルバローザの方を急にヴォーシェが向いて、口に人差指を立てたため、彼女はハッと息を呑んだ。

ヴォーシェの顔は真っ直ぐにメイド長を向いているが……やはりその双眸は、小刻みに震えており"虚空"に向けて焦点を結んだかのように虚ろなままである。


「ちょうどよいところに来てくれたね、(ばあ)や。姉さんを呼んで?」


「フリエータ様を? ――いや、それよりも坊ちゃま、まさか……正気(・・)に!?」


バルバローザが驚愕したことには理由があるが、それは二重の驚愕であった。

そのことを説明するために、まずは少年ヴォーシェが何者であるかについて、言及しなければならない。


第一位魔導侯【四元素】のサウラディ家は、国母ミューゼの3番弟子サウラディが興した「最古の魔導侯」家である。そして、他の魔導侯家がそうであるように、サウラディ家にも秘匿された一族の秘密がある。

それは【精霊】と呼ばれる、神々とも魔物とも異なる"自然の化身"とでも言うべき、不可視にして純粋なる魔力のみによって構成されていると考えられている存在達と交信する力を持っていることであった。

――ただし、誰でも、というわけではない。


今代(いまよ)の『精霊の愛し子』。

それが、サウラディ家当主の第四子である少年ヴォーシェの役目(・・)である。


バルバローザを筆頭とした、侯家に最も高い忠誠心を持つ者達によってのみ固められたこの"別邸"は、少年ヴォーシェを隠し護ると共に、閉じ込めておく牢獄でもあった。

そして少年が『何かを精霊から言伝られた』場合に、それをサウラディ家直系の者達に伝えることが、バルバローザの真の役割でもあった――その大半が意味も脈絡も無い"うわ言"の類であるという意味においては、確かに「気の触れた子供」という見方は間違ってはいないのかもしれない。


故に、彼女は少年の"正気"に驚愕するのである。

『愛し子』として選ばれて(・・・・・)早三年、もう戻ることは無いと諦めていた少年の"正気"が、自身のことを「婆や」と呼ぶ懐かしい物言いから、確かに戻っていることを悟ったために。

――そして悪戯ぽい表情を浮かべて、わざわざ『言伝』の受取人として長姉を指名したことに、サウラディ家の暗部をも知るメイド長として、不安の波が沸き起こるのを止められない。


だが、そうした困惑も、続くヴォーシェの言葉によって喜びの涙と共に氷解した。


「苦労をかけたね、婆やには……僕は、僕を"少しだけ"取り戻した」


「なんということ……大旦那様も、あの世の夫も喜ぶことでしょう――私は」


やはり、その両瞳のみは"虚ろ"を向いたままであるが、会話が成立していること自体がバルバローザにとっては喜びであり――故に、ヴォーシェ少年の直後の呟きを聴き逃した。

ヴォーシェはこの時「父さんが? それは無いかな」と述べている。


やがて、ヴォーシェが再び"正気"を失ったかのようなうわ言を繰り返し始めるのを見て、バルバローザはまたも戸惑い肩を落とす。

しかし、サウラディ家ではなくこの少年に(・・・・・)真の忠誠を誓った者として、その言いつけを守るべく、軽く部屋の掃除をしてヴォーシェを寝台に横たえて毛布を被せた後、サウラディ家長姉フリエータに急ぎの伝令を出すのであった。


   ***


三つの派閥をそれぞれ率いる三つの家で、三つの波紋が広がった。

一週間後、『長女国』最高の意思決定機関である【魔導会議】によって、一つの決定と布告が全土に為されることになる。


迷宮(ダンジョン)』の開放。

魔物這い出る"災厄"にして地方領主達の「管理対象」に過ぎなかった迷宮が、その探索を望む者達に広く開放されることが、女王と【魔導会議】の名の下に決定されたのである。

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