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本編-0117 ナーレフ騒乱介入戦~凍泉の三つ巴①

キッカケはサーグトルと何名かの魔導兵を伴い、赴任したばかりの関所街ナーレフで魔獣の生態調査を行ったことであった。

それは本来的には、"天災"への備えという意味では測量士爵家の仕事であるが……代官制を敷かれた飛び地領土において、悠長な統治をする意味は無い。


だが、そんな合理的なるハイドリィとて。

初めは彼の前任者――『森の兄弟団』に暗殺された無能なる前任者と同じように【泉の貴婦人】などという存在は、「魔導化」されていない土着の民の、行き過ぎた自然崇拝と歪んだ魔獣信仰がもたらした"未明"と産物と考えていた。

しかし、色狂いが度を過ぎることから閑職に回そうかと考え始めていた"痩身"の【風】魔法使いが、まさにその一芸を以って金星を挙げた。常ではあり得ぬほど微弱な、しかし安定した【風】の魔力を帯びた、一羽の冬眠していた「啄木鳥(キツツキ)」を発見したことから、運命の歯車の組み立てが始まったのである。


「美しい……これが私の努力の結実、自在に振るうべき私の"技"なのか」


度重なる"実験"の結果、いくつかのことが判明した。

第1に、旧ワルセィレの民の伝承を借りれば【風乗りキツツキ】とも言うべきその魔獣は、伝承通りに「夏」という季節それ自体に干渉する力を有していること。

そして第2には――その季節を(つかさ)どる力は、乗り移った魔獣が対応する属性の魔力を持つ場合、その強さに比例する。"災厄"を一定範囲の地域に限定的ながらも引き起こすことができる、と言えばそれが『長女国』ではどのような意味を持つか、それなり以上の身分の者であれば即座に理解することだろう。


危険を冒して取引した【封印】家の魔獣檻が、魔導兵部隊の合同詠唱によって解呪される。【封印】家の施す"仕掛け"としては比較的単純なもので、50音節からなる呪文をその音節ごとに異なる詠唱者が唱えなければ効力を発しない【均衡】属性の魔法技術である。

単純なれど……ヒスコフという、野心が少なすぎることを除けば優秀な部下を得たハイドリィのような者でもなければ、条件を満たすことのできる者はこの国では限られるだろう。


果たして、片方の檻からは、木の幹ほども太い胴を持つ大蛇がのそりと這い出し、隣の檻からは、押し込められ窮屈そうに8本の肢を縮めていただろう大蜘蛛が飛び出してくる。いずれも、この日とこれからの日々のために、ロンドール家の力を駆使して秘密裏に手に入れた魔獣である。

ゼスタル士爵家という忠勤なる一族を生贄にして口を封じても良いと思う程度には、綱を渡る機会の多い"(たばか)り"の連続ではあった。そしてその成果が、


【風】属性の大口縄(くちなわ)【旋空イタチ蛇】と、

【土】属性の大蜘蛛【泥濘子守り蜘蛛】である。

それぞれ、頭部と腹部には――キツツキとモグラを思わせる(あざ)のような痕が、ギュルトーマ家の手により"封印"されていた。

もしこの場にルクかミシェールが居れば、それがソルファイドの押しかけ愛馬クレオン=ウールヴに施されたものと同種の術式であると気付くだろう。実際、これこそがハイドリィに、『長女国』始まって以来の"魔獣魔物の類を操り奏でる技"と自負させる、そのカラクリの心臓部分であった。


「本来は、あの【森負い亀】の方を使いたかったがな」


「さすがに"檻"に入りきりませんでしたから……そして、【泉の貴婦人】への忠誠心が高すぎました」


「だから『春の先触れ』と相討たせたわけだが、亡霊どもめ、せめて『春』の再捕獲まで待ちたかったものだな」


檻から解かれた2体は、決して【森負い亀】ほどもの大型というわけではない。

しかし、イタチ蛇の方は見上げるような大樹をそのまま横倒したような威圧感を周囲に放っており、子守り蜘蛛も熊程度の大きさはあり年月を経た獣特有の老獪な気配を纏っている。

いずれも【焔眼馬(イェン=イェン)】に劣らぬ"災厄"を運ぶべきともいう魔獣。人間を襲う存在が人間の集団の中に大人しく在るということ自体が、常ではあり得ない光景であったが――だからこそハイドリィは「美しい」と再度呟いて、己の努力の結晶にひと時見惚れるのである。


名付けて【ワルセィレの奏で唄(かなでうた)】。

ハイドリィ自らが命名した新魔法は、技術的にはディエスト家とギュルトーマ家の技術を魔法学的な観点から派生させたもの。

【泉の貴婦人】と「季節の司」達の間に横たわる"繋がり"を魔法の力で乗っ取り、擬似的にであるが術者の方を"主人"であると誤認させているのである。肝心の「繋がり」については、まだ謎も多く原理も解明途上であるが――当の"貴婦人"を捕らえてしまえばその研究も一挙に進むだろう。


具体的には、応用法が見つかれば、ゆくゆくは"災厄"が"災厄"でなくなる。

自領の魔物退治にも苦労する弱小貴族なんかはまとめて傘下に加えられるだろうし、魔物魔獣という"災厄"を敵に向けるならば「武力」という意味で一挙に【魔導侯】家の上位に躍り出ることも不可能ではないかもしれない。

果たして、今やハイドリィを"主人"であると認識している2柱の「季節の司」は、人間を襲う魔獣の片鱗も見せること無し。固唾を飲んで見守る兵士達の中で、躾けた犬か懐いた猫の如く、それぞれの権能とする魔法属性を無闇に纏うことも無し。


不測の事態は無かったか、と胸を撫で下ろしたヒスコフが、追い払う前の発言の真意を問いただすべくデウマリッドの方へ向ける。

『長女国』のどの兵士達よりも頭2つ分は飛び抜けて図体がでかい"巨漢"はすぐに見つかった。何やら舌なめずりでもしそうな獰猛な眼差しを辺りにやっており……ヒスコフと目が合うや、荒くれ者特有の陽気な暴力性を秘めた笑みを浮かべ、意味深に頷いた。


――このデカ物がこの距離で大声で叫んでこない。

おそらく代官を含めこの場の誰よりもデウマリッドと付き合いの長くなってしまったヒスコフであるが故に、その違和感に気付くことが出来た。

そしてヒスコフは、デウマリッドの真意など確認しようとせず、早く代官ハイドリィに警告を発すべきだったと悟ったが、時既に遅く。


「総員、防御魔法陣を――なッッ!?」


パキパキと小枝が割れるような音が周囲で一斉にかき鳴らされるや、噴水のように雪煙が噴き上がった。

否、雪飛沫だけではない。

若木ほどもある氷柱(つらら)が逆さ向きに、槍衾(やりぶすま)の如く突き出してきたのである。


「ああぁああぁぁああッッ!!」


「ぐぎゃああァァッ!?」


「ゔぁぁあっ、足が、足がっっ!!」


真白の雪景色に、花吹雪の如く紅い鮮血がパッ飛び散り跳ねる。直撃を受けた数名が崩れ落ち、軽傷を受けた数十名が激痛にくぐもった呻き声を上げる。

ハイドリィ軍のど真ん中に早蕨(さわらび)の如く林立した逆さ氷柱。いずれも、刀身が"揺らめいた"ような波形の形状――焔形剣(フランベルジュ)の特徴を備えており、切り裂かれ貫かれた兵士達は軽傷であっても撒き散らした血の量は多い。


そして奇妙なことが起きる。

撒き散らされた兵士達の血が雪霧(ゆきぎり)や銀雪に触れるや、錬金術の薬品を混ぜたかのように鋭く焦げたような音を発し……失せてしまう。白銀(まだ)れる雪世界に、鮮血の赤が、蛍光のように舞っては失せてしまう、という幻想的な光景が現出した。


部下達に各個身を守るよう指示したヒスコフは、即座にその意味を看破する。

看破して、戦慄した。


(貴婦人の力の源は、確か住民の"血と涙"――! まさか「冬司」が貴婦人を?)


「立て直せ! 【火】の石でこの忌々しい氷柱どもを吹き飛ばすんだ!」


「負傷者を円陣の内側に、急げ!」


素早く冷静さを取り戻した中隊長達の的確な指示を受け、訓練と備えの成果がここでもすぐに現れる。不運な数名を除けば、出血量こそ多いものの、魔法により治癒を見込めば軽傷と言える者ばかりであった。

指揮にはヒスコフも加わり、即席ながらも対広域魔法用の防御態勢に立て直されてゆくナーレフ駐留部隊。それを見て、ハイドリィも動揺を鎮め、"巨漢"の方を振り向き怒声を吐いた。


「デウマリッド、抵抗をひねり潰せ! こんな時のための貴様の"声"だろうが!」


焔形氷柱が林立し、痛覚と誤認するかのような急激な寒気のただ中にあって、まるで湯浴みでもするかのような心地良さそうな表情をしていたデウマリッドは、命ぜられるや哄笑する。


「はーッはははははッははッッ! 破ァァアアッッ!!」


大喝鳴叫(だいかつめいきょう)

デウマリッドの"声"が轟くや、周囲の焔形氷柱が甲高い音を立てて砕け散る。

余波はさらに広範囲に及び、砕けぬまでもヒビ割れる氷柱が多数。それは、芽の如く群れ突き出そうとしていた氷柱達の「第二波」をもまとめて破砕した。


「常識知れずめ……だが、今だ! マーゴリー隊は【北風融かし】を合同詠唱しろ、イサナン隊は【波々(なみなみ)たる泥壁】を! 他の者は各自負傷者の治癒と補助・強化を急げ!」


この"声"に宿る不可思議な力の真に恐ろしきは、【氷】の魔力を広範囲に渡って一時的に吹き飛ばしておきながら、周囲にいるはずのハイドリィ軍には全くその破壊的影響を及ぼさなかったことにある。

連携して『複合』属性による対抗魔法と陣地形成魔法を発動、襲撃に対する地の利の確保に成功したヒスコフをして、改めて【氷海の兵民(ひょうみん)】たるデウマリッドの異能の底知れなさに警戒を強めさせる。"巨漢"が戯れに兵士達を「鍛える」時、ヒスコフを含む魔導兵もまたその例外ではなく――ことごとく、この「声」によって魔法の発動自体を封じられてきた。


これこそがハイドリィに、この粗暴な陽気者を側に置くことを決意させた"一芸"。

デウマリッドの故郷を北方の辺境と蔑む『長女国』であるが……魔導大国としてその武力を魔法の奇跡に強く依存するが故に、『長女国』は、この北方の「蛮族」達の"まじない"に苦戦を強いられ、北伐は決定的な成功を収めた試しが無い。

やがて、北方出身であるディエスト家が【魔導侯】の地位まで登るや、北海より来たる多少(・・)の略奪や襲撃は、露骨に見過ごされるようになった、というわけである。


話をヒスコフによる防衛体制の構築に戻そう。

【火】と【風】の複合魔法によって、デウマリッドにより粉砕された氷柱を一掃。積雪と凍土を融かされ泥濘と化した大地に【水】【土】の複合魔法を仕掛けて、泥の"(るい)"を形成したのである。

氷柱のフランベルジュによる攻撃が更に二度、三度と泥壁の外側から迫るが――これを再びデウマリッドが"声"によって破砕撃退。この間にヒスコフ魔導部隊は、自分達を含むナーレフ駐留軍への各種の補助魔法を掛け終える。


しかし、"敵"もまた単に足止めし時を稼いでいたに過ぎなかった。


「ヒスコフ隊長! 魔獣反応多数です、属性は――」


「言わなくてもわかっている! 口を動かす暇があったら詠唱を重ねろ!」


双角に四つ足(よつあし)

透き通るような氷の体躯を、膨らむ綿毛のような雪でできた体毛に覆われた【氷】の魔物が、大小バラバラに周囲の雪景色から次々に湧き出してきたのである。

だが、強化魔法や補助魔法を事前に十分に受けていた兵士達の防御陣は堅い。砕けたガラス片のように鋭利な双角を突き出して突入してくる"氷の羊"達に対し、逆に槍衾を浴びせた後に、後方から【火】の攻撃魔法を連射して撃退する。

それでも雪羊達は寄せては返す波のごとく、砕かれる側から【氷】の魔力をまとって再生……あまつさえ分裂(・・)しながら密度を増し圧迫してくるが、その程度の単調な突撃だけならば、あと半日でも難なく持ちこたえられるだろう。


だが、そうした雪崩れのような波状攻撃ですらも、時間稼ぎであろうとヒスコフは考えた。


「代官、この羊ども全部が囮です。今に『冬司(ふゆつかさ)』が来る、"奏獣"のご許可を!」


「良し、お前に任せたぞヒスコフ! 耐えるのだ、ナーレフの英雄達よ。今にお前達にとって、我が国にとって最大の脅威だった"災厄の魔物"どもをひれ伏させる力を見せてやろうッッ!」


押し寄せては粉砕される"氷の羊"達の向こう側、【泉】の方角で急激に魔素と魔力の流れが渦巻き収束するや、透明な巨人が雪だるまでも作るかのような凄まじい勢いで、周囲の銀雪を根こそぎ取り込みながら巨大化する雪の塊が現れる。

それは徐々に湾曲した氷の双角を備えた雄山羊(おやぎ)の姿を象っていくが――再び詠唱された【ワルセィレの奏で唄(かなでうた)】により、この襲撃の最中にあっても、まるで冬眠するように微睡(まどろ)んでいた「夏司」と「秋司」がついに動いた。


【旋空イタチ蛇】が黄色い双眸を見開くや、胴の周囲に十数もの乱気流塊が発生。

イタチ蛇がそんな"つむじ風"達に乗り、さらにそれらの間を"縫う"ように体躯をくねらせ――立体的な蛇行軌道をなして数秒経たずに最高速度に加速。

その身をあたかも「螺旋形の槍」と化し、蛇行機動のまま豪速で射出されたイタチ蛇が「冬司」たる氷の雄山羊に正面から突っ込んだ。巨石すらも粉砕するような破壊力を秘めた"頭突き"だったが、少しばかりタイミングが早すぎたか。

未だ雄山羊の姿を形成途中であった「冬司」は、雪塊(ゆきくれ)の如く弱い抵抗であっさりと崩れ去り、勢いに乗りすぎたイタチ蛇が胴の半ばまで埋もれてしまう。


即座に"つむじ風"の乱気流が、蛇の全身にまとわりつく雪を弾き飛ばす。

だが、この弾き飛ばされた雪片こそが、次の瞬間には空中で鋭利なる氷片に転化。再び、引き寄せられるようにイタチ蛇の全身にズダダダダッと連続で突き刺さらんとする、その直前。

「夏」「冬」の衝突を見守っていた【泥濘子守り蜘蛛】が複眼を妖しく光らせる。すると、ヒスコフ部隊の【波々たる泥壁】の効果で融解していた凍土から無数の"泥の糸"が飛来、イタチ蛇を取り囲んだ氷刃をことごとく絡め取った。


所詮は(どろ)であり、冬司の魔力が込められた氷刃の勢いを殺し切れないものの――体勢を立て直したイタチ蛇が、より強い"つむじ風"を生み出してその身に纏う。

だが、千々に砕けたはずの雄山羊は挫けることなく、またも空中に自身の身体を構成していた氷の欠片を静止させ、魔素の流れが変化する。

氷片の一個一個が"種"となって急激に膨らむや、その全て(・・)が新たな「雪羊」となって降り注いできたのである。そちらにイタチ蛇と子守り蜘蛛の注意が向き――、


「そう見せかけてッ、下からってかぁッッッ!?」


先ほどよりもさらに広い範囲で、2体の(つかさ)の足下で銀雪が地異の如く隆起。

そこに、兵士達と共に雪羊の波状攻撃を薙ぎ払っていたデウマリッドが、怒声と共に"声"を叩きつけた。

三度【氷】の魔力が吹き飛ばされ、氷塊の隆起が崩れ落ちるが、次に叫んだのはヒスコフである。


「愚図のデカ物め、よく見ろ! イサナン隊、"火矢"を斉射しろ! 『夏司』を巻き込んで構わん!」


再構成を諦め、雪羊に転化したかと思われた氷片達であったが、そうではない。ただ単に"つむじ風"にも"泥の糸"にも弾き飛ばされないように「大きく」なったに過ぎず――"雄山羊"の身体の一部であることは変わっていなかった。


子守り蜘蛛がアメンボのように泥土を滑ってその場を飛び退くが、イタチ蛇は降り注ぐ雪羊達を睥睨しつつ――【風】の魔力を蓄え始める。

その頭上に降り注ぎながら、雪羊達は互いに衝突し、まるで集団で共食いするかのように一つの塊に融合してゆく。押し包まれて身の半ばを氷雪の中に押し固められてしまうイタチ蛇であったが、ここで、ヒスコフ麾下魔導部隊の一小隊が【魔法の矢:火】を斉射して氷雪の3分の1を吹き飛ばした。


拘束を解かれたイタチ蛇が、溜めた力と魔力を解き放つかのように裂けるほどの大口を開き、全ての"つむじ風"を解除。その分の魔力をも注ぎ込んだ【竜巻の吐息】を解き放った。


瞬間、一塊に再結合しつつあった雪羊達を突き破り叩き壊し吹き飛ばしながら、一条の乱気流の暴風が屹立した――体内の全ての【風】を吐き出したことで"イタチ"程度の大きさにまで縮んだ蛇が一匹、川を遊泳するウナギのごとく、竜巻の中に身を躍らせている。


解き放たれた暴風は、まるで最初の"頭突き"の時のように、ただ単に再び雪片や氷片を飛び散らせるのが目的ではない。最初の失敗を繰り返すイタチ蛇ではなく、暴風は全て"粘り気のある風"によって構成されていたのである。

乱気流と"つむじ風"によって構成された「風でできた大蛇」が、その中を移動する小さな"イタチ蛇"の意思に沿ってのたうち回り、周囲からの新たな氷雪の侵入を跳ね除けて寄せ付けない。だけでなく「冬司」の身体を構成していた雪塊と氷塊を内側に閉じ込め、遠心力と暴風の暴威を以って、さらに細かな結晶にまで粉微塵に吹き砕いていったのである。


「よくやった魔獣ども! 今だ、デウマリッド! "冬司"は弱っているぞ、トドメを刺して抵抗力を奪ってしまのだ!」


ハイドリィが吠える。

その命令を聞くや、デウマリッドが苦笑しつつも楽しそうに吠え、続けて"声"を放とうとする、が。


ピシピシと。

無数の小枝をまとめて折るような、氷がひび割れるような音が、数千数万と輪唱の如く鳴り響き始めた。最初に襲撃を受けた時の"予兆"など児戯にしか思えないほど大規模かつ広範囲に渡るものであった。


青褪めたヒスコフが【魔法の矢:火】をデウマリッドに叩き込み、"声"をぶつけようという試みを強制的に中断させる。突然お前は何をしている、と訝しんだハイドリィだったが……不気味な気配に危機本能と指揮者としての勘が働いたか。

兵士達に更なる【紋章石】の使用を追加指示して、【氷】属性への耐性魔法をもう一段階厚くさせた、その刹那のことであった。


地響きが轟いたかと思うや、大量の氷雪が"大雪崩れ"となり。

周囲の樹氷をなぎ倒しながら、深山の左右斜面からハイドリィ軍を挟み討つかの如く、土砂石をも巻き込んだ質量の暴力となって殺到してきたのである。


「馬鹿な、奴の魔力は無尽蔵だというのか?」


「ハイドリィ代官! 違います、あれ(・・)が奴の本体だったのです!」


大技を使ったイタチ蛇は、すぐにはその場から抜け出せない。

渾身の"竜巻化"によって破壊した氷の雄山羊は「冬司」の本体ではなく、ごく一部の"分体"に過ぎなかった。左右から迫る雪崩の先頭におぼろげなる「雄山羊」の形の雪塊を見て取って、事この時点に至り、ヒスコフだけでなくハイドリィもまた己の"見込み"が甘かったのではないか、ということを悟った。

両者とも、最初に【旋空イタチ蛇】が襲いかかった氷塊こそが「冬司」の本体であると思いこんでいたのである。


そうこうしている間にも、圧倒的な大雪崩れが迫ってくる。

ハイドリィの指示を待つまでもなく、デウマリッドが左の雪崩れに向けて、それまでのものよりも一際も二際も強力な"声"を飛ばした。ほぼ同時に、後方へ退いていた【泥濘子守り蜘蛛】が泥の大津波を生み出して右の雪崩れに叩きつける。

いずれも雪崩れの破局的な衝破力を殺しきれないが――ヒスコフ魔導部隊が、合同詠唱によってハイドリィ軍全体に、さらに上から一枚の対【氷】属性耐性と物理衝撃耐性の補助魔法を展開する時間を稼ぐことには成功した。


瞬く間に、防衛陣地ごと白い大波に呑み込まれた。

事前に十分な護りが固められており、転倒し重雪に呑み込まれた者は少ない。

しかし、大雪崩れ自体を身体とする氷の雄山羊が全身(・・)で「泥壁」を轢き斃してハイドリィ軍を飲み込んだのは事実――兵士達の足下を膝の上まで覆った"雪"は、ナーレフ一帯を長き冬に閉じ込めている"災厄"の魔獣の血肉骨片そのものなのである。

質量と氷が押し寄せてくる衝破はなんとか凌いだものの、「冬司」の(はらわた)の中に呑まれたと言っても過言ではない状況下。


ならばこの次には、何が起き得ることか。

危機が継続していると強く警告し、ヒスコフが"禁じ手"の使用を具申する。


「ハイドリィ代官、このままでは何もかも失います、"季節の司"達を『開放』してぶつけるべきです!」


「それしか無いのか!? うぐぅ、それではこれまでの苦労が……ッッ」


「また捕らえれば良いでしょう! "冬司"を強くしすぎてしまった、今相討ちさせておかねば、次はありませんぞ!!」


やむを得ない、とハイドリィが3回繰り返す間にも、「冬司」の"肉"に異変が現れ始める。だが、それでもここぞというところでハイドリィの指揮者としての決断は間に合った。


【ワルセィレの奏で唄】を最大魔力を込めてヒスコフ隊が合同詠唱。

ハイドリィ自身もそれに加わる。そして、隠し持っていた【崩壊】属性の【紋章石】を握りしめ、いくつかの秘密の音節を合同詠唱の内に混ぜ込み――イタチ蛇と大蜘蛛の身体に焼き付けられていた"キツツキ"と"モグラ"の封印が(くら)く揺らめいてから、フッと消失。


辺り一帯を支配していた【氷】の魔力が生み出していた白銀の世界に、同等程度の魔力量を伴った【風】と【土】属性の魔素が収束しながら強引に割り込んだのは、その次の瞬間のことだった。

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