本編-0064 ダンジョン防衛戦~魔法vsエイリアン①
小部屋が連鎖し、上下左右あらゆる方向に道が枝分かれした、非常に難解で複雑な『迷路』にルクとミシェールは迷い込んでいた。
最小限の魔力を消費することによって"止まり木"で擬似的な地図を作ることもできたが――外へたどり着くまでにどれだけの時間がかかるか分からないことから、迂闊な消耗は避けなければならない。
それに、迷宮に挑む際には、食料やら踏破用の道具やら、十分な準備をするのが常である。二人はそこそこの拠点を森に作ってはいたものの、追われてやむを得ず【魔界】落ちしたのであり、持ってきた食料も最小限。
いくつかの小部屋を通り、散発的に襲ってくるゴブリンを合計で十数体は倒しているが、未だ出口にはたどり着けていなかったので……最悪、焦げたゴブリンの肉を食うなどという事態になりかねない。
それに、ゴブリンだけではない。
二人を誘った【魔人】の両脇を固めていた"新種"の魔物――この世の生物とは思えない、おぞましさの中に"歪みの美"を湛えたような存在――その近縁と思われる種が、先程から探知魔法の限界ギリギリのあたりをちらちらと横切っていた。
当初は【風】や【均衡】など、数種類の探知魔法を使っていたのだが……ミシェールが言うには、何度か"魔物"達を補足しているうちに、いかなる手段によってかそのことを逆感知されたようで、まるで「学習」されたかのように、探知魔法のギリギリの範囲を探り当てられてしまった。
そうして遠巻きにルクらを観察しているようであり、こちらが警戒や妨害系の呪文詠唱の素振りを見せると、たちまちにどこかへ雲隠れしてしまう。
(……まさかゴブリン達を使って計測されたんじゃないだろうな)
悪い意味での"興味"ではなく、良い意味での"関心"が自分達に向けられてはいる。
とはいえ、相手は【人界】に生ける全ての生命にとって敵であるとされ、その中でも【魔界】からの侵略の尖兵であったと神話で語られる迷宮領主だ。
我慢して部屋をいくつか巡るうちに、ルクとミシェールもまたこの迷宮の歩き方を少し理解してきた。
小部屋の一つで【風乗り足】の呪文を唱え、隈なく調べたところ、なんと天井や岩柱の隅など、至るところに狭く細い"獣道"が隠されているのがわかった。この"道"は、古い洞窟特有のヒビ割れだとか、そうした地形の中に巧妙に偽装されていた。
捨て駒のゴブリンなどではない数多の「気配」が、探知魔法の範囲ギリギリのところから、付かず離れずで二人を見張っている……そして、この"獣道"こそが、その猟犬の如き魔物達の神出鬼没の種であったわけだ。
「ダメ、また気流が変わっている……どうして?」
少し憔悴した声でミシェールが呟いた。
最初に【風】系の探知魔法によっておおよそ掴んだ出口までのルートだったが……その次に発動した時には、出口までの空気の流れが全く別の方向となっていたのだ。
そうして、兄妹は翻弄されるままに小部屋と上下左右の回廊が枝分かれる迷路へ誘い込まれた。
さすがに疲労が色濃く、小部屋の一つ……の通路側入り口近くに交代で休憩する。
繰り返すが、いつ脱出できるかもわからない状況下では、魔力を温存するために「止まり木」を乱発するわけにもいかない。
だが、それでも兄妹はギリギリの選択をし、徐々に「止まり木」内に洞窟の地図を作成しつつあった。
そして、その即席の地図と比較する中で、回廊の分かれ道が"消えたり現れたり"していることに気づいたのであった。繋がっているはずの道が次に来た時には行き止まりとなり、無いはずの道が開いている――という塩梅である。
この時、道が新たに消えたばかりであろう場を確認したところ、辺りにはわずかに酸っぱい臭いが残っており、この世のものとは思えぬ微かな生臭さがあることを発見したことが、つい先程の収穫か。
錬金術で使われる薬品のような刺激臭を感じさせるものであった。
「……少し休もう。こうなったら、どこまでも行くしかないだろうな」
ぶっきらぼうに答え、ルクは立ち上がる。
自分が見張りをするから少し休め、とミシェールに告げようとした時のことだった。
【闇裂く眼】に照らされた小部屋の、あらゆる箇所、どの小部屋にも平均して5~6箇所はある例の「獣道」から、闇がもぞりと蠢く気配がしたのである。
「ミシェール!」
声を上げるが、身体が反射的にそれよりも早く精神魔法【昂ぶりの共鳴】によって警告の念を放つ。
それを感知したのか、弾かれたようにミシェールが警戒態勢を取ることと前後して――天井に、壁に、床に、出口と入口に。
次々と異形の生物達が這い出してきた。
「なんだ、こいつらは!?」
【闇裂く眼】に加えて"視力"強化の補助魔法を発動し、ミシェールも同様のものを詠唱する。
――そして、兄妹は"異形の生物"達を、その姿態を直接視認することとなる。
体躯は大型犬か狼ほど。
だが、その歪な骨格と肉付きは、兄妹の――特に『博物学』を継承しているルクの知る生物の範疇からは外れていた。
哺乳類でもなければ鳥類でもない。
強いて言えば"爬虫類"が近いと言えなくもない、という程度。
迷宮から這い出して人里を襲うとされる「魔物」は、【人界】に住まう生物に似ていることがほとんどであることから、それらが元となり【魔界】の瘴気に中てられて変貌した存在ではないか、とするのが最新の有力学説ではある。
……では、これらは「何」が元となったのだ?
まるで神話に出てくる邪神が、戯れに作った粘土細工に悪意を吹き込んで生み出したかのような、冒涜的な化物であった。大体なんだあの口は、どういう構造で口と牙が開閉しているのだ、とルクは軽く混乱しつつ苛立った。
しかし、状況は悪い。
あの迷宮領主の自分達への"関心"が、単なる"興味"に落ちてしまったか?
背筋に冷たいものが走るが、ルクはミシェールを庇うように前へ踏み出た。
異形の"猟犬"たる、あの迷宮領主の「走狗」どもは計5体。
両の後ろ足から生えた鉤爪は禍々しく、体躯の割にはアンバランスなほど長く鋭いが、それを器用に駆使して岩壁から天井、天井から地面へ飛び移りつつ、5体がまるで一個の意思の下で蠢くかのように連携して兄妹から距離を取っていた。
先制すべきか否か。
ルクの心に焦りが生まれる。
"未知"の魔物や魔獣との戦いにおいては、どれだけ素早く対応できるかに生死がかかってくる。
「止まり木」へ潜るのも選択肢としてはあるだろう。
無茶をして一族の「知識」をまた再現すれば、何ぞこの化物について分かるかもしれない。ただし、刹那の直感もまた求められるこうした緊迫した場面では、「止まり木」を行き来する"時差"こそが命取りともなりかねない。
――どうする?
守るよりは攻めて反応を引き出し、相手の特性を「少し」でも知ること。
その「少し」という情報を何倍、何十倍にも膨らませることができるのもまたリュグルソゥム家の特技である。
「止まり木」に潜った兄妹。
エイリアン達から見ればほんの1~2秒の間。
戻ったルクが複数の属性からなる【魔法の矢】の詠唱を始める。
だが、次の瞬間、まるで呪文の詠唱を見咎めるかのように異生物5体が同時に、この世のものとは思えぬ【おぞましき咆哮】を発した。
頭蓋骨をぶん殴られたような衝撃と共に、ルクの心に生理的な嫌悪感が湧き上がる。凄まじい吐き気、と同時に恐怖感が抑えきれぬほど倍増し――。
「ルク兄様!」
ミシェールが補助魔法の詠唱を中断し【明晰なる心】を唱える。
浮かび上がりかけた恐怖の幻影が霧散し、ルクは正気を取り戻す。
どうやら今の"咆哮"には心を狂わせる作用があったようだが――精神魔術を極めたリュグルソゥム家には効果は薄かろう。
「くそ! これでも喰らえ!」
中断されかけた【魔法の矢】の詠唱を再開。
時間差で炎の矢と氷の矢がルクの左右に生み出される。
両手を振るように獲物を指差し、ほぼ同時に放たれる二色の魔法の矢。
【闇裂く眼】による視力強化の補助により、命中率は格段に増している。二色の魔法矢は、異形の化物どもが跳びはねるよりも速く、炎の矢が1体に直撃し、氷の矢がもう1体の尾に深々と突き立って岩壁に縫い付けた。
氷の矢を受けた方は忌々しげに狂った咆哮を上げたが、炎の矢が当たった方は瞬く間に燃え上がっていた。絶叫すら火の中に飲み込まれ、たちまちに火だるまとなってどしゃりと地面へ墜落する化物。
「火か! 火属性が効くんだな!」
短く告げつつショートソードを鞘から抜き放った。
視界の端、後の3体が壁を蹴って別々の方向から迫ってくるのを迎え撃つためである。
「させない!」
だが、ルクの迎撃より先にミシェールが魔力を込めた手のひらで地面に触れる。
石や礫が次々に地面から剥離し、つぶてとなって異生物3体をそれぞれ襲った。
ろくな詠唱もない強引な魔法発動であるため、目眩まし程度の役にしか立たなかったが、ルクに迫る3体の動きを鈍らせるのには十分だ。
「――付与魔法【火刃】」
稼がれた時を利用してルクの詠唱が完了する。
【火】属性の付与魔法によってショートソードが剣身を軋ませつつ、一時的な【魔法剣】となったのだ。
発動とともにルクは異生物3体に一気に迫り、正面の1体をへ剣を繰り出す。
異生物が突き出した爪を叩き斬るが――思った以上に重みのある一撃で、ルクの剣もまた弾かれ、体勢を崩してしまった。
「舐めるな!」
魔法剣で斃すことにこだわるものではない。
バランスを崩しながら、構わずに【魔法の矢:火】を生み出し、怯んだ化物の胴体に叩き込もうとする。
だが、これは異生物が大きく後ろへ飛び退いたことで避けられる。
その動きに呼応して、左右から別に迫らんとした2体もまた、急旋回するように後ろへ飛び退く。なんという状況判断の速さであることか。
有効な反撃ができず、しかもそのまま体勢が崩れそうになるルクだったが――ぐんっ、とまるで地面に支えられるかのように足腰に力が入り、倒れずに済んだ。
これはミシェールが発動した土魔法【友好的な土塊】の効果によるものだ。
「……フィーズケール家のようにはいかないか」
【輝水晶王国】の第五位魔導侯にして【魔剣】の号を持つ家の名を口にする。
ルクが唱えた貧弱な付与魔法ではせいせい十数秒も効果は続かず、火属性の付着も悪かった。
同じことをやったのが【魔剣】のフィーズケール家の者であれば――この"燃えやすい"魔物どもなど、剣先を掠らせるだけでも炎上させられることだろう。
――彼らもまた仇である。
侯邸を襲った襲撃部隊の中には、明らかに彼らによって"付与"されたと思しき魔法武器を持つ者がいたのだから。
蘇った復讐心によって、「止まり木」に頼らずともルクの思考は急激に加速した。
ミシェールが風魔法を詠唱するのを認めるや、ルクは剣を"杖"代わりとして、さらに三つの【魔法の矢:火】を横一列に生み出す。
そのまま剣を横薙ぐ動作で火の矢を撃ち出す、と共に背後から突風。
追い風によって火勢と射出速度を高められた3本の火矢が別々の異生物達を狙う。
生み出した魔法矢の数が少ないのは――正確に操作し誘導するためである。
火矢の予期せぬ加速により、走狗達は回避動作のタイミングを誤ったようだ。
2体が直撃を受けて炎上。
もう1体はすんでのところで避けたようだが、かすった火にあぶられた箇所がたちまち黒く焼けただれた。
仲間が絶命するのを認めるや、焦げた化物が全力で跳躍し、氷の矢で岩壁に縫い付けられた仲間の下へ。次の瞬間には爪で仲間の尾を切り落とし、諸共に小部屋の"獣道"へ潜り込んでしまった。
「……ふう」
息を吐き、ルクは頭をかいた。
「ルク兄様」
少し怒気をはらんだミシェールの声。
振り向きたくないなぁ、とルクはもうひとため息。
何を言われるか予想がついたからだ。
「打ち合わせと違うことをしないで! そのせいで、危なかったんだから……!」
「悪い、悪い。でもそのおかげで魔力を節約できたんだから……泣かないでくれ、頼むから。俺が悪かった」
本来は二色の【魔法の矢】を放ってから四手での「詰み」を狙っていたのだが。
付与魔法による魔法剣での迎撃は、完全にルクのアドリブであった。それが空振って姿勢を崩した彼を見て、ミシェールは肝を潰していたのだ。
だが、打ち合わせで決めていた、土魔法【逆つぶて】による撹乱後の範囲攻撃魔法分の魔力を節約できたと考えれば、温存という目的は達成できている。
もっとも、体力と精神力は相応にすり減っており、またリスクのある行動だったのは確かである。
そもそも、そんな理屈や言い訳を聞いてくれるミシェールではなかったが。
妹の肩を抱き、なだめることに注力するルク。
だが、小休止の時間はわずかしか続かなかった。
小部屋反対側の通路から、重苦しく獰猛な唸り声が響いてきた。
「……ルク兄様」
「わかってる」
新手もまた、直視するのがためらわれるような異形の姿。
両腕だけがオーガ並に発達したアンバランスな身体をしているが、凶暴さはそれ以上にも思えた。そしてやはり、先の異生物5体と同様、十字に割れるというおぞましい"開き方"をする口吻と、今度は両腕の先に備わった強大な剛爪。
底無しの闘志を思わせる凶獣の"咆哮"が、第二幕の合図となる。
この難敵の"詰み手"を話し合うべく、兄妹は再び「止まり木」へ精神転移した。
***
リュグルソゥム家の血を引く者のみ「止まり木」に宿る"小鳥"となり、休み、語らい、そして――修練を積むことが可能となる。
かつて互いの精神を共有する術式を発見した結合双生児を家祖とし、リュグルソゥム家が興って以来、生まれ育つ子女は皆「早熟にして晩成」。
暗君無く、落伍者もまた無く、さらには一族の不和とすら無縁の一族は、末席ながら王国【魔導侯】に席を連ねる名家となった。
――しかし「止まり木」の特殊性が血族のみに限られたが故に、秘術の流出を恐れた歴代当主によって、リュグルソゥム家は非常に閉鎖的な婚姻政策を取ってきた。以前にミシェールがルクの戸惑いを嘲笑ったように、そもそも二人の両親自体が従兄弟同士という血縁関係であったのだ。
リュグルソゥムは貴族としては珍しく、領土や勢力を広げるために婚姻関係を活用する機会を自ら放棄してきたと言って良い。だが、魔導の探求者であると共に、王国に巣食う謀略の獣である他の魔導侯家と異なり、精強なる実力を持ち尚武の気質色濃いリュグルソゥム家は、王国魔導軍の中核を担う一角で在り続けた。
自らを「落ちこぼれ」と卑下するルクもまた、優秀すぎる二人の兄と比較され続けたために皮肉屋の仮面をまとうようになったに過ぎない。「止まり木」の中で長考するだけではけして得られない、生身の戦いにおけるセンスを最も体得する【魔法戦士】が彼であった。
だからこそ、戦闘中に「止まり木」へ潜ることの危険性をルクはよく知っている。
生身の肉体で直に戦う緊張感、次の一手を考えながら肉体側で魔力を練り、どのような呪文を繰り出すかを準備する……そうした感覚を全て「止めて」精神世界に潜ってしまうことが――生身の肉体に"戻って"くる時にどれだけの危険をもたらすか、ルクは一族の誰よりもよく分かっていた。
「あの巨体だ、タフに決まってる。さっきの5体には【火】が効いたが、今度はどうだろうな」
「……兄様も気づいていると思うけど、多分、情報は全部あの魔人に渡ってるよ? 同じ弱点を持つ眷属を送り込んでくる、とは思えない」
その通り。
おそらく例の異生物達であろう、何者達が探知魔法の範囲ギリギリのところで付かず離れず監視していたことといい、生物や魔物にしては有り得ないほどの連携の良さといい、また学習速度といい、ルクもまたその可能性を疑っていた。
というよりは――。
「迷宮領主ってやつは、単に魔物を生み出しているだけじゃないみたいだな。熟練の獣調教師以上なのかもしれない」
リュグルソゥム家の二百年の知識を以てしても、【魔界】と【魔人】については神話と多少の伝承が残るのみである。
領内に発生した魔物を単に狩るのとは、根本から発想を変えなければならないことに、兄妹は気づきつつあった。この魔物達の背後には、明確に【魔人】の意思があるのである、と。
「ルク兄様。いっそ、精神干渉系の呪文を試してみる? 動物にも多少は効果があるはずだから――」
「いや……あれには、そういうのは通用しない、気がする」
「どうして?」
問いかける妹の疑念に、ルクは己の直感を伝える。
彼の念頭には、先に対峙した異生物5体から直撃を受けた【おぞましき咆哮】によって呼び起こされた、強烈な不快感のことがあった。
あんな「最初から人間の精神をぐちゃぐちゃにする」ための【咆哮】を放ってくること自体が、異常である、そのことをミシェールに伝える。
「逆にこっちが精神汚染される危険があるかもしれない」
それならば、とミシェールが「詰み手」をいくつか提案してくる。
いずれもオーガやトロルのような大型にして狂暴かつ愚鈍な魔物を想定した戦術の応用だ。
だが、ルクは敵の驚異的な連携能力を過小評価しないことに内心決めていた。また、獰猛さ・凶暴さと愚鈍さは正比例の関係には無いことは、『博物学』からも裏付けられたルク自身の理解である。
小細工を弄して策に溺れる危険を冒すよりは、直接威力の高い魔法によって、正攻法で時間をかけずに倒すべきと考えた。
事前に決めた"制限時間"内で、兄妹は知恵を絞って語り合う。
普段であれば――老若男女、一族の誰かが一人また一人と「止まり木」に現れ、議論が白熱するのがリュグルソゥム家の常だ。
だが、今は二人しかいない。
喪失感と寂寥感を見せぬよう、ルクは"詰み手"の構築に心血を注いだ。




