本編-0042 対リッケル子爵戦~入江の戦い②
浸透を許したという点ではオーマに油断があったことは事実だが、それが始まったばかりの段階で気づくことができたという意味では、まだ彼にツキはあった。
オーマの悲観的な予測と異なり、リッケル子爵の眷属である【宿り木トレント】は、入江の砂浜に流れ着いた木片達に隠れていた"種子"から這い出して森へ入ったばかり――森全体が「トレント」と化したわけではなかった。
迷宮における【領域】システムにおいて、本来は他の迷宮領主の支配下にある領域に直接眷属を呼び出すということはできない。
しかしリッケル子爵が今回の「強襲」における核として使用した【枝獣の種子核】は、あくまで樹木の性質を持った「成長」する魔物の一種である。
テルミト伯との10年に及ぶ闘争で蓄えた大量の魔素・命素を事前に注ぎ込んでおり、遠隔操作機能付き時限爆弾の如く、芽吹く瞬間を今か今かと待ち続けていたに過ぎない。
また、同時に送り込まれた【宿り木トレント】は、自然に存在する木々に取り付いて乗っ取ることで繁殖する魔物である。【種子核】から森への侵食の尖兵として密かに"根"を伸ばしており、森の入口部分の木々を十数本乗っ取っただけであった。
だが、リッケル子爵からすれば、そも"種子"を上陸させた時点で、橋頭堡を確保するという目的は達せられている。
【宿り木トレント】はオマケに過ぎないため――テルミト伯が気にかける"新人"を少しばかり驚かせてやろうと、攻撃モードにさせると共に、本格的な「芽吹き」による侵攻を開始したのであった。
無論、驚かせることが目的であっても、「他にも侵食された木々があるかもしれない」「地上部の森は放棄するべきかもしれない」という心理戦を仕掛ける意図はあったが。
称号【樹木の奏者】――テルミト伯にも知られていない【樹木使い】の上位称号――による固有技能【木の葉のざわめき】によって、"音"からオーマが入江を放棄し撤退した様子を悟り、リッケル子爵は思惑通りの「第一手」にほくそ笑む。
……殿軍相手に思いの外頑強な抵抗を受け、想定以上の被害を被っていることが少し気になるが、敵主力の戦力が測れるならば、必要経費と割り切った。
「さて、本番はこれから……今から会いに行くからね、リーデロット……"収穫"の時、だ」
「子爵様、本当にお一人で大丈夫なのですか?」
「向こうへ行っている間、誰が僕の身体を守るといういんだい? 若君……テルミト伯を馬鹿にしちゃいけないよ? うまく誤魔化しておいてね」
数名の魔人の部下を伴い、足早に自らの迷宮【枝垂れる傷の巣】を進むリッケル。
彼の向かう先には、奇妙な物体があった。
喩えるならば"枝"で編んだ「鎧」とも外骨格とも言うべき、人間型の容れ物。
頭から爪先までをすっぽりと包んでしまうような不可思議な容れ物は、リッケルの部下達にとって、初めて見ることを許された【施設】であった。
さすがにこの場にはテルミト伯の「目玉」達を入れる気は無かったため、眷属である【絡めとる偽蜘蛛】に追い払わせている。
「子爵様、これは……一体?」
「酷いよね、先代の伯爵様も、大公閣下も。【樹木使い】なんかにされちゃったんだから、こうするしかないじゃないか」
つぶやきながら外套を脱ぎ、衣服を脱いで全裸となった全身を、まるで湯船に浸かるかのような気軽さでその【施設】に横たえ――リッケル子爵の【魔素操作】に反応し、活性化した「容れ物」が、枝をわらわらと蠢かせ彼の身体を覆っていく。
そのまま、数十秒ほどかけて「枝」と「根」が全身をくまなく覆っていく様を、部下たちが固唾を呑んで見守っている。
人間種に寄生する奇病である【冬人夏樹】をも髣髴とさせる異様な状態であったが――心配する部下達をよそに、リッケル子爵は自らの身に起きるであろう生まれ変わりの瞬間を待っていた。
「全ては"試練"なんだ、リーデロット……そして息子君……全ては、愛の試練、その"収穫"の時が来たんだ」
愛の試練と繰り返し呟く、根に絡みつかれた異様な姿のリッケル子爵。
この場にテルミト伯その人がいれば、あまりの嫌悪感から後先考えずに、即座に八つ裂きにしてしまっているだろう。そうさせないために、普段迷宮の心臓部にはほとんど入れさせなかった「部下」達を同伴させているのであるが。
「じゃあ、僕らの【愛の成果】を確かめに往こうか」
がんじがらめにされ、もはや呼吸の隙間すら無い。
その"根"の僅かな隙間からリッケル子爵の声が、固有技能の発動を宣言するはっきりとした声が、部屋に響き渡る。
「――秘法【魂の接ぎ木】。我が身を【宿れる偽人】へと」
命素が煌めく薄白い輝きが「人の形」の瘤のような根と根の隙間から漏れ出て、リッケル子爵の意識は、そこで途絶えた。
***
ソルファイドの二振りの愛剣【レレイフの吐息】と【ガズァハの眼光】が紅く赤熱し、樹の魔物に変化した最果て島の木々が焼き切り裂かれていく。
オーマから「森はまだ焼くな」との厳命が届いたため、火竜骨の双剣の焼き加減は最低レベル。
しかし、それはただの火ではなく、魔法的な破壊力の込められた「竜火」としての性質を持つため――雑兵たる樹木の魔物が相手では、鶏を殺すのに牛刀を使う程度には贅沢ではある。
発火するのではなく、刃が触れた箇所が瞬く間に焦げ、炭化し、トレントの身体が崩れていく。トレントは威圧感はあるが動きは鈍く、純粋な戦闘能力で言えば【戦線獣】をやや下回る程度だろう。
ただし"樹木"をその肉体としているため、そこそこ耐久力があり、走狗蟲や隠身蛇らでは相手にしていられないため――退路の確保を兼ねて、ソルファイドが一手に引き受ける形となった。
「ふん、病み上がりの腕鳴らしにはちょうど良いか?」
悪態をつくのは半異の魔人ル・ベリである。
この日はあくまでオーマの随伴として同行してきたため、先日体得した追加の触手は伴っていない。彼は「6本鞭」を駆使して次々とゴブリン奴隷を、入江の「林」に向けて放り投げていた。
「主殿は撤退を指示された、あまり遊ぶなよ、魔人」
炭化し脆くなったトレントの胴体をソルファイドの回し蹴りが打ち砕く。
体幹を的確に粉砕されたことで、もう一体トレントが四分五裂、戦闘不能となる。
「貴様に言われないでも分かっている……分かっているとも! だが、とても不愉快な気持ちなのだ」
放り投げたゴブリン奴隷は、ル・ベリの「奴隷監督」の技能【苦痛の制御】の効果で、一時的に痛みを軽減されている。そこに【嘲笑と調教の女王】による生存本能刺激のボーナスが加わり、がむしゃらに「林」へ突っ込む。
「林」の枝々から新しく芽吹き、生えてくるように産み落とされた――"獣"を象る樹木の魔獣達がゴブリンを迎え撃ち、根を鋭く突き出す。
無論、敵の性質を測るための捨て石に過ぎない。
「木の獣」のおおよその攻撃手段を把握した次の瞬間には、螺旋獣のデルタが砂塵を巻き上げながら、敵陣にえぐるような動きで突っ込んでいた。
螺旋の筋肉をまとう異常発達した豪腕が、携帯式の破城槌とでも言うがごとく「木の獣」を貫通する。
乾燥した若木をみしみしとへし折る音が幾重にも辺りに反響し、『頭部』を粉砕された木獣が、破片を撒き散らしながら吹き飛ばされた。
返す刀でもう一撃、反対の螺旋豪腕で、飛びかかってきた別の木獣を力任せに腰断。デルタは雄叫び代わりの【おぞましき咆哮】を轟かせる。
それを隙と見て取ったのか、5体の木獣が槍のごとく鋭く尖った枝を突き出しながら迫るが――鋭い鞭の音が響くや、さらに数体のゴブリンが放り込まれて木獣に正面衝突。
次いで、ひゅうッと空を切り裂く音ともに、ゴブリンと木獣達を巻き込むように、2メートル半径に斬撃の嵐が吹き荒れる。
木獣達の突き出された枝が片端から叩き切られるが、巻き添えを食らってゴブリンだったものに変えられた肉塊が降り注ぎ、木獣達の動きをわずかばかり阻害する。
そこへ体勢を整えたデルタが殴りこみ、衝撃でよろめいた一体の顔面を鷲掴みに握り潰した。
斬撃の嵐を見舞った張本人――【切り裂き蛇】のゼータは弧を描くように蛇行し、置き土産とばかりに長い尾でもう一体木獣の脚をからめ、すっ転ばしつつデルタの背後に引っ込む。
そのまま、すすす、と流線の動きで、木獣達に襲いかからんと飛びかかるする走狗蟲達の間に紛れこむ。
このように機先を制したオーマ側だったが、ゴブリンが弾切れとなったため、トレント達をソルファイドに任せてル・ベリが砂浜へ踏み出す。
孔雀の羽のように力強く、大きく自分を見せるように触手を広げ――それを走狗蟲達の「足場」として提供する。
ヒットアンドアウェイが戦闘の基本となるランナー達にとって、森を抜けて砂浜へ出るというのは、多少なりとも不利になるものである。
なにより、砂に足を取られてジャンプ力が半減してしまうからである。
それを補うべく――デルタの後方に陣取ったル・ベリが、時に触手でランナーをすくい上げて放り込み、あるいは木獣を蹴って飛びのいたランナーを受け止める。
斯くして、狂ったような勢いで振り回す両腕で、木獣をへし折り吹き飛ばす螺旋獣を基点に、即席の抵抗陣形が完成する。
デルタの周囲を旋回するように、ランナー達がおおよそ1対1で脇から回り込もうとする木獣を牽制し、時に大胆に飛び込んで枝を切り折る。
爪と牙が幹と枝と激しくぶつかり合い――時折、視認することすら難しい神速の白刃が閃き、ランナー達の合間を縫って、かまいたちのように数体の木獣達の四肢を切り裂いていく。
一見すると「エイリアン」側が優勢であると、人間ならば考えるだろう。
リッケル子爵が【枝獣の種子核】に装填した眷属の名は【たわみし偽獣】。
あくまで木の枝葉や根が動物の姿を象るに過ぎない【偽獣】達は、胴を両断されようとも頭を粉砕されようとも、怯まない。
オーマがこの場にいれば、それは「痛覚」の無さによるものだろうと分析したであろう。さらに、偽獣達のへし折られた箇所の「枝」からは、芽とも根ともつかぬ根毛がわらわらと生え、元の「形」に戻ろうと再生を始めている。
もっとも、その速度自体は非常に遅いものだが。
だが、ル・ベリとデルタ、ゼータの指揮下、エイリアンの軍勢もまた、数合打ち合ううちに敵の「特性」を理解して対応を変化させる。
デルタは「粉砕」ではなく「腰断」を中心とした暴れ方に、ゼータは「脚」の付け根を切り飛ばして偽獣の歩行能力自体を奪う戦術に切り替える。
ル・ベリ自身も【伸縮筋】の伸びを最大限に活かし――後方から偽獣を文字通り一本釣りし、空中に放って触手で滅多打ちにする。
もし彼に怪力があれば、四肢触手で車裂きにすることもできただろうが。
そのような戦いの中――螺旋獣のデルタは、オーマ配下の他の"名持ち"達と同じように、己が「デルタ」であると、確かに認識をしていた。
同様に切り裂き蛇のゼータも、自らがまた、他の大多数の『同胞』達と等しく【創造主】によって生み出された末端の一つである、とも理解していた。
ル・ベリとソルファイドが全霊で闘う傍ら、デルタとゼータの中で、アルファらに先駆けて「芽生える」ものがあった。
個としての意思を種族技能【群体本能】に委ねた集団行動に埋没せる「名無し」達とは異なり。
また最初から「個」あるべしとして生み落とされたウーヌスら【副脳蟲】達とも異なり。
アルファの活発さをデルタは知っていたし、ゼータはベータのマイペースさを知っていたし、デルタはゼータの「趣味」を知っていた。
そして、同じく等しい創造主の眷属でありながらも、互いにそうした「差異」があることを、闘争を通してより強く認識していた。
挑発好きなゼータと怒りっぽいデルタという、元々争いがちであったこの2体が、共通の敵から主を護るためにエイリアン的連携を駆使していたことで――己らの"個"を客観視する視点を得たのである。
オーマの眷属たるエイリアン達は、それまでは【群体本能】によって大まかな連携が取られてきたに過ぎなかった。それでさえまるで一個の生き物を擬したような的確な連携であった。
が、しかし、そこにブレイン達が現れ、『エイリアン間の意識ネットワーク』とでも言うべきものが構築された。
"群にして群"たる「名無し」のエイリアン達。
"個にして群"たるウーヌスら副脳蟲達。
そして"群にして個"たる、アルファ以下7体の「名持ち」達。
彼らの意識が、【群体本能】という外形的な統一性でなく、オーマによって「エイリアン語」と表現されたより内的な「精神」ネットワークにおいて邂逅する、それをキッカケとして――つまりエイリアン同士の"会話"に晒される中で、7体の「名持ち」は、他の「名無し」のエイリアン達とは明白に異なる「己」を認識することとなる。
創造主たるオーマには予想すらできない形での「自我」が芽生えつつあった。
そして他の創造主が生み出した、己らとは全く「在り方」の異なる、他の迷宮の眷属達との闘争を通して、【眷属ネットワーク】により高度に連携する中で――デルタとゼータは、「名無し」のエイリアン達とは明確に異なる「自我」を芽生えさせる、その先陣を切った。
『ナンテシブトインダ。ヤルナ、新人クン』
木々の葉がさざめくような不快な"音"は、確かに人語であった。
その声を聞いて、ル・ベリは本能的な嫌悪感が湧き上がるのを感じ――戸惑い、そして確信する。
「リッケルか……ッ! 居るのか!?」
蹴散らせども蹴散らせども、砂浜を制圧した「林」による偽獣の「供給」と「破壊」のバランスはかろうじて均衡を保っていたが、偽獣を使役する者の意思が業を煮やしたようだった。
ひときわ大きな魔素・命素の流れが【果樹】達から吹き出す。
すると、砕かれあるいは腰断され実質戦闘不能となってゴミのように散らかっていた「偽獣」達が、束ねた木の枝が弾け散らばるように一度バラバラになる。
そして十数体分の「枝」が互いに寄り集まるようにして再構成し――ギリギリ、みしみしと生木を絞るような音を立てながら、より巨大な「獣」の姿を象っていく。
生み出されたるは【しなれる虚獣】。
枝と根と蔓を乱雑にまとめて縛り、絞り、圧着するほどの高密度となった「骨格」と重量を誇示するように見せつけながら、巨象の如き四足の『虚獣』が数体、ずしんと迫る。
「デカいな……雄ボアファント並の力はありそうだ」
その存在の気配の大きさにデルタが真っ先に反応、両腕を大きく広げて仁王立つ。
だが、【虚獣】は身長2.2メートルを越える螺旋獣よりもさらに、縦にも横にも奥にも1.5倍ほどの巨躯巨体を誇っている。
密度を限界まで突き詰めたような、丸太の完全上位互換とも言うべき質量兵器。
さらに大きな魔素と命素の気配が「林」に渦巻く。
いつの間にか、それまでの枝だか蔦だか根だかを乱雑に絞ったような「木の繊維」ではなく、青々しく瑞々しいまるで生肉のような質感で蠢く、非常に巨大な【果実】が生っていた。
そしてそれは、樹に生る「果実」というよりは――羽化を待つサナギのような肉々しさを以って鼓動していた。
「魔人! 頃合いだ、撤退するぞ!」
宿り木トレントを全て木炭に変えたソルファイドが、砂浜へ踏み出し大喝する。
だが、ル・ベリの反応が鈍い。
何かを確かめるように目をカッと見開いており、その視線の先に、ソルファイドもまた【果実】を見た。
果肉を裂き、果汁をぬらりと滴らせながら。
――まるで"人体"の構成要素を樹木の構成要素で置き換えたかのような造形の、人型の樹木の巨人が産声を上げたのであった。
それは若木を裂き、巨木を切り倒す時の"軋み"を思わせる、不快な雄叫びである。
他の【偽獣】達と比較してもひと目で分かるほど、その"樹木の巨人"は全身に瑞々しい青さを備えており――より質の良い「枝」や「根」や「蔦」で肉体が擬されていることがわかる。
「葉」によって皮膚を、「枝」によって筋肉を、
「蔓」によって神経を、「根」によって血管を。
人体と呼ぶべきあらゆる部位が"植物"によって構成されている様は、なんとしてでも「樹」によって「人体」を再現するという、悪魔的執念の賜物なのであろう。
そうであると確信させるほど、樹木の巨人は"人型"に近い存在。
それほどまでに、この【偽人】の動きは滑らかであったのだ。
「ヤァ、君ハ――りーでろっとノ息子ダネ? ヤット会エタネェ……」




