本編-0122 ナーレフ騒乱介入戦~凍泉の三つ巴⑥
【魔法の矢】に代表される直接的な手段で相手を傷つける『攻撃魔法』。
【精神】魔法の如き、物理的現象とは異なる搦め手による『干渉魔法』。
敵の行動阻害に主を置く『妨害魔法』もあれば、逆に己の行動促進を重視する『強化魔法』も存在する。あるいは相手の魔法効果そのものの打ち消しを狙う『対抗魔法』などなど。
その体系の複雑さと引き起こされる現象の多様さから、およそ『長女国』における"魔術戦"とは、攻守相性が目まぐるしく派手に入れ替わりがちである。だが、それは本職の魔法使いや魔法戦士として訓練を受けた者達に限った話。
多彩さを人数で補い「合同」詠唱によって同じ魔法でもより大規模に発動し――対集団での殲滅力や、強化魔法の恩恵をより効率的に一般の兵士達にまで行き渡らせることを主眼に置くのが「魔導兵」という兵科。
彼らはあくまで「兵士」であり「魔法使い」とは見なされない。その最たる違いは、魔法同士の干渉を避けるための"魔力制御"の訓練が不十分な点にある。
つまり"精鋭"ではあっても"消耗品"。
特に【紋章】のディエスト家にあっては、量産可能な【紋章石】という技術に基づくこともあり、兵集団としての練度とは別に――魔術戦闘における高度な連携に長けているわけではない。
なるほど、迷宮の眷属と化したとて、単なる魔力のぶつけ合いだけならばさすがに1対数十人というのはミシェールにも荷が重い。しかし、元最高位魔導貴族の末席を汚した者として、そうした魔導兵部隊の弱点……運用上の"癖"とも言うべきもの熟知していれば、捌きようもある。
攻撃魔法の威力こそ、合同詠唱によって破壊的かつ大規模。
――だが、要は発動をさせなければ良い。
あるいは、その発動目的を達成させなければ良い。
「合同詠唱、構え! 【矢】魔法、属性は【火】! 呼吸を整えて全列斉射!」
ヒスコフの号令下、未だ40余名残る精鋭達が機先を制する。
対しミシェールは不敵に笑うや、遅延詠唱で仕掛けておいた【風】の対抗魔法で火勢の方向自体を逆流させる。と同時に【精神】魔法【震え手の武勲】を重ねて詠唱。一時的に【火】魔法の制御が困難化したことに加え、【震え手の武勲】の効果により魔導兵達の功名心が異常に駆り立てられ、連携の呼吸が乱されてしまう。
結果、数十発もの【魔法の矢:火】がまるで五月雨の如くてんでバラバラのタイミングで撃ち放たれるが……これでは、"面制圧"によって敵の突撃の頭を抑えつけるという「斉射」の目的を達しようがない。
機敏さを武器とするランナー達をことごとく撃ち漏らし、その気炎を欠片も砕けないことに、魔導兵達の間に動揺が走った。
「亡霊め! 対抗魔法用意、【明晰なる心】を!」
即座に数名の部下が【震え手の武勲】を打ち消すも、それは確実にこちらの魔力と「一手」を消費させられたことに他ならない。ミシェールは既にヒスコフの判断を"詰み手"にて読み切っており、先んじて次なる詠唱を終えている。
【精神】魔法の維持を早々に放棄して「対抗」されるに任せ、自らは返す刀とばかりに、ル・ベリと一部の走狗蟲に広範囲の【活性】属性の強化魔法を掛けたのである。当然、「エイリアンネットワーク」によってル・ベリ達やウーヌス達と最適のタイミングを調整済みである――魔導兵達の目には、エイリアン達が襲来運動の途中でいきなり急加速したように見えたか。
激突の瞬間に肉体強化で急加速してきたために、エイリアン達に対し、迎撃のタイミングを狂わされた兵士が多数。
瞬発力を強化された【8本触手】によってル・ベリが数名をまとめてなぎ倒し、空いた戦列に脚力を強化されたランナー達が喰らい込む――が、鎧の上からでも確実な一撃を加えるや深追いせず。魔導兵達が反撃を見舞おうとする直前に、意思持つ引き波かの如く一斉に飛び退くのである。
そして、そのタイミングでミシェールの【敵対的な土塊】が大地を揺らして数名が膝をつき、追撃を封じられる。魔術戦でこれに対処しようとするや、再びエイリアン達がヒットアンドアウェイを仕掛けてくる。
こうした「寄せ」と「退き」の駆け引きにおいて、リュグルソゥム家の係累は、兵集団の指揮官にとって恐るべき難敵となる。ことごとく反応を読まれ、翻弄され戦闘の主導権を奪われるヒスコフであったが――それでも食い縛るように抗う。この撹乱撃の原因となったエイリアン達への強化魔法に対する妨害魔法を指示、劣勢の盛り返しを試みた。
だが、その瞬間を待っていたかのようにミシェールが嘲笑う。
彼女もまた、魔導兵達を護っていた強化魔法や属性防護魔法を打ち消す好機を狙っていたのである。そして、それこそを急所の一撃と考えていた。時にル・ベリの触手をも足場にして縦横に跳び回るエイリアン達のヒットアンドアウェイ戦術をも"詰み手"に組み込み、魔導部隊が翻弄される間に、遅延詠唱によって発動のタイミングを同期させられた何重もの妨害魔法の嵐が一気にヒスコフらを襲う。
さて、こうなってしまっては――お互いに「強化魔法」という"鎧"を引っ剥がされた状態では――生身での運動能力で生物としてより優れているのは、異形の魔獣たるエイリアンであることは火を見るよりも明らか。
強化魔法を掛け直すまでの数十秒間、それまでの善戦的抵抗が嘘のように多対一で集られ、あっという間に一小隊が戦闘不能に陥れられた。
「おのれ! 魔獣と共同戦線を張るだなどと、それがお前たち【御霊】家が討たれた原因なのだろうな、忌々しい!!」
【鎮守伯】家の私兵としては『長女国』でも上位に入る実力。
兄であり夫であるルクにそのように評された相手を、ミシェールは決して侮らなかった。故に露骨な挑発も涼しい顔で聞き流すことができる。油断すべきでない相手であり、対処のために兄がわざわざ己を主オーマの元へ送ったからこそ、ミシェールはエイリアン達による奇襲で"楔"を打ち込むことを「第一手」としたのである。
あくまでも「兵士」としての連携・集団行動が前提であることが、彼らの"強み"であると同時に付け込まれるべき"弱み"。個々で見れば下級の魔法しか扱えない兵士達を統制し、効率的な魔術戦闘のため、その場その場に応じた「使用魔法の選択」を行う指揮官達――最初の奇襲でその半数に傷を負わせたのは、そのためであった。
こうなっては如何に精鋭といえども部隊としての実力は半減以下。
その上、合同詠唱の性質上そもそも魔法の発動準備自体にわずかな"間"があり――相手が悪すぎた。例え数呼吸分の間であっても、リュグルソゥム家にとっては『止まり木』を通して"何百何千倍"にも引き伸ばされた「対応のための考察時間」に転換してしまうのである。
一族が二百年かけて蒐集した『魔導史』分野の知識をゆっくりと紐解きつつ、ルクと談笑を交えながら、ダリドにこの魔術戦を題材に講義を行うだけの余裕すらミシェールにはあった。
とはいえ、この戦場のための事前の"仕込み"もさすがに打ち止めとなっていた。
予定では魔導兵達の半数を討っているはずであるが、今一つ「削り」が足りていない――そも、こうした手品の類による翻弄と圧倒は長続きするものでもないことをダリドに指摘されつつ、息子の成長に満足しつつ、『止まり木』から意識を現実に戻したミシェールは早々に"保険"の札を切ることを選んだ。
「自分達が何を使っているのか。無意識に何を信頼して戦ってきたのかを、貴方達は理解しているのかな?」
「ッッ! 糞が、全員【紋章石】を捨てろ!」
"亡霊"の邪悪な微笑みに、困惑を打ち消さんとヒスコフが怒号を飛ばす。
だが、部下が全員反応できたわけではなかった。数名の背嚢や腰のベルトに括り付けられた小袋が、突如爆炸。かろうじて防御魔法の重ね掛けが間に合い被害自体は少なかったが……部下達の動揺を見て、ヒスコフはミシェールの悪辣なる意図を瞬時に察する。
つい先ほど、ナーレフ軍を襲った【紋章石】の爆発事故。
人為的に引き起こされた再度の"事故"に、ヒスコフの部下達の内、もはやそれが"不良品"による偶然のものと考える者はいなくなっていた。ミシェールが見下す中、慌てたように、切り札ともお守りとも頼んだ【紋章石】を投げ捨てていく兵士達。
「あはは、大した忠誠心だよね。よくもそんな"危険物"を、後生大事に持ち運んでたなんてね?」
……輪番兵達を『森の兄弟団』に始末させるために"粗悪品"の【紋章石】を行き渡らせる、という奸計をハイドリィが取ったのであれば。
どうして、同じことを、大元である【紋章】家自らがしないのだと自信を持って言えようか? 低位下級のものとはいえ、この国における栄達と権力への力の源を"才無き"雑兵達にまで行き渡らせることなどを、この国の魔導貴族達が本当の意味で良しとするだろうか? 万々が一にもその力を使って反逆などされた時の「保険」を用意しているのは、むしろ当然の発想ではないだろうか?
ヒスコフと同じ想像に至ったらしい部下達の瞳に不安の色が浮かんでいる。そしてそれが【精神】魔法により共鳴拡散され、不安は疑念へ、疑念は動揺へと拡張増幅させられてゆく。
魔導部隊の誰もが詠唱を止め、息を呑んで立ち尽くす。
そこに牽制の一撃として振りかぶられた"触手男"の一撃を迎撃魔法で弾き飛ばしつつ、ヒスコフは部下達に各自の判断で一体でも多くの敵を削れと指示を下し、再びの乱戦に備えるが――ミシェールの甘言は、まさにそれに先んじての心攻であった。憎らしいことに、わざと異形の魔獣達を退かせ、こちらがひと息ついて、そう想像してしまう"間"を与えてくるという狡猾さである。
だが、それはヒスコフに"気づく"機会を与えることともなった。
(魔導部隊ですら、いや、ハイドリィの野心だって、あるいは最初から雲上人どもの掌の上だってわけか……いや、待てよ?)
上昇気流に巻き込まれ、墜死してきた"才有る"同世代の若者達を数多見てきたヒスコフである。故に彼は、己を律し、浮かれず、事実を透徹なる眼差しで観察し続けることで物事の隠された裏側を見抜き――なんとか「処世」していく術を身に着けてきたという自負を持っていた。
そんな彼だからこそ、ミシェールでも化け物の触手男でも、この未知なる悍ましいほどに統制の取れた凶貌異形の魔獣達でもない、その裏側に潜む何者かの存在を直感した。
(狙いは魔導兵の殲滅――撃退ではなく抹殺を狙うのは、目撃者を残したくない、ということなのか?)
その"敵"は、あるいは虎視眈々と「ナーレフ軍対冬司」という好機への介入を狙っていたに違いない。であるならば……この状況下でも、まだ生き残る"芽"はあるのかもしれない。
ヒスコフの企図をよそに、ミシェールが畳み掛けのために【塵喰いウジ】イプシロンの投入をウーヌス達へ合図しようとした、まさにそのタイミングでのこと。その場に集まっていた、魔法に心得のある数十名全員が「異変」に気づいた。
およそ、人として体感したことの無い大気の感触は、まるで「夏」と「秋」と「冬」が同時に来たかのような。然れど、『長女国』の"天災"としては、ちょうど【風】と【土】と【氷】の属性が入り混じったかのような。
――「そうなること」を決して望んでいたわけでもない。
だが、元々デウマリッドの不審な行動を見て『冬司は既に【泉の貴婦人】への下剋上を成功させているのではないか?』という最悪の予感は、あったのだ。
そして"最悪の事態"と"最大の好機"は、時に糾えるものであることを、ヒスコフはこの時天啓が降りたかのごとく直感したのであった。
「さて、ひっくり返ったぞ、亡霊。これもお得意の"備え"の範疇かな?」
詠唱であれ嘲笑であれ、常に何らかの意味を持つ言葉を吐き出し続けていたミシェールが、この時初めて押し黙った。ミシェールだけではない。8本触手で暴れまわる魔物のような男すら、苦虫を何匹も噛み潰したような険しい顔で、ヒスコフ達のさらに後方に鋭い目線を向けていた。
その束の間、部下達に探知魔法を指示して情報を収拾し、ヒスコフは己の正しさを再確信する。
異形の魔物達は、どうにも3司の争いに介入を試みていたようで――それを先ほどの「気づき」と合わせれば、季節の司同士を潰し合わせつつ魔導部隊を含むナーレフ軍の殲滅を望む"敵"の狙いとは、つまるところハイドリィと同じものである可能性が高い。
結局のところ【泉の貴婦人】を押さえた存在が、ナーレフを舞台に渦巻く様々な権益と力を、実質手中に収めることになる。ハイドリィこそが、そのように舞台を整えてきたのであるから。
(半端な介入のせいで夏司と秋司が今度は冬司の支配下に置かれたのは皮肉の極みだな。全員を生き残らせるのは……無理か、せめて一番若いアルストッドは何とか。デウマリッドの大馬鹿をこちらに呼び戻せるかが正念場だな――!)
3季節が渾然と相生し、暴威を相乗させつつ、ばら撒き迫る。
それが、ハイドリィ率いるナーレフ軍だけでなく、何処から援軍を得て数を増していた"足爪"の大群達をも見事に足止めていた。だが、この展開にさすがの"敵"も焦りを覚えたのか、異形達はすぐに被害覚悟で諸共に突っ込んでくる様子を見せていた。その怒涛の如き襲来をを受け止めんとするハイドリィの鼓舞を流し目に見やりつつ、ヒスコフは挑発の笑みを改めてミシェールにぶつける。
ヒスコフを含む【奏で唄】に関わってきた者にとって、完全に予想外なる、真の意味での"災厄"の顕現である。ならば、それはこの"敵"にとっても想定外の事態なのだ。特に――「詰み」を狙っていた【御霊】家残党たる"亡霊"の女からすれば、遊技盤が突如横合いから蹴り倒されたに等しかろう。
「何がおかしいのだ、人間。貴様らの大駒が失われたのだぞ、むしろ絶望する状況ではないのか?」
8本触手の魔物男が訝しむように問うてくる。
対し、ヒスコフは改めて自嘲と不敵の入り混じった笑みを彼にも向けやる。
「お前達に嬲り殺されるのと、仲良く手を繋いで"災厄"に呑み込まれるのと、どちらが生き残る芽があるのかを一つ試してやろうということさ」
しかめ面を厳しくさせ、襲来せんと身構えたル・ベリをミシェールが手で制す。そして、妖艶さを通り越してもはや凄絶とさえ言えるほどの害意を込めた微笑をヒスコフに返すのであった。
「人形の分際で繰り手を踊らせようだなんて、なんて大胆不敵な平民だろう――でも、それが最善手であることも確か、か。いいよ、踊ってあげよう?」
「――少しでも怪しい動きを見せてみろ。貴様の腰を圧し折って、すぐにでも御方様の前に引きずり立ててやる。覚悟しろ」
***
称号【反骨の指揮者】によって与えられた能を駆使し、ハイドリィはナーレフ軍を何度となく奮い立たせ続けていた。
命を落としたものは多く、怪我を負った兵士はそれ以上に多数である。だが、ヒスコフからの連絡を受けてすぐに【紋章石】を捨てるか使い捨てる決断ができたのは、不幸中の幸いであったか。
本来であれば頼みの綱たる魔道具であるが、ハイドリィも知らなかった――知らされていなかった脆弱性によって"魔力爆発"をいつ引き起こしてもおかしくないなどと兵士達に知れ渡れば、今度こそ抵抗の意気は砕けて直らないだろう。
氷の雄山羊の大顎が、突如苦しむように身悶え、泉の方へ後退したことも戦線再構成の貴重な間となる。
だが、戦意を奮い立たせた兵士達の眼の前に迫ったのは、更なる苦難であった。四方八方から異形の魔獣が数を増して襲来、発達した後ろ脚から繰り出される恐ろしいほどの跳躍力と、翻弄せんばかりの俊敏な動きの中から鋭い"足爪"による獰猛なる一撃。そこに込められた闘争本能は、これまで討伐してきた如何なる魔物とも異質なもの。
――だが、それ以上に異質なのは、その存在自体であった。
「けもの」が「けもの」に似ていて、「ウロコ持ち」が「ウロコ持ち」に似ていて、「虫」が「虫」に似ているように、魔物もまた瘴気に中てられて魔物化する以前の"元の動植物"というものが存在する。
だが、この異形の魔獣達は……そのどれとも異なる。博物学には人並みの知識しか無いハイドリィであるが、それでも、どんな既存の動物とも異なるこの魔獣達が、それでいて明らかに同じ祖から分かれたとしか思えないような"凶貌の共通性"を有することに得体の知れない怖気を感じる。
"足爪"に"豪腕"、"鎌刃"と"羽付き"と種類は多彩なものの、いずれも、その肉の粘土細工を拷問して整形したかのような質感が、あまりにも似通いすぎていた。
故に、ヒスコフに遅れて、ハイドリィもまた得体の知れぬ第三者の思惑の介在を直感する――肉の粘土細工を整形した"何者か"の意思が、生命に対するある種の冒涜とも言える意思が、本能に透けて伝わったかのような悪寒が背に走る。
だが、そんな苦難すらも前触れに過ぎなかったことをすぐに知ることとなる。
真の絶望と混沌が目の前に訪れたのは、異形達を必死に迎撃し始めた直後のこと。
泥と氷雪の混合物が暴風が凄まじい勢いで降り注ぎ、あるいは叩きつけてきた――異形の"足爪"達を諸共に巻き込むようにして。
「馬鹿な!? 力が……融合しているだと? くッ――こんな、こんなことが……!」
果たして、魔法の扱える部下に探知魔法で事態を探らせるや。
信じ難いことではあったが、【旋空イタチ蛇】と【泥濘子守り蜘蛛】が「冬司」に付き従い、完全なる下僕となって進撃してきている、などという最悪の事態が明らかになったのである。確かに、予想外の冬司の抵抗を受けギュルトーマ家の特製の【封印】を解除しなければならなかったが……それによる悪影響は、あくまで司達の実体を捉え続けることができなくなることのみであったはず。
【奏で唄】の軛の下に置いて支配するという構図は変わらないはず――だというのに、それが破られている。
――このままでは、何もかも崩れ去る。
自らをも熱く"鼓舞"していたハイドリィの心中に、「エイリアン」達に対するものとは異なる、とてもわかりやすい恐怖が去来する。
全身全霊と持てる資源・知力の全てを投じて描いてきた絵が、己の予想を上回り制御がつかなくなっていくことへの戸惑い――例えるならば、絵の具が突如意思を持って暴れ始め、描こうとしていた絵図が全く狂っていくような崩壊の足音が聞こえてくるような――。
『代官! ハイドリィ代官、まだ芽はあるッ!』
"魔力爆発"という恐怖を押さえ込み、切り札として、捨てずに1つ残していた【アイギェルンの言の葉風】の【紋章石】がもたらしたのは、福音であるや否や。
ヒスコフの、必死な、しかし強い確信を得たような報告が直接耳元まで泳いでくる。【風】魔法によって構成された"言の葉"は吹き荒れる【風】の魔力に干渉されてところどころ途切れつつ不明瞭――それでも、切り札を使用したヒスコフの決意が天に通じたか。
抵抗と逆転の大要について、奇跡的に、主従は意思の共有に成功した
「待て、何を言っている!? この化け物どもを援護しろだとッ? 連中を剣に盾にしつつ、司どもを"亡霊"と共に封じ込めるだとッ!? ッッぇえええい!!」
そこで効果時間が続かず【言の葉風】が途絶え、ヒスコフとの連携が途絶。
魔力を失った【紋章石】を投げ捨て、周囲の戦況を鋭く確認する。今また兵士が数名、氷と岩石の混合物に薙ぎ倒された。ハイドリィはヒスコフが正気を失ったのかと思い、彼がいる方角を睨みつけるが――事ここに至っては、この優秀なる男を選び出した己の眼力にこそ賭けねばなるまい。
部下達に後退と防御陣形の再形成を命じつつ、取り囲み踊りかかってくる異形の魔物達への攻撃を大胆にも禁止したのである。すると驚くべきことに、敵意と害意と殺意を綯い交ぜにした強烈な威嚇を絶やさなかった異形の魔獣達が、まるで水を打ったかのようにナーレフ軍への攻撃を停止したのであった。
それだけに留まらない。
凶貌の魔獣達は、あろうことか人間の兵士による人間の兵士のための防衛陣形に合流。まるで弱点を補完するかのように樹上へ、氷上へ、負傷兵の間へと位置取り、飛来する氷礫やその中から生み出される『泥をまとう氷の小蛇』や『風をまとった土塊の羊』を迎撃し始めたのである。
そして異形の群れの中に、周囲と比較しても明らかに「俊敏かつ大胆に」躍動する、纏う存在感すら異質で威圧的な個体が数体存在することにハイドリィは気づいた。言わば異形達の"指揮官"とも思える個体達は、迫る3司に対して踵を返すように反撃を開始――まるで、互いの視覚と聴覚を共有しているかのような高度な連携を見せつつ、次々に生み出される"複合属性"の魔物の軍勢に斬り込み、季節の司達の"本体"に果敢な蹴撃を仕掛けたのである。
これにより、3司の進撃が停止。
異形と災厄が激しく潰し合い、その"余波"にハイドリィが兵士達を鼓舞して耐え忍ぶ中で――ヒスコフは魔導部隊の生き残り30余名に対し、ミシェールの魔法詠唱への合同詠唱を命じていた。
それは、単にナーレフ軍の士気を立て直すための【精神】魔法の範囲拡張を手伝うに留まらない。【風】【土】【氷】の3属性が調和しつつ荒れ狂うという"未知"の複合属性の"災厄"に対し、ヒスコフはミシェールに共同での「対抗」魔法の発動を提案したのである。
3司の暴走を叩き伏せることを優先したオーマの意に従ってミシェールはこれを受け、"止まり木"でリュグルソゥム家の総力を賭けて分析し議論し検討し尽くした"詰み手"を考案。十数種類にも及ぶ対抗魔法・干渉魔法・妨害魔法と弱化魔法を、1度に一つの魔法しか合同詠唱できないという魔導部隊の癖を十分に加味した「手順」でぶっつけ本番をヒスコフに行わせたのである。
――無論、矢継ぎ早の詠唱の最中でも、ル・ベリや、合流した切裂き蛇ゼータと数体の隠身蛇達が油断なく魔導部隊を監視している。ちなみに"止まり木"では「魔導兵部隊とリュグルソゥム家との相性の良さ」について、ルク達がその運用法を含めて根本から考えを改めるに至っているのだが、そんなことを表に出すミシェールではない。
最終的には、ハイドリィの指揮能力と、ヒスコフの鍛え上げた魔導兵部隊の熟練の魔法的継戦能力、そしてエイリアン達の生来の本能的な連携能力に、エイリアンネットワーク的な意味での前線指揮官能力を急速に発展させた"名付き"達の統制が、ミシェールが指し示すリュグルソゥム家の"詰み手"と加わった。
その結果、「お互いに盾にしようと出し抜き合う」というオーマの当初予想が外れたかと思われるほどの強固な対抗陣形が完成。人とエイリアンが肩を並べて"災厄"に抗うかの如く、三位一体に前進してきた季節の司達を文字通り食い止め膠着状態を生み出す。
"泉"の方から「春司」の仕業としか思えない"炎柱"が噴き上がり、同時に「冬司」が絶叫するかの如く、急激に【冬】の魔力を荒れ狂わせたのは、まさにこの時であった。
既に冬司の力が十全に及び、【泉の貴婦人】を侵す基点となっていた『氷漬けの泉』から、オーマの指揮によって貴婦人の氷像が分離される。【貴婦人】への支配力が急激に衰えていくのを感じた「冬司」が、彼女を氷像の中から逃さないように全力を注ぎ込んだのである。
――すなわち【旋空イタチ蛇】と【泥濘子守り蜘蛛】に対する貴婦人を通した支配が緩んだ。
「今だ! 魔導部隊、全員で【ワルセィレの奏で唄】を再詠唱ッッ!!」
この瞬間、ミシェールは「格下」を相手に初めて頬を歪めた。
ヒスコフが見せた"生への強烈な執着"が単なる囮に過ぎないと悟ったからである。
3司の"複合属性"を同時に狂わせ、融合状態から相克状態へ突き崩すための最後のダメ押しを合同詠唱させようとしていた、まさにそのタイミング。それは、"詰み手"成就のためにミシェールが極限まで集中しており、物理的に即応できない瞬間でもあった。
これを意図的に狙っていたのだとすれば、ヒスコフはミシェールの"癖"をも、その分析能力によって把握しつつあったということでもあろう。
即座にル・ベリとゼータらが動くが――間に合わない。
『今裏切れば犠牲が少なくない』タイミングであるからこそ、合理的に考えすぎる傾向のある「止まり木」の住人達と「エイリアンネットワーク」の副脳達は、虚を突かれる形となった。しかし、ヒスコフの決断は勇気であったか、それとも蛮行と呼ぶべきものか。10名近い魔導兵があるいは斬り裂かれ、あるいは絞め殺され、あるいは殴り殺され、あるいは遠方からのイオータの狙撃に貫き殺される。
それでも【ワルセィレの奏で唄】を止めるには至らない。「冬司」に供のように付き従っていた【旋空イタチ蛇】と【泥濘子守り蜘蛛】が、立ち止まり、わずかな頭痛を振り払うかのように身体を揺すったその直後のことであった。
「さぁ! 逆転してやったぞ、"亡霊"に"化け物"ども! 生きている人間様の力を思い知れッッ!!」
融合していた「夏」「秋」「冬」が解けるように分離。
"災厄"は当初の形態で再び顕現し、つまり【風】と【土】が【冬】に反逆してその駆逐を始める。至近での【旋空イタチ蛇】の裏切りに対し【雪崩れ大山羊】は即応ができず、瞬く間に暴風竜巻で構成された長躯の内側に吹雪ごと閉じ込められた。
そしてオーマのエイリアン軍にとって不運であったのは、冬司を連携して集中攻撃していた"名付き"達もまたこの一撃によって大打撃を受け、まとめて吹き飛ばされてしまったことであった。
これにより"秋司"たる【泥濘子守り蜘蛛】の手が空く。
巨躯たる蜘蛛は、それまで己が攻撃していた『人間』と『エイリアン』達を交互に観察し、己が改めて何を成すべきかを数瞬ばかり黙考し――。
直後、オーマはウーヌス達の悲鳴を通して、【泥濘子守り蜘蛛】の特殊能力が対エイリアン的な意味で非常に厄介なものであると思い知らされることとなる。




