狂樹-0001 子爵の妄執
エネムとゼイレは【人体使い】の迷宮領主たるテルミト伯の最高傑作であるが、それは単に己好みの美しさを持つだけでない。
「黄金の比率」を目指す求道者的探求の一里塚を成す非常に重要な存在であったが――彼と彼女に至るまでは、幾多の試行錯誤の過程があった。
それは、彼の"先代"の迷宮領主から脈々と受け継がれてきたものとも言える。
今は【樹木の奏者】として従属爵から独立爵となったリッケル子爵その人。
そして元半ゴブリンにして現『半異の魔人』にしてオーマ第一の配下となったル・ベリの生母リーデロット。
二人に共通することは、制作者は異なれども【人体使い】によって、「黄金の比率」に至るべき習作として、後天的に生み出された者であったことだ。
そして後者こそ、テルミト伯と彼の腹心であったリッケルの破局の主要因である。
リーデロットと名付けられた彼女は、大陸中流家庭の娘として生まれた。
そして成人を前に近隣地域を支配していた迷宮領主が死に、その後継者争いで治安が大いに乱れたため――誘拐され、転売され、転々と流浪することとなる。
無論、力無き者にとっての苛酷さという点では【人界】を上回る【魔界】では、こんなものはごくありふれた不運ではあるが。
ただし、リーデロットが幸運であったのは、本格的に壊される前に、テルミト伯に買われたことであった。
そして、リーデロットが不幸であったのは、テルミト伯から「素材」と見なされつつも、最終的には「失敗作」とされたことであった。
加えて、不幸の二番底は、そんな彼女の背景を知ったリッケルから、一方的に「運命の関係」を分かつ者であると、因縁付けられたことであった。
次に、リーデロットへ一方的かつ常軌を逸した執着を示した青年リッケルについて語ろう。
テルミト伯の先代の迷宮領主によって、リーデロットと似たような境遇を持つ青年リッケルは、比較的マシな「試作品」とされた。
その後、テルミト伯が実力行使によって"代替わり"を成功させるにあたって青年リッケルは彼の配下となり、助手役としてその才知を以って長らく仕えてきた。ちょうど、現在のエネムとゼイレの立場である。
この間、テルミト伯にとって幸運であったのは、まだ【人体使い】としての能力が十分に鍛えられていなかった折、先代の「試作品」であったリッケルは優良な「参考作品」であったことだ。
同時に、テルミト伯にとって不運であったのは、リッケルの心の底に秘められたる鬱屈を知らず、そしてそれが伯自身の美観と全く相容れなかったことであった。
従属爵とはいえテルミト伯の後援で【子爵】にまでなったリッケルは、自身がたまたま「処分」を免れたに過ぎないことを知っており、似た境遇を持つリーデロットが、いずれ廃棄なり払い出しなりの運命にあることを憂いていた。
テルミト伯は彼の先代の【人体使い】に比べれば、まだ穏健であり、「失敗作」であっても有効に活用しようとは考えるだけの合理性と柔軟性を持つ迷宮領主であったが――既に売り払い先の決まっていたリーデロットをリッケル子爵が強奪するに至って、伯とリッケルの関係は急速に崩壊の一途をたどる。
……いや、テルミト伯の立場からすれば「崩壊した」のは、腹心と考えていたリッケル子爵その人自体であったろう。以後、テルミト伯のリッケル子爵への信頼は消滅し、リッケル子爵もまた自身の妄想と妄執を隠そうともしなくなる。
ここに、【魔王】の敵対者の一人であるグエスベェレ大公が、『上級伯』の誕生を阻止せんとテルミト伯の勢力を削ごうと企てたことが決定打となり――10年にも及ぶ「独立戦争」が始まったのである。
だが、それが一人の半ゴブリンにして半魔人を産み、また【人界】からの亡命者であった竜人を破滅させ、ひいては彼らが新たなる迷宮領主の下へ合流する結果へ転ぶことなど、知る者はいなかったと言える。
***
「全テハ、試練ナンダ」
リーデロットに己を重ねて恋患い、そして誰の目にも「情婦」と見なされていたリーデロットに自ら「試練」を与えた。
世の人はそれを奇行と断じて理解しようとしないかもしれないが、リッケル自身からすれば、それはリーデロットが「失敗作」の烙印を返上するために必要な儀式であった。
処分を保留された「試作品」として、いつ廃棄されるかもわからない恐怖の中でテルミト伯へ仕えてきたことはリッケルにとって「試練」であり――それを乗り越え伯の信頼を得た報酬として、リーデロットと出会えた。
リーデロットこそが己の望む相手である、とリッケルは考えていた。
それは一目惚れなどという生易しいものではなく……血肉と魂が彼女の存在を渇望し、文字通り「一つになる」ことで、「失敗作」でも「試作品」でも「参考作品」でもない、完全なる存在へ己を昇華させる鍵である、そんな天啓が閃くほどの衝撃であった。
この点、男女の"生命の営み"に冷笑的であるテルミト伯とは永久に分かり合うことのできなかった上に……先代の【肉と鎖の城】の迷宮領主を尊崇していたリッケルにとって、己こそが【人体使い】に相応しいという野心があった。
が、グエスベェレ大公の唆しに乗ったは良かったものの、独立した【迷宮領主】として開花させられたのは――【樹木使い】の能力。
それはリッケルにとって、二つ目の【試練】が訪れたことを物語っていた。
「試練ヲ越エタ者ニハ報酬ガ来ル……ソレガ真理ナンダ」
リーデロットと「一つ」になるために【人体使い】の能力を渇望していたリッケルは、なぜそれが叶わなかったのかについて、「試練」を乗り越えたのが自分だけでしかないからだと考えるようになった。
「一つ」と言いながらリッケルが一方的にリーデロットを呑み込むかのような、独善さに自分自身で気づいていなかったのだ、と。
「報酬」として――テルミト伯の先代曰く【黄金の比率】たる完全な存在になるためには、リーデロットもまた「試練」を乗り越えなければならないのである。
共に試練を乗り越えた対等なる者同士として向かい合ってこそ、幸福にして満足なる「完全な存在」となれる。
これこそが、リーデロットを流刑船に載せ、ついでに「死の遊戯」による凄惨な騙し合いと殺し合いを行わせてグエスベェレ大公を愉しませようと考えた、リッケルの思考である。
とはいえ、彼の思惑が外れリーデロットはあっさり……ヒュドラに襲われて海の藻屑となってしまった。万策尽き、かくなる上は仇討ちとしてテルミト伯をこの世から抹殺する他は無い、そう思いつめて、【樹木使い】が【樹木の奏者】に称号進化してしまうほど苛烈に戦い続けたのである。
それが巡り巡って――そのテルミト伯から、リーデロットが確かに生きて、そして死んでいった"証"を贈られ、積年の怨讐を乗り越えて和解しようとは。
リッケルはまた一つ「試練」と「報酬」について学ぶこととなる。
すなわち、他者の「試練」について知ったような気になり、思い上がってはいけないのだ、ということである。
あっさりとリーデロットが海の藻屑になった……とリッケル自身が勝手に思い込んでいたことなどどこ吹く風。リーデロットは「試練」に向かい合い見事に強く生き抜いており、その「報酬」として、愛したであろう息子を得たのであるから。
故に。
今こそリーデロットと【一つ】になる時。
だから、テルミト伯の誘いに乗って最果て島への侵攻を決断した。
――『リーデロットの遺骸探し』という侵攻動機は、おそらくオーマにとってもテルミト伯にとっても、全くもって想像の埒外だろうが、リッケル子爵にとってはごく自然で当然であり、今回の侵攻を必然たらしめた最大の理由である。
最果て島を攻め落とす、その成否にかかわらずテルミト伯はリッケルの本拠である【枝垂れる傷の巣】を攻撃するだろう。
リーデロットとの完全なる融合を邪魔されないようにするためには、可能な限り短期間のうちに最果て島に居座る「新人」を排除しなければならない――そのために全兵力を投入するという背水の陣を敷いたわけだが、制圧後の対テルミト伯の防衛戦略も考えなければならない。
テルミト伯が苦手としているヒュドラを本気で排除せず、あくまで効率的に足止めするに留めたのはそのためであった。
そして、島を迅速に制圧することと、リーデロットの遺骸を捜索すること、その二つにかかる手間を一気に省く策としてリッケルが考えたのが、地上部の邪魔な森を「新人」自身の手で焼かせて、【樹木使い】相手に一気に優位に立ったぞと油断させることであった。
そのために、燃費の非常に悪い【宿木トレント】まで投入したのであるが……。
『【根ノ森】構築ハ失敗ダネ。【領域戦】ハ諦メルシカナイネ……仕方ナイ、犠牲ハ大キイダロウケレド、【眷属戦】デ押シ潰スシカナイトイウワケダ』
よもや、入江の砂浜に陣取った主力部隊と『生産拠点』を森へ引き込むために、危険を犯してヒュドラを挑発するなどとは奇想天外も良いところであった。
リッケルの戦略では、陽動部隊が森ごと例の竜人の火によって焼き払われたところを――偽ヒュドラと化した【欺竜】によって出撃してきた戦力を撃破し、返す刀で制圧用"施設"である【のたうつ根ノ城】を装填した『種子核』を島中にバラ撒いて、一気に地上部を己の【領域】に引き込むつもりだった。
対テルミト伯という点では、本拠地はほぼ確実に捨てることは間違いないのだが……蓄えている莫大な魔素と命素をただでくれてやる理由は無く、それらを最果て島に"移す"ためにこそ、迷宮核の奪取は絶対条件であった。
そして、制圧兵器型施設【根ノ城】を十分に稼働させることを優先すると、燃費が悪い上に「施設」として【領域戦】に寄与することもなく、おまけに「洞窟」での戦いには全く役に立たない【宿木トレント】は、本当に単なるフレーバーの意味しか持たない。
地上部の森を排除するために、数千もの【宿木トレント】に一本ずつ変えてしまうことなど、魔素と命素の大いなる無駄であり、壮絶なる本末転倒である。
故にこそ、ヒュドラをけしかけられる形で「森」へ入り込まざるを得なくなった今、迅速なる迷宮の攻略のためには、【眷属戦】に切り替えなければならないとリッケルは判断した。
それでもまだ、たとえ今このタイミングでも「火」によって地上部の森を焼き払ってくれれば、多少被害は大きいものの当初の【根の森】を生み出す戦略にすぐに戻すつもりではあったが――ままならないからこその「試練」である。
『手ノ内ヲ晒スシカ無イネ。"種子"達ヨ……芽吹ケ、【根ノ城】トナレ……新人クンノ洞窟ヘノ入口ヲ、全テ塞イデアゲテミヨウカ?』
オーマはこの時、森へ入り込んだリッケル子爵の主力の半分以下の数の「陽動部隊」で果敢にハラス行為を繰り返してはいたが、徐々に物量に押され、森の各所への浸透を許しており、巧妙に隠したはずの「入口」を次々に発見されていた。
皮肉なことではあるが、「入江」を放棄したことによって逆にそちらのことを考える必要が無くなった結果、リッケル子爵の「操作量」が回復したことで、ゲリラ戦への対応が徐々に素早くなっていたのである。
走狗蟲ではろくに傷をつけられない【虚獣】を盾に、傘にすることで、頭上からの奇襲という第一撃に対する迎撃パターンが急速に整っていった。
犠牲が増えるばかりで益無しと判断したオーマが、ソルファイドら襲撃部隊の帰投を待って、陽動部隊に総撤退指示を下しのは、ちょうどリッケル子爵が、上記の新たな指令を自身の眷属に下した直後の事だった。




