伯爵-0001 魔人貴族達の饗宴
「ヤツめ、まだ生きておるぞ!」
宴の席で口々に感嘆の声が漏れる。
迷宮【肉と鎖の城】の『舞踏場』に集まる10名ばかりの男女は、皆一時饗食の手を止め、採光窓に張られた巨大な垂れ幕に注目していた。
垂れ幕には多頭竜と竜人の死闘が映し出されている。
破壊された流刑船の破片を足場に、あるいは盾とし、竜人の男がヒュドラの猛攻を紙一重で避ける。
返し様に両手のニ剣を振るいヒュドラに切りつけるが、その青い鱗に傷をつけるのが精々。次の瞬間には首の一つから放たれた息吹に吹き飛ばされるも、空中で受け身を取って剣を構え直す。
「なんじゃ、火竜の背骨から削り出した名剣だとか聞いておったのに、あの程度なのか?」
【異形:牡山羊の角】を頭の左右から生やした初老の男が、つまらなそうに呟いてグラスの中身を一口舐める。赤と黒を基調とした、鎧と礼服が一体となったような豪奢な服装に身を包み、舞踏場に集まる者達の中で最も強大で尊大な存在感を隠しもしない。
蓄えられた豊かな顎髭に、短く刈り込んだ髪と、武者のような広い肩幅。
出で立ちこそ厳格な将帥のごときであるが――その尊大さは、むしろ革命家を思わせるカリスマ性を湛えていた。この場で明確なる「最上位者」たる風格を漂わせ、媚びるように周囲を取り巻く魔人貴族達に対し、侮蔑の目線を隠そうともしない。
「ヒュドラは水竜の系譜にあるもの。相性が悪いんですよ、きっと」
媚びる有象無象を制し、優美な所作で『牡山羊の角』の男に近づいたのは、藍色のロングドレスに身を包んだ美女である。豊かな金髪と豊満な胸を張り上げる所作は、しかし娼婦のように下劣なものではなく、貴族としての優美さに裏打ちされた芸術的なもの。
――ただし、彼女は少々異様な出で立ちをしている。
なにせ、閉じた両眼を縫い合わせているのだから。
しかしその瞳は、周囲をせわしなく見回している。
つまり、彼女は三つ目の女性であった。
【異形:第三の目】を通し、そそくさとその場を離れる有象無象達を睥睨した後に、牡山羊角の男に改めて向き直る。
この両者は、いずれも魔界唯一の大陸である【静寂なる腕】の南西端、ハルラーシ地方の有力な迷宮領主であった。
「だがあの漢のなんと勇猛なことよ! 竜人は皆ああなのか? 余興なんかより俺に売れば高値をつけたものを! なぁ、テルミト伯よ!」
戦場の武人を思わせる大声を張り上げたのは、大柄な男。
牡山羊の角の男も長身で大柄だが、この男は更に頭が一つか二つは突き抜けた偉丈夫であった。
彼は【異形】も【魔眼】も持たない魔人族ではあったが、張り上げる声の大たるや雷鳴のごときものである。ただし、当人は特別大声を出したつもりは無いようだ。
雷声の偉丈夫にバンバンと肩を乱暴に叩かれる、涼しい表情の男こそが、この舞踏場の存在する迷宮【肉と鎖の城】の主にして、今宵の"宴"の主催者たる『テルミト伯』その人であった。
最高級の素材によって創り出された高級人形と見紛わんばかりの美丈夫である。
金髪の髪は天然の巻き毛であり、白と水色を基調とした礼服に全身を包む。手袋一つとっても滑やかな素材と金銀や魔導金属の糸が刺繍として織り込まれており、伯爵ながらその財力が上位貴族にも匹敵するほどのものであることを、雄弁に物語っている。
琥珀色の双眸で来賓らに目を向け、するりと雷声の偉丈夫――エッツォ伯――から距離を取りつつ、牡山羊角の男に向けて優雅に一礼をするテルミト伯。
「良い余興でしょう? 万一ヒュドラを討ってくれでもすれば、儲け物ですよ」
垂れ幕に広がる光景は、まるで空間魔術によって『舞踏場』と現地を直接繋げたかと思うほど精緻である。
波の匂いと、嵐のごときヒュドラの咆哮がまるでその場にいるかの如く直に伝わってくるようで、貴族達は安全な立ち位置から、血沸き肉踊る死闘の興奮に酔いしれていた。
「ふうむ、趣向で言えば以前のリッケル子爵のが好みじゃったが……この臨場感はテルミト伯にしか作れんだろうのう!」
政敵の名を聞いて眉をピクリと動かすが、テルミト伯は努めて柔和な表情を保ち、牡山羊角の男に礼を述べる。
この初老の魔人族こそは、ハルラーシ地方に強大な影響力を行使する重要人物であり、伯爵ごときに過ぎない彼から見れば、遥かな高みにある天上人である。
だが、大切な後援者でもあり、その機嫌を取ることは、今回の宴の最優先目標でもあった――たとえ彼が、テルミト伯と同様彼の元部下であるリッケル子爵にとっても、最有力の後援者であったとしても。
「【目玉】の感覚を共有させ、転写した映像を吸い出しているのです。それを一旦魔素・命素に分解させ、さらに光魔法を経由させることで、このように映写しているのでございますよ、グェスベエレ大公。此度の改良で特筆すべき点は、光魔法を色彩の要素ごとに並列・多重展開することで――」
「わかったわかった。相変わらず新奇好きよな、テルミト伯は! どれ、隠し球もあるんじゃろ? 分かっとるから見せてみぃ」
小難しい話は面倒だと言わんばかりの大公の要求に、にやりと笑ってテルミト伯が応じる。
話を遮られたことへの憤慨など微塵にも表情には出さない。彼は垂れ幕の反対側、目立たぬ箇所に控えさせていた【目玉】達に向け、ぱちんと指を鳴らした。
目玉達は合計で7つあり、それぞれが虹の7原色に対応した光を放ち、色を重ね合わせることで垂れ幕上に映像を描き出している。
7目玉が魔法の発動を一時止め、垂れ幕がただのカーテンに戻る。
だが、数秒後には再び光が生まれ、新たな映像が垂れ幕の上に投影される。
今まさに迫らんとするヒュドラの顎が映し出されていた。
それがヒュドラと相対す竜人の見ている光景であると、聡い者から理解していく。
また紙一重でヒュドラの凶悪な牙を避けようとした竜人の男が、いなしきれず、腕を鋭く斬り裂かれた。
赤い鮮血が飛び散り、次の瞬間には海中に落ちる。
追撃するヒュドラの牙を二剣を交差させて受け止め、力任せに弾きつつ、海中でヒュドラから距離を取る竜人。
刹那の攻防に次々に感嘆の声を上げ、魔人貴族達は思い思いに珍味を食らう。
竜人の命を賭した剣舞を肴として、宴に供される銘酒を味わう。
「ほう! 剣闘物もこうして見るとそれなりに血が沸き立つものじゃな」
「大公閣下は、一方的な虐殺がお好みでしたからね」
「お気に召していただけましたか? 我が『肉と鎖の城』最新鋭の技術、にございますよ」
相槌を打つ美女をじろりと睨みつつ、解説がてら、テルミト伯はどこからともなく大きめのワイングラスを取り出してグェスベエレ大公へ見せる。
ワイングラスの中には煌めく黄色の液体が揺れ、そこに紅い目玉がぷかぷかと浮いていた。
「あらやだ。それで、あの竜人さんは片目ってことなのですね?」
「その通りです、グウィネイト女伯。例の【目玉】の技術の応用ですよ。抜き取った際の損傷が酷かったので、使えるように修復するのに時間がかかってしまいましたが!」
テルミト伯にとっては、予想通りのことである。【魔眼】持つ美女たるグウィネイト女伯が真っ先に彼の「目玉商品」の正体に気づくのは、当然のことであろう。
この場にいる貴族達で、自らの迷宮を有する独立爵は4人。
あとは取るに足らぬ小物か、大公の直臣か、リッケル子爵の息のかかった貧乏貴族どもだろう。
今の二人のやりとりを聞いて、グェスベエレ大公とエッツォ伯――雷鳴の大声の持ち主が技能【魔素操作】と【命素操作】を発動し、ワイングラスの目玉と放映される映像を見比べる。
やがて大公は得心がいったように感嘆の表情を浮かべるのであった。
これこそが、テルミト伯の最新の研究成果たる『盗視る瞳』の効果。
左右の眼球を同調させ、片側の目に映る光景をもう片方の目に転写させる、という技術。元々はテルミト伯の眷属【飛来する目玉】の固有技能だったものを、伯自らが研究を重ね、多大な制約がありながらも条件付きで他の種族に適用できるようにしたものである。
竜人ソルファイド=ギルクォーツの片目を抜き取ったのは、決して世間で噂されるような彼の「性癖」だけが原因ではなかったのだ。
ワイングラスに浮かぶ目玉を興味深げに観察しながら、大公と女伯が愉しそうな笑みを浮かべる。二人とも、この新技術が軍事的にはどのような意味を有するかを、即座に理解したようだった。
事象や結果の面から言えば、似たような効果を起こす技術を持つ迷宮領主は他にもいるだろう。
だが、テルミト伯は自らの研究成果に強い自信があったし、また手の内を晒すことを恐れ技術交流が滅多に行われない迷宮領主同士の関係にあって、売りどきを心得ているつもりであった。
「誰にでも使える、というわけでもあるまい?」
核心を突いた問い。
「無論。ですが私にとってグェスベエレ大公は高恩厚い大切な御方。後ほど包み隠さずお伝えしますし、十分な量の検体を提供させていただくつもりですよ」
最新の研究成果をあっさりと提供する約束をしながら、狸親父めが、とテルミト伯は心の中で毒づいた。彼は10年近く、元は部下であるはずの『枝垂れる傷の巣』の迷宮領主である「リッケル子爵」と抗争を繰り広げている。
その背後で糸を引く者がグェスベエレ大公であることなど、周知の事実だった。
大公はハルラーシ地方に新たな『上級伯』、ひいては『侯爵』が生まれることを阻止しようとしているのである。
【魔王】の座を狙う【魔界】の最大の有力者の一人であるグェスベエレ大公。
彼に直接反抗しようものなら、たかだか伯爵一人如きの戦力では、即座に叩き潰されてしまうだろう。
野心溢れる「新興貴族」派の一人として、テルミト伯はグェスベエレ大公に搦め手を仕掛けんとしていたのだ。
表向きは「竜人の戦士対ヒュドラ」を余興とした、新たな軍事技術の売り込み。
本命はグェスベエレ大公への間諜の強化であり、『盗視る瞳』を含めた技術提供をこれまでもせっせと行っていたのは、まさにそのためである。
【魔王】の権勢落ちし戦国の世。
互いの隙を常にうかがい抗争を繰り広げる迷宮領主間の関係において、無論テルミト伯の狙いなぞは大公にはお見通しではあろう。
だが、情報を一部垂れ流すことになるとしても、それ以上の有用さを示して、悪い取引ではないことは示してやれば交渉の余地は十分あるし、そもそもテルミト伯の目的は名実ともに大公の傘下に入ることである――今のうちは。
グェスベエレ大公へ「目」を送ることは、政敵リッケル子爵が大公とどのように繋がっているかのルートを割り出し、それを叩き潰すか断ち切るかすることを主目的としていた。
「かかっ! お主は『新興』派ながら真に殊勝なものだ。必要な支援はいくらでも言うが良いぞ?」
愉快そうに哄笑するグェスベエレ大公を適当におだてつつ、テルミト伯は垂れ幕上に映し出される死闘に目をやった。
(本当に、何かの間違いでヒュドラを討ってしまったら、楽なのですがね)
竜人は非常に強力な種族だ。
それはこの数年間で思い知った――そんな連中が【人界】にはゴロゴロいるのかとも当初は戦慄したが、話を聞くに、滅びに瀕し隠れ住む種族達であるとも言う。
おそらくは種族固有の『希少職業』である【牙の守護戦士】が有する数々の上位技能と派生武技。
そして、元々が優秀な戦力たりえる【竜人】という種族の基礎力。
オーガ級ともされるその戦闘力評価は、一個人としては破格の戦力であり、エッツォ伯が言うように余興如きで手放すならば、確かに惜しいことだろう。
(とはいえ――【獣使い】系統の連中みたいな趣味など持ち合わせていませんし。生の営みなど、おぞましい……「品種」を「改良」など、ふふふ。一から創らなければ、無駄な醜さが多いというのに)
だが、エッツォ伯には残念なことだろうが、これは余興ではない。
テルミト伯にとって、手持ちの駒の中では、ヒュドラに襲われても生き残る可能性が高く使い潰してもさほど心が痛まず、自身の迷宮への痛手とならないからこそ、この男を使う価値があったのである。
この余興すらをも目眩ましとして、グェスベエレ大公に気づかれぬよう、自らの勢力を増すための秘策。
ある意味ではこちらが本命であるし、その意味では『盗視る瞳』の提供ですら、それが本命であると大公へ思わせる囮であった。
手付かずの「迷宮核」がほこりを被って眠っていると噂される「最果ての島」だが――それが事実であると、この場で……いや、【魔界】全体で知る者は、テルミト伯以外にはたった一人しか存在しない。
そこに文字通り『目』として送り込む捨て駒に、ソルファイドほど都合の良い駒は無かったのである。




