本編-0108 「たま」「れい」「りょう」
【御霊】家の生き残りの兄ルクの方が、【幽玄教団】廃坑支部に潜入している頃。
同じく生き残りの妹ミシェールの方は、関所街ナーレフを訪れていた。
単純に、兄ルクは既に『人物鑑定士』の側近として、仮面越しとはいえ街で存在を認知されるようになっており――【霞がかる容貌】等の【精神】魔法の効力が薄れている。故に、隠密活動をするにはミシェールの方が適任である、という役割分担をしたのである。
あるいは、産まれてきた子供や、これから産まれてくる子供達を育てていくのに必要そうなものを、母親の視点で買いに来たという目的もある。彼女が今仕える『迷宮の主』は、仕えるに相応しい程度には歪んでいて、またその審美眼も悪いものではないが――やはり魔人とて男女の認識差とでもいうものがあるのだろうか。
様々な箇所において、いささか"無頓着"に過ぎるところがあったのである。
無論、淑女として育てられてきたミシェールにとって、一族やひと所を率いる「指導者」としての男の面目を潰すという無粋をするということは考えられない。兄ルクであれば、もう少し率直に諫言するのであろうが……。
ともあれ、当初の予定とは異なり、己が人の街を訪れることができた以上は、そうした"ついで"の用事も済ませているのである。
――そう、あくまでついでであり、本来の目的は別にある。
そうでなければ、わざわざ月ですら雲に隠れた夜半に、うら若い乙女が一人で関所街の通りを裏表関係なく練り歩く、などという理由など無いであろう。
【魔界】に生息する鳥である『血吸いカワセミ』の羽で作った、目元だけ覆う簡素な仮面の存在もまた、彼女の異様さを醸し出しているが……そのような心粋を理解する者自体稀であるか。
「……おい、止まれそこの怪しい奴」
「こんな寒い夜中に、何の用だ?」
ミシェールが練り歩きつつも向かった場所は、関所街の内部で治安役を担う衛兵達の"詰め所"の一つである。だが、道に迷ったのではない。街を訪れてさほど日にちの経っていない彼女であるが、「地図」は既に頭の中で兄から共有されている。
すなわち、そこがこの日の"標的"であった。
分厚い外套のフードをおもむろに下ろし、溢れ出ん銀糸の束のような髪の毛を見せつけ、ふっと目を細めて冷たい微笑みを粗暴な衛兵達にくれてやる。
だが、彼女の感情など知るはずもなく、貴族然としたミシェールの美貌に衛兵の一人は口笛さえ吹くのであった。
「おいおい、こいつは――"隊長"が気を利かせてくれたってか?」
「へ。ちょうど金が無くてな、俺のモノも寒さで縮み上がっていたところだぜ」
「くく……怪しい女だから、中でゆっくり尋問してやらないとなぁ」
夜番の仲間を詰め所内部から呼び出し、衛兵が総勢5~6名。
得物を見せつけるように、立ち止まったミシェールを囲む動きでゆっくりと近づいてくる。並の女であれば、飢えた狼に遭遇した子うさぎのようなこの状況。
しかし、ミシェールが彼らを見据える眼差しは、逆に子うさぎを見定めた大蛇のそれのように冷たさを増していく。「一触即発」の言葉の意味を知るのは、この場では彼女のみであるか。
『止まり木』で教団信者を尋問中だった兄を呼び出して、十数パターンの制圧方法を検討し、魔法の使用自体は肉体強化などの補助魔法に限定しつつも、"魅せ方"が最も派手な「詰み手」を選択。
意識を精神世界から現実に戻して、いざ隠し持った石つぶてを正面の一人に投げつけようとした、その時のことである。
「おい、お前達! 何をしている!」
2軒隣の建物の辺りから、存外大きな声で制止する者が現れた。
ミシェールだけでなく衛兵達も動きを止め、闖入者の方を共に見やる。
「なんだてめぇ。こいつは俺達の獲物だぞ?」
「分け前が欲しいならおすわりして待ってな犬っころ」
「食いかけぐらいは――……ちょっと待て、お前ら。どうやら"犬"じゃなくて"猫"みたいだぜ」
衛兵のうち隊長ではないものの、周囲の者よりは良い装備をつけた男が警戒の色をあらわにし、仲間の挑発を止める。またも「予想」とは違う展開に、ミシェールは、なるほどこれが兄の言っていた「精神世界に頼り切っていたら臨機さが失われる」ということの意味か、と今更ながら実感しつつ、興味を覚えて男と衛兵達を交互に見やった。
乱入した男は長身に長髪で、若くも見えるが、顔に刻まれた傷は歴戦を思わせる。
――しかし、その立ち居振る舞いは、戦士よりは手練れの工作員にも見えた。
案の定、答えは衛兵達のひそひそ会話の中から聞こえた。
「"鼠捕り"野郎が何の用事だ?」
「不穏分子を取り締まるのが仕事なんでな。そこの女だけじゃない、お前達も治安を乱せば、代官様の前に引っ立てるぞ?」
「――チッ。"堅物"野郎かよ」
「俺達は輪番だ、こんな田舎の出身じゃないんだぜ」
「そうだ、俺達の雇い主はお代官様のそのまた上なんだ、そこのところは覚えておけよ! ネズミの糞拭いて飯食ってる田舎野郎!」
さすがに、この街を取り仕切る秘密警察の役割も担う『鼠捕り隊』と事を構える意気地は無いのか。威嚇しつつも、俺達は何も見なかったという体で、装備の良い一人に促されて持ち場へ戻っていく衛兵達であった。
***
衛兵達には"鼠捕り隊"と誤解されたようだが、間違ってはいない。
『森の兄弟団』の副団長ハーレインは、虚仮威ししかできない衛兵達を見送りつつ、内心で嘆息した。実際、正式な所属というわけではないにせよ、彼が行っていることはそれと似たようなものであったからだ。
助けた旅人の女は、近づいてよく見てみれば、まだ少女と言って良い年齢。
隠しきれない高貴さから、この国の貴族の出かとも思われたが――何か厄介な事情を持ってこんな時間にこんな場所をうろついているのであれば、立場上問いたださなければならない。
「危ない目に遭いかけたところだったな、娘さん。私の名前はハーレインだ――宿はどこだ? 送っていこう」
「危ないんですか? ……あんな下男達、数分も掛からずに叩きのめしてしまいますよ。貴方も、然程でも無さそうですね」
「ははっ、手厳しい上に威勢が良いな。でも、若いのに一人旅をしているぐらいだ、立ち居振る舞いを見ても貴女が手練れというのは分かる」
ハーレインは、明確に【ワルセィレ森泉国】の出身者である。
だからというわけではないが『森の兄弟団』に受け入れられ副団長という地位まで出世していると同時に――"鼠捕り隊"の準構成員でもあった。
無論、同胞達にそのことがバレれば私刑の果てに惨殺されるだろう。"鼠捕り隊"の構成員達にしても、ハーレインは有用ではあるが監視対象であり、コウモリのように疎まれる立場である。
だが、旧い因習……『泉の貴婦人』などに囚われたこの街を「開放」するためには、酒場の女将ベネリーが率いる『森の兄弟団』のやり方はむしろ有害であるとハーレインは考えている。今のままでは、彼らの拠り所である【泉の貴婦人】を押さえられた場合、『森の兄弟団』は簡単にハイドリィに屈服してしまう。
故に、一度解体して、苦渋の決断ではあるが『長女国』の統治方法に学んで、もっと効率の良い抵抗組織に作り直す必要があるのだが――そのためには、今は代官ハイドリィの思惑を利用するしかない。
このように考えているハーレインは、ある意味では、先ほどの衛兵達や"鼠捕り隊"以上に、ナーレフの治安と平穏を守るという職務に忠実なのであろう。
だが、近頃彼が久しぶりに関所街ナーレフへ戻っていたのは、彼の主たる「代官様」から呼び出されたからに他ならない。
ともあれ、そんな生真面目な彼だからこそ、たまたま通りがかった「訳あり」そうな女性に声をかけたのである。
「それでも、夜道をしばらくは出歩かないほうが良い……最近は、"悪霊"だか"怨霊"が出没するという噂で持ちきりだ」
「この間は"炎の魔獣"、最近は物騒なんですね」
「あぁ。街の人間が無差別に襲われているらしい、こんな夜に、な。そのせいで、あの衛兵達も気が立っていたんだろうさ」
「"輪番"とか言ってましたけど。彼らは、この街の出身ではないのですか?」
「うーん、あまり部外者に話すことではないんだが、彼らは【紋章】家直属の輪番兵さ。一定の時期ごとに、異なる街に派遣される駐留兵で、代官様の直属じゃあない――まぁ、どちらもよそ者には違わないのさ」
ここで、ハーレインはやけに自身が饒舌であることに気づいた。
威勢の割には素直な少女を前に、まさか自分は口が軽くなっているのか? などと内心で軽く自嘲しつつ……しかし、歩きながらすぐにまた次の質問が飛んでくる。
その眼差しが微かに潤み、また宝石を砕いたような淡い綺麗な色をしていて、どことない幻想さを感じるハーレイン。
やはり、今日の自分は少しおかしいのかもしれない。酒はまだそれほど飲んでいないはずであり、今からまた検問を通って「外」へ、『兄弟団』へ戻って新団長を指導してやらなければならないのだが――。
「さっきの話ですけど、"怨霊"は、無差別に街の人間を襲っているんですか?」
出会ったばかりの彼女の関心を引きたい、と強く思ってしまう。
そんな感覚はもう何年も無かったというのに、自分も年を取ったのかと思いつつ、ついつい話を面白く話したくなってしまう。
「参ったな、君は不思議な人だ。あまり言うべきでないことじゃあ無いんだが……どうも代官様の部下達が狙われているようで、ね。命までは取られないものの、みんな酷く怯えてしまって。別人のようにふさぎ込んでしまうらし……そして」
「そして?」
「うわ言のように、みんな口を揃えてこう言うんだよ」
脅すように、一呼吸を入れてから。
「"みたま"は安らか――」
「"御霊は安らかに眠られず、恨み怨む亡霊と化して復讐せり"」
「……え?」
重ね合わせるように唱和された言葉は、まるで詠唱のような魔術的な響きを伴っていた。
この威勢の良い少女を怖がらせてみたい、そんな衝動を押さえきれなかったのはハーレイン自身であったが、少女の蠱惑的な眼差しから顔を逸らすことができない。まるで杭で打ち付けられたか、あるいは呪いでもかけられたかのように、辺りに誰の気配もしない夜の通りで"見つめ合う"ことを強制されてしまっており――。
「貴方も"代官様の部下"なの?」
「う……ぐ、そ、そうだ……口が勝手に……」
「本当の役職は?」
「も……やめろ、うぅ……『森の兄弟団』の、副団長」
「へぇ――」
「お、お前が……まさ、か、おん……?」
「標的は標的でも、残念。貴方は扱いが"別"だからね?」
次の瞬間、少女の両腕に魔法の輝きが宿るのを目にしてハーレインは全てを悟る。
だが、肉体強化魔法の乗った容赦のない短刀の一撃を胸に受け、その痛みを感じるよりも早く喉を切り裂かれ、吐き出した自らの血に溺れ、次の言葉を続けることができなかった。
――このように、何人もの「団長」を取り替えてきた策謀の男は、何も成すことの無いままに葬り去られた。
あるいは、もし生き延びていれば、彼はやがてナーレフの僭主として君臨するであろうハイドリィを内側から打倒する運命を背負っていたのかもしれないが、それはもはや誰にも分からぬことである。
***
『……ミシェール。打ち合わせと"順番"が違うじゃないか、はぁ』
『あら、兄様を見習って「臨機応変」に対処したのに。お互い様じゃないかな?』
『いいや、もう。任せるって言ったし。それで、ネズミの副団長からは何か有用な情報は取れた? すぐに殺したりはしていないよね?』
『大丈夫。止血して治癒魔法を少しだけかけてあげて、ちゃんと"桃を割って"おいたから――【封印】家の動きが少しだけわかったよ』
この夜の"怨霊"の被害者である死体を晒すように通りに打ち捨て、ミシェールは再び、先ほどの「詰め所」まで戻っていた。しかし、今度は衛兵達に絡まれている、という状況ではない。
ハーレインの死体をわざと発見させ、衛兵達が出払った混乱に紛れ、一人娼婦を連れ込んで致していたために「詰め所」に残っていた衛兵の隊長を、この夜のもう一人の「被害者」に仕立てあげたところでの、兄ルクからの連絡であった。
そして情報を共有しつつ――彼らの「主」にも伝わるよう、「エイリアンネットワーク」による報告へ切り替える。そして、判明したハイドリィと【封印】家との間の"炎の魔獣"騒動に関わる一つの事実を伝えたのであった。
ややあって、兄妹のやり取りを黙って聞いていた主オーマが声を発した。
『なるほどなぁ……【焔眼馬】が最初ではない、か。ハイドリィめ、存外もっと早い段階で「泉の貴婦人」のことを調べ上げていたってわけだな?』
『思った以上の収穫です、我が君。このハーレインという男、独自の野心はあったようで、色々と立場を使って調べていたようです。どうも"痩身"のサーグトルの真の役割は、貴婦人の眷属である「季節の司」達を捕らえることだった様子』
『それを「封印」するようにハイドリィが依頼していた、と』
『ただし――【焔眼馬】以前にも、1回同じ取引が行われていたようです』
『へぇ? そうかい、そうかい。そうすると、下手をしたらこの「長き冬」ってのは……ふむ、だとすると、気になるのは2点かな。"夏"と"秋"はどうなのかってところと、2回目かもしれない【焔眼馬】の扱いの違い、討伐対象の魔獣として野に放した理由はなんだったのか、てところか』
ご下命であれば、そのことも調べましょうか、と兄も妹も言おうとする。
しかし、その反応を予期していたのか、迷宮領主オーマは先手を打ってその提案は不要であると告げてくる。
『――そちらに関しては、後々でもう一方の当事者に直接聞いてくるさ。別にそのあたりの詳細は重要じゃないしな。お前達は、お前達の策に必要な部分だけ引き取って活用してくれればいい。順調、なんだろ? ハイドリィの奴をハメるための"仕込み"とやらは』
『『畏れ多くも』』
用件は済んだとばかりに、兄妹は主オーマとの通信を断ち、再び"仕込み"について細かい点を打ち合わせ始める。
――関所街ナーレフへ浸透し実質的な支配の手を伸ばす、というのが主の設定した目標。それを実現するために、下僕たるルクとミシェールが選んだ手段は、代官ハイドリィを打倒して侯子ジェロームを傀儡とした政権を作ること、である。
しかし、そのためにはいくつかの対処しなければならない問題があった。
その最たる二つこそが、ハイドリィ自身が野心に従って暖めているであろう「独立の野心」と、【紋章】侯の介入というリスクである。
事実上のハイドリィの"武力"であるナーレフ駐留軍や、その中に含まれている「魔導部隊」という問題については、最後には主が迷宮領主として"処理"をすることになろう。しかし、「独立」のために戦力を増強しつつ、決起のタイミングを図っているハイドリィに対して仕掛けた戦いが万一にも泥沼化した場合、【紋章】侯が直々にナーレフの混乱を収拾に乗り出す危険が大きくなる。
オーマにせよルク兄妹にせよ、現時点でエイリアンの軍勢を『長女国』の【魔導侯】クラスの眼前に晒してあえて脅威の芽の存在を知らせるつもりは、毛頭無かった。それをするぐらいならば、むしろこの「短期計画」を放棄し、潜伏して次の機会を待つことになる。すなわち、むしろハイドリィを手助けしてその傘下に収まり、内部から蚕食するという「長期計画」を採るということだ。
だが、兄妹の魔人たる主は、我が子の目に"死の呪いへ徹底的に抗う生き様"を焼き付けるべきことを所望した。ならば「短期計画」を実現させるにも、【紋章】侯に介入の間を与えずに代官ハイドリィの手勢を撃滅せねばならない。
『オーマ様ならば、そのうち気づくとは思うけれど』
『あるいは、もう気づいているかもしれないね。ハイドリィが【封印】家と取引してまで狙ったことが、もしそういうことなら――』
『「泉の貴婦人」を押さえるというオーマ様の行動は、結果的に最善手になる』
『だから、私達の役割は、走狗の分際で不遜な野心を抱いたお調子者を激発させてやること……わかっているよ、ルク兄様』
『オーマ様は、ここぞというところでハイドリィの判断を誤らせる要素が欲しい、と言っていた。俺達ならば、いや、俺達だからこそ、容易いご用命ということさ』
『……ル・ベリさんあたりに、捨て身に過ぎると呆れられそうだけれどもね』
『それは仕方がないね。せめて、俺達が死んだ後も、ダリドの子どものそのまた孫にまで、あの苦虫顔の魔人殿が勇姿を語り継いでくれれば、それでいいんじゃないかな?』
『そうね、ルク兄様。それもそれで、素敵な話だと思うよ』
関所街の「夜」の暗闘を苦心して調整し、勢力均衡を図ってきたことこそが、占領国であるナーレフの難しい統治を可能にしてきたハイドリィの真骨頂である。
いずれかの勢力が突出しないよう、利益を配分し、あるいは分断してきた。それにより、いかな他の魔導侯家の"走狗"であっても、単体で対峙すればロンドール家の力で敵対的行動を封じ込めることの出来る勢力図を苦心して作り上げてきた。
――しかし、そんな彼だからこそ見落としている点がある。
その野心は、いずれは【魔導侯】の座を狙っているのかもしれないが、今現に魔導侯ではない彼である。謀略の獣そのものではなく、使われる走狗としてしか働いてこなかった彼だからこそ、付け入るべき隙があるのである。
それは、自らを一族の「落ちこぼれ」と自嘲して甘えていたルクにとってさえ、魔導侯家の端くれである以上は、容易く着眼できる"隙"であった。
『【紋章】侯だけじゃない。【騙し絵】侯の介入だって、そうなることを嫌っているのはハイドリィも同じことさ……ミシェール、"亡霊ごっこ"は一時終いだ。第三段階に移ろう。予定よりも早くネズミの副団長も始末できたことだし』
『そうだね……じゃあ、兄様は予定通り【魔剣】と【彫像】をお願い。私は、私は、そうだね』
また予定と違うことをする気か、という兄の嘆息を尻目に。
衛兵隊長に対して、"桃割り"によって抜き取った情報を『止まり木』へとりあえず放り込んでおくという作業を終え、ついでに居合わせた娼婦の女にも「うわ言」をひたすら呟くように【精神】魔法で催眠し。
ミシェールは目深にフードを被り直しながら、『救貧院』のある方角に目をやって、薄く笑うのだった。




