伯爵-0002 和解、腹芸、愛玩動物
【魔界】に存在する大陸【静寂なる腕】の南西部ハルラーシ地方。
その迷宮は、『流刑船』の出航地として知られる港町を一望できる位置の、切り立った崖壁にへばり付くように形成されていた。ちょうど崖の央に開いた"異界の裂け目"を囲み、覆い被さるように樹の幹で"編まれた"大きな籠状の迷宮。
この迷宮は名を【枝垂れる傷の巣】と言う。
ちょうど傷跡をカサブタで隠すかのように、遠目から見れば、どこぞの部族が木の枝で丁寧かつ丹念に編んだ「籠の蓋」が、崖の中腹から盛り上がるように見えるだろう。実際にはその一つ一つの「枝」は、太くて頑丈な「幹」とでも言える建材であり、崖をかなり広い範囲に渡って覆っている。
これこそ、ハルラーシ地方の『新興』伯爵テルミト伯の――元部下にして、下剋上を試みる者リッケル子爵の領域である。
"異界の裂け目"が、崖の奥の洞窟の深部などではなく、かなり表層に近い位置に存在しているため――リッケルの迷宮は、裂け目を周囲から"覆う"ように形成されている。
その設計思想は"防衛重視"。
自分自身や配下の魔人達にとって移動しづらい箇所も多いが、全ては【人体使い】テルミト伯を主敵とした構造に特化されている。特に、重量級の魔物である【踊り狂う五指】の侵入を避けるために、"腐れ根"によって意図的に崩れやすくした箇所も多く、迷宮領主の居所という意味での住み心地は最悪に近いものがあった。
だが、それも迷宮領主としては、最初から格上の【伯爵】を相手に防衛戦を繰り広げなければならなかったリッケルにとって、己の迷宮の方向性に関し選択肢が少なかったが故のことである。
ところで――話を崖から眺望できる"港町"に移せば、この世界における「都市」や「街」の発達に影響を与える、一つの重要な要素について述べることができる。
それはすなわち、魔人貴族達がそれぞれの創意工夫によって創り上げる「迷宮」の存在である。迷宮はそれ自体が独立した自己完結性と独自の形態の"迷宮経済"を構成するが、時にはその恩恵やおこぼれを求めるようにして、周囲に自然発生的に【迷宮都市】が形成されるのである。
無論、その地域の主要な政治権力を迷宮領主が握り、統治機構も迷宮それ自体へ集中する傾向が非常に強いという面もある。
迷宮領主と彼らが操る「迷宮の眷属」は、同じ【魔人】の民であろうとも、次元が異なるほど大きな差があり、故に人々は迷宮領主の庇護を求め、迷宮の周囲に集落を形成しがちだ。
だが、人が集まる場所には自然に物と情報が集まり、自然発生的な交易所が生まれる。そして、ここに迷宮からもたらされる特別な産物に恵まれた場合、それを目当てに行商人や旅人などが集まり、そうした物資の集積がさらに様々な人種を呼び寄せることで――【魔界】における一般的な【迷宮都市】が成立するのである。
こうした「都市」とそれが取り囲む「迷宮」との関係は、決して単純な主従関係に留まらない、様々に複雑な様相を呈することとなるのだが――【枝垂れる傷の巣】において、主たる子爵リッケルは無視黙殺という非常に静的な対応を取っていた。
その意味では、有望な港に向いた入り江が広がっており、港湾都市としての発展の余地が大きく有りながらも――魔界各地から時折送られてくる"流刑人"を最果て島へ運ぶ、単なる「流刑船の発着場」としてしか知られていないその場所は「港町」に留まるのみ。
「リーデロット……あぁ、愛しの君――僕の愛する大事な人」
病的なまでに青白い表情の男である。
長身だが白髪交じりの長髪は伸び放題で手入れがされておらず、彼が身だしなみに気を使わないタイプであることを雄弁に物語る。
見開かれた両瞳、げっそりとこけた頬など病的な印象の強いこの者こそ、【枝垂れる傷の巣】の主たるリッケル子爵である。
切り立った崖の一角、岩壁に背を寄りかからせ、沈みゆく黒陽――最果て島の方角を、見開かれた目で虚ろに見やるリッケル。その瞳は微動だにせず、瞬きすら無く、ただじぃっと海の彼方に向かって凝視されている。
再び「リーデロット」と口ずさみ、熱情とも絶望ともつかない震えるうめき声が上がる。ため息をつくようなか細い声には、様々な感情の入り混じった思慕の念が込められていた。
編まれた樹の幹の隙間から、海岸の切り立った崖を利用した「出入口」がいくつか顔をのぞかせているが、そのうちの一つ「ゴミ処理場」と名付けられた部屋――崖側に大きく開けており、足を踏み外せば転落する――にリッケルはいた。
何度か愛する女性の名を呟いた後、思い出したように懐から一つの加工魔石を取り出す。そして短く呪文を唱え――光魔法を応用した射影技術(作成者曰く)により、思慕を寄せる愛しきリーデロットの生き写しとしか言えない、魔人の青年の姿を再び目に焼き付けるように、じぃっと細部まで見つめ回す。
誰よりも"彼女"に詳しいと自認していたリッケルである。
その青年が誰の子か見抜くことなど、造作も無いことであった。
「まさか、生き延びていたなんて……ごめんよ、ごめんよう……」
うわ言のように呟きを繰り返すリッケル子爵の背後に、小さな気配が現れる。
魔素の流れを感じて、来訪者が何者なのかを悟り、リッケル子爵は振り返らずに一声かけた。
「やぁ、若様……じゃなかった、テルミト伯殿。今日も精が出るね……心配しなくても、この期に及んで大公閣下と通じているヒマなんて、僕には無いんだ……」
リッケル子爵の背後。
実質的な処刑場である「ゴミ処理場」の無骨な岩の天井と壁を――いくつもの「目玉」と「唇」と「耳」が這い回っていた。
いずれも【飛来する目玉】【這い寄る片耳】【蠢く唇】という名の、テルミト伯の偵察用の眷属達である。
先日の電撃的な"和解"劇により、あえて排除する必要性も無くなったため、好きに迷宮内を散策させている。それら人体の顔面のパーツの一部が乱雑に這いまわる様子は、まるで岩壁から顔が一部だけ生えかけているかのような気味の悪い光景を作り出していた。
あるいは、悪趣味極まりない福笑いであろうか。
ともあれ――そんな光景をわざわざ見る気はリッケル子爵には無かった。
『えぇ、えぇ、わかっていますとも……私にできることなら、いつでも"耳"に語りかけてください。必要な支援はいたしましょう――大公閣下からの支援も、私を通してですが、これまで通りにいたしますとも!』
10年以上に渡る長年の対立から溜まった恨みつらみなどおくびにも出さない、丁寧な声色だが――リッケル子爵にはテルミト伯が内心で腸が煮えくりかえる様が目に浮かぶようだった。
なにせ、結果としてリッケル子爵は独立したのであり、最低限の反乱目標は達せられたのだから。
かつての部下に「対等」の立場に立たれて、今どんな気持ちか――を嘲る余裕は、実は今のリッケル子爵にも無いのではあるが。
再び「リーデロット……」と、かつて自ら追放したはずの魔人の女性の名を繰り返し、テルミト伯の相手に身が入らない。
『それで、いつまでヒュドラと遊んでいるんです? 資源の無駄で、戦力の逐次投入じゃないですか、貴方らしくもない。今日までに海に投げ込んだ"木偶"どもを、一度に送れば、ヒュドラとて抜けるでしょう? 何を考えてるんですか』
「試したいことがあるんだけど……若様には、秘密だね」
『このクソ餓鬼が……おっと、失礼しました。全くどうしようもないですね、貴方は。今すぐにでも殺してさし上げたい』
「若様……いや、テルミト伯殿……この件が済んだら、あなたの"提案"に僕は乗ってあげる……それで、良いじゃないか?」
例の映像を記憶した加工魔石が送られてくると共に、テルミト伯から和解の提案があった。
奇しくも現在の戦況はリッケル子爵にやや天秤が傾いていたため――誰の目にも、ハルラーシ地方の有力者達には、意外な結末であったろう。
そしてこの「和解」の影で、仲介を務めたエッツォ伯とグウィネイト女伯の両名にすら知らせぬ形で、テルミト伯はリッケル子爵と秘密の会談を持った。
グェスベエレ大公の追い落とし。
おそらくテルミト伯からすれば、それは実質的なリッケル子爵の独立を認める代わりに、せめて協力してくれというものであろう。
あれだけ尻尾を振っておいて、よくもまぁ手のひらを返せるものだとリッケル子爵は呆れるが、同時にそれが「魔人貴族」の流儀であることは良く知っている。
かく言う彼も、グェスベエレ大公の後押しがあって、テルミト伯へ反旗を翻した経緯があるのだから。時勢が変われば手のひらは当たり前のようにひっくり返るし、旗向きも必然的に変わってしまう。
それに――「こう」なった原因の一つがグェスベエレ大公がリッケル子爵自身をそそのかしたことにあると、言えなくもない。その意味では、最果て島にいるであろう、リーデロッテの息子を"惑わす"何者かに対して「けじめ」をつけた後に、テルミト伯の提案に乗ってやるのも悪い話ではない。
『それが懸命です、長生きできますよ?』
「あははは……長生きだって? あはははは……! 貴方が僕にそれを言うだなんて、ゾッとしない、笑えない冗談だよ若様……冗句は相変わらず上達してないんだね?」
***
「身の程知らずめ」
【蠢く唇】を引っ込めさせ、呟きがリッケル子爵に聞こえないようにしてから、テルミト伯は毒づいた。
「目」と「耳」は相変わらずセットでリッケル子爵につかず離れず監視させているが――自身の迷宮の中に戻ったリッケル子爵が、テルミト伯の「目」も「耳」も入り込めない『執務室』に引きこもる。
そこは、木と枝でできた心臓とでも言えるような【施設】であり――【人体使い】たるテルミト伯の元部下であった影響が、その造形から見て取ることができた。
テルミト伯にとってはリッケル子爵が、この壊れた破綻者が、それでも己の元部下であったことを示す証のように見えて――非常に腹立たしいものであった。
「美しくない、独創性がない、たとえ模倣習作であったとしても思想が足りない……おのれ、大公の後ろ盾が無ければ、いの一番に焼き払ってやりたいところですが……」
テルミト伯にとって、リッケルは"試作品"は"試作品"であっても――それは先代の【人体使い】から引き継いだ、言わば"参考作品"に過ぎない。それでもまだ、忠実に部下として犬馬の労を厭わないでいた時代は懐かしくも感じたが……。
「こ……この私の"督戦隊"を喉元に突きつけられながら、全兵力を最果て島に投入、ですか。やる気があると見るべきか、それとも舐めてくれているんですかねぇ……そうですか、そうですか……この私にはわずか半分の戦力で引っ掻き回しておいて……」
ビキィ、と片手に持ったグラスが軋む。
「この期に及んで、まだ、大公が睨みを効かせていると考えているんですかねぇ? ――なんなら、ヤツが出払った後に、コロリと攻め落としてやっても良いんですよ? いや、足元を固めるという意味ではその方が」
ふつふつと独り言の声が、荒れるように大きくなっていく。
怒りのあまり――足元に転がせておいたストレス解消用の愛玩眷属たる【豚の尻】を全力で踏み潰す。「ピギィ!」という間抜けな音が部屋に響き渡るが、それが程よく怒りを刺激して、さらに連続で踏みつけ続ける。
だが、やはり飽きたらず、握りしめていたグラスにとうとうひびが入りかけるが――その時、凛とした鈴のような、得も言われぬ美しい透明なる極上の美声を、テルミト伯にかける者があった。
「伯爵様、どうか気をお鎮め下さい」
「今リッケルを攻めれば、それこそ大公に介入の口実を与えてしまいます」
「伯爵様、どうか気をお鎮め下さい」
左右から人形のように美麗な少年と少女が割って入る。
その、およそ人間の一生の中で最も美しいとされる性徴期前の朗らかで澄んだ声色に、テルミト伯は荒んだ心が慰められる気がして、やや冷静さを取り戻す。
「見苦しいところを見せましたね、エネム、ゼイレ……あぁ、それにしても貴方達のなんと完璧なことか……!」
美麗なる少年エネムと、可憐なる少女ゼイレ。
二人は、まだ二次性徴を迎える前の――純粋たる意味での生命の活力と瑞々しさを兼ね備えている。
「生殖」だとか、次世代の再生産だとかいう『不純』で『無用』な目的に、生命のエネルギーが浪費されることの無い、最も輝ける年齢に抑えられた少年少女。
彼らこそは【人体使い】の迷宮領主たるテルミト伯の「最高傑作」であり、リッケル去りし後の側近役を務める部下であった。
両腕に一人ずつを抱擁し、その「美しさ」を香りまで堪能してから、テルミト伯はようやく怒りを抑え込む。
「まぁ、お手並み拝見といきましょう。リッケルが勝てば、"領地替え"と強弁してヤツの本領を召し上げ、島に押し込める。大公閣下への言い訳などなんとでも。そして万が一、負けたならば――」
その先は皆まで言わず。
迷宮【肉と鎖の城】の『監視室』では、しばらくテルミト伯が己の「最高傑作」の二人を頬擦りする音が、静かに響き渡っていた。
すりすり。
すりすりすりすりすりすりすりすりすりすりすりすりすりすり。




