本編-0126 この世界に、お前の出番は無い
「わ、わたしの"力"が……【奏獣】が破られた……! そんな、馬鹿な――!?」
ハイドリィには自失している暇も与えてやるものか。
風斬りツバメシータが急降下ざま、腰の抜けた若代官を突き飛ばして転倒させ、鎧の隙間に鉤爪を食い込ませる要領で一気に空中へ攫う。そこに誘拐小鳥達もわらわらと集まってきて、四肢を羽交い締めにして無駄な抵抗を封じる。
「季節の司」という最大戦力が失われ、士気も闘志も砕かれたナーレフ軍はエイリアン達にまともな抵抗をすることができない。次々に食い破られ、少しでも気骨の残っていたものはル・ベリが文字通り締め上げてしまう。
軍事学的な意味ではなく、もっと一般的な意味での"壊滅"状態である。
「出番だ、運ぶために這い出せ奴隷蟲ども……あぁ、文官ぽいのと隊長ぽいのは、可能なら生かしておけよ」
ハイドリィが"名付き"達による「お手玉」の餌食となって空中と地上を行き来している。アルファ以下の考えをウーヌス達が俺に中継して曰く『次に創造主様の身に危険が迫った時のためのリハーサルさんなんだきゅぴ!』とのことだが、本番後にリハーサルをしてどうすると言いたいが、ともかくあちらの処理はもういい。
問題は――魔導部隊の方か。
窮鼠猫に腸を裂かれつつも、壮絶な自爆攻撃でその爪を吹き飛ばす、喩えるならそんな状況だ。
『申し訳ありません、我が君。私の軽率な発言を利用されてしまったようです』
いやぁ、俺にだってお前にだって想定外はあるものさ、ミシェール。
良い奇貨があるなら悪い方に転ぶ奇貨だってある……いや、こりゃ単なる文字通りの時限爆弾か。よもやあの魔導兵達、一度は放り捨てた【紋章石】を改めて拾うとはなぁ。
隊長ヒスコフが未だ健在なのだ。半数以下に討ち減らしたとはいえ、それなりの組織的な抵抗は予想の内。真綿で締め付け、玉ねぎの皮を剥ぐように削り取ってやるつもりだった。
ヒスコフも部下思いの隊長らしく、自身の身を危険に晒してまでも、一兵でも多く救おうと金髪を血に染め上げてまで決死の抗戦をしていたわけだが。
『この世は想定外でできている、と思ってしまうな? そうさ、この展開は他ならぬヒスコフ君にとってこそ、想定外じゃないかなぁ』
『その様子ですね。ですが、わかりませんね、家族でもない者のために命を捨てて抵抗するとは……』
エイリアンネットワークより戦況を伝え聞いたルクが嘆息する。まぁ、家族至上主義の閉鎖的な一族の上、王家の力が弱すぎて、身分に基づいた忠誠心なんぞ大して涵養されなかった【魔導侯】一族の末らしい感想だな。
――人は、時に何かのために命を捨てても良いという覚悟を決められるし、実行もできる。まぁ、それは必ずしも良い結果をもたらすとは限らないがな。ちょうどあの時のように……っとと。
深い深い位置に封じ込めたはずの記憶が、魔導兵達の決死の決意を目の前にして、不意にこぼれ出そうになった。
油断も隙もないな。
「この世界」にお前の出番は、無い。だから眠っていろ『■■■■■』。
ヒスコフ魔導部隊に意識を戻そう。
シンプルな話だ。部下達を逃がそうと奮戦するヒスコフと同様に――そんな「おら達が大将」をこそ逃がそうと、生き残りの魔導兵達が、火事場の神懸かり的な連携を発揮していたというわけである。
一人一殺で走狗蟲と切り結び、凶爪に斃れるや、放り捨てたはずの【紋章石】に這い飛びついて、そこにあらん限りの魔力を注ぎ込む。それは生命力をすら内なる魔素に変換した決死の反撃であり――無視できない威力の"魔力爆発"が発生するたびに、包囲網が食い破られていく。
それを見たル・ベリがとどめを刺すべく飛び込もうとするが。
「破ァァアアッッ! ハハハハハッッ、ハハハァッッ!!」
暴走機関車の汽笛の如き不快な爆音で笑い散らしながら、何処から潮気と蒸気を撒き散らす"巨漢"が、ついに再襲来してきた。
奴にはソルファイドの回収と同時に特務隊であった冬季仕様の戦線獣達を差し向けていたんだが――パワー系にパワー系をぶつける思惑は外れた。つい今しがた全てが撲殺され、今こうして魔導部隊との合流を許してしまった。
「忌々しい化け羊野郎はもういないぃッッッ!! 海帥の昂ぶりをッッ!! 竜人の代わりにお前らが喰らいやがれッッこの化け物どもッッ!!」
獰猛な笑みとともに、デウマリッドの周囲に命素が渦巻きほとばしる――何らかの武技を発動したようだな? "季節移ろい"により周囲の氷雪は急速に消えつつあったが、しかしまだ溶けきってはいない。それらの残雪が爆ぜ弾ける、と同時にデウマリッドの周囲に複数の「巨人の拳」のようなものが現れた。
それらは陽炎のように揺らめいており、ちょうど残雪が急激に昇華してデウマリッドの【海嘯甲冑】とやらと一体化したかのように、"巨漢"の周囲に像を結んでは消えを繰り返して浮遊している。見るからに、その構成要素が氷雪由来の"蒸気"であることは明らかだった。
そんな"腕"を、デウマリッドは非常にわかりやすく使った。
力任せにぶん回したのである。叩きつけられたランナーが見る間に熱湯を浴びたかのように焼け爛れ、あるいは身体中の水分を見る間に生肉と冷凍肉の立体パッチワークに変えられてしまう――俺は見たままを話しているぞ?
どういう原理か理解不能だが、デウマリッドの"腕"は同じ一撃の中で、ある敵を炙ると同時にある敵を凍て付かせているのである。
物理的な意味での衝撃も相応のもので、迫っていたエイリアン達がことごとく吹き飛ばされ、宿り木トレント達も殴り壊される。投槍鹿イオータの豪槍すらも弾き飛ばされてしまった。
いかんな、攻勢を止められた。あの乱戦では塵喰いウジイプシロンの吐く粉塵では巻き添え被害が割りに合わなくなる。
「チイィィッッ!! やはりこの程度の量じゃあ、この程度の威力だってかぁッッ!?」
――より適した環境下ならば、もっと威力を出せるらしい。だが、それにしてもいちいち声の馬鹿でかい輩だなぁ。まぁ、幸か不幸か、そのおかげで直後のヒスコフとの会話もまた丸聞こえだったが。
「よぉッ、強敵よッッ! ここは悪くはない戦場だッッどうだ? ここで共に果てるのも悪くはないんじゃないかッッ!?」
「確かにッ! あの竜人とは次は邪魔抜きで闘りあいたいがッッ……あぁッ?! しまったッ! 俺としたことがッッ!! 決着をつけるつもりでいたからッッ! 名乗り合いを忘れてしまった!!」
「何ツ? いいや違うぞッッ父なる海帥は強欲者を罰するッ! 我が戦友の果て路に付き合わないのは最大の罪ってぇことよッッ……うん、なんだッッ?」
「――ヒスコフよう。ここはお前の"果て路"じゃあ無いって言いたいのか?」
"巨漢"が一瞬だけ狐につままれたかのようなキョトンとした表情になる。しかし、それを見たヒスコフが疲れたような、しかし目だけは諦めていない……という表情で何事かを述べるや。
我が意を得たりとでも言いたげなほど、満足したような笑みを獰猛に浮かべたデウマリッドが、力強く頷く。
「任せておけッッ!! 戦友の"果て路"に付き合うことこそ戦士の本懐ッッ俺にいい考えがあるッッ!!」
会話の間も「火傷と凍傷を同時にもたらす」例の原理不明の"腕"が暴れやがるため、手出しが難しかった。だが、よほど燃費の悪い技であるか、周囲一帯の残雪が急速に消費されると共に、腕もまた像を結ぶのが困難になったか、ついには全て雲散してしまう。
その隙を突いてル・ベリとアルファらが連携して躍りかかるが――ニヤリと嗤うやデウマリッドが大槌を逆袈裟に振り上げ、その軌道に沿って例の"腕"が一瞬だけ顕現。ル・ベリが触手の半数ごと凍て付かされて墜落し、アルファが半身を焼け爛れさせられて苦悶に斃れる。
"腹芸"をしてくるような賢しらな戦闘センスも備えた暴れ者ってわけか。
不意撃ちと相性戦の不運ではあろうが、こちらの大駒まで止められて襲撃の出鼻が圧し折られる。名乗りあげるかのように全身から凄まじい闘気を発し、徹底抗戦するかのように周囲を威圧したデウマリッドだったが――直後ヒスコフを担ぎ抱えるや、くるりと踵を返して森の奥に向かい突進。
脱兎も斯くやという切り返しにエイリアン達の反応が遅れ、遮ろうとした進路上の数体が、大槌の一振りで頭部を粉砕されて物言わぬ肉塊に変えられていく。
『ソルファイドはまだ起きないか? クレオンも……ダメそうだなこりゃ』
逃げられてしまう。
正直、デウマリッドの方はどうとでもできるが、季節の司達を操る魔法の開発にも関わったヒスコフの方は知っていることが多すぎる。ツェリマの時のように逃したくはないのだが……無理矢理にでも、ここで叩き潰すべきであるや否や。
次はミシェールを含めて連携攻撃させるか?
いや、デウマリッドの"声"は魔力をかき散らす北方蛮族の「まじない」の力を宿している。魔法による支援などは気休め程度だろう――逆に、ヒスコフの支援魔法はささやかなものであったとて、純粋なる戦闘技術では俺の配下最強であったソルファイドと互角以上の戦闘狂を、さらに手のつけられないレベルに強化しうる。
最終的には補殺できるだろうが、被害が大きくなりすぎる。下手すればル・ベリやミシェールも含め、"名付き"達の何体かは犠牲を覚悟しなければならない。
――大勢は決しているのだ。
ジェロームを確保しただけでなく、ハイドリィを生かして捕らえられたのは僥倖であった。これは良い方の想定外であり、『長女国』にさらに深く食い込み、またリュグルソゥム家の復讐にも有用な情報が得られることはほぼ確定。
だが、全て終えて帰宅するまでが「介入」だ。この戦果を最大限に活用できるようにするには、ナーレフを掌握するという、もう一仕事を片付けなければならない。【紋章】家が、事態を察知するよりも早く。
その視点から、配下や名付き達を失うリスクを負ってでも、とにかくあの二人を叩き潰せというのは、リターンと釣り合っているだろうか?
「目的」は、未だ地盤の整わないうちに、エイリアンの存在やこの俺が魔人であるという情報を漏洩しないことだった。
だが、ジェローム、ハイドリィ、ベネリーといった各勢力の重要人物をまとめて押さえたことで、例えば"情報操作"という意味では、ナーレフを訪れた当初に比べればずっと選択肢は広く取れる。リュグルソゥム兄妹も「謀略の獣」としての本領を発揮しやすかろう。
……ならば「目的」への「手段」として、殺して口を封じることはベストだが、それがリスクと釣り合わない場合に――『より制限的でない他の選びうる手段』に逃げるのは、不合理なことじゃあない。
『素直じゃないきゅぴねぇ、みんなが大事だって言えばいいのにきゅぴぃ!』
『……ウーヌス、ルクの元へ未使用の寄生小虫を何ダースか送れ、直ちにだ』
『きゅっきゅぴぃ!』
『ルク、予定を少し変更だ……お前が買い叩いた、その"獣人奴隷"達は、こっちへの増援に回さなくていい。代わりに――』
『各都市への主要な街道、支道に向かえぬように"巨漢"と"堅実"を追い詰める、ですね? ならば、私は一足先にナーレフへ戻るとしましょう』
『うむ? どうしたのだ、ルクよ。いくらお前の【精神】魔法とはいえ……やはりジェロームとかいう、あの男に任せたのは不安だったのか?』
『いや、そういうわけじゃないです。その点についてはむしろ効き過ぎたというか、なんというか――』
俺がグウィースを配置したのが奇貨ならば、これらはルクが配置した奇貨だ。
奴め、自分が"奴隷競り"をぶち壊した張本人でありながら、いけしゃあしゃあと売り損ね持て余された「商品」を残酷なまでの底値で買い叩いてくるとはなぁ……それですら俺達のナーレフでの"稼ぎ"じゃ足りなかったんだが、それを埋めるために、ジェロームにあんなことをするとは。
おっと、これはなかなか愉しい話題だから、後の楽しみにとっておこうか。
話を戻すと、この"奴隷"達は「奴隷狩り」に狩られてきた犯罪者である。獣人としては価値が高い方ではないが……広義の「人間」の範疇に含まれる彼らには【精神】魔法が通用するのである。故に、素の運動能力では「人間」を超えるため、即席の露払い兼肉壁に仕立てるのにはちょうど良い。故に、ハイドリィ軍襲撃への駄目の一押しとして伏せられていたわけである。
しかし時と共に耐性ができて薄れ通じにくくなるのが【精神】魔法の特徴。
長期間の使用には――寄生小虫を組み合わせるのが吉だな。彼らならば、存在が露見したとて俺の眷属よりは手痛くない。デウマリッドとかいう戦闘狂を補殺するのはいくらなんでも戦力不足だが……"果て"たくないらしいヒスコフというお荷物を抱えて逃走するデウマリッドを山林の奥に追い立て、常に監視されているというプレッシャーを与え続けて、そのまま干してしまう捨て駒としては便利だろう。
なに、"奴隷"なんだから今後いくらでも入手する機会はある……あぁ、でも彼らの文化で「子供」と見なされる年齢の連中には情けをかけようか。シーシェの所に一時預けておいてくれ。
『かしこまりました。"奴隷の反乱"という風説も流布しておくのが良さそうですね、その案ならば』
『最悪の最悪でも【騙し絵】家への駆け込みは阻止しろ。そうなったなら、後は"情報戦"の領分だろうな』
『我が君、ルク兄様。関所街で息を潜めている他家の「走狗」達への牽制と情報撹乱も必要かと』
そうだな。それについては餅屋だ、リュグルソゥム家に任せようじゃないか。
まぁ、それとて最悪の最悪で、追っ手の監視を破って逃げられてしまった場合のフォローアップだ。本格的な"山狩り"の準備が整うまで、最短で3日から一週間の間、動向を監視し続けられれば良い。
――敗兵掃討の指揮はこんなもんだろう。
ソルファイドに吸血鬼どもに、この戦場に散らばる魔獣や兵士・魔法使い達の死体を大掃除し【魔界】へ運ぶという大仕事が次の話題だが、これはまぁ雑務なため、副脳蟲どもに押し付けるに限る。
まぁ、兵力が損耗した分の余剰の迷宮経済の魔素・命素フローを一時的に奴隷蟲達の大増産にでも充てとくのが吉だろう。任せたぞ。
さて、次の仕置き。
この急速に"春"に移ろいつつある「泉」周辺だが、樹木は折れ砕け大地は抉り返され、災害の傷跡という言葉に相応しい有様で、これも何とかしなければなるまい。それが「春司」との約束だからな……元々そのための"適任者"として行動させていたグウィースに、予定通りこれは任せるとしようか。
「グウィース、よくやった。大手柄だな!」
「グウィース! みんな、頑張ったよ!」
わしゃわしゃと枝葉で構築された髪の毛を撫でてやると、満足したように笑みを浮かべる魔人樹幼児。
「そんな活躍したお前に、俺からのどデカいご褒美だ。お前には、ここの『泉』一帯の森を任せようと思う……喜べ、領主様だぞ?」
――まぁ、その前にこの「泉」の元管理者たる【泉の貴婦人】から、支配権を平和的に禅譲させなければならないがな。
ちらりと【焔眼馬】クレオンの方を見る。【封印】の力が中途半端に残っているのか、他の3司いずれもが"季節の魔獣"達から抜け出ていったのに対し、【燃える蝶々】は魔馬の身体に宿ったまま。それでも消耗が激しかったのか、その身にまとう炎が弱々しいが……その最後の残り火で、抱きかかえるように寄り添った【泉の貴婦人】を覆う「氷」を急速に融かしつつあった。
まぶたが微かに動いているのを見るところ、もう間も無く目覚めるだろうか。
もう一人の囚われ人であったネフィは全然で、もっと本格的な"処置"が必要そうなあたり、やはり【泉の貴婦人】は迷宮領主とは似つつも非なる存在との推測が働くわけだが、さて。目覚めるならば、ナーレフに発つ前に、気になっていた情報をいくつか聞き出しておきたい。
「グウィース? まかいの森さんは?」
……っとと、まだグウィースとの話し中だったな。
意識を戻せば、何やら心配そうな表情を浮かべたグウィースが、緑色の瞳をくりっとさせながら俺を上目遣いに見上げていた。
まぁ、元々グウィースには【最果て島】地上部の森林の管理を任せていた。彼なりに、そこに愛着も深まっていたのだろう、1を与えられるということは1を取り上げられるのか? と、幼児なりに素朴な不安心を抱いたようだ。
だから、俺はそういう意味ではないと微笑みかけてやる。微笑みかけてやってから、ちらりとル・ベリに向けて口の端を歪めた顔を向けてやり――すぐにグウィースに目線を戻す。
「あぁ……安心しろ、そっちも引き続きお前に任せるつもりだ。お前を、お前の兄貴ル・ベリに代えて我が【異星窟】の【農務卿】に任命する。新たなる【農務卿】グウィースよ、【魔界】と【人界】の両方で森を管理しろ。そして――"異界の裂け目"を越えて、この2つの"森"を繋げる方策と可能性を探ってくれ。それが、お前に任せる最初の任務だ」
「な……御方様!?」
この反応は自身が解任されたことへの抗議、というよりは、幼いグウィースに斯様な大任が務まるのかどうかという保護者心的なものの現れか。だが、何、俺が俺の最も忠実な最初の部下であるお前を遊ばせるわけが無いじゃあないか。
「ル・ベリ、お前は【内務卿】に昇格だ。【魔界】のゴブリン管理なんかもグウィースにちゃんと引き継いでいけよ? ――お前に今後期待するのは、もっと大きな役割。そうだな……ちょっとゴブリン以外の知性的存在の管理と統治について、学んでもらうおうか?」
『きゅぴ! 創造主様!』
なんだ――と問うよりも先に。
『貴婦人さん、逆さま人魚さんが、起きたよ! 生命反応さんに別条は無さそうなんだきゅ!』
***
女神の裸婦像を思わせる白い柔肌の上半身に、海藻色の長い髪を枝垂れさせ、開かれた眼はエキゾチックな深緑色をしている。それだけを言えば、ダース単位で芸術家達の心を鷲掴んでもおかしくない【泉の貴婦人】の美しきよ。
だが、難点が二つばかり。
まず彼女の瞳には死んだ魚のように感情がこもっていない。人形のように生気が無く、ハイライトだか光だかが入っていない……いわゆるレイプ目という奴だ。
そしてもう一点。その下半身は「巨大アロワナの上半身」が前びれで爬虫類のように這う異様であり――。
「ふわぁぁ、いい気持ちで寝てしまっていました――はっ、ネフィはどうなったのでしょう?」
声だけ聞けば「お、レイプ目彫り深い系美女なのに天然ちゃんか?」と一部の属性の男性諸氏が両手を上げて歓迎しそうな様子だろう。だが、これ、喋ってるのはアロワナ部分なんだぜ?
しかもソプラノ歌手のような超絶な美声を流暢に吐き出していやがる。
『全く、魔物さんの生態さんは摩訶不思議きゅぴねぇ』
『チーフ~、それって"生態"さんと"声帯"さんを~掛けてるの~?』
『あはは、ウーヌスにしては考えたなぁ!』
『ねー!』×3
ものすごく困惑したような気配、具体的に言えば「お前らがそれを言うな」的な気配が、ル・ベリとかルクあたりから漂ってきた気がするが、おう、気の所為気の所為。この俺はもはやそのような雑念には惑わされないのだ、それがこの有用なれどまともに付き合えば疲れるナマモノどもを上手に酷使していく秘訣――だなどと、馬鹿なことを考えた矢先。
死んだ魚然とした"人間部分"とは打って変わったかのような、生き生きと喜怒哀楽と感情の輝きを踊らせる眼差しを泳がせ、アロワナの眼差しが泳ぐ。身を案じる言動通り、おそらく知り合い以上の関係性であったろうネフェフィトの姿を探し、クレオンと一緒にあるを見とめるや、一安心したようにほんわかと脳天気なため息をついた。"人間部分"が胸に手を当て、アロワナ部分は額にヒレを当ててヤレヤレ的な反応を見せながら。
いや、マジで魔物とはいえどうなってんだこいつの生態は。
辺りに漂い始めた微妙な空気に全く気づく様子もなく、うんうんと頷きながら――ようやっと、マイペースな調子で俺に目線を戻して、人間部分とアロワナ部分が同時に固まった。
「あ、貴方様は……!」
おう、なんだ。
「創造主様……なのですか? ――あぁ、なんということ。信じられない、本当に、信じられません」
――へぇ。
「俺の前任者」について、出会い頭の一撃として切り出してやろうとしたところでの発言だ。だから、渡りに船とばかり、俺は口の端を歪めてやった。
「魂も、性格も、姿形さえも変わったとて、お前は気づくことができるのか? そうだな、証拠として、俺の名前を言ってみろ。ルル」
俺の常套手段、いつものカマ掛けである。
勘違いのまま、普通に交渉しては聞き出せないようなキーワードや単語なんかを口を滑らせようという魂胆だったが――結果から言えば、その意味では大成功。
だが、別の意味では大失敗だった。
「幾百年が過ぎようとも、貴方様の"気配"を私は忘れません、忘れるはずが、ありません。お久しぶりです、創造主様――アイハラ=イノリ様」
時が止まった。
ウーヌス達の声も、ル・ベリやらの声も、何もかも、迷宮領主オーマとしての思考が全て止まった。何も考えられないような、だが自分を別の自分が遠くから見ているような強烈な離人感が俺の意識を白く塗り潰す。
その"澱み"の中から浮かび上がってきたのは――『■■旗■■』としての"記憶"と"人格"の残り香だった。
――…… ねぇ、先生。わたしね、夢があるの ……――
――…… わらわないで聞いて? わたしね、おおきくなったら ……――
――…… ■■先生の"お嫁さん"になりたいな ……――
体が勝手に動く。
槍を自分に向けて逆手に構えた気がして、ウーヌスとモノが何かを叫んで、ル・ベリが俺を力づくで止めて、喉を伝うぬるい感触が"血"であると気づいて。浅く浅く切られた喉の傷跡の痛みさえ遠い感覚のようで。
だが、痛みのおかげで「オーマ」の意識が一気に戻った。【強靭なる精神】によって『■■先生』を、さらに奥深くへと全力で押し沈め、厳重に封印する。
あぁ。
クソッタレ。
「『アイハラ=イノリ』だと? 今、そう言ったな?」
迷宮核による"翻訳"が当然今のやり取りにも働いている。日本語を母国語とする俺にとって、それが表音文字たるカタカナで表現されたということは、つまりこれは「意訳」ではなく明確なる「固有名詞」なのだ。
これが"偶然"ではないのだとしたら。
俺が迷い込んだ「この異世界」は、きっと俺が考えている以上に数奇で悪趣味なのかもしれない。
腰がすくむような、あるいは腹の底から怒りを覚えるような、俺自身でもよく理解のできない綯い交ぜの感情を、目の前で平身低頭する"アロワナ婦人"にぶつける形になってはいけない。だが、口から出てきたのは、思ったよりも怖い声であった。
「答えろ、泉の貴婦人。どうしてお前が、その名前を知っているんだ?」




