本編-0134 暴かれど殺す、売り渡せど試す
ファンガル種ごとに、移送する上で最も効率的な奴隷蟲の組み合わせなんかは既に計算済である。
それを、例えば今回は【脳:司令室】が目標地点だったが、緊急時の物流運搬訓練を兼ねた――というのがただ今のウーヌスによる宅配劇というわけである。
移送に使った奴隷蟲達が吸い尽くされることもなく、魔石と命石の補給後に迷宮内の物資運搬等の「本業」へすぐに戻らせることもできた辺り、それはそれで上手く行ったんだが。
司令室の一角に鎮座せるは、エイリアン的樹根と切り株のような下体。
その上部に、脈動する太い筋繊維に網目のように覆われた、ゴム風船を膨らませたようなやわらかな膜状の"槽"を備える様は、さながら命を得た冒涜的なマスク・ド・メロンであるか。ゴブリンどもを強制的に成長させることなんかに力を発揮する"培養槽"の中は、本来は緑色の体液に満たされているはずなのだが……。
これなる、聖女と吸血鬼2名を飲み込んだ【培養臓】は、今もまるで火加減を間違えて沸騰してしまった試験管の如く、"槽"が時折激しく痙攣して中身が吹きこぼれている。そしてその時に吐き出される、液体とも臓物ともつかない、赤くどす黒い不気味な血塊。
「アシェイリは、身体で覚えるのが得意なタイプだ。そして後先考えない思い切りの良さが持ち味だな」
「確かに、そもそも最初に出会った時からして、あのユールとかいう小僧を捕らえようと無茶をして行き倒れていましたな」
ユールだけでなくリシュリーをも守ろうとしたのだ。
そのキッカケはおそらく、例の"心臓移植"の予後治療のタイミングなんかかもしれないが――あるいはリシュリーちゃんが抱える何かが、よほどの吸血鬼たらし効果を発揮していたりするかもしれないな? まぁ、その辺りの話は今はいい。
快復したユールがリシュリーに反射的に"ろ過"をやろうとしたことに気づいたアシェイリが取った行動は、当の吸血鬼の少年をぶん殴って止めることだった。
おそらく――ユールと同じく『穢廃血:超高濃度浸透』という【状態】を吸血鬼的嗅覚で察しつつ、より冷静に事態の深刻さを理解したのだ。とてもユール一人で処理しきれるものではなく、それどころか、自分が手伝ったとしても、全く抵抗できず逆に蝕まれて三者共倒れになってしまう、と。
既に一度、三日三晩手伝わされた時の経験から、そのように直感したと見える。
だからこそ、力の不足を悟って、この俺に「力を貸してくれ」と言ったのだ。
「一度【抽出臓】の方では、頭のてっぺんから細胞のひとつまみまでいじくり回されていたしな? その体験を活かせそうな、上手く使えそうな道具を与えてやったってわけだ」
【心話】をする余裕も無いのか、はたまた脳細胞まで一時的に溶解してしまっているのか、内部でアシェイリがユールと共にどんな"応用的な"ろ過作業をしているかまではうかがい知れない。
【培養臓】自体に内部ダメージが蓄積していっているのがHP減少などから明らかなあたり、ある種の激しい戦いが繰り広げられているのだろう――【穢廃血】と【生命の紅き】の間の、な。
『ウーヌス、命石をじゃんじゃん運んでこさせろ。何ならもう一株連れてきて"延命"させろ。今あの容れ物が崩れたら、多分かなり面倒なことになるぞ』
などと指示を下していると、ルクが険しい表情を向けてきた。
「最初から"こう"なることが、わかっていたのですか? オーマ様」
「ふむ、"こう"なること、とは何だ? ルク」
空気を読まず……いや、あえて空気を読んで口を挟んできたか。
「少し気を鎮めろ」とでも言わんばかりのソルファイドの含意に、ルクも気づいたようで、ほうっと一つため息を吐いた様子。
ソルファイドのくせに生意気な。
だが、その心意気は受け入れようか。ちょっと話を整理しよう。
「【魔界】由来の力は【人界】では制限を食らう、としよう。ならその"逆"はどうなる? と考えたのが事の発端だ。でもなぁ、そうするとリシュリーちゃんの"あれ"がああなるのは、ちょっとおかしいとは思わないか」
俺は当初、こんな仮説を立てていた。
『【白亜の神】率いる諸神と【黒き神】の一派は、互いの根城とする【人界】【魔界】由来の力を妨害し合っている』
とな。
「御方様が苦しめられたのと同じように、むしろ"癒し"の力とやらは【魔界】では制限されるはず、ということですな」
そうだ。
だからそれを前提に、リシュリーが加護者であることを知った段階からその"検証"をすることはなんとなく目論んでいたが――あくまでも、俺の迷宮領主能力が制約されたことの逆説明を得ることが目的。
不測の事態があるならあるで、それも含めて、検証結果からそのまま【人界】と【魔界】のシステムの違いなんかについての考察を深める材料にするつもりだった。
首尾よく、見習いとはいえ"加護者"をこうして確保できたわけだが――その前後で、リュグルソゥム家の蓄えていた知識から、【聖人】は【神威】の行使に当たって"代償"を支払っていることを知った。そしてこの"代償"が――"制約"の役割を持っている可能性に思い至ったのだ。
この段階で第2の仮説が生じた。
すなわち、
『【諸神】側は"積極的に能力を制約"する存在であり、【黒き神】側は"能力の制約に消極的"であるに過ぎない――』
という切り口。【諸神】は【魔界】だろうが【人界】だろうが、ある種の力に介入してそれに"制限"をかけている、という視点である。
この見方でも、俺の迷宮領主能力が"制約"されたことは説明できるのである。
まぁ、どっちの仮説にせよ【魔界】で【神威】を発動させてみるという手順は変わらなかったし、得られる考察材料は似たようなものだろうと考えたから、中止するという考えは無かったがな。
ただし、どちらの仮説が正しいかで、【神威】時に何が起きるかは大きく変わる。
第1仮説では、単純に妨害されて『不発』に終わる。
第2仮説の場合、妨害はされないため『発動』するわけだが――仮にも敵対する神々同士であるため、やっぱり限定的な妨害は有り得る。だがその"妨害"が、何に対するものとなるかが問題であった。
もしも単に【神威】の発動に対する妨害であれば、それは第1仮説が正しかったということでしかない。そう捉えると第1仮説と第2仮説の「複合パターン」なんて無いように最初は思ったんだが――。
【聖言士】として言葉を縛られている、という部分を突いた時、リシュリーの答え方と【穢廃血】濃度の急激な上昇から、【人界】でできなかったことが【魔界】でできるようになった――つまり【魔界】側の神々がリシュリーにかかっていた"制約"を緩めたのだ、と俺は誤解した。
なんだ、やっぱり第1仮説が正しかったのかと早とちりした結果は、ご覧の通りである。
「よもや『暴発』とはなぁ」
【魔界】の神々が"妨害"したのは【神威】の発動それ自体ではない。
なぜなら【神威】の発動それ自体は【諸神】の能力ではなくて、むしろ発動された【神威】を"制約"することこそが彼らの権能だったのだ。
――あろうことか【魔界】の神々は、あの訳のわからないシステム音の羅列の中で最終的に「介入を申し出た"夢子"」とやら(誰だこいつ、こんな奴いたか?)は、発動を"制約"しようとした【癒しの乙女】の介入それ自体を妨害しやがったのだ。まさかとは思ったが本当にやりやがった。
これこそが、リシュリーを【魔界】に招き、"検証"の準備も全部終えていた後に気づいた「複合パターン」である。
まぁ、土壇場でウーヌスに【培養臓】の"宅配"準備はさせていたんだがな、訓練にかこつけて。
なにせ、物理的な損傷を"癒やす"というのが【癒やしの乙女】の権能だ。だから、仮に『暴発』パターンだったとしても、それは例えば治しすぎといったような肉体的損傷の形を取るに過ぎない、と高をくくっていたのだよ。
「そうでなくとも"検証"自体はもっと穏便なやり方でやるつもりだったが……あの3人の関係のねじれを軽く見た。これは俺が招いた事態だ」
想い合い、傷つけ合う。
それこそもっと穏便なやり方があるのを知らない少年少女の感情が激しく入り乱れぶつかり合う模様に、ついつい意識を馳せてしまった。
それで、止めるのが遅れてしまったのは紛れもなく俺の不覚だ。観察の愉しみのために、負う必要のないリスクを負ってしまった自覚はある。
「だが、聖女サマの命を危険に晒した価値と収穫はあったぞ」
ルクはしばらく無言であった。
ダリドが心配そうに父母の顔を交互に見やるが、やがて『止まり木』での話し合いが済んだのか、最初に口を開いたのはミシェールである。
「我が君にも、可愛いところがあるんですね。とても、意外です」
「リュグルソゥム家の"女主人"め、この俺が罪悪感を抱いた、とでも言いたいか?」
「いいえ――我が君は約束を必ず守ってくださる御方。その裏にあるのは、罪悪感だなんて安い感情などと、私は思いません。ですから、必ず聖女様を救うとお約束していただけますでしょう? 兄当主に代わって、リュグルソゥム家としてお願い申し上げます」
あぁ、食えないな。ルクと違って、心の底の淀みを簡単には打ち明けてくれないなぁ。
だが、無論だとも。
そのためにアシェイリもユールも焚き付けたんだからな。万が一の事態には、リシュリーを守るためにこの二人が全力を賭すだろうことも見越して、一緒に行動させていたのだからな。
「それで、御方様。その"価値"と"収穫"について、愚昧なる我らにお示しください。『長女国』の魔導侯どもが、サウラディ家めが何を企てていたのかがわかった、ということですな?」
今度はル・ベリが空気を読んだ、というよりは変えてきたか。
先ほどユールに問われたのと同じ質問を繰り返してきたのは、俺に伺う形を取りつつ、ルクに向けて「お前達の今最も重要な目的が何であるか忘れたか?」と言外に警告するため。それに気づいたルクも、仕方がないという表情をした後に、俺に向けていた訝りの意識を収めたようだった。
「多分、サウラディ家は俺と同じことをやろうとしていたんじゃないか? "加護者"を【魔界】に放り込んで【神威】を発動させたら何が起きるかの"検証"を、是が非でも、な」
「待ってください。それは『末子国』の目的、だったのではないでしょうか? オーマ様」
「俺は一度もそんなことは言っていないぞ? ルク、どうも考え過ぎたみたいだなぁ」
「な……!」
そもそも、だ。
仮に『末子国』が"加護者"を【魔界】に送り込みたがっていたとして――一体それは連中にとってなんの得になるのだろうか?
なにせ【魔界】からの再侵攻を阻止するという信念の下に、"裂け目"の封鎖という国家事業を数百年間続けてきたのだ。よもや【魔界】では【神威】が暴発する、ということを知らなかったとは少し考えにくい。
今でこそ自国内の"裂け目"は既に全て封鎖済だろうが……建国後の草創期には、きっと積極的に"加護者"達を含む探索部隊なんかを送り込んでいてもおかしくはなかろう? それで、その時にはもう"加護者"を送り込んだらどうなるか知っており――故に【盟約】だのなんだので縛って、その事実が露見するのを防いでいたとすら考えられる。
「リシュリーちゃんにその辺りを聞いた時に、無言の肯定をしたのが証拠だ。なんで"見習い"ごときがそんなことを知っているんだ? 『末子国』の一定以上の者達には、これは暗黙ながら周知の事実だとしてもおかしくはないぞ」
「なるほど。主殿、己の武器になるはずの"力"がああも暴発するのならば、"加護者"どもは【魔界】へ攫うか追放するだけで簡単に封殺できる、とも言えるな」
自国が戦力としても囲い込む存在のそんな「弱点」を、わざわざ明るみにすることもないだろう。
『末子国』が行う"裂け目"の封鎖は、大義のためでも何でもなく、単にその事実が他国に知られると都合が悪いので、他国には【盟約】を盾に干渉してきた――というのは少々うがち過ぎな見方だろうか。
「『末子国』ではなくサウラディ家の方が"埋伏"を持ちかけた、とオーマ様は言いたいのですか。だとすると『末子国』は何のために、我ら一族を……」
「何か重大な方針転換があったのか、はたまた路線対立が表面化したか、その辺りの事情はわからんな。ただ、最低でも【聖人会議】を動かせるレベルの大物が絡んでるんだろうな。連中も一枚岩じゃないんだろうが、まぁ詳細を調査してくるのはお前達の方が得意だろ――ただ、一つ発想の転換のヒントを与えてやる」
一見、様々な利害関係者が入り組む複雑な図式を分解する視点を教授してやろう。
『誰がどんな利益を得たか』というのは有名だが、今回のケースでは、こんな視点が有用だろう。
「誰がどこに"力(資源)"を注いでいたか。ここに注目してみるとどうなる?」
繰り返すが『末子国』にとっては"埋伏"は何の得になるのかよくわからないどころか、"加護者"の弱点の一つを『長女国』にバラしてしまいかねない大博打である。
そんなリスクを負ってまで――連中は一体、この一連の事件のどの部分に一番力を注いでいた?
「銀衣の、男……!」
思い出したようだな。
そして頭の中で線が一本繋がったようだな、ルクよ。
リシュリーちゃんの反応を見るに【秘色機関】どころか『末子国』の中でも相当上位の存在であると思われる『銀仮面』野郎。
こいつは、戦闘魔術に長けたリュグルソゥム家の魔法戦士を、ルクの父と兄を含め何人も屠った化物なんだが――どうして"リュグルソゥム家の虐殺"という場面でしか登場していないんだ?
「こんなジョーカーが"リシュリーちゃんの拉致"で動かなかった理由はなんだろうな。もしこいつが動いてたら、ユールなんか即死だっただろ」
『末子国』にとって"埋伏"は、特に力を注ぐべき事柄でもなんでもなかったのだ。
まぁ、強者の出現を抑制するルールのあるこの世界だ。出現してしまった強者に対しても、例えば何らかの"制約"が働くというのも無理な発想じゃない。そんなのがあったとして、仮に『銀仮面』に活動限界みたいなものがあったのだとして……だったら尚更、その限られた活動時間を『リュグルソゥム家の虐殺』に費やしたってことになるんだぞ?
それに、家族が命を捨てて逃したルクとミシェールに対し――【穢廃血】に匹敵するぐらい、悪辣な"呪詛"をかけたのだからな。どこへ逃げようとも必ず滅ぼしてやる、という怨念すら感じる行動だ。
つまり、
リュグルソゥム家を殲滅するために、リシュリーを生贄に選んだ。
しかも"加護者"の弱点を『長女国』の第一位魔導侯【四元素】のサウラディ家に露見させてまでも、だ。
「最初から、我が一族を……? そのために、あえて我らが見捨てることのできない、大恩ある聖女様を――ですが、なぜ……一体……」
長年の信頼関係を構築してきた『末子国』から、どうしてそんな害意を持たれなければならないのか。リュグルソゥム一族の心痛たるや如何ばかり、といったところか。
「案外、お前達がでっち上げた"亡霊"ってのは、真実だったのかもしれないな?」
「それは――ッッ……」
「納得できたみたいだな? それなら話を今目の前の本題に戻すか。『末子国』の目的がむしろ【リュグルソゥムの殲滅】だったなら、【加護者の"埋伏"】を最優先目標にしていたのはサウラディ家になる。それが論理的帰結だ」
誰がどこに力を注いでいたのか。
この視点をサウラディ家にも同じように適用してみよう。
「誰でもいいから答えてみろ。リュグルソゥム家が虐殺された後、リシュリーちゃんはどこに匿われていた?」
「……サウラディ家、でしたな」
【四元素】のサウラディ家。
「建国以来の根本問題」とかいう何事かに取り組むために、史上初の三派閥の合同行動を実現するなど、随分な大立ち回りじゃないか。
百年単位で敵対してきた【破約派】を説き伏せるために、従来の外交的立場すら捨てた(『末子国』の国内情勢次第では偽装の可能性もあるが)"第一位"魔導侯が――一方で、リュグルソゥム家への襲撃には申し訳程度の戦力しか送っていない。
生き延びたルク達の捜索と追撃にも興味を示した様子は無かった(ここではむしろ【騙し絵】家が力を入れていたな?)。
しかしその裏で、ユール少年をどう騙くらかしたのか、ちゃっかりとリシュリーを手中に確保していたのだ。
しかも、サウラディ家の秘部でもある【精霊の愛し子】の屋敷に、だ。
……まぁ、そうなってくると、尚更あの【精霊の愛し子】がやらかしてくれた行動の謎が深まるんだが、それは後回し。
ちととんでもない新【因子】が定義されたので、そのことと合わせて、後で、な。
「まぁ、本当に"検証"がサウラディ家の目的かどうかは、確かにまだ俺の想像に過ぎない。だが"埋伏"に関しては疑いようが無いだろ」
「建国以来の根本問題を解消」するためには、"加護者"を【魔界】へ"埋伏"する、というのは不可欠のステップである――そのためには何を差し出しても構わない、とするならば。
【王権派】が『末子国』と良好な関係を保っているならば、むしろ正面から堂々と生贄の派遣を要請したとしても不自然ではなかろう?
「自国の加護者を使わなかった理由はわからないが、どうあっても"埋伏"が必要な【四元素】家。そして、たとえ加護者達の弱点を知られてでもリュグルソゥム家を滅ぼす口実が欲しかった『末子国』。双方の思惑が連動した結果、リシュリーちゃんに白羽の矢が立てられた、ってところだろう」
「"暴発"して死ぬ。主殿の備えがなければ、あの娘はそうなっていた。なるほど、そうなることも見込んでいたのだろう」
その通りだ、ソルファイド。
なにせ単なる聖人の"候補"に過ぎない、つまり喪っても惜しくない。
また【神威】は単なる"癒やし"の力であり、検証の結果暴走したとて、破壊的な脅威には繋がらない。
そして【穢廃血】。
リュグルソゥム家の『止まり木』にも記録が無く、それがリシュリーに固有の現象であるのかはまだわからないが……よもや、囲い込んだ"加護者"の特異体質を知らぬ『末子国』ではあるまい?
「都合が良いじゃないか。暴走したらしたで勝手に自滅するから、口封じの心配をしなくていい。まさに【魔界】の土塊として"埋伏"が完了するって寸法だ」
「外道どもめ……」
そのくせ、なんとしてでも殲滅したいリュグルソゥム家を確実に釣り出すことのできる撒き餌にもなるわけで――ん?
おい、ちょっと待て。
そもそも族祖リュグルとソゥムが200年前の【破邪と癒やしの乙女】の加護者に救われたんだったよな?
よもや。
その時から仕組まれていたりは、しないよな?
……いや。
リュグルソゥム家自体の謎については『秘史』とやらの解読を待つしかないのだ。
とはいえ、この気付きはちょっと頭の片隅に置いておこう。だが、そうするとどうにも見落としていることがあるような気がするんだが――。
「吸血鬼の小僧め。己がいかに翻弄された苦労者であるかを気取っておりましたが、何のことはありませんな。最初から十重二十重の罠の中に嵌め込まれていた、哀れな奴だ。それを御方様の介入によって虎口を脱したというのに、その御方様に刃を向けるなど」
「ル・ベリさん。苛立ちはわかりますが、できたら今は聖女様の"ろ過"に専念させてやってはくれませんか」
「……わかった、すまない」
「いえ。こちらこそ、オーマ様に必要以上に苛立ちをぶつけて、見苦しいところを見せてしまって申し訳ありません――オーマ様。ご報告が一つあります」
「あぁ、何だ?」
「実は、あまり重要なことではないと考えて後回しにしていたのですが」
「なんだ?」
「【歪夢】のマルドジェイミ家。あの夢遊病の現実逃避家どもが、【破約派】でありながらサウラディ家に接触していた可能性がある……という情報も"桃"の中にありました」
「ルクよ、それは単に【騙し絵】の間諜として送り込まれたに過ぎない、ということはないのか?」
「それも考えましたよ、ソルファイドさん。でも、時期が……少し」
「時期だと?」
ルク曰く、ただ今俺が披露した推理を受けて、ざわめくものがあったらしい。
念の為と思い直し、改めて『止まり木』でこの【歪夢】家についての情報を精査したところ。
彼らがサウラディ家に接触したとされる時期が、ちょうどリュグルソゥム家が【王権派】に失望して袂を分かった時期と重なっていたことに気づいたという。
「ともすると、我ら【御霊】家が【四元素】家を見限ったのと同じ理由で、あの淫蕩な夢遊病者家どもは逆に【王権派】に感化された――のかもしれません」
なるほど。
その話については、以前に単なる「利権対立が原因の"幻滅"」の類だと簡単に聞いていたんだが。
何ぞや【王権派】が"埋伏"を以ってしでかそうとしていることの正体を掴むヒントだった、とか気づいて戦慄でもしたか?
「ちょうどいいじゃないか。【破約派】にも【王権派】にも通じている、そのマルドジェイミ家は確か【罪花】とかいう売春組織の主人だったよな?」
「"走狗"に家政を牛耳られるなど【魔導侯】の恥さらしですよ、あの夢想家どもは。どちらが"主人"か、わかったものじゃありませんがね」
「それで、確かミシェールが既に接触していたはずだろう、ルクよ――ミシェールよ、確かお前は『兵隊蜂』とかいう役職の者を脅したというが、今度は」
「ふふ。心配しなくても、あの"元"蜜の没落貴族令嬢を巻き込みはしないよ。お優しいね? ル・ベリさん」
「……」
――ふうむ。
ここらが潮時か。
仮説と検証、そしてその結果の解釈と議論はここらで一度煮詰まった感じかな。
全員がそれぞれの思惟にふけって、場が一瞬静寂に落ちた瞬間に立ち上がり、パチパチと手を叩いて辛気臭い空気を打ち払ってやる。
「ソルファイド、ちょっと聖女と吸血鬼一行の"緊急手術"を見守っていてくれないか。ルクとミシェールは今の議論の中で得るもの気づくものが大いにあったはずだ、その線でまた調査を開始してくれ。あぁ、ついでに【人界】で入手したいもののリストがあるからシーシェに渡してきてくれ。そしてル・ベリ、お前はちょっと供をしろ」
「承知した」
「「かしこまりました」」
「御意」
俺か?
俺は今から、また別の被疑者――あの"逆さま人魚"――に事情聴取のハシゴだ。
ちいと今の流れで、聞かなきゃならないことが増えてしまったからな。少し息抜きしてからのつもりだったんだが、今すぐに行く。
『"精霊の泡粒"にご興味はありますか?』
とかいう謎掛けが、いよいよもって、狙ったとしか思えない絶妙のタイミングで送り込まれてきたもんだと改めて絶句させられる。
【愛し子】の野郎め。
サウラディ家の屋敷の中でも、どうしてリシュリーが匿われていたのが、よりにもよってこいつの隠れ家だったんだ? しかも【愛し子】は【愛し子】で、アシェイリに協力してリシュリーを逃したときた。
わけがわからん。
――そうさ、わけがわからんことばかりだ。
さっきちょろっと触れて後回しにしていた話をしよう。
ちょうどリシュリーの【神威】が"暴発"した時のことだ。
試しに発動していた【因子の解析】が、見事に反応してしまったんだよなぁ。
んで、脳内にこんなシステム音が響いてしまったんだよなぁ。
『――因子【精霊】を定義――』
嗚呼。
どうして『因子【神威】』とか『因子【次元】』とかじゃなくて。
よりにもよって、またこの【精霊】とかいう単語が出てきやがったんだ?




