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血契-0004 呪われし生命の紅きと穢れの巫女

~~『英雄王伝第 1巻』より抜粋

(「末子国」初代首座枢機卿エヘレーシュ著)


古の英雄王アイケルが解放軍を率いて【魔界】の軍勢と戦っていた時に、彼を裏切った国々があった。

西方にあった古き大国であったが、無謀とも自殺願望とも思えたアイケルの特攻じみた進軍に対して、自国の民を護らねばならぬ責務から、兵も出さず、人も出さず、物資も出さず、必要な支援を行わなかった。


結局、ゆるやかな諸族連合であったこの古き大国は【大戦】の最中に崩壊したが――英雄王アイケルに手を差し伸べなかった(とが)により、【諸神(イ=セーナ)】によって呪わし種族へ貶される。これが、人の生き血をすすらねば生きていくことのできぬ忌まわしき存在たる【吸血鬼】の誕生した所以である。

「ユール君の心を占領している"女の子"に、興味があるんだよね?」


【魔界】で迷宮領主オーマの御前で行われた会議の後。【人界】にて再び関所街ナーレフを訪れ、ルクが教団の支部へ潜入したのを見送った時のことである。

アシェイリは滅亡貴族リュグルソゥム家最後の令嬢ミシェールから、そのように切り出されたのだった。

会議の最中に突如として(アシェイリ視点)行われた「女子会」の流れで、関所街ナーレフでユールと対峙した時、アシェイリは【吸血鬼】として、この世のものとは思えないほどの(おぞま)しい"臭い"の()を持つ女とユールが密に過ごしていることに気づいた……ことをミシェールに話していた。

それを覚えていたのであろうが……彼女の物言いは、まるで他の女の香水の匂いから男の浮気に気づいたことと同列視するかのように軽薄だ。


無論、血みどろの幼少期と青少年期を過ごした吸血鬼たるアシェイリのこと。

その浮ついたニュアンス自体は伝わらないものの――挑発の意図は察する。


「知らない。あの馬鹿がどこで何をしてようが、私にもお令嬢さんにも関係ない」


「もう、そんなこと言わないで。我が君オーマ様に報告しておいて損は無いことなんだけれど――乙女のデリケートな話題だから、ね? 相談に乗るよ?」


そう言うミシェールからは先ほどの挑発的な色合いが一瞬にして消え失せており、今度は、くすぐったくなるかのように友好的な態度に切り替わる。色々(・・)と幼少期の"思い出"を――『あのこと』以外は――聞き出され喋らされてしまっている気恥ずかしさもあるアシェイリであったが、自分の話を真摯に聞いてくれる同世代の同性の友人が、彼女にはこれまでいなかったというのも事実だ。

【精神】魔法による出会い頭の"ご挨拶"こそ【魅了】によって対抗したものの。まるで魔法という技術(そんなもの)など無くても、何の問題もない、と言わんばかりに心の揺れ動きを見透かされてしまう。


決して、言葉で想いを表現することに慣れているわけでもないアシェイリである。

自分の言いたいことを、自分にもすっと納得できる表現で代弁してくれるミシェールに対して、不思議な心地よさを感じてしまうのもまた、事実であった。


だから、己の感ずるままを話したのだ。


吸血鬼(私達)にとって、多分ユールにとっても、あれは本当に酷い臭いだと思う。でも――人間(貴女達)にはわからない」


「吸血鬼にだけわかる違いってこと? その女の子も『人間』なんだよね?」


「正直なんて言えば良いのか、私にはわからない。でも、お外――お大尽さんが私の"血"で実験しているのを見て……少しだけ気づいたことがある」


「どんなこと?」


「"あれ"が腐ったような臭い、みたいな感じがした」


「……吸血鬼(貴女達)の尋常じゃない再生能力の由来にして、生命の根源そのものに近い性質を持つかもしれない、あの赤桃色のぶよぶよだよね。それが腐った(・・・)、か」


人差し指を顎に当てて、考え込む様子を見せるミシェール。

リュグルソゥム家の"詳しい事情"をまだ十分に聞かされていないアシェイリには、それが演技であることはわからない。だが「考え込む」という意味では誤っているというわけでもなく、その数秒の間にミシェールは精神世界『止まり木』で、様々な一族の知識が記録された書庫を調べていたのである。


「ルク兄様の受け売り、てわけじゃないけれど。生物学的に、動物は同じ種族(・・・・)の腐臭にものすごく警戒するように進化をしてきたらしいんだって――でも、その女の子は吸血鬼ではないんだよね?」


ミシェールの再確認に、アシェイリは改めて首を縦に振る。

それは、確信があったのだ。少なくとも彼女や彼女の『使命人格』が知り、わかる範囲において、腐臭のような酷ささえ除けば……ユールにまとわりついていた、その『血』の臭いは、明らかに人間のものだったからである。


「じゃあ、視点を変えてみようよ。『同じ種族』て部分は保留しておくとしても、アシェイリちゃんにとっては『すごく警戒』するような『腐臭』だった」


始まりは同世代の女子としての交流だったかもしれないが、この時、ミシェールは元魔導侯家係累としての『探求者』としての一面を表に出していた。

そんな、彼女が推論して曰く。


「人間の"血"が貴女達にとっての生命の根源であるなら、それなのに、本能的におぞましいって感じてしまう"血"と言うのがあるとしたら……多分、死や病苦みたいな(けが)れが、そういう形で感じ取れちゃったのかもしれない。これは、魔法というよりは呪詛系の発想がちょっと入った分析だけど」


「穢れ……」


「でも、死や病気は生き物だったらみんな持っているはずのもの。普通の人間の病人とか、おじいさんおばあさんにはそういうのは感じないんでしょう?」


「言われてみれば確かに」


「機会があったら試してみて……意識しなければ気づかないかもしれないけれど、私の考えが正しければ、その"臭さ"は――何百分の一だか何千分の一だか何万分の一だかは知らないけれど、そういう病人だとか老人達からも、におっているんじゃないかな?」


「何が、言いたいの? お令嬢さん」


少しだけ様子が変わった気がして、アシェイリはミシェールに慎重に口を挟んだ。

その問いに対して、ミシェールがふっと微笑む。だが、彼女の瞳に底冷えするような嗜虐的な色が一瞬だけ浮かんだのを、アシェイリは見逃さなかった。


「アシェイリちゃんの感じていることと、私の推測が正しかったなら、ふふふ、その女の子、一体何人分(・・・)の"穢れ"をその身に抱え込んでいるんだろうね?」


「嘲るの?」


「ううん、ただ、すごく興味があるだけ。でも、ルク兄様には言わないでね、心配しちゃうだろうから……それでね、アシェイリちゃん。本題(・・)なんだけど、ユール君をおびき出すすごく良い案があるんだけど、興味ある?」


「えっ? 今の話の流れで?」


「そう。今の話の流れで、だよ」


ミシェールは蠱惑的な眼差しで、今度は『探求者』としてではなく『謀略の獣』としての一面を、隠すこともなくアシェイリの前に曝け出していたのであった。


   ***


――以上が、3日前の出来事である。

幼馴染ユールのこととなると見境を失いがちであったアシェイリは、一も二も無くミシェールの「すごく良い案」に飛びつき、現在は『長女国』王都レンゼシアの朽ちた地下水路を歩いていた。


「うーん、何だかよく考えたら、すごく無茶な作戦に乗せられてしまった」


ミシェールとのやり取りを思い出しながらも、松明を片手に暗い周囲を照らしながら臭いを辿る(・・・・・)アシェイリ。じめじめとした湿気が火の勢いを弱めそうでもあるが、油だけではなく兄妹の簡易な【火】属性魔法の魔法陣が描かれた荒布を燃したものであり――この地下水路にたどり着いた時に点けた火は、2日経った現在でも消えることなく燃え続けていた。


アシェイリが今居る場所は、かつて【人攫い教団】と呼ばれる以前の【幽玄(サヲンニ)教団】の根拠地があった地下水路である。

【大戦】以前の遺跡とも繋がっていると言われる朽ちた水路だが、魔法大国として独自の浄水技術を発達させた『長女国』において、改修されることなく放棄された結果、貧民窟(スラム)の一部に組み込まれたようなものでもある。


そのような場所に何故アシェイリが居るのか。

当然、吸血鬼の体力で発見されることすら気にも留めずに全力疾走したとしても、関所街ナーレフから王都レンゼシアまで3日かそこらで辿り着く距離ではない。

では、如何にして謀略の獣たる兄妹は、アシェイリを王都レンゼシアまで送り込むことに成功したか。


『汎用性がまだ足りない、技術化は難しいとか言っておいて……これだからな、食わせ者兄妹め。十分、今の手持ちの技術でも可能な"効率的"一手を打ってくれたじゃあないか』


頭の中に、波紋の如く浮かび上がった迷宮領主(ダンジョンマスター)の不敵な声色に、アシェイリは思わず身構えた。別に「触手の刑」を思い出したからではなく――なんとなくであるが、魔人オーマが自分自身の『使命人格』を良いように操っている、その手管を理解しつつあったからである。

畏怖は増せども、心を許したわけでもないが、抵抗できるものでもないとわかっているが故の反応である。


「私が吸血鬼で、お貴族さんとお令嬢さんがリュグルソゥムの魔法使いだからできた無茶です」


『そりゃあそうだろうさ……俺が言うのもなんだが、あの兄妹、日を追うごとに猟奇的になっていっていやがる。まさか【人攫い教団】の信者の皮膚に刻まれた転移魔法陣を再利用するために――丸ごと皮を剥いで、アシェイリ、お前に着せる(・・・)なんて発想、俺には全く無かったわ』


「ユールをとっ捕まえるためです。それに、どうせ吸収(・・)されちゃいますから、我慢すればいいだけです」


『気持ち悪い……とかいう感覚が無いのは吸血鬼にとっちゃ大したことじゃないから、なのかもしれないけどな。なんだっけ、人間を材料にした"家具"とか"道具"があるんだよな、確か』


これこそが、リュグルソゥム兄妹が吸血鬼アシェイリを、馬車で2週間はかかる距離にある王都レンゼシアまで『転移』させた奇策であった。

ルクが教団の『廃坑支部』へ潜入した時は、信者が「迎え師」によって呼び戻されるのに"ついていく"という形を取ったが――同じことをアシェイリに対してはできない。アシェイリ自身は魔法使いではないため、そもそも【空間】魔法による転移に便乗するということができないのである。

となれば、アシェイリを信者と見立て全身に転移魔法陣を刻むしか手段は無くなるが、それが可能なまでに【騙し絵】家の秘奥が解析されたわけでもなし。


……と思われていたのだが。

彼女がまさに吸血鬼であることから、解決の糸口が見えた。


迷宮領主オーマは「着せる」と述べたが、それは彼特有の茶化した表現による。

正確には、剥がされた信者の生皮(魔法陣刻み済)にアシェイリの"血"をほんの少しだけ混ぜることで、魔法陣の刻まれていない側を赤ピンクスライム化させ――生命の紅き(アスラヒム)が吸血鬼の血肉として同化する作用を利用して、アシェイリの肌の上から貼り付け癒合させてしまったのである。

この際、癒合効率を高めるために、ルクが止めるのを聞かずにミシェールがアシェイリに「自分自身の皮膚を剥ぐ」ことを提案しているが、それもまたアシェイリは受け入れ実行していた。


結果、アシェイリは皮膚を取り替え(・・・・・・・)、しかし吸血鬼の力によってそれはアシェイリ自身の皮膚として血肉に同化しつつあり……完全に吸収されてしまうまでの"時間制限"付きとはいえ、一時的に教団信者と同じく、転移の魔法陣が全身に刻まれているという状態になったのである。


『こんな不純な動機で行われた"皮膚移植"が未だかつてあったかねぇ、いや、無い……なんだウーヌス。ん? なんだと? 魔素消費量がエグい? へぇ、まさか【人界】での"制約"で、距離の影響がこんなに激しく出るとはなぁ。アシェイリ、幸運を祈る。駄目だと思ったらさらうのは諦めて、一目見るだけに止めておくのもありだ。ユール君を"揺さぶる"には、ぶっちゃけそれでも十分――あ? はいはい、わかった、わかったから耳元で節約ばっかりきゅーきゅーぴーぴー騒ぐな! アシェイリ、それじゃ、また後日』


「なんだったんだろう、今のは。お外道さん、やっぱり恐ろしい存在なんだ……」


何か有用な情報や、行動指針に関する追加の指令をするでもなく。

まるで暴風のように言いたいことだけ言って勝手に消えてしまった迷宮領主の行動に、改めてアシェイリは困惑する。しかし、身構えたのが脱力させられ、少しだが緊張がほぐれたのもまた事実であった。


――そうして。

さらに半日かけて地下水路を黙々と歩き続け。

事前にミシェールから教えられていた、対吸血鬼探知魔法である【腐れ血の帳簿】の魔法陣が刻まれた箇所を避けつつ、地上へ出て。

関所街ナーレフなど比べ物にならない『長女国』王都の広大さ、城壁の高さやいくつものそびえ立つ尖塔の威容に『使命人格』としての自分が息を呑みつつ。


ミシェールが"女の勘"であると言って示した場所にひた向かって訪れてみれば。

そこは『孤児院』であった。

そして、そこに「その女」がいることが確信できるほどに、この世の悪疫と呪詛と嘆きを押し固め凝縮したかのような悍ましい臭気が漂っていることを、吸血鬼としての嗅覚で感じ取ったのであった。


「うっ……ユール、こんなのを、毎日……?」


こみ上げる吐き気を押さえるも、思わずえずいてしまう。

だが、ざっと周囲の人間達を観察する限り、孤児院の中庭で駆け回っている子供達を含め、誰も具合が悪そうにしている者はいないのである。それは、正しく吸血鬼であればこそ「そう」感じてしまう"血"の臭いであった。


(やるのは夜にしよう)


想像を遥かに上回る腐敗臭の濃度に怯んだ、というわけでもない。

迷宮領主オーマより与えられた【眷属心話】なる力を使って、ちょうどオーマがしてきたように"連絡"を入れれば、直ちにでもルクかミシェールが「迎え師」を操って、アシェイリを関所街ナーレフまで呼び戻す算段となっている。

その意味では多少の無茶(・・)が効くため、何なら今押し入っても良い。

リュグルソゥム家の虐殺があってから、王都では衛兵や各魔導侯家の私兵による警戒と監視の目が厳重であるが――それでも、本格的な対吸血鬼戦闘が可能な者が駆けつけるまでの間に、目標を"攫う"自信はアシェイリにはあった。


だが、それでも一時退いた。

皮膚に刻まれた"転移魔法陣"が、制限時間が来たのか『生命の紅き(アスラヒム)』に侵食され始め、少しずつアシェイリ自身の本来の(・・・)皮膚に変換され始めているのか、色合いが薄くなり始めていたのである。そして、それを見越していたルク兄妹の計算でも、今すぐにでも襲撃をかけるべきタイミングであった。


だが、孤児院の中庭を走り回る年端もいかない子供達の姿を見て。

アシェイリには、どうしてもそこへ血と暴力をばら撒きながら突入することは、できなかったのだ。


――思い出してしまうことがあったから。


それはミシェールの期待を裏切り、オーマにどう思われるかわかったものではないという畏怖を惹起する決断であったが……報告をせず、黙って深夜再び孤児院に上階の窓から忍び込んだアシェイリは。


そこで一人の少年と邂逅したのであった。


   ***


「やっぱりお前達の言うことは当てにならない……その程度だったんだ、その程度のものを、父様達はありがたがっていた。ほら、あなたはこうして"優しい"方法を選んだんだから」


【魅了】をも使って『孤児院』のわずかな見回りの大人達をも寝静まらせた、月も隠れた暗夜の更け。

戦士としての勘にも一切引っかかることなく、忽然と背後に現れた気配に、アシェイリは即断して背中の大斧の柄に手を伸ばす。

が、まるで空を切ったように見当ハズレの箇所を手指が行ってしまって混乱する。


「魔法……?」


小さな【風】の塊をぶつけられ、手元が狂わされたのだと気づく。

が、そのわずかな間に声の主はアシェイリの正面に回り、じっと目をのぞき込んでくるのであった。


「あなたの家族を、兄弟達を(いた)みます……ほら、こういうことはわかっても、それが人の心にどういう波紋を投げるかなんて、お前達は無頓着なんだ」


反射的にアシェイリは誰何しようとしたが、声の主――年は10を越えたばかりなのではないかと思うような子供は、人差し指を唇に当てて問いを封じてくる。


「ありがとう、あなたが強攻策を採らなかったおかげで、僕はまた少しだけ自分を取り戻した。だから、その消えかけている【騙し絵】家の魔法陣を修復してあげます……うるさいな、いいから聞いてることに答えればいいんだよお前達は……少し待っててね」


少年に敵意が無いことがわかり、しかし、迷宮領主オーマと同種の畏怖を感じ、警戒して観察していたアシェイリは――違和感の正体に気づいた。

少年は左右で目の色が違うであろうことが夜闇の中でも何となくわかったが、その双眸は、アシェイリに話しかけていながらアシェイリを見ていなかったのだ。まるで目の焦点がぼけているかのように虚ろで、この世ではない何処かを見つめているかのように、瞳孔が小刻みに揺れており……それが、正気の眼差しに戻ったり戻らなかったり、を繰り返していたのである。


(誰と、話しているの?)


読唇の心得でもあったのか、アシェイリの口の動きに気づいて、少年は朧月のようなはかない笑みを浮かべつつ、アシェイリの額に人差し指を当てる。

――不思議と抵抗しようという気が湧かず、また少年の『魔法陣を修復する』という発言の真意を確かめたいという思いもあった。だが、何か魔法が発動されたような形跡もなく、2秒と経たずに少年が指を離したのであった。


「はい、終わり。あなたの"目的"を果たしに行って、構いません。大丈夫、リシュリーにはもう言ってある(・・・・・)から」


まさか自分の目的を知っているのか、どうして、と混乱するアシェイリに再び人差し指を口に当てる仕草で封じる少年。そして、ちらりと窓の外を目で示す。アシェイリがそちらに意識をやれば――手練れの魔法使いと思しき衛兵かそこらが、巡回してきているのが見えた。


「そろそろ、僕でも誤魔化しきれません。でも、近い将来に必ずあなたの"(あるじ)"とお話させてほしい……邪魔しないで、今日はまだ、お前達の邪魔には耐えられるよ。徒労だ、残念だね……そうだな。怪しい子供がこんなことを言っていた、とあなたの(あるじ)に伝えてください――『"精霊の泡粒"にご興味はありますか?』と」


直後。

孤児院の周囲を何度も行き来して様子をうかがっていた衛兵達が、管理者の応対が無いことを怪しんで、警戒を露わにしたか。何度か大声で呼びかけた後に、今度は炎の矢を天に打ち上げるのが見えた。

その行動の意味は――『長女国』と戦うために養成された戦士たるアシェイリは学び知っている。さらに衛兵達が集まってくるとなれば、この少年が何者であるかをこれ以上確かめている時間は無いのかもしれない。


生死の駆け引きに生きる宿命であるが故に、戦士の決断は早い。

少年が軽く指差した方に向かって駆け出し、全身が粟立つような凶悪にして醜悪を極めたような(けが)れた臭いの元凶とも断定できる部屋の戸を蹴破った。


――またも少年が言った通りであったか。

事前に「こうなる」ことを知らされていたのか。神妙な面持ちでアシェイリを見つめる少女と目が合い、次の瞬間には彼女を強引に抱き寄せる。

聞きたいことは山のようにあったが、叩きつけるように【眷属心話】で迷宮領主へ事前に教えられていた「暗号」で連絡を送り――視界が歪んで、景色が捻れる。皮膚の上の、血肉に吸収され効力を失ったはずの魔法陣が活性化し、加速する光の中に引きずり込まれるような感覚とともに、少女を抱きながら、そのままアシェイリは「転移」したのであった。


そして、その場には誰も残らない。

アシェイリの邂逅した双眸異色の少年もまた、現れた時と同様に忽然と姿を消していたが、さすがにそのことまでは"先に消えた"アシェイリには、分からなかった。

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