呪命-0001 禁じられた兄妹は刹那に契る①
【人界】において支配的な種族は「人間」であるが、広く"人"として括るならば、他には"森人"や"丘の民"等を始めとした多くの系統が分かれている。これらを「人間」とは認めない考え方も存在するが――しかし、最も勢力の強い「人間」達においてさえ、同族内には"人種"という隔だりが存在するのであった。
迷宮領主オーマが降り立った大地は、『オゼニク地方』と呼ばれる大陸中央部である。そこは、500年前の【大戦】時に【人界】側の"英雄王"アイケルの子供らがそれぞれ祖となった【四兄弟国】の勢力圏である。
このうち、魔法の達人であった『長女ミューゼ』によって建国された【輝水晶王国】は、またの名を単に【長女国】とも通称される。
【報いを揺籃する異星窟】の【人界】側の出口は、この【長女国】において、複数の有力貴族領にまたがる禁域たる"森"の最奥に繋がっていた。
***
【盟約暦518年・伏狼の月・第7の日】
秋が終わり冬へと木々が葉を落とし、深雪の気配が近づく。
季節を定める太陽は日々角度を落とす、そんな或る未明のことだった。
爆音と閃光。
幾種もの元素系魔法が瞬間的に飛び交い、一部には変質系の高位魔法もがぶつかり合う。攻撃魔法に対して対抗魔法が放たれ、さらにそれを防がんと妨害魔法が吹き荒れる。そうした応酬を見越した制圧魔法が遅延式に解き放たれ、迎撃魔法が食い破られる。
……だが、ここは『長女国』が『西方諸国』に対して行っている【懲罰戦争】の最前線の戦場というわけではない。
王都レンゼシアの一角、この国最高位の貴族である【魔導侯】家の一つ、リュグルソゥム家侯邸での変事であった。
臨時で開催された【魔導会議】への出席のため、王都を訪れていた魔導侯と彼の親族達は、突然の襲撃に多大な犠牲を払いつつも屋敷へ退き、絶望的な籠城戦を強いられていた。【排火の魔法陣】はとうに粉砕されており、屋敷は火を放たれ、陥落は秒読みであった。
「【騙し絵】に【紋章】、【彫像】と……悪いことに【冬嵐】までもが加担してるのか。となれば、王家の介入は見込めないな」
「【四元素】は不参加のようですが、黙認しているのでしょう。無念です、父上」
「兄さん! これは、一体何でなんだ!? どうして――」
リュグルソゥム家の生き残り達が立てこもった執務室にも、既に火の粉と黒煙、熱気の赤が忍び寄り、長くは持たない。
「足止め」として次男と長女らが討って出たのが、つい先ほどのことである。
執務室には【御霊】のリュグルソゥム家を率いる魔導侯その人と、彼の長男、三男、末娘、そしてわずかな使用人達が残るのみだった。
三男ルクは怯える妹ミシェールを庇うように身構えながら、やり場の無い激情を長兄にぶつけていた。
対する父と兄は、ともすれば予期していたかのような、答え合わせでもするかのような淡白さで襲撃の首謀者達に当たりをつける。
挙げられた"号"は、いずれもリュグルソゥム家より格上の魔導侯家であり、この国最高の支配者達である。
「だめ! オーデ兄様……イシェネ姉様……だめ……いかないで……!」
背後で頭を抱え絶叫するミシェールに、ルクは何が起きたのかを察する。
そして目を閉じ――リュグルソゥム家の『秘術』によって、血を分かつ同族のみが共有する「精神世界」に意識を飛ばした。
その【止まり木】と呼ばれる一種の共有精神世界において、先ほど「時間を稼いでくる」と言って討って出た次兄と長姉が死んだことを悟った。
そして今また一人、一族である伯父が、精神世界において崩れ落ち、白い粒子となって闇へ砕け散るのを目の当たりにした。父の唯一の弟であるガロンド伯父は散り際にルクと目が合うや、力無く微笑むのみだった。
「そんなぁ……伯父様まで……いかないで、みんな、いかないで……」
所領に残し、留守居を任された伯父が死んだことの意味を、誰もが悟っていた。
「侯領も落ちたか。ここまでか」
「父さん! なんでそんなに……冷静なんだよ!? こんなことって――」
ルクは、いつものように屋敷を抜け出してスラムに潜り、素行の良くない連中を騙くらかすという「遊び」をしていた。そこに凶報が入り、道中で襲われていたミシェールを救い、包囲を突破して屋敷に押し入って父らと合流した。
しかしこの状況に関する説明は無く、かといって狼狽する様子もなく、次々と家族の誰かが「足止め」となって散りゆく中――父と長兄は淡々と、ルクの知らない大魔法の魔法陣を起動していた。
それは立てこもった執務室の隠し扉の先にあり、いざという時の「脱出路」とされていたはずだ。
混乱と戸惑い、そして恐怖から焦り猛るルクに、父にして【御霊】のリュグルソゥム家当主、第十三位魔導侯シルフェルフ=リュグルソゥムは背を向け、肩越しの一瞥をくれるのみだった。
「……済まない、ルク。全てを説明している時間は無いんだ――【止まり木】も今はダメだ。魔力を温存しておけ」
「兄さん……」
狂乱の一歩手前、過呼吸に陥るミシェールをかき抱きながら、ルクは答えと救いを求めて長兄フィンを見る。
兄は、小さい頃によく慰めてくれたように、ルクの頭をぐしゃぐしゃと撫でてくれるのみだった。
「フィン、後は任せた」
父が告げた次の瞬間のこと。
いくつかの出来事が同時連続的に発生する。
赤黒い瘴気と共に魔石入りの特別な「魔法鉄門」が粉砕され、濃密な【闇】と【死】と【崩壊】の混合属性魔法が津波のように流れ込んでくる。
特に前二者の属性は『長女国』では禁術である。かつて【魔王】の尖兵となった"人間の裏切り者達"とともに、【闇】と【死】の魔法を使う者は処刑か魔界追放の刑となった――彼らの子孫が『魔人族』の一派となるわけだが、【人界】に住まう者でその事実を知るものはほとんどいない。
そのような「禁術」を使う者が在るということは、『長女国』の魔導侯達だけでなく、さらに他国勢力までもが、この陰謀に関わっていることを物語っていた。
シルフェルフが【光】の防御魔法を展開するのと、ルクが仮面の人物を凝視することと、フィンが突き飛ばすようにルクとミシェールを魔法陣の部屋へ放り込み硬く鍵をかけるのは、ほぼ同時のことであった。
暗闇の中いくつかの怒号が聞こえ、父のものと思われる呻き声がかすかに響くや――遅延式の発動術式が組まれていたのであろう、【魔法陣】が水色に煌めき始め、震えるミシェールと共にルクの姿を浮かび上がらせる。
そして魔法陣に込められた「属性」を知って、ルクは驚愕の声を上げる。
「【空間】魔法だと……そんな馬鹿な!!」
なぜその属性を使えるのかも問題だが、どうしてこの属性が発動されたのかは、さらに大問題であった。
もしや、この【魔法陣】が真に「脱出路」であるというならば――。
膨大な水色の魔力光の奔流とともに、ルクとミシェールの意識は刈り取られた。
最後の言葉を父と兄にかけることさえ、二人には許されなかった。
ルクとミシェールを「送った」後、フィンは赤黒い魔力と銀衣を纏う仮面の人物と相対していた。
「……」
「ここまで貴様を引きずり出した。前回は確か……――……王都から逃げ出そうとして、貴様の部下に捕らえられたんだっけか?」
魔力が刃となり、フィンの防御魔法を貫通しつつ両足を切断する。
顔をわずかにしかめつつ、氷魔法【凍てつく義手足】によって止血すると同時に偽りの両足を再構成する。反撃の魔法弾を放つが――仮面の人物の纏う赤黒い魔力に全て防がれ、かき消されてしまう。
「あの時は、その薄気味悪い仮面をちらと見れただけだったがな。次は、こうはいかないぞ?」
それがフィンの最期の言葉となった。
放たれた赤黒き刃によって頭部と心臓を同時に串刺しにされ、フィンは即死した。
ゴミのように崩れた魔導侯父子に目をくれることもなく、仮面の人物は赤黒の魔力を霧散させる。
しかしそれは魔法を解いたのではなく、フィンとシルフェルフが命を賭して守った「脱出路」の魔法陣に、それを侵入させるためであった。
「……再び興れ。我が業を廻すが良い……」
既に兄妹は【空間】魔法によって消え失せていたが――【魔法陣】に侵入した赤黒い魔力が、鈍色に魔法陣を再起動させるのであった。
魔法陣を通って赤黒い魔力が兄妹を追いかけていった後、ぞろぞろと部屋に襲撃者達が入り込む。
彼らは皆に王都近衛隊の鎧外套を身にまとっているが、いずれも並以上の魔法の素養を持つ者であり、今回の【陰謀】に加担した諸家の私兵連合部隊であった。
ルクがもしこの場に残っていれば、それぞれが独特な『魔力』を持つ、他の魔導侯家の関係者達であると看破していたことだろう。
連合部隊の"隊長"に、仮面の人物が静かに告げる。
「――追え。捕らえろ。殺せ。贄とせよ」
「承知した」
膝を折るような一礼の後、近衛隊に扮した襲撃者達の隊長は踵を返し、部下達を率いて燃え盛る屋敷を後にした。そして、彼らが去った後、仮面の人物もまた姿形が消え失せる。
「脱出路」の方を向いて、物言わぬ骸と化したシルフェルフとフィンだけが、その場には残された。
かくして、リュグルソゥム家は当主以下、そのほぼ全員が惨殺された。
侯邸の襲撃と時同じくして、複数の魔導侯によるリュグルソゥム家所領への侵攻があり、留守居を務めていたシルフェルフの実弟ガロンドの一家もまた戦死していたからである。
建国の祖ミューゼとその直弟子達が王であった"賢き時代"は既に遥かな過去の昔。
堂々と行われた暴挙と狼藉を止める力は現在の王家には絶無であり、それどころか、周到に用意されたであろう陰謀の片鱗すら掴む力もまた皆無であった。
王権が弱く貴族間の政争、暗闘の激しいクーレイリオ王国ではあっても、ここまで直接的な襲撃は非常に珍しく、また異常な事態ではあった。
***
顔の無い腐った大蛇に締め付けられる"夢"。
現実と遜色ない強烈な腐臭と不快感に苛まれ、跳ね起きるようにルクは覚醒した。
「……!」
頭痛が酷く意識が混濁していたが――腐っても『精神魔術』の大家たる【御霊】のリュグルソゥム家直系の男子である。【明晰なる心】の呪文を唱え、悪夢の名残を振り払った。
――だが、悪夢は醒めてなどいなかったのだ。
自身の胸部に人食い蛇のようにまとわり付く"赤黒い"醜悪な魔力を感じて、ルクは息を呑んだ。
鎖骨の上、喉の付け根に焼きごてを押し当てられるような凄まじい激痛があった。
【明晰なる心】が無ければ、下手をすると前後不覚となっていたかもしれない。
「畜生!」
なけなしの知識を動員して即席の『対抗魔法』を編み上げる。
【均衡】と【光】の複合魔法【悪意の退け】により――白い閃光と共に、赤黒い魔力を破砕することに成功した。
苦痛から解放されるも、ルクの表情は苦虫を噛み潰したままだ。
即座に立ち上がり、周囲を見回す。いつの間にか傷ついていた足が激痛を発するが、気合で無視。
そして少し離れたところに倒れる妹が、自身と同じように"赤黒い魔力"に絡みつかれているのを見とめるや、ルクは叫び声を上げた。
「ミシェール!!」
駆け寄りながら魔力を過剰に注ぎ込んだ【悪意の退け】の白い魔力塊を槍のように投擲し、ミシェールに絡みついていた"赤黒い魔力"を霧散させた。
そしてほとんどしがみつくようにミシェールを抱きしめ、起き上がらせる。
【空間】魔法による大規模な"転移"の影響か、ルクもミシェールも礼装がところどころ薄汚れ、破れ、血の跡があった。
妹の上体を抱え起こし、呼吸があるのを確かめて、最悪の事態は免れたのだとルクはほっと一息ついた。
――魔力の回復具合から、「脱出路」の転移術式によって意識を失ってから、優に丸一日ほどの時間が経っていると判断できた。自分よりも先にミシェールに肉体魔法【癒しの鼓動】を使う。
苦しげだった表情が和らいだのを見て、ようやくルクも緊張を解いた。
「……森、か」
周囲の情景を視認し、ルクは独り言つ。
知らない土地であった。少なくとも、王領とも侯領とも異なる。
そして、このような場所に今二人がいる原因は、疑いようもなく、例の【魔法陣】によるものだった。
ルクの知識によれば、リュグルソゥム家に【空間】魔法を扱う技術は無い――そう教えられていたはずだった……あるいは、一族の当主たる父と、後継者たる長兄フィンのみに「相伝」される、他の一族に秘匿された知識があるのかもしれない。
(そりゃ、そうか……俺みたいな"落ちこぼれ"が、全部教えられている方が、やっぱりおかしいんだ)
不意に自重が、自責にも近い激しい自己嫌悪が襲い来る。
それを止めてくれる兄姉達は――もういない。
だが、別のことに思い当たったことでルクは困惑を深めることとなる。
それだけの強力な「脱出路」を、なぜ父と兄は使わなかったのか、と。
なぜ、ルクとミシェールの二人を「脱出」させたのか……これではまるで――二人を生かすために、父も兄姉達も命を捨てて「時間を稼いだ」かのようではないか。
「どうして……」
続いて、ルクは気づいてしまった。
【悪意の退け】によって退散させた、あの"赤黒い"魔力。
仮にあれが自分達の後をすぐに追いかけて送り込まれたものであったとしたら――実に丸一日もの間、自分とミシェールは絡みつかれていたことになる。
誰もその赤黒い魔力を防げなかった、ということだ。
そして、それが意味することは?
「う……ん……?」
「ミシェール!」
うっすらと開かれたミシェールの瞳は、涙に潤んでいた。
「ルク兄様!」
弾かれたようにしがみついてきたミシェールを受け止め、ルクは離さないようにさらに強く抱きしめた。
後ろ髪をいたわるようにさすり、歯を食いしばる。
ひとまず生命の危機が去った結果、自分達を襲った変事の実感が、徐々に湧き上がってきたのだ。
――だが、ミシェールのただならぬ様子に、ルクは悟った。
「誰も、誰もいなかった。父様も母様も、フィン兄様も、オーデ兄様も、イシェネ姉様も……伯父様も、他のみんな……!」
ルクは背筋が凍り、言葉を失った。
改めて、ミシェールの言葉によって、無意識に考えないようにしていた「事実」に引き戻されたからだ。
ミシェールと同じように、燃え落ちる屋敷の中、父と兄の最後の姿を思い出しながら、ルクもまた視ていたのだ。
瞳を閉じ、秘術【リュグル=ソゥムの止まり木】を発動する。
ルクの意識が深く深く沈み込み、夢とも現実ともつかない、虚無とも言うべき真なる暗闇の空間に意識が転移した。
そして絶望することとなる。
【止まり木】と呼ばれる空間に10以上、つい先日は一つ増えたばかりだったはずの「白い光の人影」が、たった一つしか残っていなかった、その事実を再度焼き付けられる結果に終わった。
父と長兄フィンだけは、奇跡的に逃げ延びているのではないか、という淡い希望は完全に打ち砕かれた。
ルクが止まり木にやってきたことを悟ったか、後を追うように、その「たった一つ」残っていた白い影が、徐々にミシェールの輪郭を象っていく。
血族の誰かが【止まり木】へ精神を移行させてきた時特有の現象である。
「……ミシェール」
押し殺した声で、ぽつりと呟くことしかルクにはできなかった。
精神魔術の大家にして【第十三位魔導侯】たる【御霊】のリュグルソゥム家。
『長女国』の最高位貴族としては、最も歴史が浅いが、その叡智と実力は十三魔導侯家でも上位に属しており――一族の直系の誰もが卓越した魔力を有している。
他家からも、王家からも、他の【兄弟国】からでさえも完璧に秘匿し続けるその秘密が、この【止まり木】と呼ばれる空間であった。
「みんな、みんないなくなってしまったよ……ルク兄様」
「こんな、こんなことって……母様、父様……ッ」
それ以上は言葉が続かない。
【止まり木】で精神が半共有にあるため、ルクとミシェールは互いの心が痛いほど伝わっていた。
留守を守っていた伯父と彼の子である従兄弟達も、もう止まり木にはいない。
残酷にして厳然たる現実を前に、精神世界ながらルクは両膝をついて崩れ落ちた。
ミシェールが駆け寄り、体を支えてくる。
「二人だけに、なっちゃったんだ……誰もいない。誰もいない」
一緒になって崩れ落ちる兄妹。
【止まり木】に何らかの"虚像"を生み出すような気力など残ってはおらず、夜よりも深く暗い、人間の精神だけが生み出すことのできる、ただただ静かで暖かな闇に包まれる二人。
どれだけの時をそうして二人だけで過ごしただろうか。
現実では――わずか数分の時間に過ぎない。
だが、心を砕かれた兄妹は「止まり木」で何日もの時を過ごすのであった。
夜闇に包まれる森で目を覚ました二人は、ひとまず目の前の生を繋げるため、よろよろと立ち上がる。
そして、更なる絶望を知ることとなる。




