本編-0118 ナーレフ騒乱介入戦~凍泉の三つ巴②
【泉の貴婦人】の使いでありながら暴走したと思しき「冬司」との衝突は想定内だったし、むしろその無力化こそが今回の主目的の一つ。
故に、俺は【魔界】に戻る前後からウーヌス達を通して、カツカツの迷宮経済と経験点をやりくりしながら――主軍を『冬季仕様』に練り上げたのだ。そうして【異界の裂け目】の裏側に潜ませていた軍の編成は、以下の通りである。
<『泉』攻略部隊(主軍)>
・走狗蟲 …… 80体
・走狗蟲(【氷】属性亜種化済) …… 40体
・戦線獣 …… 25体
・戦線獣(【氷】属性亜種化済) …… 10体
・噴酸ウジ(【火】属性亜種化済) …… 20体
・隠身蛇(【氷】属性亜種化済) …… 12体
・誘拐小鳥(【氷】属性亜種化済) …… 25体
・氷属性障壁花 …… 10株
・その他属性障壁花 …… 10株程度
・火属性砲撃花 …… 15株
・その他属性砲撃花 …… 10株程度
・肉塊花(【氷】属性亜種化済) …… 40株
『冬司』たる【雪崩れ大山羊】が、その名の通りの大雪崩れを発生させた主目標は、やはり泉の反対側にいるハイドリィ軍だ。向こうでも、檻から開放された『夏司』『秋司』を主力とした激しい戦いが始まっていた。
だが、たとえ俺のところに迫るのが単なる余波であっても、雪と氷の土石流が質量の暴力となって押し寄せてくる光景は、破局的なものだ。だから俺は【異界の裂け目】を限界まで、予め実験で確認した限界の広さ――子供用の10メートルプール程度――に押し広げ、眷属達に出撃を命じる。
だが、見るがいい。
"裂け目"から一気に溢れ出すのは、いつもの走狗蟲達の大群……じゃあない。
「ずりゅう」だとか「みちぃ」だとかいう肉感たっぷりな効果音を幾百何千にも重ねたおぞましい旋律と共に、40株を一本に連結させた【肉塊花】が、巨人の腸をぶちまけられたかのような凄まじい勢いで噴き出したのである。斯くなる謎肉濁流の水圧たるや、殺到してきた"雪崩れ"にも引けを取らない。
相手が銀雪と氷塊の津波を自称するなら、こちらは肉塊と緑血漿の洪水だと言わんばかりに、真っ向から正面激突――肉片と緑の血飛沫、氷片と雪片が砕け舞った。
冷たさを通り越して痛みすら感じるほどの寒波が吹き荒れる中でのこと。
"津波"だとか"雪崩れ"だとかいった手合いの真の恐ろしさは、後から後から押し寄せてくる「持続的」な質量の暴力に、呑まれ薙ぎ倒され、轢き潰されることである。押し止めるにはこちらも質量の暴力で対抗相殺を狙うしかないが――なんとか、大雪崩れの衝破力を根こそぎ受け止められ、吸収しきることには成功した。
……いや、何。
確かにこの【偉大なる肉壁】こそが、今回の大規模戦闘に向けた"仕込み"だった。だが、これは本来想定していた「用途」ではなく――それでも『冬司』の引き起こした大雪崩れの余波を受け止める程度には、なんとか足りた、というところか。
ならば、このまま体勢を整えさせてもらおう。
俺がエイリアンネットワークを通して【眷属心話】で、
『囲え』
と命ずるや、肉塊花40株連結が「ずぞああぁぁ」「ぐみぢゃああぁあ」と激しくのたうって身をよじらせ――そのまま、俺や配下と"名付き"達を半円形に囲み護るような【肉ノ城】とでも呼ぶべき防塁を形成していく。
なにせ、意思を持った"肉壁"である。取り付く敵性生物の足を捉えたり、押し潰そうする程度は当たり前のように行う、エイリアン的攻勢防御の体現者である。
「まるで……吐き出された悪魔の臓物ですね? 我が君」
「ええい、口を動かしていないで魔法を維持して御方様を守れ! 初撃を止めただけだぞ、ミシェール!」
「お前もだ、斬り込むぞ、ル・ベリ!」
さて。
ここで、単なる肉壁に過ぎない肉塊花達に、雪崩れの衝破をも受け止める運動エネルギーを持たせられたことの種を明かそう。なに、進撃前に奴隷蟲や鉱夫蟲達に行わせていた「大規模工事」の結実なのだよ、これは。
【魔界】側の"裂け目"の周囲に大空洞を掘り抜かせ、さらにその上方数十メートルの位置に【肉塊花】どもをまとめて【氷】属性で亜種化させ、一本のソーセージ形状に癒合連結させたものを事前に運んでおき――。
それを"裂け目"めがけて、一気に落としたのである。
ファンガル種はあくまで「動かない動物型」に過ぎず、俺の眷属として独自の意思を持つ存在であることは、他のエイリアン達と変わらない。つまり、"裂け目"を普通に潜ることができるわけで――【魔界】側での重力加速による落下エネルギーにより、【人界】側に質量の暴力として一気にぶちまけることができたわけである。
我が眷属ながら、想像以上に凄惨な光景を生み出してくれたもんだ。
だが……真に"削れ"そうなのは、ここからだぞ?
俺と配下達を囲むように吐き出され、まさに文字通りの意味での"肉壁"となった【肉塊花】達であったが、その本来の性質は「壁」であるだけでなく"運び手"でもあることを思い出していただきたい。
酷い箇所では半ばまで抉り破られるも、その弾力性で以って雪崩れの衝撃を受け止めた膨大な"肉塊"達の至る所から――寄生虫が宿主の体を食い破って一斉に"羽化"するかのように、走狗蟲や戦線獣やら誘拐小鳥ら主軍のエイリアン達が、緑色の体液をぬらりと纏いながら、勢いよく這いずりだしたのである。
それだけじゃあない。
この巨人の臓腑を捏ね固めたようなソーセージ塊、名付けて『肉塊チューブ』の"根"の部分は、ちょうど胎盤に繋がる臍の緒の如く、今も【魔界】側から――普通に"裂け目"を通るよりも「安全」に俺の眷属達をこちら側へ追加で送ることができるのである。
肉塊チューブが時折どくんと脈打ち、次々に新たな「エイリアン」を送り込んでくる様は、あたかも異次元から差し込まれた産卵管のようなものであった。
……だが、肉々しくないだけで、同じような光景は『冬司』側でも発生していた。
"肉壁"に正面衝突し、半ばまでめり込んだ"雪崩れ"先頭部分の雪羊達は、押し寄せる「後続」に圧迫されて押し潰され、もみくちゃのバラバラに潰れていた。
しかし、分裂生物型の魔物らしく、それは彼らにとっての死ではなく――この羊ども、砕けた雪片や氷片それ自体を苗床として、プラナリアの如く次々に新たな雪羊を生やしてきたのである。
しかし、余波とはいえ、まさか「冬」という季節における最強の暴威とも言える"雪崩れ"を受け止められるとは、さすがに想像もしていなかったのだろうよ。
運動エネルギーを失い完全に静止した"元雪崩れ"な白塊の中から、慌てたかのように雪羊達を生み出すという"焦り"の色をソルファイドが即座に見抜き、ル・ベリを伴って斬り込んだ。遅れて"名付き"達の前衛部隊が雪羊達に襲いかかり、そこに肉塊チューブから吐き出された『冬季仕様』の走狗蟲達が連携して追随。
にわか出陣の雪羊達は、生える端から次々に粉砕されていった。
つまり、この戦闘の主導権をひとまず握ることができたと言って良いだろう。
俺の軍勢が先に連携を完成させ、雪羊の補充速度を上回る速度で破壊できているのである。【雪崩れ大山羊】の"雪崩れ"としての連携は、少なくとも俺に差し向けられている分については、寸断と破壊を覆すことができずその本来の力を百分の一も出せない膠着状態に落ちたと言えるだろう。
局面を打開せんと『冬司』が手を変え品を変えパターンを変えて雪羊を生み出してくるが、硬い氷を身にまとおうものなら竜人剣士の火竜剣にはバターのように容易く溶断され、あるいはベータの爆炎によって叩き潰される。ならばと、切られてバラけることを前提にやわらかく疎な雪塊の比率を多めに身体を構成しようものなら、ル・ベリの【8本触手】かデルタの螺旋豪腕によって、容易には分裂再生できないレベルで粉微塵に叩き砕かれる。
かくなる上は質量勝負に持ち込もうと、少し離れた位置で「大きな」雪羊を形成しようとしても、イオータの投槍豪擲の前ではただのデカい的。視界を遮ろうと白霧を吹雪かせようとも、ミシェールが【撃なる風】をソルファイドの【息吹切り】に合わせて"最小の補助による最大の支援"を行うために、妨害効果はほとんど芳しくない。
加えて【氷属性障壁花】を"装備"した【戦線獣】(冬季仕様)の特務部隊が散開し、雪羊達の苗床を端から囲んで包囲、少しずつその影響範囲を押し潰していく。平行して、肉塊チューブも【魔界】側へ「ずちゅううぐぞぞあぁあ」とコードの巻き戻しのように引っ込んでいく。
雪崩れを受け止め、主軍を【人界】へ揚"界"するという目的は達していたし、何より、さっきも言った通りここでこのカードを切ったのは「本来の用途」として想定したものではない。ついでに言えば、少しでも魔素命素を節約していきたい。
故に、再装填するというわけである。
そんな、氷雪と骨肉が切り結び火と魔力が乱れ飛ぶ戦場を、俺はガンマに抱えられたエイリアン輿の上から見渡しつつ、戦場のミクロマネジメントに没心。同時に「エイリアンネットワーク」を通して副脳蟲達の補助を受けつつ、森の各所に潜ませた伏兵エイリアン達の情報を収集して管制を取りつつ――【均衡】と【崩壊】という少し特殊な魔力の流れが泉の反対側から渦巻いた直後、【風】と【土】の巨大な魔力場が出現したのは、まさにその時だった。
***
「ようやく、弱ってきたか! 手こずらせてくれたな、冬の化け物め」
肉塊と氷雪が相食らう闘争を繰り広げる頃、【泉の貴婦人】を挟んだ反対側では「夏」と「秋」が「冬」と激しく衝突していた。
もう二回りも巨大な"竜巻"と化した【旋空イタチ蛇】が、飛来する氷の砲弾を弾き飛ばしつつ、暴風で出来た身体を直接【雪崩れ大山羊】に叩きつける。削り砕かれる端から、緒戦の応酬時とは比べ物にならない速度で分裂再生する【雪崩れ大山羊】を、凍土を底無しの泥濘に変えて沈め拘束しようとする【泥濘子守り蜘蛛】。
3つの属性の魔力が颶風となってぶつかり合う様は、『長女国』における"魔法災害"として見ても、2~3年に1度あるかという規模のもの。常であれば、これはもはや【魔導侯】クラスが収拾に乗り出してもおかしくはないほどの被害をもたらすものと言える。
それでも、季節の移ろいということを意識すれば、本来「司」達は互角の存在。『冬司』が宿っていると思しき【氷河羊】……の亜種か上位種は確かに厄介だが、ロンドール家の力によって確保された【焔眼馬】【旋空イタチ蛇】【泥濘子守り蜘蛛】とて、決して劣らずに凶悪な魔獣達である。
それが2対1であることに加えて、ヒスコフの魔導部隊が支援の各種魔法を掛け続けていながら――なお『冬司』は、まぁまぁ劣勢であるに過ぎないのであった。持久戦に徹するならば、まだまだ持ちこたえることができる言わんばかりに、激しく『夏司』『秋司』と喰らい合う。
その魔力の無尽蔵さに呆れつつ驚きつつ、だが、ようやっとその本体まで引きずり出した上で、今度こそ拘束できたということは事実であるとハイドリィは高揚する。ヒスコフ魔導部隊による一般兵達への補助魔法の掛け直しなども終わり、雪崩れの中よりまたも溢れ出てきた雪羊どもの撃退も終えた今こそが好機であった。
「ヒスコフ、改めて"奏で"るのだ! せめて『冬』は手中に収めねば――奮起せよ! 立ち上がれ! 新たな時代の証人達、兵諸君! ここが、ここそが正念場だ、魔導部隊をお前達が護るのだッッ!」
兵士達を鼓舞するハイドリィの栄光に浴すべき者の姿は、なるほど、ドブネズミと陰で罵られるようなロンドール家の生き様からすれば、常ならば得られないものだ。そんなハイドリィの熱のこもった語り調子に、兵士達もまた、『長女国』始まって以来の偉業成就が近いことを理解しつつあった。
故に高揚し、証人たらんと、新たな英雄の尖兵たらんと奮起して魔物を撃退する。魔導部隊が再び【ワルセィレの奏で唄】を合同詠唱し始めたため――掛けられていた補助魔法や強化魔法は、効果を失えばそれまでである。
つまり危険が増している。
だが、自分達の命よりも重要な大事を成すためにこそ、今奮起して無防備な魔導部隊を守らねば、全てが失敗してしまう。故郷の農村で働く家族が、少しばかりは"天災"に怯えずに生活できるようになるかもしれない、そのような偉大なる回天を引き起こそうとしているのが、彼らの仕える代官なのだ。
これまでは、ハイドリィを単なる冷血漢と恐れるに過ぎない兵士も多かったが……どうしてなかなか、罪人を裁く時の冷ややかな物言いと異なり、その"鼓舞"を聞くと体が熱く血潮が滾り、勇気が呼び起こされる。
この時ハイドリィは、その隠れた才能が開花しようとしていた。
もしもオーマがこの場に居れば、称号【叛骨の鼓舞者】の出現に気づいたろう。
――代わりに迷宮領主オーマが行ったのは、横合いから殴りつけるという、全力の介入であった。
「「グルィイェエエギャアオォォルォズズォオオグオォオゥウッッッ!!!」」
粉雪吹雪を吹き飛ばしながら突如として鳴り轟いた【おぞましき咆哮】の大唱和。
それは、兵士達が鼓舞されて高揚した、まさにその瞬間に頭をぶん殴って冷水を浴びせたような衝撃を与えるに等しい絶妙のタイミングであった。
初めて耳にする、この世のものとも思えない邪悪な魔獣の咆哮に全身が竦んでしまい――魔導部隊ですら、合同詠唱が乱れてしまう。決してオーマが狙ったことではない。だが、皮肉か不幸なる巡り合わせか、ハイドリィの"鼓舞"の効果が現れかけたまさにその瞬間に【咆哮】を浴びせられ、恐慌が倍増してしまったのだ。
そして、次の瞬間。
雪中から、樹上から、氷塊の影から、押し寄せる雪羊達に混じって。
次々に異形の魔獣達が、ギシャアァァァァッッ、と口を限界まで裂き足爪をグッと折り曲がらせつつ、飛びかかってきたのである。
「な、なんだぁッッッあああああ!?」
「化け物……! ぐわっ」
走狗蟲達が体当たりするように戦列に突っ込んだ。
ある者は爪で顔を深く抉られ、またある者は鎧の隙間に牙を差し込まれて喰らいつかれた。敵である雪羊達の中に紛れ、喰らい合いながらも、忍び諸共に突っ込んできたランナーは20体程度である。しかし彼らの跳躍と襲撃は鋭く、小隊長・中隊長といった指揮官ばかり的確に狙われて負傷してしまう。
斯くして恐慌と混乱が拡大して陣形が崩れ、ランナー達に遅れて突っ込んできた雪羊達に、それまでのように逆に槍衾を浴びせて撃退する、ということに失敗した。およそ雪崩れにせよ津波にせよ、押し寄せる液状物というものは――もっとも"弱い"箇所に殺到して食い破らんとするものである。
怯んで転んでしまった兵士を踏み潰すように、防御陣形に開いた穴に雪羊達が殺到。さらに走狗蟲の第二陣が頭上から爪を振りかざして降り注いできたのである。
「な、なんだこの化け物どもは!?」
「ハーッハハハハハハアアアァァッッ!! ついにッ! 来やがったなぁッッ!? 竜人ッッ!」
「待て、どこへ行くデウマリッド! 戻れこの馬鹿者! ええい、ヒスコフ、あの大馬鹿者をなんとかしろ!」
その上、ナーレフ軍が不運であったのは、"内側"からも混乱が助長されたこと。
ヒスコフが一部配下の合同詠唱を止めさせて即応したのに対し、"巨漢"デウマリッドが、本来の役割であった「"声"による魔力破壊」を放棄した挙げ句、周囲の兵士達を蹴散らし、一目散に『泉』の方まで突貫していったのである。
不幸だったのは、その突進の進路上に居た数名の兵士であり、大型の猪にでも撥ねられたように陣形から弾き出され、無防備な喉をランナーの爪で引き裂かれた。
ハイドリィの激昂を聞き流しつつ、ヒスコフはほとんど反射的にその場を飛び退く。するや、己の首がそれまであった空間を鋭利なる白刃が音もなく横薙ぎに切り裂いていた。
「蛇人!? いや、この化け物……"足爪"どもの、同類か?」
息を呑みつつ、抜き放った剣の一撃を浴びせて【隠身蛇】の片腕を切り落とす。さらに数合、息もつかぬ剣技の冴えを見せて"化け物"を斬り斃すヒスコフであったが――その洞察力は死線の中で冴え渡っていた。兵士達を襲った"足爪"の異形と、今己を襲った"鎌刃"の異形の口吻が酷似していることに気づいたのである。
「"暗殺"されるぞ! 全員、斬撃耐性で防げ、詠唱は間に合わん!」
「落ち着け、この化け物どもは数は多くない。奇襲にだけ気をつけていろ!」
矢継ぎ早に指示を叫びつつ、ヒスコフはハイドリィを見やる。救援が必要であるか逡巡したからである。
だが、ハイドリィも伊達に「新魔導侯」の地位を欲してはいない者。自らも魔法戦士として、この日のために蓄えた【紋章石】を駆使して異形の魔獣を一体焼き屠り、気炎を上げて周囲の兵士達に檄を飛ばし、混乱を収拾しつつあった。
状況を洞察したヒスコフは即座に頭の中で戦線の立て直し策を構築し、改めて部下達に指示を飛ばす。まず、魔導部隊としては【ワルセィレの奏で唄】の詠唱を中断、防御陣の中に踊りこんでくる"足爪"の魔獣達の撃破を優先する。
魔導兵達は一人ひとりが魔法戦士として、単純な戦闘能力をとっても並の兵士以上の実力を有する。この"足爪"と"鎌刃"の魔獣は強靭な肉体に機敏な動きという厄介な身体能力を持つが、既に十分な補助魔法を掛け終えていた魔導兵達ならば、その動きに十分に対応することができる。時折、恐ろしい連携から繰り出される奇襲の一撃が脅威であるが――襲撃してきた数自体が多くはない。その連携した動きに惑わされず、一人一殺を徹底すれば排除は容易である。
そうして一般兵達の間を縫うように駆ける魔導兵達の手により、襲来したエイリアン伏兵部隊は戦力の25%を瞬く間に損耗してしまう。勇気づけられた兵士達にはハイドリィの"鼓舞"の効果が再び掛かり始め、隊列を立て直しながら、押し込んできた"雪羊"達に激しい反撃を加えていく。
デウマリッドの離脱こそ少々痛い事態ではあったが――『冬司』の"本体"が、力を開放された『夏司』と『秋司』に抑えられていることの影響か、雪羊達の攻勢は苛烈なものではなかった。
「雑魚どもめ、今吹き飛……ぶあああああ!?」
「何があった、マーゴリー!」
大規模な攻撃魔法を合同詠唱して一気に流れをつけてしまうか。
部下の小隊長マーゴリーが突然手を押さえて悲鳴を上げたのは、ヒスコフにそんな考えが浮かんだ時のことであった。前後して、彼の手元で"魔力爆発"が発生したのだ、ということに数瞬遅れて気づき――。
「いかん、【紋章石】を使うな! 畜生が! 出てこい、誰の仕業だ!」
警告間に合わず、数名の魔導兵と十数人の兵士達が【紋章石】を握りしめた瞬間、その手を指ごと吹き飛ばされてしまった。
それは【紋章】家が作り出した"並以下"の品質の【紋章石】が有する、とある弱点、による暴走現象……であることを、ヒスコフは知らなかった。しかし、即座に洞察した"魔力の流れ"から、【紋章石】の魔石としての脆弱性を利用した恐るべき精巧な魔力操作によるものであることは理解した。ただちに、詠唱による魔法合戦へ備えるよう指示を飛ばして、部下達の頭を切り替えさせる。
そして自身も即座に探知魔法を詠唱――頭上から「重い」一撃の襲来を予期する。即座に剣を上方へ振るう、と共に【風】属性の斬撃能力を付与する魔法を唱えた。
「ぐッッ!?」
槍のように鋭い"鞭"の一撃である。
ヒスコフの剣が鞭を受け止めるも、そのまま巻き取られてしまうが――付与させた【風】魔法による不可視の斬撃が巻き付いた"鞭"を切り刻んだ。相手が怯む気配を察し、ヒスコフは続けざま【魔法の矢:風】を攻撃が来た方へ向かって撃ち放つ。
直後、軌道が先読みされていたかのように別方向から【魔法の矢:砂】に迎撃されるが、挟撃されそうになっていた"悪い"位置から移動する時間は稼げた。
だが、それは"鞭"を切り刻まれた頭上の襲撃者にとっても同じであったか。互いに距離を取ったことでわずかな間が生まれる。その間の中で、ヒスコフは【魔法の矢:砂】を放った相手の姿を雪中に見出した。
「リュグルソゥムの"亡霊"……! おのれ、この騒ぎはお前達の仕業か!?」
問われたミシェールが薄く笑う。
ヒスコフの隣にいた部下が、咄嗟に腰から下げていた小型クロスボウをミシェールに向けて撃つが――雪煙一閃、大ダコの腕の如き太い"触手"が突如現れてボルトを叩き落とす。と同時に、頭上を跳んできた何者かが彼女の横に降り立った。
「祖国に仇なす化け物どもめ!」
腰と背中から8本もの異形の【触手】を蠢かせ、人とも魔獣ともつかない異形の男である。触手だけではなく、彼は両手に鞭を握っており……切り刻まれて半分の長さになった片方の鞭を一瞥、苦虫を噛み潰したような顔をヒスコフに向ける。
部下の追撃を押し留め、ヒスコフもまた亡霊と触手男を睨み返す。
さも踵を揃えたかのように、魔導兵達に狩り回されていた"足爪"と"鎌刃"の異形魔獣が、まるで一個の生き物であるかのように一斉に退き――眼の前の二人の周囲に、まるで従い傅くかのように集結。こちらにその獰猛なる牙を向けながら、威嚇の唸り声を上げてくるのであった。
「ヒスコフ様、強化魔法の兆候があります。先ほどまでとは、動きが変わるかもしれません」
「全力で妨害しろ、魔法使いは"亡霊"だけだ。あの異形の魔獣どもの正体を、あいつらの口から割らせる必要がある、ここで討たなければ――」
「ひ、ヒスコフ様! 大変です、冬の魔獣が……!」
部下の一人が血相を変えて割り込んでくるや。
背後で雪羊達と死闘を繰り広げ、これ以上の縦深を捨て身で防いでいた一般兵達の間から悲鳴が上がった。部下の魔導兵達が、妨害魔法と対抗魔法の数え切れぬ応酬という、魔法使い同士の闘いにおける"前哨戦"をミシェールと繰り広げ始めたのを横目に、何が起きたかを確認すべく振り返るヒスコフ。
その目に写ったのは、防御陣に斬り込んだ雪羊達が一塊に融合して巨大な雄山羊の生首となり、氷の礫を吐き出しながら兵士達に猛撃を浴びせている光景であった。
(なぜ"本体"がこっちへ……『夏司』と『秋司』が抑えてるのではなかったのか? そんな"余力"など――畜生め! ハイドリィめ、大口叩くなら凌いで見せろ!)
"触手"と異形の魔獣達が一斉に飛びかかってくるのを察知。
ただちに迎え撃つべく、ヒスコフはそれ以上の洞察を中断せざるを得ない。
こうして、『泉』をめぐる三つ巴は、その混迷の度合いをますます深めていく。