本編-0060 禁忌にして峻厳たる山岳森①
見渡す限りの"原生森"には、行き交う人のための整備された道などは当然に無い。
そして当然のことだが、【魔界】最果て島の"森"みたいな、枝や根が縦横無尽奔放に暴れ回るように広がっている、ということも無く。
『樹冠の枝道』なんてのも存在しない。
――それは俺の「本来の」常識の範疇に収まった"森"である。そうだよ、森はこうじゃなくちゃあなぁ……なんだよ『樹冠の枝道』って、そんなもん存在するわけ無いだろ常識的に考えて――的な意味での「常識」において"懐かしさ"すら感じる「普通」の森である。
ただし、原生林。
朽ちた丸太が苔やら藪やらの苗床となっている。真に人が立ち入ること皆無な荒れた樹海でもあり、沼とも泉ともつかない水たまりが窪地にできていたりする。
薄い霧がモヤのように立ち込めていることも稀ではなく、神域じみた静謐な気配は、今にも森の奥から生と死を司るデイダラボッチなシカの神様がのそっと姿を現してもおかしくはない、とさえ感じさせる様子であった。
「森ですな」
「森だな」
「あぁ、森だとも」
布切れでバンダナのように両目を隠したソルファイドが、真っ直ぐに俺を向いて頷く。全身には元から着ていた鎧をボアファントのなめし革で補強した無骨な衣装をまとい、ズボンの上からさらに腰布をまとって暖を確保している。
どうも周囲の寒さ的に、今の季節は冬であるらしいが――常緑樹が中心の原生林であるのか、緑色の景色は絶えることなく。竜人は、致命的というわけではないが寒さには少し抵抗力が弱いらしく、意外な弱点だなと思った瞬間ではあった。
……まぁ、火竜の末裔たるソルファイドはいざとなれば"熱"なんていくらでも生み出せるだろうから、彼に限れば弱点にすらなり得ないだろうが。
一方でル・ベリも、かなり分厚いぶかぶかな外套を羽織っているが――これは寒さ対策というよりは【擬装】能力と合わせて【異形:四肢触手】を完璧に隠すためのものという側面が強かろう。
よくよく観察すれば、身長と体格に対して両腕両足が太すぎると気づく者が居るかもしれないが――ううむ、モデル体型IKEMENだと、それすらもファッションの一つの方向性であると錯覚させられてしまうから、妙に腹立たしい。
体格の割には触手の体重も加わっているため、見た目以上には"重量級"ではあるところだ。
――さて。
ファッションチェックはほどほどにしておいて、ちょっとこいつらにも聞いておかなければ、な。
「ところで我が忠実なる【農務卿】に【近衛隊長】。何か――身体に異変を感じたりはするか? 痺れとか」
「問題ありません、御方様」
「無いな……何かあったのか? 主殿」
「いや、気にするな」
やはり『誓約』とやらは迷宮領主限定、と。
まぁ、いいや。話を目の前に広がる大自然いっぱいの原生林に戻そう。
事前にパラサイト達に調べさせてはいたため、心構えはできていたつもりだったんだが――やはり3ヶ月ぶりに目にした、俺の中の本来の常識に合った景色だ。
"高揚するような落ち着き"を感じて、なんだか不思議な気分になる。
……こんなひと目数分で分かる程度の「情報」ですら、パラサイト達を通してでは何日もかけなければならなかったわけだが、リスク回避のためには必要な投資であったと思おう。その甲斐あって、周辺が安全であろうと確認できたのだから。
俺は後ろを振り向く――今這い出してきた縄文杉を思わせるほど巨大な"枯れ巨木"の「大うろ」が、ただ自然の威厳を保ちながら、黙したまま佇んでいた。
「ル・ベリ、当初の予定通り森の生態系の調査だ――俺の眷属以外で使えそうな鳥獣を連れて、早速開始しろ」
「御意」
まずは一手目。
パラサイトからの情報ではどうしても詳細を調べきれない、この森の生態系などについて『専門家』に調査させる。危険な動植物や生物がいないかを含めて、まずは周囲の地理状況をもっと詳細に把握しなければならない。
合わせて、言わなくてもル・ベリは既にわかっているだろうが――『先住者』達の更なる動向調査も必要だ。
ル・ベリが銀の水面を潜り、準備をするために一度戻る。
【魔界】の鳥獣が【人界】で違和感無く活動していくことができるのか、についても確認することが必要だからな。まぁ、ダメならダメでル・ベリに新たにこの森の鳥獣を手懐けさせるだけだが。
それで、本当に最初動としての周辺状況や地理把握、厄介な生物の調査を終えたら、いよいよ俺のエイリアン達から【人界】側の"偵察部隊"を編成して、調査を進めていくつもりである。『先住者』がどのような相手であるかによって、そのあたり慎重に行くか大胆に行くか変わりはするが。
「ソルファイド、地理状況や"ゴブリン"ども――敵対勢力になりそうな存在の有無を中心に、ル・ベリとは逆方角から調べてくれ」
「心得た」
ソルファイドには、ランクMAXまで上げて「お前は生きたソナーか」と突っ込みたくなるような"探知"性能になった【心眼】能力によって、ル・ベリとは異なり地形把握と勢力把握を中心とした調査を進めさせる。
その間俺は――大うろの周囲を散策するなり、一度【魔界】に戻って進捗管理をするなりするかな? その前に、ちょっとやっておくことがあるが。
さて。
【眷属心話】発動、と。
『あー、ウーヌス。聞こえるか?』
『きゅぴ! 問題ないけど……創造主様が何十人もいるみたいに声が重なってるううう! 頭が重い、助けてモノ!』
『はいはい……』
それはこっちの台詞だと言いたいぐらい、俺も頭がガンガンしている。
なんというか、この程度の短文の【心話】であってもMP消費がとんでもないことになってるのも大概なんだが――ものすごく反響していて、ウーヌスが何体も時間差で輪唱しているように聞こえるのである。
……と思っていたら、反響輪唱については、すぐに解消された。
『これでどうかな? 創造主様、ウーヌス』
『わぁ、モノすっごい~』
『ありがとう! 僕のポラゴの実、特別に一個あげる』
『さすがモノ! さすモノ!』×3
どうやら「エイリアン語」の"密度"を上手い具合に「調律」というか、ぷるきゅぴ達側でフィルターをかけることで、なんとかしたようである。さすがはウーヌスのお守り役というところか――。
『だが、ウーヌス。このやり方は……モノに負担がかかっている気がするぞ?』
『きゅ!? そうなの?』
『あはは! 平気平気、誰かがやらないといけないんだから、創造主様も心配しないでよ。迷宮経済さんに負担を与えちゃってるのは、見逃してほしいけど』
――ふうむ。
MPの消費はまぁ、魔石をもっと余分に生産して持ち歩くようにすれば、気になるほどではない、か。
モノの件も、『創造主』である俺の目から見て、特段の問題は見受けられないが――まぁ、副脳蟲達に任せておく他は無いか。
まぁ、こんなところかな、俺に今できることは。
……本当は【人界】側の出口、この大うろ周辺にも簡単なもんでいいから拠点を作りたかったんだがな。知識から予想はしていたが――さすがに空気中に魔素も命素も一切存在していないというのは、迷宮領主的には死活問題というか、本能的な忌避感が全身を貫いていて慣れるのにまだ時間がかかりそうだと言うべきか。
とてもじゃないが、これ、【人界】側で【魔界】から独立した"迷宮経済"を構築するのは、無理だわ。
幼蟲を産もうにも、周囲の大気に魔素・命素が無いから俺自身の保有魔素・命素を使うか、【魔界】側から魔石・命石を持ち出すしかない、結局な。『母船』プロジェクトを抱えている現在、あまり余計な出費も避けたいところだしなぁ。
『きゅぴぃ、【結晶花】さんはー?』
『魔素・命素が空気中に無いっつってんだろ。魔石も命石も生産されないまま、ただただ無為に時が過ぎるだけだわな、試すだけ時間が惜しい』
『きゅう、残念さんだね』
本当にな。
だが、まぁ冷静に考えてみたら、どうせ探索と開拓のための荷物置き場みたいなごく簡単な小拠点で良いなら――"裂け目"経由で【魔界】側に作るのでも変わらないか。
まずはこれで、様子を見てみようか。
***
【100日目】
「主殿、周辺の勢力はあらかた把握できたぞ」
「御方様、近辺の植生と鳥獣どもは大まかに調べ上げましてございます」
「両名ご苦労……どうした?」
ル・ベリが微妙な表情をしながらソルファイドを横目で見ていた。
「あぁ、そういうことか。まぁほどほどにしとけよ」
まーた"競争"でもしてたのかなこいつら。今度の罰ゲームは何であることやら。
……まぁ、良いか。
結局、【人界】での拠点整備は少しだけ試しはした。
どうしても雑事を任せる労働力は必要だったからな。ただし、結局は一週間前に想定したような【魔界】側に拠点を作って、スレイブ達を"裂け目"を通らせる形に終始している。
というのも、例の"「世界をまたぐこと」の悪影響"は【眷属心話】に対してだけではないことが判明したからだ。
およそ迷宮や迷宮領主に関わる"技能"とか"特性"といたもの全てに、目には見えないジャミングがかけられているかのような「重たさ」が発生するのである――例えば【情報閲覧】とか、例えば【領域定義】とかが、な。
消費MPもそうだが、身体的な疲労も結構なものである上に、効果も不安定で不十分なものに劣化していいるという散々なものだった。
うーむ、【人界】側での"制約"が、こんなにキツいとは思わなかったなぁ。
マジで500年前の侵攻時はどうしてたんだ? これを乗り越えてなお大軍を養うだけの力が、当時の【魔界】にはあったということか……?
だが、そうすると例の『誓約』の存在意義は、案外難しい理由ではないのかもしれないな。単純に迷宮領主が【人界】では、水揚げされた魚みたいに弱ってしまうため、余計な消耗を避けるために禁じているだけだったりするんだろうかね。
しょうがない。
『母船』プロジェクトはどの道、新因子による突破が無ければ今は牛歩の歩みでしかない。
【改良型結晶畑】の拡張の優先度を上げ、なんとか【人界】で探索役や土木工事役のエイリアン達をいくらか養える程度の余裕を捻出していく方向に切り替えだな。
先が思いやられるが……地に足をつけて焦らずじっくりやれということなのかも知らん。
ひとまずは必要最小限のスレイブ達で、地道に"倉庫"代わりの穴掘りをしておこう。
容易には発見されないほどの深さに「巣」を作る形で。で、万が一の時には全てを崩落させて埋めて隠滅する仕掛けも忘れずに、な。
「ル・ベリ。ソルファイドから"人界のゴブリン"どもの集落位置を聞いてこい。んで、可能なら拉致してきてくれ」
「お任せを――ふむ、【人界】のゴブリン……ですか」
「お前も感じたか?」
「『も』とは――いや、ううむ、これは……御方様『も』、でございますか?」
同じ【魔人】としてル・ベリが気づいたならば、これは確定だろうな。
【人界】行きの前から、パラサイト達から情報を受け取っていた時から、俺の中にあった違和感――そして今、ル・ベリを襲っているであろう"同じ"違和感。
それは、ゴブリンに対するものだ。
【魔界】のゴブリンは確かに劣等生物であり死すら生ぬるい汚物だが……。
【人界】の"ゴブリン"に対して、俺とル・ベリは、本能レベルでの憎悪を全くと言って良いほど何も感じないのである。
これは、一体どういうことだろうな?
まだ、見てもいないはずだってのにな、【人界】の"ゴブリン"は。
だから、この奇妙な違和感を確かめるべく――手っ取り早く「専門家」に捕獲してきてもらおうというのである。
そのあたりをル・ベリにも伝えたところ、違和感の正体については彼も納得はしたようであった。
「できるだけ派手に征服してやれよ?」
「この森に潜む『先住者』を、わざと刺激してやるというわけですね?」
その通りだ――この森の情報も粗々揃ってきた。
そろそろ、積極策に転換しても良いタイミングではあるだろうよ。
準備のためまた【魔界】に戻ったル・ベリを見送り、今後はソルファイドに次の指示を下す。
「ソルファイド。ル・ベリの報告にあった"大蜘蛛"が気になる。なるべく傷つけずに狩ってこい。それとお前も――」
「見せつけろ、というのだろう? 容易いことだ」
【眷属心話】を使わずに、口頭で指示を済ませていく
例の"制約"は"制約"として、対応してできる範囲のことをやっていくしかなかろうよ。配下二人との【眷属心話】は緊急時の連絡手段として温存するようにして、可能な限りは直接口頭で伝達するようにしている。
魔石と命石も【魔界】から多く持ってきているが――無駄遣いをする必要もない。
それよりは、ここしばらく迷宮領主として【眷属心話】や「エイリアンネットワーク」に頼りきりだった俺自身の日々の生活態度を矯正しておくという考え方も悪くないだろう。
――何せ、【人界】ではかなり長く生活することになる可能性だってある。
テルミト伯は、20年という予想以上の"時間的猶予"を与えてくれたわけだし。
『人間さんは、まだ見たことが無いきゅぴ! 早く見たい見たいきゅぴ~』
『ねぇねぇ、人間さんって肌が桃色なのは本当~?』
『美味しそうだねー』
『あはは、肌は肌色って言うらしいよ、面白いねぇ』
……こいつら。
【人界】の"制約"のせいで、今【人界】にいる俺に【心話】すると相当の負担がかかってリソースを余計に食っちまうってのは、パラサイトで散々経験したろうに。
無駄なお喋りを俺に聞かせるために、リソースを余分に消費しおったな? 今は物資を計画的に回さなければならないというのに……戻ったらお仕置きだな。
『キリキリ働け脳みそども。"因子"が、新しい"因子"が得られるかもしれないんだからな、今』
『きゅ、きゅぴぃ! そうだった、僕らの進化進化~えい!』
『馬鹿野郎、アルファとデルタに突撃開始とか命令してんじゃない! 戻れアルファ、デルタ、お前らの出番は当分先だ! くそ、また資源を無駄遣いしやがって、ぐおおおおお!』
ごほん。
話を【人界】の森の探索に戻そう。
【人界】へ俺自ら出てきて、ちょっとだけ手間が省けたことを挙げるとすれば、【魔界】から日々送られてくる寄生小虫入りの小動物や小鳥達に、俺が直接指示を出せるようになったことかな。このことも活用して、ル・ベリとソルファイドの調査と合わせ『先住者』の行動範囲を大体絞れてきたわけだが――。
あれこれ考えていると、ル・ベリが"大うろ"を通って【魔界】から戻ってきた。
背後には、探索で使い潰す用のゴブリン奴隷がぞろぞろと十数匹ほどついてきている――ん?
【情報閲覧】の使い勝手がどれだけ悪くなったのかの確認がてら、ゴブリン達を見てみると……普通に魔法適性持ちが数匹混じっていた。
これらは、確か最果て島のゴブリン氏族陥落前の"捕虜"ではなく――『ゴブリン工場』で生産した、何代目かの新世代であるはずだ。
ということは、魔法適性持ちゴブリンの生誕率を増やすことに成功したのか?
「おう、ル・ベリ。"魔法"能力持ちのゴブリンの育成条件が分かったのか?」
「御意でございます。そのことのご報告も兼ねて……連れてまいりました」
ふうむ。
『ゴブリン工場』の稼働は裏で順調に進んでいるようだな、善き哉善き哉。
まぁ、風と火の因子はもう解析済みだから、何かの役に立つってわけでも――無い……ん?
"魔法"能力を持ったゴブリン?
魔法。
魔素。
ゴブリン――あぁ、なるほど。
いや、ちょっと待てよ。
「それでは御方様、行って参ります」
「おう。1時間ごとに定時連絡出す。"合図"は忘れてないよな」
【眷属心話】を使わない、とは言っていない。
ただし、MP浪費を最小限に押さえるための短文を"合図"とするわけだがな。
それらを改めて再確認しつつ、ついでにル・ベリが調べてきた動植物のうち、俺の主観だが因子が絞れそうなものを伝え、採取するようにも伝えておいた。
――おっと、送り出す前に、もう一つ。
「その"魔法"能力持ちのゴブリンは【魔界】に戻してくれ――ちょっと使い道を思いついた」
畏まり、ぶかぶかの外套の袖の中から、まるで暗器の如く、鋭き触手が鞭の一閃。
ご指名のゴブリンを【魔界】に戻らせた……ちょっと試したいことがあってな。
さて。
ひとまず、初動としてはこんなものか。
『先住者』への揺さぶりは開始したが――接触までには、もう何日か時間はかかるだろう。その間に、もう少し探索と調査を進めていかなければなぁ。
などと、この時はのんびり考えていた。
いや、なに。
結論から言えば『彼ら』との遭遇は、それからすぐのことだった。
彼ら……例の『先住者』達なんだが、想像以上の厄介事を抱えていたんだよなぁ。
いやはや――まさか【人界】へ進出して1ヶ月も経たないうちに【迷宮防衛戦】をやる羽目になるとはなぁ。




