本編-0002 蟲?使い
【2日目】
右手を開いて地面に向け、意識を集中させる。
岩壁から染み出す青い光――【魔素】と、白い光――【命素】を手のひらに集めていくイメージ。
無心に集中し続けること10分ほど。
俺は二色の光を球の形に集めることに成功した。
さすがに7回も挑戦してれば、いい加減コツが掴めたってところかな。
ほっとしかけるが、すぐに余計な考えを振り払う。
この魔素と命素の混合物はとてもデリケートで、ちょっとでも集中が乱れて比率が崩れると、途端に霧散してしまうのだ。
だが、俺もこの新しい体の使い方にまぁまぁ慣れてきた。
いい加減、今度こそは成功させたい。
光の球は不安定に波打っていたが、徐々に真球に近づいていく。
比率は大体3:1ほどだから、青みがかなり強い。
"実験"を始めてから一番の出来だ。
だから俺は迷うことなく、さっき脳内に焼き付けられた知識を――俺の新しい『技能』を"実行"する。
「幼蟲の創生」
おそらく言葉にする必要はなかったろうが、気分と集中力の問題だ。
俺の宣言に合わせて、体の中から力がごっそり抜き取られる感覚。
初めての感覚にびっくりして思わず力が抜け、片膝をついてしまうが、光の球は今度は霧散したりはしなかった。
俺の手を離れ、地面に着地した光の球が、蠢きながら形を変化させていく。
かれこれ30秒。
そこには可愛らしい芋虫――などではなく、薄黄色い膜に覆われた縦長の卵が現れていた。
……は?
え、いや。
幼蟲を創生するって、まさか卵状態からっすか?
***
実験の成功から2時間ほど遡る。
結論から言うと、俺は人間を辞めた。いや、辞めさせられた。
例の小型ラミ◯ルみたいな青い結晶は、それが何なのかかも含めて、この世界に関する最低限の情報を俺に与えてくれた。
端折りながらまとめると、こんな感じだ。
この世界は「魔界」と「人界」に分かれた世界であり、地球出身の俺からすりゃいわゆる"異世界"である。
なんで"異世界"なのにさらに2つの世界に分かれているかというと、簡単に言えば、過去に「人界vs魔界」みたいな大戦争があって――その余波で両界を繋ぐ『異界の裂け目』が無数に生まれたとかなんとか。そのもっと前に何があったのか、という部分になると途端に知識が怪しくなってくるわけだが、どうにも「神々」と呼ばれる存在も関わっているらしい。
神々ねぇ……。
善良なる無神論者民族の一人であったこの俺だ。
いきなり全身を改造されたり、わけのわからない知識だの、昆虫生成能力だのを与えられなければ、にわかには信じられなかったところだ。
そして、俺が目を覚ました洞窟もそんな「裂け目」に繋がっているようだ。
まだ十分に探索してないから、どの道がどっち側へ続いてるかはわからんが、ひとまず今いるのは【魔界】側の洞窟の中。
つまり、どこかの道の先にある「裂け目」は――【人界】側へ続く道である、というわけである。
俺の変化の現況たる、例の青い結晶は【迷宮核】という存在だ。
【魔界】側の「裂け目」付近に設置される装置であり、【迷宮】という名の砦を産み出す神秘的存在。先ほど述べた【大戦】で【人界】へ攻め込む入り口として利用されたらしいが、今では逆に人界からの侵入を防ぐ砦となっているらしい。
【黒き神】とも呼ばれる魔界の創造神様とやらが、こうした新しい迷宮核を生み出しているとかなんとか。
そして魔界の統治者である【魔王】に神託を与え、魔王は砦の防衛責任者である【迷宮領主】を任命して派遣するシステム……らしいのだけれども、かつての大敗北で【魔王】サマの権勢はどん底に落ちているらしく、500年ほど前からずうっと戦国時代。
とてもじゃないが、組織だって人界に再侵攻するような状況にはないらしく、任命されたヤツが迷宮領主に無事なれるとも限らないほどのカオス情勢。
生き馬の目どころか耳・鼻・舌まで抜かれてしまうような、謀反あり下克上あり騙し討ちありの何でもありな大乱世状態だからな。
そんで、俺はどうなったかというと。
「情報閲覧:対象俺」
脳内に使い方ごと直接ぶち込まれた『技能』の一つを実行する。
例のごとく、こいつは"魔法"とは異なるから詠唱する必要なんてないのだが、気分の問題で以下略。宣言すると、わずかな眩暈とともに、俺の視界にまるでパソコンのウィンドウみたいな半透明な画面が表れた。
【基本情報】
名称:未設定
種族:魔人族
職業:迷宮領主(融合型)
爵位:准男爵
位階:1
HP:70/70
MP:49/50
保有魔素:100/100
保有命素:100/100
【スキル】~簡易表示
(種族技能)
・強靭なる精神:壱(1)
・魔法適性:壱(1)
・魔素吸収:壱(1)
(職業技能)
・情報閲覧(弱):壱(1)
・魔素操作:壱(1)
・命素操作:壱(1)
(固有技能)
・体内時計:伍(5)(MAX)
・幼蟲の創生:壱(1)
・因子の解析:壱(1)
・因子の注入:壱(1)
【称号】
『客人』『蟲?使い』
「……」
いろいろ言いたいことはあるが"蟲?"て何だよ"蟲?"て。
――まぁいいや。
とにかく、俺はいつの間にか人間辞めさせられていた。
気を失う前の激痛はそういうことのようだ。そうか、俺はショ◯カーに捕らわれたのか……だいぶ過激な改造能力だが。
確かに、言われてみれば心臓のあたりに、俺と融合した【迷宮核】の存在を感じる。こんなもん人間の体に直接埋め込んだら絶対危ない気がする――だから種族ごと、改造されたってか?
ステータスについてはちょっと突っ込みどころが多すぎるので今はパス。
でも『詳細表示』に切り替える機能があることが直感的には分かったから、ちょっと好奇心が疼いてそれを実行してみたところ――。
待て待て待て待て待て!?
情報過多だ!
知るかこんなもん!
相手にしてられるか!?
俺はスパム広告の如く次々に表示された3つのウィンドウを全部、右上の×マークを即押して全部非表示にして、スキル表示を「簡易表示」に戻した。
ってかなんでこんなパソコンのアプリケーションみたいなデジタリックな表示なんだよとか、突っ込みどころが増えたんだが、それも考えるのは後回しだ。
……おほん。
気を取り直して、まずは、自分自身の体をいろいろ確認してみる。
パッと見て目立った変化は無かった。ウィンドブレーカー着たままだし。
角かなんか生えてるかと思って自分の頭を撫で回すが、そういう変化も無し。尻尾とか翼とかも無し。
知識によれば【魔人族】には「そういう異形」も存在するらしいが……。
ひょっとしたら眼の色とかは変化してるかもしれないが、鏡になるようなものがないので今は確認のしようがない。
だが、気分はなんだか最高で、体の奥から力が溢れてくるような高揚感があった。
人間――だった時代は、結構不健康な生活を送っていたはずなんだがねぇ。
種族が物騒なものに変わったせいか、はたまた心臓の辺りに融合した迷宮核が、なんか血以外のヤバい物質を体中に送っているせいか。
ステータスからも明らかな通り、俺は【融合型】の迷宮領主となったようだ。
もちろん【分離型】という、迷宮領主と迷宮核が分かれたタイプも存在する。というより、そっちが大半のようで俺みたいなのは非常に珍しい、というかほぼ皆無らしい。
何を基準にそうなったのか、迷宮核からの最低限の情報ではわからなかった。
とりあえず今の俺は「生けるダンジョン」とでも言うべき存在と化していた――芋虫の卵しか生み出せないハリボテだが。
融合型であることのメリットは何だろうな。
自由に移動できるってところかな?
「知識」によれば【迷宮核】を破壊されたら迷宮としての機能は失われるし、迷宮領主も死ぬ。奪われても基本的には死ぬ……奪い合いのための魔界戦国時代みたいなところもあるようだが。
まぁ、単純に分離型迷宮には弱点が二つあって、どっちも守らなければならないわけだから、それだけ融合型はフットワークが軽いとも言える。上位互換のようにも聞こえるが……これ以上の知識はどれだけ探しても存在しなかった。
まぁ、気になるところはいろいろ実験しながら確かめるしかないだろうな。
本当に最低限の情報しか、迷宮核の「知識」からは得られなかったのだから。
いや、それすらもいろいろ偏った情報なんだが……今は関係無い「知識」は全部しまっておこう。
……精神的にすっかり順応している自分に軽く驚く。
脳みそいじくられたせいなのか――それとも種族スキル【強靭なる精神】の影響なのか。技能の名前の隣にある【壱】という数字も気になる。なんだかゲームじみた世界だぁな。
「まぁ、生まれ変わってしまったものはしょうがないか」
このファンタジックな世界で新しい人生をどう生きるにせよ、まずは何ができるようになったか、確かめる必要があるだろう。
それで、話は冒頭に戻るわけだ。
***
手のひら大の「卵」を前に、俺は戸惑っていた。
RPGゲームなんかで"ダンジョンマスター"と言えば、ポイントだか魔力だかを消費してモンスターを直接召喚する、というのが定番だ。
実際、固有技能には「幼蟲」を「創生」だなんてって書いてあったわけだし、序盤の最弱モンスター枠の芋虫かなんかが生まれるものとすっかり思い込んでいた。
だが、目の前には孵化する気配なんぞ一切無いんじゃあないかという、卵。
ただ、ひたすら卵。
と、身体に疲労を感じたので【情報閲覧:弱】で自分のステータスを確認すると、
MP:39/50
保有魔素:76/100
保有命素:96/100
となっていた。
ほう?
無より有は生まれぬのが理というもの。
曰く、"魔素"と"命素"は、迷宮で何かを産み出す時に消費するエネルギーみたいなもので、『異界の裂け目』はそれらが集まりやすい「脈」のようなものだ。
まぁ、そうじゃなきゃ迷宮なんて仕組みは成り立たないんだろうけれどさ。
だが、この疲労の正体は、どうも【幼蟲の創生】で消耗したMPが原因くさい。
成功した時に体から力が抜ける感じがしたわけだが……魔素と命素を材料にするのとは別に、たとえば種火みたいな感じで俺のMPが必要だったとか、そんな感じだろうかね?
んむ、今はまだわからんな。
で、多いのか少ないのか分からないが、魔素と命素をたっぷり注ぎ込んだ「卵」は、あれから1時間ばかり経とうと言うのに、まったく変化が無い。
俺はあぐらをかいてぼうっと気長に待っていたが、ちょっと心配になってきた。
「まさか、栄養が必要とかじゃないだろうな?」
閃くと同時に嫌な予感でもある。
え、そんな面倒くさいシステムなの?
いや、いや、待て。
ゲーム脳はいかんなこらだから。
非現実的な異世界転移ではあるが、「この世界」が独自の法則を持ったごく普通の「現実」であると考えれば、むしろ当然のことなんじゃないか……?
試しに、もっかい手のひらに魔素と命素を集中させる。
それから「ステータス画面」を開いたままにしていると、保有している魔素・命素がゆっくり減り出すのが見れた。
「お、こうすりゃわかりやすいな」
5分ほどかけて、手のひらに魔素20命素20ほど集める。
それとは別に俺の「保有分」の魔素と命素だが――どうも、そこら辺の岩壁から溢れている分を自動的に吸収しているようで、大体1時間で10ほど回復するペースであった。
その一方で、MPの回復は観察していると1時間あたり6ほどのペース。
HPは……どうだろうな。痛い思いしないと実験できなさそうな予感がするから、またいずれ。
そうそう、時計もは無いが、今の俺にはほぼ正確に時間が分かる。
固有技能の【体内時計】のせいだろうけど。技能ランクが『MAX』とかになってるし。
ともあれ、これ以上じっと待つのも飽きた。
ここは奮発して一気に成長させてやろう!
俺は手のひらの中の魔素・命素を一気に卵の中へ注ぎこむ――
バシャッ!
薄膜が弾け中身の黄色い液体が辺りに飛び散った。
それをおもいっきり体に浴びたまま、俺は硬直する。
「……は?」
卵は綺麗に弾け飛んでいた。
「……は?」
***
――結局それから試行錯誤することさらに5回。
失敗したら魔素・命素を練って卵を作るところからやり直し。
卵1個作るのに魔素が30も必要だったから、自動回復する時間だけでも3時間かかった。
なんとまぁ、いつの間にか半日以上が経過したわけだ!
だが疲れを知らないこの体、腹もあまり減っていない。
どうやらエネルギー効率が良くなっているのか、はたまた魔素・命素を栄養に変えていたりするのか、まだまだ我慢できるなという程度でしかない。
まぁそれだけ時間をかけた甲斐あってか、コツがつかめてきた。
どうやら注ぎこむ魔素・命素の適切な比率も考えなきゃいけない。
それと、注ぎこむ量だけじゃなくて、ペース配分も重要らしい。
あまり勢い良く入れすぎると風船みたいに破裂する。
何度も黄液まみれになりつつ、俺は最適な比率をようやく発見した。
魔素10命素30、これを1時間かけてじっくりと注ぎこむのだ。
なんのことはない、卵を作った時と逆の比率だった。
つまり幼蟲一体を産み出すのに、合計で魔素・命素40ずつ必要だというわけだ……成功すれば、それで確定。
まぁ実際には1時間で10ずつ回復しているわけだから、保有魔素・命素ベースだと、卵1個あたりの実質消費は魔素30命素30だが。
卵はゆっくりと成長し、やがて人間の赤ん坊大の大きさまで育っていく。
薄膜の中で、黄色い液体が少しずつ粘度増し、濃い部分と薄い部分、硬い部分と柔らかい部分に分かれていきながら、徐々に芋虫みたいな形をかたどっていく。
これで完成だ、と思って魔素・命素の注入を断ち、また弾け飛ばしたのが前回の挑戦結果(半ギレ)。
どうやら一度注入を始めたら、途中でやめてはいけないらしい。
魔素・命素をいくら無駄にしたことか。別に周囲から吸入して自動回復しているから気にならないんだけども、時間がかかるからなぁ。
そういえば、周囲から自動吸収している魔素と命素は枯渇したりするんだろうか。だとしたらちょっと無駄使いしてるのが怖いが。
でも最序盤のモンスターだろうし、コストはそれほど重くはないと思いたい……それもゲーム的思考? マジでなんなんだろうね、この仕組みは。
などと考えているうちに、卵の中からは黄色みがすっかり無くなっていた。
完全に形が固まったのか、薄膜の向こう側で、黒い芋虫がもぞもぞと蠢いていた。
魔素・命素の注入は自動的に途切れ、これ以上注ぎ込もうとしても霧散してしまう。
つまり、今度こそ成功ってわけだ。
不思議な達成感があった。
俺は雛を見守る親鳥のような心持ちで芋虫の孵化を見守る。
さぁ! 諦めんなお前、もう少しだ、頑張って殻を破って出てくるんだ!
べりっ。
薄膜を食い破りながら、人間の赤ん坊大の芋虫が這い出す――でけぇな、おい。
フォルムは蝶の幼虫ぽい。
ぶにぶにとゴムみたいな無数の肢をもぞもぞさせながら卵の周囲を徘徊し、そいつは、やがて卵の殻をもしゃもしゃと食い始めた。
うん。
しばらく観察していたが、冷静に、こいつは、まぁ、控えめに言っても、ちょおっとキモいんじゃないかな?
初めて産んだ我が子のようなものなんだろうが。
別にお腹は痛めてはいないんだけどさぁ……。
愛着とキモさの間で揺れる俺。
仕方ないだろ、想像してしまうんだよ。
間違えて踏み潰して――体液を「ぐちゅぶしゃあ」と撒き散らしそうなところを。
ちょっと背筋がぞわぞわした。
『――【強靭なる精神】が弐に上昇しました――』
「what's!?」
なんだそれは! 何が起きた?
どうやらこんなことで、俺のグロ耐性が上昇したらしい。
え、この世界の【技能】ってそういう仕組なのかよ?
おかげで芋虫が可愛く見え、るようになったわけじゃないが。
さっきよりは気持ち悪い想像力に耐えられるようになった気がするが……なんか納得できねぇぞ。
「で?」
答えるはずがないとわかってて芋虫に問いかける俺。
実験の目的をおさらいする。
この新しい体と環境で、俺はどんなことができるかだ。
「……これだけっすか」
芋虫を一匹、何時間かかけてようやく生み出しただけ。
グロ耐性以外に何か能力が上がった気配も無し。
新しい眷属を作成できるようになったとかでも無し。
次はどうしましょうかね。
俺は軽くため息をついた。