本編-0026 ゴブリン島の老野心家と迎撃態勢
シャガル氏族の老ゴブィザードであるブエ・セジャルは己の幸運に狂喜していた。
人並み――いや、ゴブリン並を外れて野心の塊であった彼は、不運なことに筋力の無い弱い個体であり、氏族内での出世は絶望的であった。
が、幸か不幸かゴブィザードとしての素質はあり、厳しく残酷な師匠の下で修行を積むことになる。
とはいえゴブリンの魔法修行などは実質奴隷扱いと同義であり、力の弱った師匠を事故に見せかけて殺すまで、彼はずっと日陰者として生きねばならなかった。
そうしてシャガル氏族の『祭司』の地位についてからは、全てが順調だった。
ゴブリンにしては珍しくまともな魔法と占術を行うことができるブエは権勢を高め、自分と弟子達の発言権の増大に努め、氏族長の一族に次ぐ勢力となったのである。
だが、彼の野心は、老境に入っても衰えるということを知らなかった。
ある時、他氏族からの逃亡者を受け入れたことをきっかけに、島内他の10氏族にまで勢力を広げる方法を思いついたのである。
それは弟子をわざと「追放」して他氏族へ潜りこませるというもの。
弟子がそこで勢力を築ければ良し。築けなくとも監視役となれば攻め時を氏族長へ進言しやすくなるというもの。
斯くして何氏族かで「追放者」が受け入れられ、それなりの序列になった。
そんな中で『竜神の使徒』が現れた。
生きている間にはこれ以上の権勢拡大はできないのではないか、と焦っていた矢先のことである。
おまけに愚かにも使徒へ襲いかかった氏族長一族の成年男子が皆返り討ちに遭い、シャガル氏族の指導権を自分が実質握ることができるようになった。
『竜神の使徒』を旗印としてブエ・ゼジャルは各氏族の弟子達に連絡し、馳せ参じるように伝えた。
雄として生まれ落ちて、ここが一生で最大の勝負時だと感じたのである。
師匠を殺した時以上の興奮と高揚があった。
先日には、積年の怨敵であるレレー氏族とムウド氏族が相争ったようで、互いに傷が深すぎたのか、不気味なほどに縄張りへの侵入が減っている。
2氏族の撃滅と略奪を餌にゴブリン諸氏族を連合し、『竜神の使徒』の圧倒的な暴力でもって彼らを押さえつけ、弟子達の後ろ盾とすることで――彼らを通し、実質的には自分が『最高祭司』となり、この島を統治する。
幸福な想像を現実のものとすべく、ブエは老骨に鞭打って精力的に暗躍する。
***
【27日目】
結論から言えば、俺はブエ=セジャルという名の老ゴブィザードの思惑なんぞ、かなり早い段階で把握していた。
それもこれも、2氏族を殲滅して勢力圏を広げ、アルファ以下"名付き"達各班の働きによるものである。特に、デルタ麾下の走狗蟲機動偵察分隊とゼータ班の隠身蛇の連携による情報収集が大きい。
ゼータ達は長時間、何日でもジっと各氏族の集落や主な獣道、狩場や水場といった要所を観察することができたため、9氏族の大まかな位置や、大体の個体数などを割り出すことに成功していた。
ざっと地図にすると、こんな感じか。
最果て島はそれ自体は、一口齧られた歪なビスケットみたいな形をしていて、ちょうど齧られた部分が北側の入江である。ささやかな海岸を形成しており、俺の洞窟の出口から海までの直線距離が10kmほど。
で、俺の迷宮は島の中心からやや南東の位置にある。
標高30~40メートル程度の岩の丘に対して、島を覆う森は最大で20メートル級の高さの木も多く、絡みあう樹冠が空の道を形成している。必ずしも上空から、地肌や島自体の地形は見下ろすだけでは把握できなかったが、一方でこの「樹冠の枝道」を通ることでゴブリンどもにほとんど注意されることなく各地にランナー達を派遣することができた。
懸念された葉隠れ狼との衝突も、今のところ起きていない。
というのも、ちょっと地図を見てくれれば分かるだろうが、島の南西に古樹地帯があり、そこが狼達の根拠たる縄張りであることがわかったからだ。なので、基本的にはそちら側に追いやり、圧迫するようにしている。
島全体のゴブリン勢力図についても、やはり島の西側は葉隠れ狼による強襲を避けてか、比較的大きな氏族が点在するのみであり、ゴブリン人口の多くは東側でひしめき合っていた。
こちら側は小競り合いも多く、狩猟隊を襲撃したり拉致したりしても気づかれないことが大きく、少しずつ捕虜を獲得したり、氏族間でゴブリンの生態や生物学的特徴が異なるかどうかなどを、つい先日まで『研究室』で実験していたところだ。
俺はというと、旧レレー氏族の縄張りと旧ムウド氏族の縄張りの二つを押さえ、ひとまず北側の入江までの領域を確保した。
綺麗な小川で小魚が採れるのと「跳ね山羊」や「迷彩鹿」の群れの通り道、そしてご存知ボアファントの生息地にまたがっている。
ただし、多頭竜が、気まぐれに海岸近くまでやって来ることがあるせいで、海岸を気ままに散策というのはまだできない。
同じ理由でかは知らないが、ゴブリン達も同じ条件のようで、森を抜けた海岸側までは縄張りが広がっている氏族は少ない……それでも、数日に一回はゴブリンが食われているようだが。
どうやら、ヒュドラに食わせるというのは、島内の多くの氏族に共通した処刑方法の一つであるらしい――なるほどな。
だからこその『竜神』信仰ってわけだ。
そう、ゴブリン達の間には原始的な宗教とも言えるような形で、ヒュドラ信仰が生まれているのである。だから、祭司なんていう役職の連中が存在するんだろう。
それと、ル・ベリに聞けば"海憑き"という現象もあるようだ。
ヒュドラの重低音の海鳴りみたいな咆哮を聞いた時に、稀に我を失った錯乱ゴブリンが海に向かって飛び出していき、そのままヒュドラの腹に収まるのだという。まぁ、そういったこともゴブリン達にヒュドラを神性あるものと受け止める1エピソードとなっているんだろうよ。
一度、遠目に【精密計測】でざっくり計算したところ、ヒュドラがシャチかクジラ並みのでかさだということがわかった。今後はさらにヤツの行動パターンを調査していく必要があるだろう。
別にすぐに討ち取る方法を考えよう、というわけでもない。
最果て島の迷宮核を奪還する「魔王の配下」が、たとえば正面からヒュドラを突破するのでなく、その行動パターンを調べて上手くすり抜けられる隙を探す方向で戦略を練ってくるかもしれないのだ。ならば同じ立場に立って、対策を立てるってことも必要だろうよ。
まぁ、これは今すぐにって話ではないから、ゴブリンの老野心家に話題を戻そう。
各氏族を調べていたところ、それぞれの氏族に1~2人のゴブィザードがいることがわかったのだが――シャガル氏族だけ、ゴブィザードの数が最も多かった。
十数体はいて……ここだけ明らかに"文化"が違っていたのだ。
単純に腕っ節の強さが尊ばれるゴブリン文化の中じゃ、ゴブィザード達は便利に使われてはいるものの、地位が低い。しかし、シャガル氏族ではそうではなく、観察を続けたところどうもこのブエ=セジャルという老ゴブィザードの手腕によって――先にも触れた『祭司』の力が相対的に強いようなのだ。
まぁ、それだけならば氏族ごとの"違い"の範疇で、さして気にすることでもないかもしれないが――面白いのはここからだ。
このシャガル氏族、葉隠れ狼達の根城たる古樹地帯に近いため、他氏族のゴブリン達はそこまで積極的に侵入しようとはしない……その分、他氏族の逃亡者や追放者といった手合いが身を寄せることが多い。
そして、シャガル氏族からも、結構な頻度で追放者が出ているのだが――このどちらの追放ゴブリン達にも共通している、面白い事実がある。
どいつもこいつも、行った先の氏族で、まず最初にそこのゴブィザードに連絡を取っているんだよ。しかも情報を整理していくと、残る最果て島ゴブリン9氏族のうち、実に7氏族の現祭司は元シャガル氏族の追放者、という事実が判明している。
これは、どう見ても"追放者"達を伝令役にして、ブエ=セジャルと各氏族のゴブィザード達が連絡を取っていているようにしか見えんよなぁ。
「そういえば、グ・ザウも前はシャガル氏にいて、追放されてきていましたな……なるほど」
ル・ベリが、思案気に指を顎に当てているが――彼の異形【四肢触手】がせわしなく動いている。先を尖らせたいくつものサイズの木の棒と、ボアファントやら葉隠れ狼やら、鹿やら山羊やらから剥ぎ取った材料を使い、なんと裁縫をしているのである。
おぉ、なんと見事な触手使い、細かい作業もお手の物という具合。
草木の繊維や、弾力性のある乾燥させた蔓などの謎植物も利用して、ル・ベリは即席の衣服を作成していたのだ。それも母親に教わった技だというが、ゴブリンの中では評価されることもなく――サバイバル能力高いな、こいつ。
乾燥させた皮の上に毛皮を織り合わせ、削ったボアファントの牙や葉隠れ狼の爪などで装飾を施した、それらしい衣装が一式、みるみる出来上がっていく。
まぁ、魔人になって体格が変わったのだし、いつまでも腰布だけでは婦女子方に目の毒だろう。未だ知性種の配下は俺しかいないけれども。
ちなみに、かく言う俺もル・ベリ手製の紐革靴を履かせてもらっている。
これで裸足生活ともオサラバというわけだ。
……いかん、つい話が逸れてしまった。
「グ・ザウも、立場を奪われて必死だったのは、そういう事情も裏であったということか……」
聡いル・ベリのことだ。
老ゴブィザードが、その一生をかけて何を企んできたのか、すぐに合点がいったようだ。まぁ、なに、男なら若者から老人まで持つはずの、よくある野心ってやつだろうけどさ。
俺が思うに、この老ゴブィザードは「称号持ち」の可能性もある。
ゴブリンにしては珍しく10年以上も生きているようで、技能点の仕様を考えると、強力な魔法を放つことだって有り得るかもしれない。
なので用心を重ね、シャガル氏への監視を増やしてゼータとエータを交代で張り付けていたところ――つい4日ほど前に、とんでもない知らせが入ってきた。
【逆境の指揮者】だったレレー氏族長の思わぬ反撃が頭にあったからこそ、多少のリスクを負ってでも、老ゴブィザードを俺自ら【情報閲覧】してやろうと出かける準備をしていた矢先のことだった。
「『竜神の使徒』サマねぇ……ル・ベリ。こいつを見てみろよ、面白いぞ」
そう言って俺は5日ほど前に海岸で回収した、精巧にして無骨な剣を取り出した。
「ヒュドラに破壊された船からの漂着物が、ですか? 多少質が良さそうには見えますが、未熟者である私めには……」
あぁ、そうか。
こいつには【情報閲覧】能力が無かったんだもんな。
妙な魔素の流れを感じたもんだから、無生物には効かないはずの【情報閲覧】を戯れに剣に試してみたんだが――。
「こいつは『火竜の骨』とかいうのでできている」
ふむ。
ル・ベリの反応を見るに【竜】についてもしっかりと母に教わっていたようだな。
そりゃそうか、彼の母は多頭竜に襲われた、生き残りだったんだものな。
「流れ着いた一本の剣。使い込まれてはいるが、手入れがきちんとされていて汚れや刃こぼれがほとんど無い――んで、同じようなタイミングでシャガル氏族へ現れた使徒サマと」
そう。
ゼータとエータから知らされたのは、火竜骨の剣の漂着の翌日に島の西岸に、一人の戦士が流れ着き、シャガル氏族に保護されたという情報であった。
「……ヒュドラの海を越え、我が母と同じように島へ流れ着いた何者か、と。それは、強力な戦士である可能性が高いですね」
「そうそう。でゼータ班からの情報じゃ、そいつは剣を一本肌身離さず持っていて、翌日にはゴブリン戦士を数匹斬り殺しているようなんだよ」
それが原因かは知らないが、瞬く間に『竜神の使徒』として信仰を集めているらしい。毎日のように、ゴブリンどもが『供物』として鹿肉やらをそいつの元まで運ぶ様子が観察されている……どうにも裏で老ゴブィザードが利用している感。
「あと片腕を怪我しているらしいから、案外、この剣はそいつの落し物って可能性もあるかもな?」
有り得ないことではないが、どうだろうか。ル・ベリが賛成も否定もせず、単に追従の笑みを浮かべたが――俺自身は、その可能性が100%近いと考えていた。
いやさ。
【魔素操作】と【命素操作】に引っかかってるんだよ、この剣。
まるで剣そのものが"生きている"かと思わせるような、鼓動みたいな魔素の微かな流れが発されていたのだ。
……どこへ向かって、だって? はっは、例の、ヒュドラの攻撃から生き延びたらしい漂着戦士にしてゴブリン数体なんぞ瞬く間に斬り殺すとかいう実力を持った『竜神の使徒』サマがおわす、シャガル氏族がある西の方だよ、畜生め。
だが、まぁ、まだその程度で良かったと思うべきかもしれない。
漂着者が現れた、という情報を最初にで受け取った時は――ついに「【魔王】の配下」が迷宮核を手に入れにやってきたかと思って、肝を潰したものだ。
それで、一時的にゼータ班の全員とデルタ班機動偵察分隊の大半をシャガル氏族に張り付かせ、情報分析に丸一日かけた結果、ようやく上記の事情を把握したというわけである……副産物として、最初に言及した『竜神』信仰に関する考察もな。
まぁ、使徒サマの方も油断はできない実力を秘めていそうだ。
初日に斬り殺されたゴブリンには、シャガル氏族長も入っているという。
どの氏族も氏族長の系列には「大ゴブリン」が多いが、こいつらはボアファントの長鼻を単独で抑える程度の筋力は持つ。それを一撃となると、相当の手練れであると考えるべきだろう。
んで、だよ。
そんな好戦的な戦士が、もしもこの剣を探していたら?
持ち主ボーナスだかなんだかで、この剣のこの"生きている"かのような「オーラ」的なものを感じ取れているとしたら?
……単独であったならば、まだやりようはあったんだがな。
ランナーを通すなり何なりして行動パターンを把握して、友好的にいくか威圧的にいくかは別として、接触して事情を聞く機会はあったろう。だが、今回は運に恵まれず、後手に回ることになった。
ゴブリン諸氏族を裏から操って統一しよう、なんて野心のある老獪なゴブィザードに一足先を越されてしまったというわけだ。
現に、島中にブエ=セジャルが"追放弟子"達を通して、檄文を乱発して一大遠征部隊を結成しようとしているとかいう火急の情報が入ってきたのが、今朝のことだ。
俺の警戒心を敏感に感じ取ったのか、ル・ベリが裁縫の手を止め、いつもの苦虫顔で宣言する。
「御方様には指一本触れさせません」
「そうだな……だが、まぁ、元々備えはしていたじゃあないか」
そう。
使徒サマはさすがに予想外のイレギュラーだが――次の仕掛けとして、元々ブエ=セジャルの暗躍と野心は利用するつもりであった。
のんびり一氏族ずつ潰すのも面倒だし、次は本当に魔王の部下が現れかねない。
不測の事態を考えるよりは――野合して攻め込んできてもらったところを、一網打尽にした方が話が早いのである。
洞窟の拡張と領域の"定義"も順調に進んでおり、迷宮として最低限の防衛体制は整ってきた。ゴブリンの数十匹や数百匹、いつでもかかってこいと言える状態だったわけで――後は、互いにいがみ合うゴブリン同士をどうやって『連合』させるか、その一手を模索していたのである。
そこに都合の良いことに、老ゴブィザードの野心の一端を知れたわけで。
ただまぁ、暴力と筋肉を尊ぶゴブリンの生態にあって、多少の魔法を発動できる程度では氏族を動かす立場にまでなることはできない。ブエ=セジャルですらその決め手を欠いていたわけで、どうやってこいつに"ゴブリン連合"を組織させるかなぁ、とル・ベリと共に策を巡らせていたところなのだ。
んで、そこに『竜神の使徒』サマが現れる、と。
それに合わせて老ゴブィザードが各氏族の追放弟子達に連絡を取っている、と。
まぁ、そうだろうな。彼にとっては、年齢的にも今こそがチャンスに見えてるんだろうとも。竜神の使徒サマを御旗に、ゴブリン氏族連合を作り上げて攻めてこようとしているのだ――そこに何者が待ち構えているかまでは知らず、ただ使徒サマがそこへ行けと言うから、嬉々とばかりに連合形成の口実にしただけなのだろう。
――っと。
【眷属心話】が発動される。
頭の中に『エイリアン語』として表現される、様々なイメージや3Dオブジェクトのような信号・波形が、一定の意味を以って閃光し、また乱舞する。
これは――ゼータ班と俺の間を行き来するガンマ班の『伝令分隊』からの【眷属心話】だな?
ええと、これの意味は……。
――なるほど。
「ル・ベリ、思ったより『使徒』サマはせっかちのようだぞ……動き出したな」
静かに告げるや、ル・ベリは裁縫の手を止め道具を放り出し、すっと立ち上がって片膝をつく。
「御方様に楯突く愚か者、それもゴブリン如きに祭り上げられて舞い上がるような痴れ者。お命じくだされば、今すぐにでも討ち取って参ります」
「喜べ、絵図通り"ゴブリン連合"もついてくるようだぞ? だから、今回は出るのは無しだ。代わりにゴブリン奴隷ども全員連れて来い、入り口の『広間』へ配置して、時間稼ぎの囮にしちまえ」
ゴブリン連合の集結には1日2日かかるだろう。
その間に、こちらもしっかりと防衛体制に切り替えさせてもらう。
ル・ベリが一礼とともに立ち去るのを見届けながら、俺は【眷属心話】を使って『伝令分隊』の走狗蟲達に次々に指令を下す。
アルファ班を呼びつけて「対魔界側」の防衛配置につけなければならない。
デルタ班とガンマ班も呼び戻して防衛配置に参加させないといけない。
ゼータ班も、最低限の"目"は残した上で、迷宮周辺にまで呼び戻して周囲を警戒させなければ。
……といった具合に、島内各地のエイリアン達へ至急の帰投命令を発する。
ゴブリンの数十匹や数百匹、いつでも来るが良い。
誘い入れてから、少しずつ細い分かれ道に深入りさせ、引き込み、分散させ、各個に鏖殺してくれるわ。




