本編-0114 前任者の謎掛けと禁域からの進軍
雪に覆われた冬の森は足を取られる。その中を、俺の迷宮から【泉の貴婦人】までの距離は、獣の足でも数日はかかるといったところ。
つまり俺の眷属の足ならば1、2日ほどの距離である……何も考えずに一番効率の良い体力配分で疾走させれば、だ。ならば、もうそろそろ着きそうなのかというと、そういうわけでもない。
ルクとミシェールから"仕込み"の成就と、ハイドリィの手元に潜んでいたとんでもない詐欺ジジイの報告を受けて。
泉の周辺までは足の速い走狗蟲中心の偵察部隊を先行させつつも、螺旋獣アルファに乗り、俺は元来た道を全力で取って返して【異界の裂け目】まで戻った。
――何をするのかだって?
リュグルソゥム兄妹のせっかくの"仕込み"だったというのに、その正体が実は吸血鬼だった詐欺ジジイが加減も考えずに促進助長してくれたもんだからなぁ。
色々と日程の想定が崩れたんだよ。少数精鋭でまず「冬の司」を叩いてから、禁域の森と泉の周辺を完璧に勢力下に置いた後に罠を張ってからの完璧な不意討ち……を目論んでいたんだが、かくなる上はこちらもそれなりに本気の戦闘態勢に移らざるを得ない。
「ぜぇ、ぜぇ……」
というわけで、俺は現在。
全身を蝕む疲労と"魔素枯渇症"の眩暈に耐えながら、ゆらゆらと揺蕩う"裂け目"を、ひたすら泉の方角へ「裂け目移動」をさせる――という苦行に従事していた。
今度は、アルファの背に直接乗るのではなく、【肉塊花】と【触肢花】で急造した簡易的な"輿"に担がれている。作業に集中する必要があるためで、人攫いみたいに担がれると姿勢がしんどいし、取って返してきた時みたいにそのまま乗っていると……こう、螺旋獣の異形とも言うほどに捻れ発達した筋肉が、歩くたびにゴツゴツとケツの下で蠢くもんだからなぁ。
だが、このやり方の方がアルファ的にはむしろ運びやすいらしい。
斯くして端から見れば異形の筋肉凶獣の肩に輿で担がれ、周囲には異形の魔物どもを率いる邪悪なる魔人の進軍――ル・ベリ曰く、かなりらしい様になってしまったようだが、本人はそれどころじゃあない。顔が青くなるのと赤くなるのと目の前が白くなるのと黒くなるのを繰り返しながら、まるで足の鉄球を引きずる労働奴隷のような気分なのである。
こんな俺でも迷宮領"主"だが……どちらが使われる側なのか、わからないな?
それで、目下鋭意運搬中の、この不定形なる銀色の水面。
移動自体は速いのだが、いかんせん、距離あたりの魔素消費が激しい。
【魔界】での実験時も相当のものであったが、それが【人界】における迷宮領主的行動への制約と合わさり、魔素の供給が追いつかないことも考慮すると――平均して人間の小走りぐらいのスピードしか出せないのである。
「がりっ、がつっ、ごくっ……はぁ、はぁ」
『きゅおおぉん! 創造主様は、まるで人げ――魔人さん機関車のようだよ!』
『"機関車"て何なのさ、ウーヌス。あはは、また変な言葉覚えちゃって』
『も、モノが僕のチーフとしての顔を立ててくれるきゅぴなんて……モノ大好き! えっとねぇ、機関車さんていうのはねぇ! お顔のついたお話する金属さんでできた乗り物さんで――』
『それはそうと、魔石って固くて食べにくいって思ってた~』
『さすが創造主様だね! ウーヌスの言うとおり、やっぱり筋肉は全能だったんだなぁ』
あぁ、今は副脳蟲どもの非常にイライラする微笑ましいやり取りをいびる気力も湧かない。
連中がやたら食いついている通り、今の俺はただひたすら。
デルタが、その螺旋状に捻れた圧倒的なる筋力から繰り出される凄まじい握撃により、魔石を"粉"と砕いたものを摂取し続けるブラック労働者だ。当然、休暇も保険も無いどころかしくじれば死ぬという素敵な労働環境だ。
――だが、まぁ望んでやっているなら我事ながら業も深いか。
せっかくリュグルソゥム兄妹が御膳立てしてくれた好機であることには違いないのだから、な。
ところで、相手が冬を権能とし【氷】属性であることが強く見込まれる魔獣であるならば、竜人ソルファイドを先行させるという考えもあった。一度「季節の司」とは戦闘経験済でもあるからな。
だが、偵察班からの報告によれば、既に"泉"が氷と雪で完全に覆い尽くされており、肝心の【泉の貴婦人】の状態が全く以って不明であった。つまり「冬の先触れ」がその力を奪って力を増している可能性があったし、仮に少数精鋭で勝利できたとしても、ソルファイドだけでは【泉の貴婦人】とのその後の交渉が上手くいくかはよくわからない。
一方でハイドリィもまた「泉」を目指して兵を起こしたと報告が、ナーレフにばらまいた数十の寄生小虫達から一斉に届いたことを念頭に置けば――あえて両者を衝突させてみるのも一つの手。
ハイドリィの"切り札"を消耗させることができるかもしれないし、仮に「冬」もまた掌中に収めようと欲を掻いたならば、そこが攻撃を仕掛ける好機になるだろう。
「ミシェールからの報告によれば、ハイドリィの部下のうち、貴婦人の眷属どもを封印して回っていたのが"痩身"のサーグトルだった。だが、封印後に今度は兵器としての制御法を研究する役割は"堅実"なるヒスコフが率いる『魔導兵』部隊が引き継いだ――と」
「その連中にわかりやすい隙が生まれるというわけですな」
「機を失すれば、そのまま"冬の司"とやらを加えて強大化した敵を相手にすることになるだろうがな」
"裂け目"の裏の【魔界】側出口には、合図一つで短時間の間に数十から数百ものエイリアン達が展開できるように配置済。
すなわち、俺は今、軍勢をまるごと格納して運んでいるに等しい状態であり――偵察部隊と哨戒部隊以外のエイリアンや、アルファとデルタとゼータ以外の"名付き"達も、輸送にかかる魔素消費を可能な限り押さえるため【魔界】へ戻している。
だが、ナーレフから「泉」までの距離を計算し、ハイドリィが強行軍で雪の中を踏破してくるのに掛かる時間を考慮すると、罠を張りつつ本隊で横合いから殴りつけられるかどうかはギリギリというところだろう。
それにしても、リュグルソゥム兄妹の謀りの巻き添えを食って遠方へ"転移"させられたアシェイリと【眷属心話】をしていた時に、きゅーきゅーぴーぴー説教された時もそうだったが……【人界】における魔人や迷宮領主の行動に対する制約の重さが結構な足かせであることを再確認せざるを得ない。
これまでのような少人数の行動ならともかくも、それが数百を越えるような軍勢単位にまでなってしまうとしたら――"迷宮経済"の強化がまだまだ必要だ。
だから、結果論だが、いきなりエイリアンによる侵攻なんて形を取らなくて正解だったろうよ。まずは、活動限界を測った上での補給線と兵站の構築が先だ。
その意味での現状は、今の俺の「蓄え」を全部吐き出してようやく……1千にも上る眷属の全軍を【人界】で1日活動させられるかどうか、というところ。少なくとも、【魔界】でリッケルと戦った時のような大動員では、同じことを【人界】でやれば半日と持たずに枯渇してしまうだろう。
言い方を変えれば【人界】では「魔素・命素」の相対的な価値が落ちる、ということだ。これの改良案というか【人界】への適応案は頭の中にあるんだが、今はそれどころではないから裏で副脳蟲どもに研究させておこう。
何と言うべきか、「幸運」や「都合の良い展開」があまりトントン拍子に続くのも――基盤の整わない無理な拡大を強いられるという弱点を産むということだな。
何事も良し悪し、薬も飲みすぎれば毒になる。好機と危機は表裏一体、ということだろう。
だが、さすがにここで軍勢を動かさないわけにはいかない。
「主殿は情が深い、ということだ。ルク達に報いようとする線を捨てるならば、もっと時間をかけて浸透することもできるだろうに。竜人よりも長い寿命を持つという【魔人】ならば、な」
「馬鹿め、今更思考が追いつくのが遅いぞソルファイド。それも既に俎上に乗せて検討された上で――あの兄妹も含めた我ら配下が、生き悩みもがき死ぬ、を望まれからこそ『短期計画』を御方様は採ったのだ。お優しいかもしれないが、同時に恐ろしい御方だ。理解していないわけではないだろう?」
「愚問だな。俺に"廃人"になることを許さなかった、実に主殿らしい考えだ」
残念ながら、今回はリッケル戦のような泥仕合をするわけにはいかない。
あれも"策"が決まったから終盤で一気に大勢を、文字通り押し流すことで勝利したが、今回はあの時の序盤から中盤のような壮絶な探り合いやら"操作量"勝負やらに興じるわけにはいかない。
これ以上の「拡大」を一旦クールダウンし、撃破後には再びエイリアン軍は【魔界】に戻して事態の沈静化を測るためにも、ハイドリィとその手元の「切り札」に対しては完勝しなければならない。
生き残りを出すわけにはいかないのである。
「それはそうと……御方様。さすがに、少し休まれては?」
「断る」
計算上今でもギリギリのペースだからな。それに単に目的地に着けば良いってわけじゃない、確実に包囲するために足の早い連中を道中で次々に這い出させて先行させないといけない。考えることがいっぱいなんだよ――おら、キリキリ働けぷるきゅぴども。少数を以って多数を包囲殲滅する完璧な布陣を、この雪と森の領域内に描き出すんだよ。
『きゅぴええええ! 僕達に構う余裕さんが無いと思っていたら、いきなり大量の宿題さんが来たあああ助けてモノ!』
「諫言せずにはいられない、か。お前の忠誠心は大したものだなル・ベリよ」
「お前でもそんな顔をするのだな、ソルファイドよ。何か嫌なことを……いや、後悔するようなことを思い出したとでも言うような顔だな」
「盲信と忠誠は違う、と思ったということだ。俺も、あの時そこを履き違えていなければ、とな」
「――ふん。それがお前の在り方ならば、これもまた俺の在り方、そしてあれが御方様の在り方よ。まぁ、できるならば代わって差し上げたいものだ。物事、何でも便利に役立つというものではないということか……"魔素枯渇症"か、厄介な」
今、ル・ベリも言及したが。
【異界の裂け目】の移動実験を【魔界】でやっていた時にも感じた、この急激に全身から魔力やら魔素やらが失われ、身体が一時的に動かせなくなる現象は、迷宮核の"知識"によれば『魔素枯渇症』と言うらしい。
これは特に――【魔界】の有害なる「外なる魔素」などを含んだ"瘴気"に適応するために【異形】を発達させた魔人にこそ危険な現象となる。
どういうことかというと、魔界創造神の慈悲だか恩寵だかは知らないが、本来はそんな有害な"瘴気"の中でも耐えられるようになるための特質として会得した【異形】が、いつしかその役割を変えた。「外なる魔素」の吸収器官という役割も果たすようになった……ということなのである。
そして、そういう「吸収方式」の魔素循環に慣れ切った結果、ルクやソルファイドのような人界出身生物が当たり前にできている「内燃方式」の魔素循環能力が、よほど意識して訓練しなければ未発達のままになってしまう、ということらしい。
「つまり、ル・ベリも主殿のようになっていた可能性がある、と?」
「俺が"融合型"の迷宮領主でなしに連れ出してたら、二人まとめてぶっ倒れていたかもな」
なにせ、俺自身は、迷宮核が心臓のあたりに融合しており、眷属達からすればお手軽な全自動供給型充電ステーションのようなもの。
当然、魔人であるル・ベリは俺から直接魔素の供給を受けることができていたわけだし、【魔界】の"瘴気"の悪影響がソルファイド達に少なかったのもその保護下にあったからである。
『というわけだきゅぴ。これから【人界】に探険さんしたい魔人さんは、十分に気をつけるんだよ! きゅぴぃさんとの約束だきゅぴ』
『守らないと酷い目に遭うかもね!』
『ね~』
おほん。
よろしいかな?
思考ジャック型脳内会議を生業とする、謎原理発声器官を持つ脳みそ生物の諸君。
今から、とてもシリアスな話をしないといけないのだが。
『アッ、ハイきゅぴ』
さて。
ここで疑惑と疑念。
こんな「【人界】で活動すること」を大前提とした知識が。
何故に、さも当たり前のように俺の迷宮核の中に存在しているんだろうなぁ?
蓄えられた知識が、その偏り具合からも『前任者』の存在を強く示唆するものであることは、前にも考察した通りだった。
だが、さすがにこんな知識は、少なくとも【人界】のことなど眼中に持たず【魔界】での勢力争いに明け暮れるようなごく一般的な迷宮領主であったならば、まず手に入れる機会の無い情報なのではないだろうか。
そして手に入れる機会があったとして――多くの迷宮領主は「分離型」であり、基本的に迷宮の奥で"裂け目"を鎮護する迷宮核を守るよう縛り付けられた存在だ。リッケルがやったような周到な準備をしなければ迷宮核を離れられない以上は、そんな情報、本当に毛ほどの役にしか立たなかろう。
そしてダメ押しで、リッケル子爵をけしかけてくれたテルミト伯の反応にもあったように、そもそも【人界】行き自体が"掟破り"とタブー視されていることを前提にするなら、その違和感は尚更のものだ。
畜生め。
数ヶ月前の考察では"引きこもり"扱いしたのも確かに俺だが、とんでもない。前任者殿はきな臭さの塊じゃねぇか、本当に本当に。
どう見たって、【人界】に強い関心があって、あるいは【人界】行きを準備していたのかもしれないよなぁ?
――だが、おそらくはその前に殺された。
それで【人界】での迷宮領主的活動には制約がある、ということは学ばずに終わったから、俺に引き継がれたであろう"知識"には無かったのかもしれない。
しかし、配下か何かを派遣して実験して「魔素枯渇症」に関する詳細な知識を会得していた可能性は高い。あるいは、最初から意識が【人界】に向いているならば、何ぞの拍子にその知識を得たとして、並の迷宮領主とは異なり細かく調べたということかもしれない。
さて。
俺は一体、何者の掌の上で踊っているのだろうなぁ。
あるいは俺は、その意味でもまさしく前任者殿の「後任者」として、知らずその志を引き継がされている――という想像は荒唐無稽だろうか?
ヒュドラに塞がれて【魔界】側で拡大できないなら、【人界】に目を向けるしかない、という風に誘導されていたとしたら、どうだ?
……さすがに"エイリアン"とかいう概念は、星間飛行技術なんぞ発展していないだろう「この異世界」に、俺が迷い込んだことで初めて定義されたもののはず。
そんな奇ッ怪な属性を己が権能としてしまったこの俺が、そんな「前任者」殿の「後任者」になるだなんてことまでは、そんな"何者か"の想定には無かったと思いたいがな。
ともあれ、【最果て島】の環境や情勢が"創られた"ものである可能性がチラつく以上、まずは志半ばで斃れた臭い前任者殿がどんな思惑を持っていたのかを調べなければならないと思う次第である。
"己を知る"とは、単なる自己分析的な話だけではなく、周囲を取り巻く情勢や環境、動かすことのできるものできないものなどの非常に幅広い与条件に対する格言なのだろうからな。
さて、話を戻しつつ――今の考察と繋げようか。
『え!? いつもの暇つぶしさんの考察タイムさんじゃあなかったんだきゅぴか!?』
お前俺を何だと思っている……大いに関係があるんだよ、今の話は。
目下やろうとしている、これからの軍事行動にな。
ほれ。
ちょうど今の軍事目標の一つになっているじゃあないか。
【人界】で迷宮領主みたいなことをやらかしている存在が。
【泉の貴婦人】は、例えばだが【人界】側での距離的には"前任者"殿と交流があった可能性がある。少なくとも、この俺がこの世界に転移する以前の禁域がどのような状況であったかについて、聞くことができる――だけではない。
今、色々と大変な事態に巻き込まれている様子のアシェイリからの報告で、また厄介だが情報収集しがいのある要素がぶち込まれてきた。
『精霊の泡粒に興味はありますか?』
とかいう意味深な伝言を俺へ宛てた、王都孤児院に現れた謎の少年。
そいつがどうやって俺の存在を察知しているのかついては、まだ説明できる。【四元素】のサウラディ家の秘中の秘たる『精霊の愛し子』という存在で、同家が持つと推測されている「予言」の力の核ではないか、とルクらは言っていた。まぁ、説明を受けた『愛し子』の詳細については今は割愛するとしよう。
「精霊」はともかく、だ。
「泡粒」というキーワードが、非常に引っかかるんだよなぁ。
現状、それを聞いて俺が思いつくのは一つしかない。
それは――ソルファイドに供のように付き従う【焔眼馬】クレオンを【情報閲覧】した時に見えた、訳のわからない称号【泡粒の先触れ(春)】だ。
これ、現状俺だけが知るはずの事実なんだよね。
【泉の貴婦人】の眷属を"先触れ"と呼びはしているが、少なくとも「泡粒」というキーワードは、配下達にも一言も言っていない。
だが、当然のようにそれを『愛し子』も知っていた。それだけではなく、このタイミングで「その単語を言えば俺が興味を示す」、つまり俺がその単語を知っていて尚且つ違和感を覚えている、というようなことまで、その「予言」の力とやらで察知している――ということが問題だ。
端的に言って脅威である。
過小評価していたのかもしれないが、下手をすると【情報閲覧】に匹敵するかそれを越えるヤバさがあるのか? ルクとミシェールを追って俺の迷宮へ侵入した【騙し絵】家の工作員を取り逃がしたのも問題だが、これはそれ以上の脅威だ。
……が、アシェイリへの中途半端な"手助け"や、俺との「お話」を求めていることなどから、ただちに敵対的な行動をしているわけでもない以上、ひとまずその思惑を測るのは後回しか。
話を『精霊の泡粒』とやらに戻せば、だ。
迷宮核による「翻訳」ルールをここで思い起こしてみよう。
それが俺の認識に最適化された概念ならば、文法もまた俺の認識に沿うはず。
すなわち、
【泉の貴婦人】の眷属「が」『泡粒「の」先触れ』
であるというならば。
「先触れ」=「眷属」であり、また「泡粒」=【泉の貴婦人】ということ――そして、その『泡粒』を修飾する言葉として「精霊の」という語が付いていることを、どう解釈すれば良いんだろうかねぇ?
オマケに【四元素】家の『愛し子』もまた、何に「愛され」ているかというと、まさにその「精霊」とやらになんだよなぁ?
これが、俺が【泉の貴婦人】に、単なる関所街ナーレフの攻略のための重要なピースである以上の興味を抱いた理由である。そして相対的に後回しにしていた「前任者」の思惑とやらを、ここで改めて重要視し始めた原因でもある。
単にルクらの働きに報いるだけでもないのだ。
ネイリーに乗せられたことを嫌って今からでも慎重策に戻るということはできる。ハイドリィに取り入ってこの窮地から救ってやる――マッチポンプだが、そうしてもっと穏健に食い込んで、魔人の人よりもずっと長い寿命を盾にゆっくり事を進める長期計画も悪いものではない。
だが、俺はここでリスクを取ることを選ぶ決断をした。
【魔界】と【人界】。
それぞれの世界の"神"と呼ばれる存在。
それらに対する各々独自の交信手段を持つ、それぞれの世界の最上位為政者達。
【御霊】家の虐殺に絡む『長女国』『末子国』『アスラヒム王国』の思惑の交錯。
おそらくは【人界】に絡む何らかの目的があって、"引きこもる"ために『最果て島』の環境を構築するも、道半ばに斃れただろう、俺の前任者。
【ワルセィレ森泉国】の住民達と神秘的な関係性を築いてきた【泉の貴婦人】。
そして"精霊"という概念を吹き込もうとする【四元素】家の複雑な事情のガキ。
誰かの掌の上で踊るにしても、その背景を理解した上で――踊った後の"身の処し方"というものを、定め間違えないようにしなければならない。観客どもが何者であるかを把握した上で、後日見物料を耳を揃えて支払わせる……せめて請求先をキッチリ押さえておくことが、最後には己の立場を守ることに繋がるのだろう。
何処から何処までが何者の思惑の内であり、そして【エイリアン使い】の存在が何者にとって思惑の外であったのかを、見定めねばならない。
そのあたりを判断しようと思えばこそ、むしろリスクを取って情報を獲りに行く。
だからこそ「前任者」と「精霊」という二つの謎への手掛かりを持つ可能性大なる【泉の貴婦人】を是が非でも押さえたいというわけだ。
まぁ、そのためには代官ハイドリィが率いるナーレフ駐留軍+αを撃破しなければ始まらない、という話に戻ってくるわけだが。
――【人界】入りしての初の本格的な闘争だ。
が、予定よりも大分早くなってしまったため準備がギリギリ間に合うかということと、迷宮領主としての力が制約を受けている状況、という2点が懸念要素か。
その中で"完勝"を目指そうというのだが、リッケル戦と違って有利な要素もある。
相手が迷宮領主を察知していない、ということだ。
ルク達が反応を見た限りでは、実際には俺のことをガン観察していたネイリーほどの食わせ者であっても、ついぞ俺の"素性"までは知らなかったらしい。ましてそのネイリーに裏切られていたハイドリィであっては、俺が魔物の軍勢を率いて彼の「切り札」に当たり前のように対抗できる存在であることなど、想像の埒外だろう。
単なる"災厄"の一種として"瘴気"にあてられて発生し処理される魔物や、それと同一視されているような、迷宮から這い出した気まぐれな魔物の類とは異なり。
統率された軍勢としての魔物の集団による奇襲を、逐次投入の愚を犯さずに一挙に仕掛けるべく、こうして一度引き返して「裂け目移動」をやっているのは最初にも述べた通りか。
「『魔導兵』対策は、本当に大丈夫か? 主殿。"先触れ"どもは俺やル・ベリ、それと主殿の"名付き"どもで対処可能だろうが、ルクやミシェールほどではないにしても、戦闘魔法を扱う兵士として集団戦の訓練を受けた魔法使いが数十人というのはやはり脅威だぞ」
「トカゲ頭め。御方様が、連中の隙を突くという話をさっき言ったばかりだぞ」
「俺の仇の『長兄国』にも、魔法を使う者達は居た。侮るなよ、ル・ベリ。主殿がルク兄妹、そしてその追っ手達に勝利できたのは、相手が少数で俺達が圧倒的に有利な状況下で迎え撃ったからに過ぎないぞ」
「ソルファイドの言う通りだ、ル・ベリ。奇襲で十数人倒せても、残った20~30人が数百人の兵士に守られながら、後ろから破壊魔法なんかを連発されたらこちらの被害も酷くなって、"完勝"が難しくなる――『冬の司』をエサにしたいところなんだが、それだけじゃ不安だ。もう一枚ほど、ダメ押しの罠を張っておきたいんだよなぁ」
「……あぁ、そういうことで。だから奴隷蟲どもを、また大量に動員されていた、というわけですな?」
ル・ベリが苦虫顔をほころばせて、俺の采配をベタ褒めしてくれる。
その様子を見つつ、俺も口の端を釣り上げることで応えるのであった。
まぁ、要するに奇策だ。だが、俺にしかできない奇策でもある。
【魔界】側で奴隷蟲と鉱夫蟲を動員して、リッケル子爵戦の時みたいな土木工事をまたさせているわけだが――さて、"備え"は今回も功を奏するや否や。




