本編-0031 思案する伯爵と物憂う男爵
「あり得ない! そんなはずは、絶対に無い!!」
絶叫にも等しい怒声が【肉と鎖の城】の地下施設たる『性能試験室』で響いた。
心ゆくまで研究を続け英気を回復したテルミト伯だったが――竜人ソルファイドの「目」を通して垂れ幕に映し出される光景を、憮然とした表情と眺めていた。
その鬼気は部屋の外にも伝わったようで、今しがた中へ入ろうとしていた年若い二人の部下が、扉の外で顔を見合わせる。天使のような美少年と美少女であったが――二人は同時に肩をすくめ、踵を返して戻っていく。
テルミト伯が見ている『映像』に話を戻そう。
地面に倒れているらしきソルファイドの目に映るのは、見下ろす異装の魔人。
その背後の洞窟と思しき岩肌からは、魔素と命素が青と白の淡い光となって明滅しており、迷宮であることを示していた。
これほどまでに魔素と命素が溢れ出ているダンジョンもまた、珍しいものであり、テルミト伯はその経験と知識の中から、どういうタイプの迷宮かを推測し始めている、その矢先の闖入者であった。
さらに……竜人が目を閉じてしまう前に、一瞬だけ映ったもう一人の「魔人」。
その姿を見てテルミト伯はもう一度絶叫した。
だが、今度の絶叫は怒りからではなく、狼狽からのものだった。
「リーデロットだと!? ……いや、その息子、か?」
異装の魔人も不気味で不愉快だが、その傍らに侍者としてはべる魔人の顔立ちに覚えがあったのだ。
リッケル子爵のメイドであった女性であり、20年前の『余興』で主役とさせられた哀れで滑稽な者にして、リッケル子爵が野心を覚えテルミト伯に抗争を仕掛けてきた原因の一人。
「馬鹿な……有り得ない! まさか、リッケルとの間の……!?」
絶対にそれは有り得ない、という確信がテルミト伯の中にはあった。
なぜならば、リーデロットという名の魔人の女性も、リッケル子爵もまた、彼の作品の一つであったのだから。
先ほど部屋の外から中の様子を読んで、主に余計な刺激を与えぬよう一旦引き返した二人の「最高傑作」に至る「試作品」であったのだから。
かつてのリッケルの裏切りにテルミト伯は思いを巡らせる。
恋だ愛だのという伯には納得できない理由で行われた裏切りだったが――軍資金を得るため、あるいはグエスベェレ大公の歓心を買うために、その「愛した女」をあんな良い趣味の『余興』に放り込んだリッケルの行動は、もはや納得ではなく理解すらできないものだった。
流刑船内の死の遊戯。
凄惨な生への足掻きの最後の勝者でさえ――結局はヒュドラに喰われてしまうというオチは、嗜虐的なるグエスベェレ大公には大受けだったらしいが。
天文学的な確率を仮に乗り越えて、リーデロットが島へ流れ着いたとしよう。
さらに天文学的な確率を経て、「試作品」であったリーデロットに子が生まれたとしよう。
……彼女の血筋が迷宮領主となることはあり得ないはずなのだ。
大体、そもそもの話、リーデロットが流刑になる前後20年ほどで魔人族の男なんぞ流されてはいない。
また、好きこのんでヒュドラの縄張りを押し通り最果ての島へ行く愚か者もいるわけがない。
神々の兵器であったとされる【竜】のうち、古代種は【人界】に空前の"帝国"を築いて繁栄し、滅んでいったが――その過程で多くの【亜竜】が【魔界】へ落ち延びてきた。その力は、侯爵以上の上級爵であろうとけして侮ることのできるものではない。
「役立たずの化石めが! 肝心なところで目を閉じやがって……次に遭ったら標本にしてやる!」
冷静さを欠きつつ、動揺しながらもテルミト伯は考察を続ける。
仮にあの異装の男がリーデロットとの間に子をもうけたとして――それでは、年齢の計算が合わないのだ。
「人体」への造詣が深いテルミト伯の目から見て、「リーデロットの息子」は魔人としても明らかに若すぎた。
それに……。
「あの年齢で【異形】が開花しているのですか……」
「息子」が背中に蓄えたるは、なんとも立派な【触手】の異形であった。
そしてそれは、最悪の展開であることを濃厚に裏付ける証拠だ。
"眷属"や"配下"の「眠れる才能」を引き出す力は、定命の者においては、テルミト伯の知る限り【迷宮領主】以外には存在しない。
つまり、隣の異装の青年がやった、そう考えるのが一番しっくり来るのだ――が、どうやって?
「よくも私の迷宮核を……横取りしやがって! 返せ、私のだぞ!?」
【最果て島】の迷宮としての領域規模は、せいぜい男爵級か上級男爵級。
外的な要因無しには、どうあがいても子爵級に達するものではない。
ならば異装の男が迷宮核の盗人であるとして、成り立ての"新人"に過ぎない彼の実力もまた、男爵級か、せいぜいが上級男爵止まりのはず。
だというのに――伯爵たる自分ですら、未だ解読できていない秘奥義を、一体どうやって知ったというのか?
無論、常識的に考えれば「誰かに伝授された」ということを意味しているが、テルミト伯はすぐにはそのことを認めたくはなかった。彼の脳裏には、元部下であったリッケルが【樹木使い】としての力を"開花"した時のことがよぎっていた。
『あの時』の黒幕は、結局グエスベェレ大公であったわけだが――ならば、このどこから湧いてきたかもわからぬ不愉快な笑みを口の端に浮かべている馬の骨も、そうなのであろうか?
「何者なんでしょうね、こいつは」
まさか、もう一人のリーデロットの子、などということはあるまい、どう見ても齢20代半ばを超えている。
ならば、現実的に他に考えられる可能性としては――。
「人界側からの侵入者……、いや、経由者という線がありますか」
落ち着きを徐々に取り戻して、テルミト伯の口調が元に戻る。
"後援者"がさすがにグエスベェレ大公であるはずは、無い。
もしそうであれば、全ての前提が狂う。そうすると他のいずれかの貴族の手駒であり――神をも恐れぬ掟破りな所業ながら"裂け目"を越えて【人界】へ派遣され、そちら側から最果て島入りしたとでも?
だが、この場合、深刻な疑問が生じる。
テルミト伯以外に『最果て島』に異界の裂け目が生まれ迷宮核が生み出されたことを知る者は、魔界では一人しかいない、はずだ。
何を隠さんや、それは【魔界】の"神"の神託を第一に受け取る権能を与えられた存在たる【魔王】その人に他ならない。そして、テルミト伯に「最果て島の迷宮核を手に入れよ、昇爵せよ」と命じたのも【魔王】その人であるのだから。
これがグエスベェレ大公を除外できる最大の理由である。
そしてこの時、"新人"が誰の紐付きでもない全くの偶然によって流れ着いた者である、という可能性はテルミト伯の頭の中からは完全に排除されていた。
あの馬の骨は魔王自身の"別"の手駒か?
はたまた、魔王が他の上級貴族に最果て島のことを教えたか?
いずれが事実にせよ、テルミト伯と魔王の関係に決定的な亀裂が生まれる。
自身の行動を棚に上げて、テルミト伯は一方的に【魔王】への疑念を深めていた。
(まさか――大公に取り入っているのが、バレた? どこかから情報が漏れたとでも……?!)
テルミト伯に最果ての島を取らせて『上級伯』とし、ゆくゆくは『侯爵』としてグェスベエレ大公への対抗札を一枚増やす。それが、ハルラーシ地方における魔王の戦略であり、テルミト伯はそれに乗りつつも二人の権力者を天秤にかけていた。
両者から支援を得て力を蓄える、という綱渡りをしていたのである。
――そんな危ない橋でもあえて渡らなければ、『新興派』と呼ばれる迷宮領主達の"集い"の中で、頭一つ飛び抜けるのは難しい。
もし魔王が裏切りに気付いていた場合、自分は大公からも切り捨てられるだろう。いや、最悪の場合討伐軍を起こされる可能性も高い。
危機感から頭をフル回転させ、テルミト伯は打開策を考えついた。
あまり美しい方法ではなく、また彼のプライドを酷く傷つけるものであったが――背に腹は代えられず、やむを得ないと決断した。
「こんなにも早く、これを試すことになるとは、皮肉なものですね」
先ほどまでの研究成果を、早くも活用することになった。
映像を記録として保存するには至らなかったが、切り出した光景を、まるで絵画のように魔石上に映し出す仕組みの開発には、成功したのである。
試作品に早速転写したのは、ソルファイドの目に映った「リーデロット」の息子。
これをリッケル子爵へ送りつけるのだ。
かくなる上は、彼奴の"妄執"を上手く利用してやる他はない。
『新興派』たるテルミト伯には、侯爵より上の歴史ある魔人貴族達が持つような、多くの有能な手駒を欠いていた――たとえ裏切り者の元部下であっても、利用できる機会を捉えたら利用しなければならない。
実質、独立という"下克上の目的"は達成させてやるため、外交的には敗北目が強いが、それも仕方がない。しかし、生き馬の目も舌も耳も抜かれる【魔界】の一領主の冷徹なる計算としては――グエスベェレ大公とリッケル子爵を切り離す、妙手でもあると思えるから、テルミト伯は顔を渋くするのである。
改めて部下を呼び出す用の呼び鈴を鳴らし、伯は呼吸を整え始めた。
「……癒やしが必要ですね。気持ちを切り替えなければ……」
***
ソルファイドを取り敢えず「洗礼」代わりに【抽出臓】にぶち込んでおいて、ル・ベリを下がらせた後、司令室の椅子の上にどっかと座って俺は頬杖ついて宙を眺めていた。
俺は考えないヤツが嫌いだ。
考えることを放棄して、何か大きなものに自分を任せてしまうようなヤツらが、嫌いだ。
大きなものというのは……大義でも、役割でも、歴史でも、概念でも宗教でも、とにかく何でも良い。そういう思考放棄野郎どもは、感情の昂ぶりによって簡単に命を捨てられる。
何か"大きなもの"の一部となって、個々の存在や生への執着を失う、とかいう崇高さに酔っているのだ。
まぁ、内心の自由という意味から言えば、結果的に身を任せることを選ぶという者の決断まで批判する気はないのだが――せめて、自分なりにいろいろ調べて、比較して、判断して、考えた後にそうする、というのでなければ何のための「人間」だろうか?
何のために、こんな、余計なことをあれこれ考える脳みそを与えられたのか?
そういう意味では、あの竜人ソルファイドには滅茶苦茶苛立っていたのは事実だ。
あれならまだ……侵入してきた当初のギラギラと感情をむき出しにしていた時の方が、まだ配下にしてみたいという魅力があったもんだね。
だが――。
「【竜の憤怒】ねぇ……」
人間に近づこうとして、それでも近づききれない【竜】の血統の呪いとも言うべき技能。
そういうもんだと俺は解釈した。
脳裏に焼き付いた「スキル」の個別の詳細説明の文章を思い出す。
【竜の憤怒】
竜の系譜にある者が発動する特殊強化技能。発動時には一定時間ごとに一定量の感情点を消費し、それを全能力へのボーナスに転換するが、発動後は感情点を消費し切るまで効果が切れることはない。
効果は非常に強力で、即戦力という意味ではこれ以上無いほどのものである。
「感情点」というくくりがやや大雑把だが――まぁ言わんとすることはわかる。ソルファイドが実際にどうなったかを考えれば、その副作用の反動は非常にヤバいものであることもわかる。
多用すれば、また別の意味で廃人となり、「道具」と化してしまうのだろう。
俺は、自分自身の中で「矛盾」……というほどではないが、相反する二つの方針を、うまく折り合い付ける必要性を感じていた。
ル・ベリの改造の時に、心の底無意識では多分気づいていたことだが――、
完全な効率厨と化すならば、実はル・ベリにせよソルファイドにせよ、「道具」にしてしまった方が楽なのである。
それこそ眷属たる「エイリアン」達と同じように、彼らの「人性」を否定して、俺という「大きなもの」の意思を受けて動く無数の手足の一つに変えてしまうのが……俺の【エイリアン使い】という称号とも合っている。
だが、俺自身がどうか、どうなっていくかはともかくとして、
少なくともあの二人は「人」なのだ。
なんだかんだで、俺はあの竜人に無関心でいられなくなってしまったのだ。
半異系統の魔人の時と同じである。
――不幸の形は人それぞれ、というのはどこの文豪の言葉であったろうか。
それぞれの抱えてきたものに対して、生き足掻く「生の活力」に、俺はどうしようもなく惹かれてしまう。それを、エイリアン的な"端末"の一部として道具に堕させてしまうのは、とてもとても、もったいないことじゃあないか。
少なくともソルファイドに関して言えば――「観察」していた時の、ヤツのギラギラした感情をもう一度見てみたいし、復讐を遂げた後にどのような道を選ぶのか、興味があるのである。
「拠り所が無いのは、むしろ俺の方なんだよねぇ……」
脈絡無く終わった「人間」としての生。
経緯もわからず始まった「魔人族」「迷宮領主」としての生。
少なくとも何をすれば良いかがわかっていた、ソルファイドの背景は、俺にとっては羨ましいものだった。
だから、それを自ら放棄して満足せし豚に進んでなろうなどとは、絶対に許してはやらない、と決めたのだ。
ひとまず「物質」として預かった『火竜骨の剣』の二振りを無造作に振りながら、取り留めもなく俺はそんなことを考えていた。




