血契-0005 いと尊き女皇が大命
吸血鬼は、切られても潰されても焼き焦がされても、それだけでは死なない。
あるいは「死ねない」とも言うべきであるかは、その不死性を個々がどう捉えているかにもよるが……彼らを殺すには、心臓、すなわち『生命の紅き』を統御する核たる器官を破壊しなければならない。
逆に言えば、どれだけ切り刻んだと思っても、心臓さえ残っていて、血肉を再構成するための十分な"材料"さえあれば――そこから蘇るのが彼らである。
"梟"と呼ばれた老間者ネイリーが、まるで【騙し絵】家の転移魔法かのようにその場を離脱した「技」は、上に述べた吸血鬼の心臓の性質を利用した奥義であった。
――ルクとミシェールの行動を静かに観察していたこの老間者は、アシェイリが掟破りの方法によって、王都まで送り込まれたことをも察知しており。
『人物鑑定士』の"勢い"に賭ける意味でも、念のためとばかり、己の心臓をあらかじめ抉り出して、王都から帰還するアシェイリが通ると読んだ森道の途中に隠していたのである。
これこそが、魔法使い達には【虚ろ泳ぎ】と知られる転移「技術」のカラクリ。
心臓を抜き取られた吸血鬼の肉体は時と共に崩壊するが、元より飢餓の極限にて、とうにその一歩手前であったネイリーは――リュグルソゥム兄妹の合同詠唱魔法をあえて食らい、肉体を捨て駒とした。
そしてこの瞬間に、離れた場所にあった「心臓」から、噴水のような血を噴き出しながら――数刻ほどの時間をかけて、ついに"再生"を遂げたのであった。
「臭う、臭うのぅ……! まさか"愛し子"が介入するとは思わなかったが、大命を大いに進展させるもう一つの鍵をこの手に収める好機がめぐり来ようとは! ほう、ほう」
骨、神経と血管、肉の順で身体を構成し直すネイリー。
例えば異星窟の主オーマがその様子を見たならば、「培養型人体模型」だなどと評したことであろう。
【暗殺者】の上位職【夜幕の監視者】である吸血鬼のみが得られる種族技能【夜属伝心:下位】の効果により、どこからともなく黒羽の梟が現れ、彼らが運んできた具足を慣れた動きで身に付けていくネイリーであったが――。
"夜の眷属"たる梟達が鋭く鳴き喚き飛び立つや、木の葉枝々の間を縫うように短刀が四方八方から飛来した。
その、いずれもが二重投擲術である武技【影からの二刺し】により放たれた合計20本もの短刀であり、襲撃者が【夜の帳】を展開して生み出した"影"の空間によって加速強化済みであることを即座に看破。ネイリーの知識では、それは逃げ場を完全に封じる【影の殺し間】という技であったが、己を相手に足止めを狙ってのことであろう。
梟達を操って半分を捨て身で受け止めさせると同時に、両手の籠手を一閃。
短刀を2本、的確な方向に弾き飛ばすことにより、他の2本を撃ち落とし、さらにその衝突によって角度を変えた4本がもう4本を連鎖的に撃ち落とす――という正確無比なる技量を見せつけ、しわくちゃの目元の奥を光らせる。そして【梟術】による体重操作で、両腕を広げるようにひらりと飛び上がって枯葉の如く舞い、殺し間から難なく抜け出して追撃の10本を足蹴にした。
「その歳で"殺し間"なんぞ使えるのか、モノは良いようだのぅ……ほう、ほう」
【夜の帳】に覆われた木陰の一角を正確に見やり、挑発するように嗤った。
それは、良い意味での驚きでもあった。ユールがまだまだ「ひよっ子」の未熟者であり、こんな場面で自分に出し抜かれ、後手に回ってしまったのかと多少落胆していた老吸血鬼であったが――何のことはない。
リュグルソゥム兄妹が挙げたもう一つの「技」により、関所街から半日はあるネイリーのこの隠れ家まで、ユールは駆けつけることに成功していた。
隷属種吸血鬼の暗殺者奴隷の切り札である【影渡り】の準備をユールもまた予め整えていた、ということである。【闇】魔法の力を借りたこの技は、文字通り「影」における吸血鬼の移動速度を飛躍的に高めるものであり――技術開発者である貴属種吸血鬼によれば『光』に迫る速度をも出すことができる――いざという時にはジェロームを見捨て、王都へリシュリーを奪還に戻るために、ネイリーの目を盗んで、要所要所に【夜の帳】を仕掛けていたわけである。
そうして大敵に食らいつき、【夜の帳】から飛び出したユール。
しかしその全身はズタズタに裂けていた。
"光の速度"に迫るなどと豪語される【影渡り】であるが、この技は長時間の使用を想定されたものではない。およそ、生物にとってはあり得ることのない速度を擬似的に生み出す移動魔法であり、得られる速度は例えば人間の肉体魔法である【アケロスの健脚】などとは次元が異なるが――全身への反動もまた凄惨。
身体が砕かれるだけでなく、大気中の単なる塵や木の葉の類までもが凶器と化して皮膚や肉を裂くほどの速度に至る。まして、ユールが駆けてきたのは「雪」も「氷」も「土塊」も「石ころ」も「木の根」すらも無数にある森の中であった。
両脚は骨が砕け、筋肉が裂け、血を噴き出しながら再生が間に合っておらず、立っているのもやっとで歩けることすら不思議であるという状態。
再生能力高き吸血鬼とはいえ、痛みは人間並みに……時には人間以上に感じるものである。それでも無理矢理身体を動かしながら、ネイリーを追ってきた――梟が、自身と縁深い二人の少女を先に捉える前に。
苦痛など微塵も感じさせず、ユールは戦場に姿を晒してネイリーと対峙する。
(何とかアシェイリの馬鹿が来ないうちに方を付けないと……)
吸血鬼の少年は3つの臭いを嗅ぎつけていた。
守ることを誓った少女の腐臭と、
かつて共に時を過ごし"罪"を共有した少女の怒気と、
"怪鳥"を名乗る老人の、まるで産まれたてか蘇りたての吸血鬼であるかのような鮮烈なるほどに生臭い『生命の紅き』の塊の香りである。
――ネイリーの正体が吸血鬼であることは、もはや疑いようがない。
と同時に、継承者の途絶えていたとされる【蛭術】の秘術【血塊転身】(人間達には【虚泳ぎ】等と呼ばれているが)により、よもや己が王都へ向かうために選んでいた獣道の途中に陣取るように出現したことは、偶然であるや否や。
一抹の違和感と直感が混ざり合い膨れ上がりつつも、3つの臭いが交錯せんとしていた場において、ネイリーを如何に打倒するか頭を必死に働かせる。
対するネイリーは、嘲りの言葉を投げかけて来た。
「【影渡り】の使い手が減っていったのは、再生能力を盾にそういう無茶をする馬鹿者が増えたためと聞いているが……ほう、ほう。よほど急いでのぅ、そこまでして聖女が大切か?」
ユールの周囲で、撃ち落としたはずの梟達が巻き戻されるかのように宙へ浮かび。
黒羽からどす黒く変色した血を滴らせ、音無き幽鬼の如く一斉に飛び迫り来たる。
秘技【破血人形】による死骸操作術である。
ユールは両手指に【結晶血刃】を纏わせて三度身を翻し――餓狼の如く群がる"血の梟"達を切り刻み、特にその翼を切断することに集中。
どうせ"殺し切れない"ことから無力化を重視する戦術で襲来を突破し、その間【梟術】で更に樹上高くへ飛び上がったネイリーを追って、己も【蝙蝠術】によって木の幹を垂直に駆け上がる。
「いかな聖女とて"畜人"ではないか、それなのにそこまで入れ込むとは! ひよっ子や、君はそれでも吸血鬼の端くれなのかな? ほぅ、ほぅ!」
「欺くな、怪鳥ジジイ! 人間が"家畜"なら、所詮はその腹から生まれた"混じり物"じゃないか……僕も、お前もな!」
次々と木の枝を飛び移るネイリーに向かい、ユールは十指の血刃を――血の噴射と共に勢いよく飛ばした。
この血の飛び短刀の軌道は、直線的なものではない。射出のために噴射させた血流が、そのまま「血のカラクリ糸」と化して、射出した血刃を操作できるのである。
十刃のうち、数本を躱され、数本を弾かれ――しかし残る3本がネイリーの具足に食い込んだ。
「捕らえたぞこの腐れフクロウめ、引きずり墜としてやる!」
ハイドリィの【鼠捕り隊】の指揮者ネイリー。
彼の正体は、ディエスト家当主に直接仕える老間者にして、ロンドール家の"監視者"。彼は、世代交代に失敗して暴走状態に陥ったロンドール家を粛清するために、老齢を理由に【紋章】侯ジルモに応援を要請。
そこでジルモが、ちょうど飼い殺し状態にしていた侯子ジェロームを試す意味も込めてナーレフに送り込む形で、自分が派遣されることになった――それが吸血鬼の青年ユールの理解であり、それなりに裏も取った情報であるはずだった。
だが、その正体は吸血鬼であった。
知られるはずの無いことを知られていた、ということだけではない。
【御霊】家の生き残りとの問答の中で、老間者が呟いた"女皇"という単語を、ユールは決して決して聞き逃さなかった。
で、あるならば、彼が帯びているのは並みの『任務』などではない。
ユール自身の中では既に最悪の想像ができていたが……それを認めたくないばかりに、絡め取って引きずり墜としつつ、打ち消すようにユールは吠えた。
「お前が賜った『大命』は何なんだ!? 口を割れ!!」
「愚か者め、捕らえられたのは君のほうじゃよ」
残念そうな口上とほぼ同時のことである。
血刃がより深く身体に食い込むことを気にするどころか――老吸血鬼は、むしろ、墜ちながら「血のカラクリ糸」を深く巻き込むように全身を高速で捻り回転。
これにより、逆に近接戦の間合いまで巻き取られたのはユールの方であった。
「くそ……ぅぐァァアッ!?」
「【蛇術】の"いろは"は身についていたようじゃな? 覚えておけ、これが応用編じゃ。ほう、ほう!」
もみ合いながら諸共に木の根に叩きつけられる直前。
ネイリーの全身の皮膚が「ずるり」と蠢くや、まるで蛇が脱皮をするかのように、ネイリーの全身の表面に血の膜が浮かび上がったのをユールは目の当たりにする。
それを軟体技によって、絡み取ったはずのユールの十指の血刃と血の糸ごと脱ぎ捨てるや、【蛇術】の基本動作である関節技によって絡みつき、ネイリーはユールを下敷きに、その背中を木の根に叩きつけるように墜落したのであった。
【蛇術】を扱う吸血鬼のみが会得可能な上級武技たる【血衣滑り】であり、ユールの知らない技術である。
そのまま両腕と首の根を極められる裸締めに近い体勢で押さえ込まれたユールを、しかし、ネイリーは落とさない。まるで弟子に説教する"里"の教練者達のような厳しくも淡々とした口調に楽しさを混ぜ、先の質問に答えてくる。
「懐かしい、儂にもようやく彼奴の気持ちがわかったわ……歳を取るものだな。ひよっ子よ、君は支援も何も無しに、無策のままに、死に様を我が君に興ぜられるための戯れに――この『長女国』へ放り込まれたと思っているのだろう? 安心しなさい。儂もそうだったのだから」
木の根に叩きつけられ、折れた背骨の激痛をも忘れて。
その傷口から吹き出た血を血刃に変えてネイリーの腹を貫いてやるという反骨心も引っ込んで。
斯くして、ユールは認めざるを得なかった。
「くそ、くそ、クソがッッ……! 化けフクロウめ、お前は……お前が――ッッ」
「ユールから離れろォォォォオオオオああああッッ!!!」
夜闇をかち割らんばかりの怒声。
天をも砕くような衝撃波の予兆、と同時にユールを戒める拘束が解かれる。
直後、ユールの眼前わずか数センチを車輪のごとく回転する大斧が猛然と通過し、数メートル先の大樹に勢い良く激突して、その半ばまで幹を粉砕したのであった。
「ユール! この大馬鹿野郎!」
「アシェイリ! このクソ馬鹿野郎! 奴の狙いはリシュリーだッッ!」
駆け寄った相手が誰かは分かっていた。
だから、反射的にユールはこう返したのである。
ネイリーの言動によってそのように思い込まされていた以上、ユールの意識がそちらに向くのは道理である。
ユールは、あるいはネイリーと同等以上に知っているのだ。理解しているのだ。
何故【破邪と癒やしの乙女】の聖女を吸血鬼達が狙うのかを。
だから、この瞬間ネイリーが、アシェイリから離れてしまったリシュリーの方へ、忌々しくおぞましくもどうしようもなく愛しい「腐臭」の方へ、放たれた矢じりの如き勢いで飛びかかった、と思い込んでいた。だが、老間者ネイリーの"狙い"は全く別のものであった、そして彼の帯びたる『大命』を悟っていたユールは、それに気づけたはずであった。
故に警戒が遅れ、隙を作ってしまう。
胸ぐらを引っ掴まれ、極めて乱暴な取り扱いで起こされる……と同時に突き飛ばされた。その瞬間、彼女が反射的に素手で何かを弾き飛ばしたのが見えた。
そして受け身を取って体勢を立て直したユールが見たのは、切り落としたはずの黒羽を再生させて二人を取り囲む十数もの梟達である。
――そのいずれもが、全身の傷跡から黒い血を滴らせると同時に、血が大気に触れるや、先ほどとは異なる反応があった。
「【肺焼き蛾】の鱗粉だと!?」
梟達から滴る黒い血から、金属が焦げるようなシュウシュウという音と共に、緑色の薄煙が吹き上がっていたのである。そして、同じ煙が、先ほど短刀か何かを弾いたアシェイリの手首から吹き上がり始めるの見た。
「恨むなよ、アシェイリ!」
起き上がる勢いで即座に血刃を形成、と同時にアシェイリの手首を狙って切断。
アシェイリが顔を歪め眉を吊り上げるのが早いか、吹き上がりつつあった「煙」が、まるで火炎瓶のように小爆発して周囲に飛び散った。
毒煙である。
それも、吸えば【吸血鬼】の肺を焼いて再生を阻害する殺傷性の高い揮発毒。
吸血鬼が吸血鬼を殺すために扱う道具であり、その存在を知ることを許された"里"はごくわずかでしかない――いや、ユールの居た"里"が残るのみなのである。それもまた、ネイリーの出自を物語るダメ押しであったか。
「……『戦士』は要らん。考えなしに突っ込んで、儂らの密やかにして地道なる活動を全部台無しにしてくれるからのぅ」
「狙いはリシュリーじゃなかったのか!!」
聖女リシュリーの"腐臭"が、あまりにも近すぎることにここでユールは気づいた。まるで、すぐ隣にでもいるような――アシェイリを見れば、外套にリシュリーのものと思しき"血"をひと塊浴びた箇所があり、それを見せつけるようにして目を細めてくる。
「あの時の、お返し。吸血鬼を騙す最高の方法」
激昂しかけたユールであったが、大切なる少女の本物の臭いがずっと離れた場所にあることを確認。出血具合から言って、死んでもいなければ、本当に少しだけ血液を拝借された程度であることを悟り――アシェイリの狡猾さを、自分を油断させ意趣返しするために取った荒業に、呆れとも怒りとも懐かしさともつかない混乱した感情が沸き起こる。
だが、そんな二人を待ってくれる梟達の"長"ではない。
ネイリーが指を鳴らすや、周囲を囲んでいた梟達が一斉に飛来。
迎撃せんとしたユールとアシェイリであったが、眼前まで迫ったところで、夜の狩人達が文字通り破裂する。
しまった、と死を覚悟したユールであったが。
次の瞬間、凄まじいほどの圧の血風が、降りかからんとした緑色の毒蛾粉入りの血液の雨あられを、文字通り吹き飛ばしたのであった。
「アシェイリ……?」
「ユール、怪我させたら、ごめんね」
アシェイリが呼吸法を変えた。
かと思うや、彼女の全身の血管と神経に沿って、赤い紋様が浮かび上がっていたのである。息は荒くなり、目が血走り、手指が鷲の爪のようにグっと折り曲げられ、素手でも獣を引き裂くことのできるような凶暴さを隠そうともしなくなる。そしてその状態で、先ほどユールに切られた手首から、凄まじい量の血を噴射させて壁としたのであった。
「【グラァハムの戦奴】じゃと!? ほう、ほう! これはたまげた!」
秘策であったろう「梟の毒蛾粉爆弾」を力技で覆され、形勢逆転である。
今また、動揺したネイリーに向かって、雄叫びと共にネイリーが佇む木に突進するアシェイリ。その血が背中や足の裏から噴射された高速の移動術であり、宙には生々しくも赤々とした軌跡が描かれる。
――だが、ネイリーが引かないことにユールは微かな違和感を覚えた。
既にユールとの連戦で"搦め手"は尽きかけているであろう。あと一つ二つ残しているのだとしても、普通、ここまで追い込まれた「暗殺者」が「戦士」を相手に撤退しないのが妙である。
【暗殺者】の技の数々は【戦士】のように正面から相手を叩き潰すことを目的としたものではなく、ある種の詐術と事前準備、いくつかの「保険」によって構成されたものであり……要するに直接の殴り合いで勝るものではない。例えばユールの【結晶血刃】などは、アシェイリには片手の握力だけで粉砕されてしまうだろう。
だのに、なぜこの老吸血鬼が平然としていて、なぜ撤退しようとしないのか。
"里"で「間者」や「暗殺者」としての枢要を叩き込まれたユールにとって、なおも迎撃しようとこの場に留まるネイリーの狙いが分からなかった。ユールの想像通りであれば、この老人の「任務」は――ユールと同じものであるはず。
"邪魔"だからという理由で、己の命以上に大切なものであるはずの『任務』……それも『大命』を賭けてまで、よしんばアシェイリを退けたとしても自分がいることを忘れてはいまい。こんな遭遇戦で身命を賭す理由などは無い、はずなのである。
『お兄ちゃん? お姉ちゃん? 私、どうなっちゃったの?』
蘇る追憶を激しく頭を振って追い払う。
"その可能性"を否定したくて、祈るような気持ちにすらなっていた。
そのせいで、アシェイリに下手に加勢するのではなく、その戦いの行方を立ち止まって目で追ってしまう。
「ああああああああああ!!」
「なんて暴力的なんだ……」
なるほど、これが噂に聞く【グラァハムの里】で養成される【血の狂戦士】。
もしアシェイリが、ナーレフでの最初の邂逅でユールを本気で殺すつもりであったならば、全く歯が立たなかっただろう。
――それはネイリーにとっても同じであるはずなのだ。
壊せば容易には再生できない、脆い存在である人間が相手であるのとは訳が違う。
更なる「毒煙玉」を放って破裂させ、アシェイリの進攻を防ごうとするネイリーだが、【血流操作】によって噴射される流血の刃が毒煙を切り裂き吹き飛ばす。同じ技はもう通用せず、ネイリーがアシェイリに対して決め手を欠いているのは明らかであった。
老フクロウが怯んだ隙に、アシェイリは最初に大斧を投擲した大樹に突進。
乱暴に柄をつかむや――豪腕一抜、勢いが乱暴すぎて、半ばまで砕けていた大樹がめきめきと音を立てて崩れ倒れ雪飛沫を上げる。その白霧を赤く塗りつぶしながら、狂戦士が老梟に迫る。
「元気があって良いことじゃのう! ……ならば、取っておきじゃ!」
ひらりと両腕を広げ、【梟術】によって木の枝を次々に飛び移っていくネイリー。
アシェイリが「血刃」をばらまく暴威の嵐と化し木々を粉砕していくが、ネイリーは足場が破壊される一瞬前にはその場から移動している。
恐るべき「軽業」である。影や闇の中での移動能力においては、ユールが"里"で主に学んだ【蝙蝠術】が上ではあろうが、こうした直接戦闘における回避技術という点においては、"里"の教練者が「古すぎる技術」として否定していた【梟術】は、非常に有効であるようにも思われた。
――などと戦況を分析できる程度には、ユールは楽観視してしまっていた。
この相性差では、多少の"毒煙"など力技で吹き飛ばされてしまうであろう、と。飛び回ってネイリーが逃げ隠れする木の枝々にしても、狂戦士化した少女が全て叩き折ってしまえば逃げ場が無い。追い詰められるか、撤退するかは時間の問題であり、自分はそこを追撃すれば良い――などと読み間違えた。
故に、ネイリーの狙いを見抜くのが遅れ、アシェイリへの警告が遅れる。
「いけない、アシェイリ! 下だ!」
ネイリーほどの老練な暗殺者が、ただで足場を転々と移動しているわけがない。
今のネイリーとアシェイリは「逃げる小鳥を狩る猫」――などと言えば表現が可憐過ぎるだろうが、この老いた"小鳥"は次々に飛び降り立った木々に毒煙の罠を仕掛けていたのであるが、それはむしろユールに読み間違えさせるための囮であった。
その真の狙い。
アシェイリが誘い込まれた先の真下には……ユールを【蛇術】によって絡め取るために、【血衣滑り】によって脱ぎ捨てた「血の膜の塊」が這いずっており。
そんな残骸にすぎないはずの血肉塊が、まるで生を得た魔物のごとく蠢くや、見る間に血の塊がドス黒く変色し血の煙を噴き上げつつ、ギョロリと生物のように首をもたげて頭上のアシェイリを睨めつける。
「クソが!」
何が起きるかを悟って、ユールは時が止まるような感覚になった。
無理を重ねた挙句、ネイリーに受けたダメージが楔となって打ち込まれており、このままではリシュリーを守ることすらできないかもしれない――だから、アシェイリを"捨て駒"にしようか? という邪心が働いたのである。
だが、振り払ったはずの追憶が、大昔のことのようで、あるいはすぐ昨日のことのようにも感じられる追憶が、再び蘇る。
『これは、僕らだけの秘密にしよう……アシェイリ』
『そうだね……これは、これが、私達の"罪"なんだよね』
まだ幼かったユールとアシェイリの間には、確かに共有するものがあったのだ。
二人は知ってしまったのだ、知りたくもなかった"人と吸血鬼の間の真実"を。
「させるかああああああッッ!!」
叫びつつ、ユールは後先考えずに吸血鬼の種族技能【血流増大】【血流操作】などの技能をフル稼働。
体力配分も魔力配分も、先のことなど一切考えないで再度【影渡り】を発動した瞬歩により、二息飛びにネイリーとアシェイリの間に割って入った。
「グガアアアアアアアアッッ!」
「おおおおおおおおお!!」
「この阿呆がッッッ」
三人を押し潰し包むように弾ける緑色の毒煙。
と同時にアシェイリに、ネイリーの脱ぎ捨てたはずの「血衣」が、緑の毒煙を噴きながら屍鬼の如く飛びかかり、ぬらりとまとわりついて食らいつき、毒液を滴らせた鋭い牙を心肺めがけて胸に突き立て。
それを見たユールもまた、アシェイリに衝突しつつ抱きかかえながら、十指に構築した結晶血刃を――己の胸に向かって鋭く突き立てた。
雪煙と毒煙を切り払い、抗う結界のごとく周囲に飛び散る赤飛沫。
三者三様の怒号の後に、森には静寂が戻った。
そして、か細い足取りで、息を切らせながらも必死に走ってきたであろう。
人外の吸血鬼達の血みどろの闘争からは全くかけ離れた世界に住んでいたはずの、聖少女が一人、その場にたどり着く。




