本編-0127 曇りの先の霧と自信の代償
――あるところに、教育者志望の大学生がいた。
そいつがどうしてそれになりたかったのかは、置いておこう。家庭の歪みだとか、幼少期のトラウマと救いの話だとかは、聞く者によってはうんざりするような傷舐め願望としか受け取られないものだ。
ともあれ、そいつは大学二年生の時に、A教授の伝手でX県のある小中一貫校の心理相談室みたいなところの相談員ボランティアを始めた。初めは、M省お抱えの審議会委員でもあったA教授のゼミが非常な人気ゼミであったため、それに入れてもらうための点数稼ぎをしようという下心からだった。
塾の先生のバイトをしていたこともあり、子供の扱いなんぞ余裕さ、という驕りがあったのも事実だろうな。そうして2年ばかり、その小中一貫校とは関わることとなったわけだが……これ以上は、野郎がまた起きてしまうから、蛇足ということにしておこう。
愛原祈。
「その名前」がオーマを侵すほどに厄介であるのは、そこで出会った「生徒」の一人だったからだ。いや、あるいはそれ以上の意味を持っていたかな? そこは、認めざるを得まいか。
イノリは――"魚"や"深海魚"といった、水棲生物の絵を描くのが好きな子だった。よく「生まれ変わったら魚になって自由に泳ぎ続けたい」などと言っていたな。あの年代にありがちな「自由への希求」が、空を飛びたいとかいうのではなくて、抑圧されたような深い海中を漂いたいなどという形で現れていたこと自体、彼女がどういう子であったかを推し量る一つの材料かもしれない。
それとも■■■■■は、その時それに気づいておくべきだったかな?
……まぁ、いい。
全てを忘れて生きてきた。
そんな平穏だったはずの、何の変哲も無い1日の終わりに、俺はこの異世界に迷い込んだ。だから、またさっきのように、記憶と意識、人格と感性を乗っ取られるわけにはいかないだろう? 「オーマ」としての日々は色々と愉しいし、これからさらにさらに愉しくなっていくところなのだというのに、またあんなことをする羽目に陥るなんて、性質の悪いジョークにもなりゃしない。
今、俺が話したのは、どこかの哀れな青年が体験した事柄の簡単な総括だ。
単なる伝聞。決して、オーマが過去経験した物語だとかそういうのでは、ない。
***
問いの意図を勘違いしたか、ルル=ムーシュムーの返答は、ほんわかとしたものだった。
「はい。その疑問も、もっともですね……マスターが殺された時、私は知性も心も持たぬただの一匹の"小魚"にすぎませんでしたから」
「"その名"を知っていても、それを知る能があったことを伝える術を持たなかった、と言いたいのか? 貴婦人とやらよ」
もしもこの前任者が、俺の知っているイノリその人なのだとしたら。
あぁ、悲しいことだが「この世界」もまた、彼女にとっては安住の地とはなり得なかったということ――まぁ【魔界】戦国時代なんて厳しい環境じゃあな。
モヤモヤが収まらない。
だが、ル・ベリの軽い誘導尋問に耳を傾けているうちに、オーマとしての皮肉を愛する心が落ち着いてくる。今度こそ【強靭なる精神】に明確に「■■■■■の意識」こそは俺にとっての「精神的な状態異常」であると定義づけて――二度と、さっきのようなことが起きないように、厳重に心の檻を構築し終える。
「殺した仇の名前も、覚えているか?」
「無論です、マイ・マスター」
一呼吸、気を鎮めているようにも見てとれる。人間部分の肩をわなわなと震わせ、この天然人魚をして様々な負の感情が去来しているのが手に取るようにわかった――待て、ルルの感情が俺にそのまま伝播してくる、だと? これは、もしや。
「それで、その名前は? 可愛らしい人魚さん」
「……イセンネッシャ。眷属仲間が皆殺しにされる中、私だけが、私だけが、こうして臆病にも生き延びてしまったことをお許しください」
ささやかな疑念が生じたか、優先度の高い情報が得られたため、ちょっと後回し。ルルの証言が確かならば、やはり【騙し絵】家の【空間】魔法の正体は――ほぼ確実に【魔界】の迷宮システム由来のものであったか。過去に考察した中では「可能性その3」が一番正解に近かった、というわけだ。
だが、そうすると同時代人であるはずの俺とイノリで「この世界」に迷い込んだ時期がズレている。時空の捩じれがあるな? その意味まではまだわからないが――イノリを、俺の『前任者』を殺害してその"迷宮核"を奪い、歴史上は稀代の大魔導士として知られたイセンネッシャという男が【騙し絵】家の始祖となったのは、この世界の歴史では400年前のことである。
「教えてくれ、ルル。前のマスターは、"何使い"だったんだ?」
「はい、マスター。以前のマスターは、【水源使い】でした……ですが、その質問をされるということは、やはり」
あぁ――確かに、水棲生物に惹かれる少女だったな。だが……「水棲」でも「水族」でも「魚類」でもなく『水源』、か。それが、お前の「世界の認識」の仕方だったのかな?
でまぁ、そのように"翻訳"されたことの心は、迷宮システム下の生物種の傾向それ自体ではなく「生態系」的な側面の大きさを強調することにある、のかもしれない。あるいはその点を以って、ルル目線で俺とイノリは"近しい"ものであると見えたろうか? まぁ、そもそもの迷宮核が発生したのが「同じ場所の"裂け目"」においてなのだ、魔法学だか魔素・命素の【人界】【魔界】間の循環関係的な面では、諸々のパラメータがそもそも"近かった"ということもあるのかもしれない。
ミシェールに目配せをすると、俺の問いを先読みしたか、目を伏せ軽く首を横に振って否定する。
ふむ。【魔導侯】の一族であり情報蓄積能力の卓越したリュグルソゥム家の知識においても【騙し絵】家の"秘匿技術"は【空間】魔法による転移能力であり、水棲生物を操るだとか「水域」の環境に干渉するだとか、そんな能力がある話は寡聞にして聞いたことがない……と。
ならば、こういうことだろう。
経緯は不明だが【騙し絵】家の始祖イセンネッシャは、融合型の迷宮領主であったと推定されるイノリを殺して"迷宮核"を手に入れた。だが、迷宮領主としての力を完全に得たとは言い難い。【人界】での迷宮領主的能力の制限の影響か、はたまた迷宮核を入手して直後に"裂け目"から離れてしまったのかはわからないが、奴の「世界の認識」は奪い取った迷宮核に浸透することができず、【○○使い】になり損ねたのかもしれないな。
あくまで【領域転移】系の技を、魔法学的に再現しただか何かで"秘匿技術"を確立して、その力で以ってイセンネッシャは『長女国』内で頭角を現し、子孫は【魔導侯】にまで上り詰めた――と。
『我が君。そうであるならば、ツェリマが何も知らなそうでいたことの説明が、一応はつきます。【騙し絵】家は、走狗である【幽玄教団】に対して関所街ナーレフへの干渉を禁じる命令を下していました』
『……なるほど。ミシェールよ、つまり自らを【魔導侯】とかいう雲上の地位たらしめる技の、その「根」が御方様と同じものであるならば――下手に暴きたてるのは、奴らにとっても墓穴を掘りかねないということだな?』
『その通り。それと、ル・ベリさん、政治的な理由もあるだろうな。【破約】派は、言ってしまえば麗しき『長女国』を含む現体制の転覆を狙う連中だ。その意味では、迷宮や"魔人"の脅威をあえて広く喧伝してしまって、『長女国』としての一致団結を図っても面倒なだけなのかもしれない』
『だが、ルクよ。始祖がその力を得た因縁の地を、忘れてしまうものなのか?』
『あるいはイセンネッシャは、己と【魔界】の繋がりを悟られぬように、意識して関わりを絶ってきたのかもしれないな……そんな場所で得た力など"禁術"扱いになるなんて簡単に想像できる』
――そして成り上がるまで、いや、成り上がった後も"謀略の獣"として他家と陰惨な抗争を繰り広げる中で、こうした始祖の来歴が失伝した、と。
考えられない話ではないが、これ以上は【騙し絵】家にとっての「秘史」であろうし、そうすると……一族とはいえツェリマの如き汚れ仕事役が知らされている可能性は低そうだ。まぁ、当主なんかの一族の指導者層については【魔界】や迷宮に関する知識を、何らかの形で継承しているという前提で物を考えるべきだろう。
『【破約】派、か。その主張について改めて、それから歴史的な経緯とか政治的な背景とか……関連する魔法学上の議論とかも、次はもっと詳しく検討と分析をしようじゃないか? 全く、一つ情報が確定する度に、不確定情報やらがその倍は生えてきやがるなぁ』
眼を覆う曇りを、地道に一つずつ晴らすしかない。
近い距離の霧が晴れて、さらに遠くまで見通せるようになったが故に、遠方の霧の更に深きにばかり捉われても仕方がない……少なくとも、すぐ目の前の霧が晴れたのは事実なのだから、な。
『で、だ。聞いていたのか? ルルよ』
『――はい。マイ・マスター』
『へぇ、それでも俺のことを「創造主」と呼ぶんだなぁ?』
ル・ベリが「な!!」と声を上げ、ミシェールが値踏みするような眼差しをルルに向ける。
『きゅぴっ!? 新顔さんがいきなり!?』
『あら? 何でしょう、この可愛らしい"声"は……こんにちは、貴方達のお名前はなんでしょうか?』
『聞いてもののけ、僕はっ』
『ちょっと待て、ストップだストップ! 仕事をサボるなどっか行け、知恵熱で沸騰するまで働けぷるきゅぴども』
『ぶーぶー! きゅーきゅー!』×6
悪い意味で打たれ強く好奇心旺盛なくせに能天気な脳みそどもと、根が天然でほんわかとした性質であるルルを、何の備えもなく気ままに会話させたら――多分、話が一向に終わらず進まない。そんな物凄く嫌な予感がしたので、迷宮領主権限で強制的に副脳蟲達とルルの【心話】をぶった切っておいた。
ごほん、それでは気を取り直そう。
おそらくは「氷像」状態で遭遇した段階から既にそうであったか、俺の迷宮核は、何らかの確認や警告を俺に与えるということもなく――ごく自然当然のようにルルを「配下」として認定してしまっていたのである。その時は戦闘中で全く意識してもいなかったが……当たり前のようにこうして【眷属心話】ができてしまうことに、ルルの方が先に気づいたとのこと。
それもあって、当初は俺を「イノリ」の生まれ変わりだか何かと思い込んだのだという。そして会話の中で違和感に気づきつつ、【眷属心話】を試したところ、俺の脳内が主な議論場である「エイリアンネットワーク」に繋がってしまいル・ベリとルクらの会話が聞こえて今に至る、と……「俺」とイノリの関係性についての独白までは、当然聞こえていないはずだがな、ルルに限らず。
「改めて名乗ろう。我が名はオーマ、【報いを揺藍する異星窟】の主たる【エイリアン使い】だ。教えてくれ、ルル、どうしてお前は未だに俺を"マスター"と呼ぶんだ? 初対面だろう、俺達は?」
「そうかもしれません。ですが、貴方はイノリ様その人ではなくとも、その"後継"。とても近しい魂を持っていることを、感じます――それに【泉の貴婦人】として、あの子達の提案を受け入れて、今回の事件の解決を委ねることを決めたのですから。それが、マイ・マスター・オーマ様だったのですね」
あぁ、なるほど。
俺はちらりとルルの隣に斃れたクレオンを見る。力を使い果たし、眠りに落ちているのだろう。あるいは魔獣自体の命が弱まっているのか、【封印】された"燃える蝶々"の印が淡く明滅していた。
解放してやるにせよ介抱してやるにせよ、ソルファイドが目覚めるのを待たなければならないが――今は後回しだ、炎も消えているから奴隷蟲達にソルファイドの下まで運ばせておくか。
「【泉の貴婦人】として、か。知性も心も持たない"ただの小魚"だって言ってたな、ルル。そんなお前が、どうして、こうなった? お前は何の因果で【人界】に迷い出て、それで"季節を操る"なんて力を得たんだ?」
「申し訳ありません、マスター……私には、イノリ様が殺されて後の記憶が、ぼんやりとしか残っていないのです。ただ、必死に"裂け目"を潜って逃げ出した――その後の記憶がありません。ですが」
ルル曰く。【異界の裂け目】の銀の水面を潜るその時に、何かに身体と精神をかき回され、分解され、根本から作り直されるかのような感触を味わったかもしれない、とのこと。
(あるいは、それが【精霊】と関係している部分、か?)
本人が覚えていないというならば、情報収集は切り上げて、早速ナーレフへ向かうこととしよう。あの関所街を掌握する上で、ルルを連れて行くのは、圧倒的に物事をスムーズに運ぶための十分条件である。
積もる確認事項もまだまだあるのだが……今ここでこれ以上問い詰めるのは徒労だ。それは【魔界】へ戻ってから、落ち着いた環境下で改めて【情報閲覧】するなり、クレオンを処置してから"春司"から情報も得て突き合わせたりする方が良い。
「ルル、お前が俺の"配下"のつもりなら話は早い。早速で悪いが、これから一つ大仕事をしてもらうぞ? 良いか――」
***
【紋章】のディエスト家。
その廃嫡された元嫡男にして、現当主の長子たる中年の男ジェローム。
不健康にして神経質、視野狭窄である癖に妙な所で無駄な行動力を発揮し、事態を悪化させることにかけては天性の才能を持つ――その地位からして最も求められる「魔術師」としての才と「為政者」の才の代わりに、だ。
要するに"無能者"。彼の父が【継戦】派勢力を率い、強権的かつ冷酷ながらも、実のところ『長女国』が【王権】派と【破約】派の内部抗争・分裂内乱に陥ることを食い止めていることと比して、その存在は陰ながら恥部とすら言われていた。
だからこそ【紋章】侯ジルモは早々に手を打ち、長子であっても優遇せずに廃嫡し、才児と名高いジェロームの子ジグルドを取り上げて、嫡孫に仕立てたが。
故に、ジェロームの存在価値はジルモの政敵達にとっても、さほど価値あるものではなくなり、陰謀の囮としてすら関心を持たれることは無くなった――それがこれまでのジェロームという男に対する評価である。
だが、今の彼を見た者は一様にその評価を変えるだろう。その堂々たる振る舞いは、放つオーラでさえもが【魔導侯】家の者たるそれである。
「――以上だ。これが、私が『兄弟団』に出すことのできる条件だ」
「悪くない。あんたの背後に、あの"鑑定士"サマがいるかもしれないってことを、つい忘れそうになっちまったよ……おかしいね、下馬評じゃジェローム殿下は『無能者』だったはずだけれど、雲上人様方によくある貶し合いって奴だっただけだったのかい?」
「ベネリーさん、本当に受ける気なんですか……? 今の俺達の力なら、このまま"ワルセィレの復活"だってできるはずだ、それを――」
「サンクレット、あんた【紋章】家の私兵軍を相手に押さえきれるのかい? ――今回、事が上手く言ったのは全部ハイドリィの野郎が自演自作した挙げ句、盛大にすっ転んで自滅したに過ぎないんだ」
「【紋章】家は私が押さえる。『兄弟団』の血気盛んな者達はベネリー女史が押さえる。そうして実質的な"自治都市"としての既成事実を作り上げていくことができる……若い勇士の君には、難しい話かな?」
"ハイドリィ派"として粛清された者達の亡骸も未だ片付けきらず、ある意味ではハイドリィが統治していた時代以上にカラスが飛び交う検問所を背に、『森の兄弟団』に制圧された関所街ナーレフ代官邸の一室で行われる会談。ジェロームが『森の兄弟団』の武力部隊のリーダーに投げかけたのは挑発的な言動であったが、制圧されたナーレフに単身乗り込んできたことと合わせ、それは従来の評判とは全く異なる胆力の表れであると受け止められた。
そしてジェロームがもたらした報――【人物鑑定士】の策謀により、ハイドリィが【泉の貴婦人】を支配しようとして逆に"季節の司"達によって撃退され、自滅したこと――は驚きを以って迎えられ、真偽を見極めるべくこの場が設けられたというわけである。
元々『森の兄弟団』側としても、ジェロームを取り込んでハイドリィに対抗するという考えは存在していたのである。ハイドリィが決起に際して「幹部連絡員」達を抹殺し、ネイリーがベネリーを攫わせてその危難から救ったことで――彼女の決断が事実上の『兄弟団』としての判断になる。
勇士サンクレットは政治的な素養は未熟であり、またベネリーを慕っていることからも、その意見に反対するということは無かった。実際、勢いに任せて蜂起してしまい、後のことはせいぜい【泉の貴婦人】を救出に行くという程度のことしか考えていなかった。そんな彼に対し、ベネリーとジェロームの二人が、関所街ナーレフを"実質的な独立"へ導いていくための現実的な手順について諭していった。
決して互いに100点満点と言わずとも、十分に及第点と言える"合意"を結ぶことができたと考え、ジェロームがベネリーとそしてサンクレットと固い握手を交わすのは、それからさらに2時間ほど話し合いが続いた後のことである。
そして、その結果を意外なものと考える【人物鑑定士】の配下が、ここに一人。
ジェロームを送り込んだ張本人たるルクにとっては、せいぜい己がオーマに先立って関所街入りするまでの時間を稼げれば良い、という程度の認識であった。
「うーん、腐っても【魔導侯】の血統て奴か。案外キッカケが足りなかっただけで、ジェロームにはそういう才能があったということ……だとすると、【紋章】侯は愚息が一皮剥けることをそれなりに確信していたってわけか」
街中の『森の兄弟団』と新旧住民を交えた暴力の応酬、混乱状態は、ベネリーが号令をかけたことで下火になりつつあるも、未だ各所裏通りなどで小競り合いが続く状態にはある。それでもルクが予想したよりはずっと秩序は快復傾向だが。
ともあれ――【精神】魔法の副作用のせいで、ジェロームを少々「有能者」に改造しすぎてしまったか? と苦笑する。
だが、そんな事態も想定して、わざわざシーシェに預ける予定であった"獣人奴隷の子供達"と合流・回収してきたのだ。
道すがら治安回復に努める『森の兄弟団』を次々と【精神】魔法の支配下に置き、代官邸へ案内させる。そして、ジェロームの言を信じて「貴婦人様を迎える」準備を進めるためサンクレットが代官邸を去るのを見とめてから、中に入り、会談が行われていた代官の執務室の扉を【風】魔法で乱暴に叩き開けた。
「やっぱり現れたわけだね。やられたよ、まさか【御霊】家の生き残りさんまでもが【人物鑑定士】サマの協力者だったとは……ね」
さて。
ここまでのことだけを述べれば、ジェロームという男への評価はこうだ。
単身騒乱状態にあった関所街に乗り込んで、前代官の引き起こした大混乱を見事収め、それどころかナーレフ統治上の難事であった『森の兄弟団』をも懐柔して傘下に取り込んだ、と『長女国』の社交界隈は受け止めるだろう。
それまでの"無能者"が大化けし、大貴族たる【紋章】家の跡継ぎとしても、それまでの汚名を返上するには十分な功績である。
だが、ルクとしては――"首輪のついた無能"を一体製造しただけのつもりであった。それが思わぬ副作用を発揮して"首輪のついた有能"になってしまったわけだが、"首輪のついていない有能"であるよりはずっとマシであるか。
何せ、独自行動を取らせないために、縛り操り続けるために「首輪」を括り付けたのであるから。
そうだ、そのための"子供の獣人奴隷"達である。
ベネリーに続いてジェロームが、何故かルクがそこまで連れてきた"獣人奴隷の子供"達を目にするや――。
「おぉ……おぉぅ……っっ……!」
「ど、どうしたんだい?」
急に立ち上がり、胸に手を当てて感極まったかのような嗚咽を吐き出すジェロームの姿を見て、ベネリーが露骨に引きつったような表情を浮かべる。それをちらりと横目に見つつ、ルクが意地の悪い笑みを浮かべた。
「あぁ……お、お前達……無事だったのだな!? この世で最も美しい……あぁ、なんて雄々しく、野性的で、愛らしく、生命力に溢れて……あぁっっ!! わ、私がお前達を……ぉおっ、守護ってやるからな!」
「ちょ、ちょっと本当にどうしたんだい!? ――あんた、あんたが何かをしたの、かい?」
神を信じぬ者が奇跡に出会って改心したら、あるいは人生に悲嘆した絶望者が"真実の美"をしって感動の極みに陥ったらこうなるであろうか、と言わんばかりの男泣き。それは、その母性で以って何人もの男達を"泣かせ"てきたベネリーをして、ある意味では見慣れた光景であったが……鼻をつくような「失禁」の臭いまでジェロームが漂わせるのを見て、それをにやにやと愉しそうに眺めているルクの姿を見て、様々な察しがついたようであった。
「強欲な奴隷商人のせいで、手持ちじゃ足りなくてね。代わりに、とある閨の寂しい男が、この哀れな獣人奴隷達をどうしても買い取りたくなるように誘導したんだけれども……ちょっとやり過ぎたかな?」
これでは、ジェロームを利用しようと近づいてくる者達も躊躇するだろう。【懲罰戦争】を長く続けている手前、秘密の趣味や研究対象として手荒に扱うならばともかく――「亜人」愛好などという倒錯極まりない性癖など、露見すれば『長女国』の社交界隈では鼻つまみ者となるだけである。
そして、ルクはジェロームに"獣人奴隷"の子供達を与えて撫で回させるに任せつつ、その痴態とベネリーとを交互に意味深に見比べることにより……間接的に「お前もこんな風に精神をいじくることができるぞ?」と威圧して、沈黙が流れてからすぐのこと。
『森の兄弟団』団員の伝令が【泉の貴婦人】の到来を伝えに、大声で駆け込んでくるのであった。




