呪命-0003 おぞましき魔物どもとの闘争①
ルクが唱えた【水】魔法【逃げ水】により、二人に向かって噴きつけられた"濃緑色の腐液"の軌道が大きく逸らされる。
錬金術で使われるような薬品じみた、ツンとした刺激臭を宙にまき散らしながら、壁にかかった腐液が空気を焦がす音を立てた。そして――岩壁の表面をみるみる溶かされていくのを目の当たりにして、ルクは驚きの声を上げる。
「――『酸』だと!?」
【アシッドフロッグ】や【巨大食虫花】、【密林のリザード】や『粘性体』系全般の魔物等が体内で生成する腐食性の液体であり、その特質は、肉や植物――魔物によっては鉄や銅といった金属をも溶かす毒液の亜種のような攻撃手段である。
また、自然環境においては、西方辺境にはこの酸だけでできた"海"が存在するともいう。ルク自身が直接見たことは無かったが、これも『博物学』に基づく知識。
ただ、こうした液体は魔法薬の材料となることもあるため、錬金術において重宝される素材となることもあるが――『博物学』の観点からも比較的珍しい「酸」などという攻撃手段を、よもやこの「おぞましき迷宮」の異生物達が駆使してくるなどとは思わなかった。
「そうか! こいつが『消える通路』の正体なのか!」
岩をも溶かす強酸が相手では、生身の生物がもろに食らえば全身焼けただれてあっという間にお陀仏だ。
舌打ちをし、肉体魔法【アケロスの健脚】によって運動能力を一時的に高め、ミシェールに迫る異生物の一体にショートソードを繰り出す。
そんなルクにミシェールが完璧なタイミングで合わせ、風魔法【撃なる風】をぶつけて異生物をよろめかせる。兄妹の連携により、ルクの一太刀が群がる異生物の一体の片脚を切り落とした。
と同時に、返す刀で剣を杖代わりに振り上げ、光魔法【閃光】によって頭上へ回り込もうとした別の一体の視力を潰す。
そのまま、ミシェールを抱えて【アケロスの健脚】の補助を借りて一気に跳躍。
咆哮する異生物達の群れから、大きく距離を取って体勢を立て直す。
予想外の「酸液」という攻撃手段によって、当初の"詰み手"は既に崩壊した。
兄妹はまさに生身のセンスによって戦闘を続けなければならない状態にあった。
【魔界】落ちし、迷宮を迷わされてから、既に1日近く。
これで五度目の襲撃である。
今回二人を狙ったのは、いい加減見慣れてしまった、太いかぎ爪と両足が異様に盛り上がったトカゲのような、この迷宮で最も数が多いと思われる"走狗"が数体――そして、先の『酸』を吹き付けてきた、異様に丸々ぶよぶよと太った芋虫と巨豚の中間的な異生物が1体。
数の暴力で押し潰そうとするでもなく、まるで薬師が症状に合った薬草を一つずつ順番に吟味しているかのように、次々と新種の「おぞましき生物」達が、基本種であろう、この異生物達と様々な組み合わせで現れるのだった。
だが、どんな驚くような攻撃手段であれ、一度種が割れてしまえばリュグルソゥム家の兄妹にとって対策は容易なものである。ルクが包囲を強引に突破したことで得られた時間を利用し、二人は【バルヌフの腐れ散らし】や【逃げ水】といった補助呪文・妨害呪文を重ね合わせ、『酸』への耐性を上昇させる。
さらに衣服や武器防具への付与魔法も、気休めではあるが忘れずにかけておく。
リュグルソゥム家の【魔法戦士】は派手さには欠けるが、このように、多数の低位から中位の魔法を幅広く組み合わせて駆使することを得意としており、あらゆる局面への臨機応変な即応能力が非常に高い。
それは、オーマのエイリアン達の副脳蟲による「エイリアンネットワーク」という集団知的な学習能力に、なんとか対抗しうる臨機応変さであった。
つまり、エイリアン達に同じ手段が通じにくいことなどとうに兄妹は見抜いており、「止まり木」で次々に「詰み手」を組み換えることで対抗してきたのである。
一瞬の攻防と、命のやり取りの刹那。
ルクは持ち前の観察力から――『酸』を噴きつける巨大芋虫型の異生物が、その吐き出す酸によって、自らの口腔をも溶かしてしまっていることを看破する。そしてその焼け傷が、直後には巨虫自身の驚異的な再生速度でじわじわ治っていくのだ、という仕組みであることまでを一気に見抜いた。
それならば、と「止まり木」へ潜って「詰み手」を沈思黙考。
半秒後には、魔法戦士の職業技能【高速詠唱】によるブーストの乗った呪文を、早口に詠唱し始めた。
数秒かけて発動した【混沌】魔法の【反逆する古傷】により生み出した紫色の霧をまとわりつかせ――巨虫異生物が、ぶるりと肉襞を痙攣させながら苦しみ始める。
それもそのはず。【反逆する古傷】によって、自らの酸で傷ついた口腔の傷跡が急速に爛れ始め、悪化したのである。これにより、生来の再生能力が相殺・阻害されたため、回復できなくなったのである。
たった一手でルクは厄介な強酸吐きの魔物を封じることに成功する。
だが、周囲を跳び回る異生物達は巧妙にヒット・アンド・アウェイを仕掛けてくるため、二人ともただちに次の攻勢に出られない。どうやら強酸吐きの回復までの時間稼ぎを狙っているようで、無理の少ない連携によって絶えず波状攻撃を繰り出し、ルク達の集中力を乱そうとしてくる。
追い払うために彼らへ有効である【火】魔法を唱えようにも、異生物達は度重なる襲撃の中で二人の行動への反応速度が上がっており、容易に狙いを絞らせない。
そしてこれは、ルクにとってはあまり信じたくない「可能性」だったが――この異生物達には「蟻」や「蜂」といったある種の虫のように、驚異的な集団知とでも言えるものが存在するように思われるのだった。
そしてそれは、"似たような能力"を持つリュグルソゥム家の若人であるからこそ、思い至った「可能性」である。
(くそ、まだか、ミシェール!?)
背後で呪文を詠唱し始めたミシェールを守りきれば、形勢は逆転できよう。そういう「詰み手」なのだから。
ルクは牽制の攻撃魔法を放ちつつ、ミシェールを守ることに徹する。
妹は先ほどから肩で息をしつつ、長い詠唱を続けているが――ここは洞窟である。
ミシェールが比較的得意な【土】魔法の中位魔法をぶっ放し、地の利は敵だけのものではないことを思い知らせるのが次の一手である。
……ただし、これは実際のところは悪手に近い。
騙し騙し魔力を節約しながら戦ってきたが、ここでついに「中位魔法」というカードを切らざるを得なくなった。消耗している魔力を枯渇させかねないのに対し、度重なる襲撃の中で、二人は十分な休養をついぞ得ることができていない。
その意味では、あの迷宮領主が、ただちに数の暴力で以て二人を殺そうとかはしていないことは、本当に運が良かった。
彼の"狙い"について二人が「止まり木」で議論したところ、おそらくその目的は兄妹の実力を図ることと、後はこの「おぞましき異生物」達の対魔法戦闘の試験に利用されているのではないか――といった意見が出たが、真相は本人に聞くしかないだろう、とルクは思考を切り上げる。
いずれにせよ、生き延びて迷宮領主の下まで辿り着き、命と安全の保障を請う道しか二人には残されていないのだから。
ルクの背後で詠唱が静かに終わる。
と同時に土魔法【屹立する岩槍】が発動し、地鳴りが響く。
巨体をよじらせて兄妹から距離を取ろうとしていた強酸吐きの腹部から、ズシュゥと岩の槍が逆向きの杭の如く突き出し、一気にその胴体を貫通したのであった。
体内で生成中だったであろう「酸」の液と、自分自身の黄色の体液を噴水のようにぶちまけ、びくんびくんと痙攣し始める強酸吐き。濃緑色と黄色の液体が混ざり合い、空気に触れて蒸発する白煙をまとう悪臭にして刺激臭に、喉の奥が酸っぱくなるような吐き気を感じて、ルクとミシェールは顔をしかめた。
思わず【風】魔法によって少しでも臭いを追い払おうとしたほどである。
だが、それを我慢して「次の一手」により、残った異生物達を打ち払おうとした途端――彼らは踵を返して、なんの未練も無いように退いていった。
「……くそ、休む暇が無いな」
「ルク兄様。魔力は大丈夫?」
「俺はまだ平気だ。でもミシェール、お前は、あともう一戦できるかってとこじゃないか?」
妹を労る、そんな暇さえ許されなかった。
幸か不幸か、補助魔法として額にかざしたままにしていた【闇裂く眼】が、視界の影で何かが蠢いたのを感知したために。
「!」
ルクが反射的にショートソードを頭上へ振り抜いたのは、ほとんど勘とセンス、そしてわずかばかりの備えによるものだった。
硬い感触に剣が打ち付けられ、しかし直後には、まるで柳の枝を思わせるように、剣がふっと振り抜けるような感覚。バランスを崩しかけたルクだが、踏み止まって剣を構え直す。影から滲み出したかのような、その襲撃者の姿が【闇裂く眼】によって浮かび上がる。
「蛇人だと!? ……いや、こいつは――」
頭上から音無く迫るも、ルクの剣に阻まれたのは、蛇の胴体と鋭い鎌を備えた両腕を持つ異形の魔獣だった。
そして、やはりその口は異生物達の近縁であることを示す、醜悪なる造形――いや、より醜悪さが悪化しているようだ。十字に割れた口の中にびっしりと生えた牙の間から涎を垂らしながら、重力などどこ吹く風と言わんばかり、軽やかなる身のこなしで岩壁をザザザと這いながら天井へ引っ込もうとする"蛇"。
ミシェールが狙われた事実を察し、ルクは報復のための呪文を唱えようとする。
だが、その時、遮るようにミシェールの【昂りの共鳴】によって、強烈な警告が伝えられた。
つまり、声で注意を発する時間すら惜しい、という意味である。
【精神】魔法によって、ルクはその方向へ強制的に振り向かされ、戦慄する。
これまで戦ってきた異生物どもなどは、しょせんは「前座」に過ぎないことを思い知らされるような、強大な気配を放つ新たな魔獣が2体、通路の奥から悠然と現れていた。
心臓がどくんと激しく脈打ち、重苦しい感触が体内を駆け巡った。
二人は凶獣の片方に見覚えがあった。
あの、迷宮領主と初めて会った時に、その傍らにいた異生物である。
……そのはずなのだが、別個体なのか、その時見たものと比べて遥かに巨体であったことに、心臓の脈打ちがますます速くなる。
「……うっ……」
気持ち悪さが鳩尾をぐりぐりと押しているようで、吐き気がせぐりあげてくる。
その凶獣は、あえて喩えるならば「肉のゴーレム」とでも言うべき異形であった。
顔や独特の口と牙の形状こそ、今までの他の異生物達と共通点がある。だが、四肢の筋肉が禍々しく螺旋状に盛り上がった姿は、吐き気を催すと同時に、冒涜的なる造形美をたたえているかのような異貌を思わせた。
狂った彫刻家でさえ、ここまでに悪趣味なる造形美を発想できるとは思えない。
それがたとえ『ゴーレム』の作り手にして使い手たる、王国魔導侯第七位の【彫像】の『アイゼンヘイレ』家といえども、だ。
かといって、このまま見とれているわけにもいかない。
ルクは、この期に及んで出し惜しみをしようと考えていた己の心を封じた。
明日の生をつかむためにこそ、今この時、命を燃やす必要があると思い知らされているのだから。
そして螺旋の凶獣の隣。
爆竹をでたらめに炸裂させているかのような、騒々しい爆音が幾重にも響き渡る。
強大なる気配のもう一体は、赤と橙の火の粉を撒き散らす、翼ある魔獣であった。
驚くべきはその翼の下であり――火の粉が突如として燃え上がり、小さな「爆発」が生まれ、その衝撃波でぐらぐら、ばたばたと魔獣は狭い洞窟の通路内で、舌を垂らしながら不規則かつ滅茶苦茶でデタラメな飛行を繰り返しているのである。
しばらく観察をしながら、ルクは「爆発」の正体に気づいた。
翼からは火の粉だけでなく、濃緑色の液体もまた羽ばたくたびにばら撒かれていたのだが――その酸ともリンプンともつかない物質が、同時にばら撒かれている「火の粉」と激しく反応して、小さな爆発とも言える豪快な燃焼を無数に起こしているのであった。
そこに微かな【火】魔法の気配をすら感じ取り、ルクはますます奥歯を噛みしめる。つるつるとした皮と異様に角ばった骨格が浮き出た、異様にして巨大な魔物は自らを燃やすように明るく灯り、ひと目で【火】など通用しない相手が送り込まれてきたことを思い知らされる。
「ルク、兄様……」
ミシェールがルクの上服の裾を掴んでくる。
手が微かに震えているが、かなり強い力であることが、彼女の不安をじかに表していた。
「『止まり木』はもうダメだ。今日これ以上は、魔力も精神も持たないぞ」
諦めるような物言いで妹へ答え、ルクはいくつかの肉体強化系の補助魔法の詠唱を始める。
精神に頼れない時は、肉体でどうにかするしか無い。
これまでもそうしてきたし、これからもそうするしかない。
難敵に相対しても、もはや二人に戻ることはできないのだから。




