半魔-0002 反骨の半ゴブリン②
【4日目】
半ゴブリンのル・ベリにとっては非常に意外なことに、拘束は数夜で解かれた。
両腕は縄で縛られたままだが、縛り方には多少の余裕が持たされている。監視として戦士階級のゴブリンが一匹ついているが、それを差し引いても「災厄を運びこんだ者」への待遇としては破格だ。
「これハ……根喰い熊の仕業じゃ無いナ」
目の前に広がる有様を見て、ル・ベリは熟考する。
集落の集会所となっている広場では、総勢100ものゴブリンが集まっており、検分の行方を見守っていた。戦士階級や斥候階級も含め、レレー氏族の戦うことのできる雄の半数が集っていた。
残りは縄張りの哨戒や、狩りで出払っている。
レレー氏族長バズ・レレーが狩りの指揮を急きょ次男に任せ、ル・ベリを駆り出したのだ。
ボアファント討伐隊の全滅。
その報せはル・ベリに甘美なる憎悪の悦びを与えた。
回収され運び込まれたグ・ザウやゲ・レレーら6名の遺体の状態は無惨なもので、どのように殺されたかを想像するだけで、彼はつい口の端を歪めてしまうほど。
無論、それを見られないようにする程度の保身は忘れずに。
氏族の危難と言って良い。
レレー氏族長は大罪人とはいえ、森の鳥獣の"専門家"であるル・ベリを使う決断をする程度の柔軟性を持っていた。
当の専門家――"獣調教師"ル・ベリは、仇の死という至福に酔いつつも、遺骸の「無残さ」について、本能の冷静な部分が強い警告を発するのを感じていた。
(根喰い熊の爪ジャ、こんな傷はつかないはずダ――それにあいつらハ意外なほど少食……)
最果ての島を覆う森の生態系で、捕食者として第一に挙がる獣は根喰い熊。
実際に木の根を喰らうわけではないが、冬眠時に地上へ張り出た木の根を掘って穴ぐらを作ることから、根を喰うと誤解されこの呼び名がつけられている。
無論、このことは誰にも話していないル・ベリの観察結果の一つである。
6名のゴブリンは異常なまでに食い荒らされており、非常に大柄だったゲ・レレー以外は、どれが誰かも判別できない。
だが、不思議な事に、どの遺骸も骨が食い残されていた。
根喰い熊は少食で、腹を空かせていたとしてもゴブリンを一度に6名も食うことはそもそも無い。とはいえ、好物は骨である根喰い熊が、それをここまで食い残しているというのもおかしい。
また、食い残した死体を子熊のためか、自分の冬眠用の保存食として運ぶことがあるとも考えると、こんな中途半端に食い荒らされた状態で放置するなど――獣のすることではない。
6つの死体のうち一つ、食い荒らされていて非常にわかりづらかったが、ル・ベリはその死体が食われる前に肩から股にかけてばっさり抉るように斬り裂かれた痕を見つけた。
(大体こいつらの武器ハどこへ行ったんダ? グ・ザウのクソなんて、着てイたボロ衣を剥ぎ取らレてるジャないか。これハ、根喰い熊ではあり得なイ……まさカ?)
「ドウシタ、続ケロ!」
「牢デ糞漏ラシ過ギテ、自慢ノ鼻ニ蛆ガ湧イタカ!」
「半ゴブリンノ貧弱野郎メ! 俺タチノ機嫌ヲ損ネタラドウナルカ、知ッテンダロ?」
ふっと湧き上がる激情を、へつらいの笑みを浮かべてやり過ごす。
ゴブリンの知性では【後援神】の歓心など理解できないのも仕方が無く、彼らにはル・ベリの特技は「鼻が良いから」程度のものとしか認識されていない。
だが、ル・ベリもまた、侮辱しまた侮辱されることはゴブリンの社会を構成し、序列を構築する重要なコミュニケーション形態の一つであることを、十分に理解してはいなかった。
彼は母から魔人族特有のプライドの高さ、どのゴブリンとも分からぬ"父"からは、憎悪する相手を徹底的に見下し過小評価する、という欠点を受け継いでいる。
半ゴブリン故の腕力の無さから、生き残るためのへつらい・へりくだり・媚び売りばかり上達したのは、やむを得ないことではあった。
だが、そのために彼は、氏族の食糧事情を安定させたという功績を自らの序列向上に繋げられなかったと言っても過言ではない。
自己に功績あればこそ、他者を貶めねばそれは日の目を見ぬのがゴブリン社会の掟である。
護衛の侮辱とそれを止めようともしないレレー氏族長の態度に、ル・ベリは内心完全に彼らを見捨てる決断をした。
食性から言っても、襲撃の仕方から言っても、また襲撃場所からしても、襲撃者はル・ベリの知識にあるような存在ではない。
報告によれば、あのボアファントの肉がほとんど残されているという。
そのくせ、ゴブリンの討伐隊は散々に食い荒らされた。しかも獣にとっては無用の長物である彼らの「道具」を持ち去られて。
これは――たとえばの話だが、何者か、例えば自分以外の獣調教師のような存在に率いられた"獣の群れ"の仕業と考えた方が、まだル・ベリにとっては合点がいく。
ル・ベリですら知らない未知で危険で獰猛かつ偏食な肉食獣がゴブリンの道具を回収した……などという馬鹿げた状況を想定するよりも、まだずっとマシな可能性である。
自分ならばどうするか。
たとえば葉隠れ狼などを手懐けられれば、同じことができるだろうか。
討伐隊がボアファントと争う隙を突いて、葉隠れ狼で奇襲する。
ゲ・レレーの討伐隊だ、相当な被害が出るかもしれない。卑劣なグ・ザウには逃げられるかもしれない。
この襲撃者はそれをやってのけたのである。少なくとも葉隠れ狼の死体は転がっていないし、ゴブリンとボアファント以外の生物の血も残っていない。
だが、自分以外に鳥獣を手懐けられる者など、存在するのだろうか?
それとも、他氏族の部隊だかと遭遇して討ち取られ、まさに葉隠れ狼の群れにでも食い荒らされたかだ。
(それもアリだナ……いや、これならいけるカ?)
心の底で暗く笑い、ル・ベリはレレー氏族を破滅に誘う甘言を弄し始める。
「よく見ロ。こんな食い荒らし方ハ、葉隠れ狼の仕業に違いなイ」
「阿呆ガ! 若大将ガりーふるふナンゾに後レヲ取ルモノカヨ!」
「戦イヲ知ラナイクズハ、コレダカラ! 今ココデ俺ガ教エテヤロウカ!?」
「話を最後まで聞け。おかしくないカ? なんで若大将モ、相談役モ、武器を奪われているんダ? リーフルフが持ってくわけ無いだロう?」
「ドウイウコトダ?」
喚く護衛達を抑え、氏族長バズ・レレーが重々しく口を開く。
ゴブリン達にとっては威厳ある声色らしいが、ル・ベリには他のゴブリンとの違いがよく分からなかった。
「氏族長。若大将達ハ"ムウド氏"に殺されたんダ」
氏族長が顔をしかめ、広場のゴブリン達が一瞬静まり返る。
ムウド氏族はレレー氏族と縄張りを隣接するゴブリン氏族の一つである。
だが、他の争っている隣接氏族達と比較して、実際に小競り合いになることは少ない。哨戒隊同士が軽く鞘当てし合う程度の「仲」でしかなく、婚姻による交流もまた皆無。
その理由として、縄張りの間にボアファントの生息地が点在していたことがあり、互いが互いを本気で攻めようとした場合、どうしても人数のせいでボアファントを刺激してしまう。
よほどのことが無ければ、暗黙のうちに不干渉でいることが、ここ十数年の両氏族間の了解である。
ならばその「よほどのこと」を作ってやれば良いじゃないか。
ボアファントは鼻だけ食い荒らされていた。
ボアファントの鼻を好むだなんて偏食の極みだが、相討ちを狙ったとしても、ボアファントもゲ・レレーの討伐隊もまとめて殺してしまえる襲撃者がいるのだ。
(そんなニゴブリンとボアファントを食うのが好きなラ、もっと食わせてやル)
ル・ベリの論法にいぶかる者も数名はいたが、彼らが反論を言うよりも早く、戦士達の間には報復の気炎が巻き上がった。ル・ベリは序列最下位とはいえ功績があったし、専門家としての"権威"のようなものも得つつあった。
彼は言葉巧みにゲ・レレーの死に方の不自然さを語り、また獣ではあり得ない傷痕のある死体を一つ示した。
レレー氏族が狩りで使う「毒槍」が全て盗られていること、グ・ザウがボロ布を剥ぎ取られ、ドルイドの証たる"杖"を奪われていることまで指摘すれば、それが獣ではなく知性ある者の仕業であると示すのは造作も無い。
内的な要因もあった。
ル・ベリの功績によってレレー氏族は生まれる子供が倍増し、数年で戦士となる若者が激増していたのである。
それまでの縄張りでは手狭となっていたことは事実であり、周囲の氏族との小競り合いは確実に増加していた。
柔軟なるバズ・レレーはその程度の問題は認識しており、氏族長として冷静に判断する部分では、これを奇貨としてムウド氏族を攻め滅ぼすのは良い判断であるとも考えていた。
雄は当然死ぬが、その分雌を奪える。雌がいれば子供が増え、ル・ベリがいれば子供は育つ。広がった縄張りを守る戦力もすぐに回復するだろう。
難しい顔で考え込む氏族長の様子を、ル・ベリは目を細めながら観察する。
(もうひと押シだな)
「皆も知っているようニ、俺にはボアファントを操る技があるゾ? ムウド氏のヤツラにも"災い"を運び込んでやル! どうダ、貴様ラにこの俺の"災い"ヲ使う度量があるカ!?」
手懐けることを目的とせず、狙った方角へ誘導する程度であれば、もはや今のル・ベリには児戯に等しい技である。
ここに来てル・ベリは初めてゴブリン達の歓心を買うような態度を取った。
ゴブリンの文化では、他者を貶めることもせず、自己の技を誇張することもしない者は酷く見下される。ル・ベリ自身は【嘲笑と調教の女王】の意に叶う"自嘲"をしたに過ぎなかったが、彼にとっては真に意外なことに、これをキッカケとしてレレー氏族内での序列が急速に上がりつつあったのだ。
ただし、この後の彼とレレー氏族の運命を考えれば、ル・ベリの当初の目標からすれば、それは遅すぎた転換ではあったろう。
彼はただちに縄を解かれ、ムウド氏を襲撃するための準備を始めるように氏族長から命じられることとなる。




