本編-0107 走狗の格と謀獣の格
~~『サヲンニ教団(『長女国』のカルト宗教団体)』の導師の説法より
(記録者不明)
死は肉の滅びであっても、魂の滅びではないのです。
あなたの父母も、そのまた父母も、先立たれた愛する者もまた、肉は滅びても心と魂は清浄なる幽玄の狭間に還るのです。
そしてあなたもまた、いずれ彼らに導かれ、幽玄の狭間へ還り、あなたの愛する者達と再び、永遠の静穏を得ることができるのです。
父を愛し、想いなさい。
母を愛し、想いなさい。
祖先を、祖霊を愛し、想いなさい。
死は終わりではなく、いつか愛する者達と再び一つになる道と想いなさい。
それが静穏に至るただ一つの道です。
幽玄の狭間へ還るその時を恐れず、現世であなたの愛する者達を守るのです。
いずれ、あなたが先立った後、次に彼らが正しき道を歩むことができるよう、導くために。
決して、現世の欲望という、まやかしに過ぎない虚無に惑わされぬよう。
"魔法"などとはその極みたるものなのですから。
己の手足を食う愚かさを追従する俗物達から、あなたの真の静穏を守るためにこそ、愛する祖先達と一つになる時を待ちなさい。
それがただ一つの道なのです。
【幽玄教団】という名は、かつて教団の創設者が唱えた"幽明の狭間"という概念に由来する。だが、『長女国』で【人攫い教団】という悪名の高さの方が有名だ。
「魔法」の才の有無によって、この国での社会的成功は大きく左右される。
それは強大に思える【魔導侯】達においてさえ同様であり、国母ミューゼの弟子達に始まる"最古"の魔導侯のうち、途絶えずに脈々と受け継がれ生き残ってきた血筋は、第一位魔導侯【四元素】のサウラディ家のみ。ならば「魔法の才」も無く、経済的・文化的その他の成功とも無縁の虐げられた者達にとっては、一分とも這い上がる余地の無い絶望的に極端な社会的格差が広がっている。
このため『長女国』では主要都市はおろか王都にさえ、広大な貧民街がたびたび発生しており、魔法の暴威を以てしても駆逐しきれない。これは、他の『兄弟国』とは事情の異なる根の深い問題なのである。
『なんだったかな、確か連中の主義は――"『末子国』の滅殺と英雄王神話の零落的解体"とかだったかな』
『ううん、ルク兄様。それだって、彼らにとっては単なる"手段"で、本当の狙いは別にある……少なくとも自分達ではそう信じているらしいけれど』
『なんにせよ反吐の出る連中だ』
「止まり木」ではなく「エイリアンネットワーク」により、別働するミシェールと会話するルク。彼は現在――【幽玄教団】のナーレフ支部ではない"他の支部"へ踏み込んでいた。
限定的な転移魔法の発動を可能にする魔法陣を身体に刻まれた教団信者達は、奇襲と撤退、潜伏においては【騙し絵】家直属の工作員達並に厄介な存在である。
スラムなどで「穏健」に布教活動をしていることもあるが――走狗と成り下がってからは、転移魔法の特性を最大限に活用し、常人では"隠れ家"にしようとも思わない過酷な環境に拠点を構えるようになった。
今、ルクがいるのもそうした"隠れ家"の一つである。
関所街ナーレフからは遥か東。
『長女国』南方の『末子国』との国境にあたる山岳地帯にある鉱山地帯に【ハンベルス廃坑】という場所があり、数年前に大規模な落盤事故が起きて以来、管理が放棄されていた。それを良いことに、【人攫い教団】が侵入して拠点化した『ハンベルス廃坑支部』こそが、ルクが現在潜入している場所である。
廃坑では、秘密裏に希少金属の採掘を続けられており、教団の信者達が信仰心と競争心を利用して働かされている。彼らは確かに工作活動などにおいては捨て駒の消耗品だが、少なくともこうした鉱山労働とは相性が良い。もし、また落盤事故が起きたとしても、即座に「転移」させてしまえば良い――有毒ガス等で死なない限りは、回収してまた他の坑道に突っ込まさせられるという意味であるが。
それに、このような国境の鉱山地帯にまで【騙し絵】家を封殺するための「転移妨害」の魔法陣が整備されているわけでもなし。【ハンベルス廃坑】は教団にとって資金源として"当たり"の経済拠点であり、【騙し絵】家に対しても、その存在をひた隠しにしていたようだ。
ナーレフ支部には「導師」や「送り師」といった常駐の幹部が配置されていない。しかし、代わりの指令役がここに潜む教団幹部達の兼職であることなど、『救貧院』を陥落させる過程でルクはとうに把握していた。
『あまり掘り進みすぎると、「末子国」の坑道と繋がってしまうかもね?』
『卑しい連中さ。卑しいなりにおとなしく【騙し絵】家の走狗に徹していれば良いものを。支配されつつ、それでも悲願の達成のために蠢きたいんだろうさ』
複数の魔法を使って気配を消し、探知魔法へも備えつつ、廃坑の汚れた空気を吸わないように風魔法で口元の気流を操りながら、ルクはこう吐き捨てた。それもそのはず、【御霊】家にとって『末子国』は始祖リュグルとソゥムを救った"聖女"【破邪と癒やしの乙女】が居る国なのだ。
……しかし【幽玄教団】の説法導師曰く。
英雄王崇拝を確立した【聖墳墓守護領】の罪は万死に値するものであり、その教義は粛清され浄化され滅し尽くされるべきものである、と。要するに、祖先崇拝を重視する"アイケル以前"の、つまり【大戦】以前の文化や死生観念を重視するあまり、その習慣を復活させようとする狂信的主張だ。
この過激な教義によって、虐げられ鬱屈した貧者達を信者として吸収した"幽玄教団"は、一時は『長女国』の統治下、魔導会議において討伐と粛清を議論されるほどの勢力に膨れ上がった。当然、リュグルソゥム家にとっても『末子国』への露骨な害意を持つ組織を生かしておく理由などは無く、掃討には真っ先に賛成した過去がある。
もっとも肝心の掃討作戦自体は、教団の本拠地の陥落直前に突如中止になった。
教団の壊滅直前で「待った」をかけ、彼らを救いつつも手足として取り込んだのが【騙し絵】のイセンネッシャ家ということである。
『与えられた恩恵を、自分が最初からの持ち物のように錯覚しているってのは――滑稽だよ。転移魔法の力は【騙し絵】家から与えられたっていうのに』
『【騙し絵】候はお見通しだろうね、ルク兄様。でも、わかっていてあえて「末子国」側へ坑道を掘らせているのは……やっぱり【破約派】だからかな?』
『【破約派】の連中の主張も、英雄王の作り上げたものを壊すようなもの。共通の敵がいるなら、つるむ余地はあったんだろうけどさ』
そう答えつつも、ルクはミシェールには言わずに、自身の心の中でふと思う。
【魔界】と【魔人】と【迷宮領主】という存在を知った上で、イセンネッシャ家とサヲンニ教団の関係性を改めて俯瞰してみると――何かが引っかかる。本当に両者の関係性は、単に「共通の敵」を有している、ということなのであろうか? と。
だが、その思考はまさに魔人の配下となったからこそ至れたものである以上は、リュグルソゥムの知識とて直ちに役立つものではない。今は頭の片隅に置いておき、坑道の先の"隠れ家"へ向かう。
そんな風に考え事をしながら通り過ぎていく彼の存在でさえ、採掘に疲れ果てた貧者達が気づく道理も無かった。
***
「イセンネッシャは何故許可を下さないのでしょうねぇ」
「そうだ、こんな絶好の機会だというのに、ただ見ているだけというのは……他の"狗"どもに二歩も三歩も出遅れてしまう……!」
とても廃坑の隠れ家とは思えない、絢爛たる装飾の数々で彩られた小さな部屋。
いずれも秘密採掘によって得た資金で揃えた高級な調度品であるが、それらを乱暴に扱いながら己の苛立ちを示し、呟いたのは『導師』である。
苦虫を噛み潰すような表情で同調したのは『送り師』であるが、つい先ほどまで酒を飲んでいたのか、若干の赤ら顔を隠しきれていない。信者を"導く"ことを求められない裏方の幹部であるため、素行が悪くとも務まるのが『送り師』である。
だが、そんな彼に眉をひそめながらも、直接批判せず、顔を皮肉に歪めて自重したのが『迎え師』である。
「まぁまぁ、ホグリル師……よその迷妄者どもなんか気にしても仕方ないだろう。そもそも、"出遅れ"ているのは我々自身の昇進だろう?」
「それは――ええい、教団の貴重な資金をこれだけ稼いでやっているというのに! イセンネッシャへの"みかじめ"の何割を我々が負担していると思っているのだ!」
「メイロン師。やはり、他の支部の"三師"達が、我々の功績を讒言している可能性が高い、と?」
暗く声を落とす導師に対し、迎え師が黙って首肯する。
同僚二人の重々しい態度を頼りなさと受け取った送り師ホグリルが、またヤケになり、まるで酒場の荒くれ者のように高級酒を煽るが、それで彼らの悩みが解消するわけでもない。
これが『幽玄教団』で活動資金の稼ぎ頭である【ハンベルス廃坑】支部の実態だ。
元々が独自の教義に基づいた狂信的な集団であり、組織内で自らの地位を上げるためには、様々な"献身"が求められる。言わば、教義に忠実であるほど出世するわけであるが――現世利益の追求を目指した即物的な教義でもなし。
廃坑支部の"三師"が、いかに「金稼ぎ」の上手な合理的思考の持ち主であっても、その努力はなかなか認められないのである。
あるいは、この3人は商人になっていれば、大成していたかもしれない。
ともあれ、金で"献身"が買えないならば、腹を括って動くしかない。
そしてそのタイミングで、ナーレフ支部の教団員達から、近頃にわかに「関所街の政変」に関する報告が急増しており……例えば「半独立したロンドール鎮守伯家」を【騙し絵】家の傘下に引き込む、などという大金星を当てられれば、さすがに競争相手である他支部の"三師"達も妨害はできまい。
そう思って秘密裏にことを進めようとしていたのだが――どこから情報が漏れたのか、【騙し絵】家からナーレフの一件には関わるな、という命令が"本部"を通して来てしまった。
わずかな望みも断たれ、こうして三者難しい顔で議論をしていたわけである。
それでも、教団幹部としては珍しく合理的思考によって今の地位まで登ることのできたこの三人であれば、また時間をかければ別の打開策を編み出し、あるいは教団の改革といった未来も実現できたかもしれないが……おそらく、その機会はもう訪れないことだあろう。
「――へぇ。てっきり『導師』と『送り師』で一組だと思っていたんだけれど、最近はそういう組み合わせにしているんだな?」
突如、浴びせられた声に三師が同時に振り返る。
そこには、奇妙な仮面をつけて若い男が腕を組んで立っていた。
だが、面食らった三師は数拍呼吸を止める。よもや教団支部の、幹部達が住まう"隠れ家"に直接侵入可能な者が何者であるかを逡巡したからだ。
「な、何者!? どこから現れ……何をするシハール!」
「まさか、イセンネッシャの使い、なのですか?」
送り師が、咄嗟に両腕に刻みつけられた魔法陣を発動させようとするが、導師に止められる。
「転移魔法」の力を借りなければ、廃坑の奥に構えた"隠れ家"には入ることができないはず。それは教団員ではあっても一般の信者達も同じはずであり――それが出来るとすれば、上位者たる【騙し絵】家の関係者に他ならないと思ったからだ。
「呆けたか、シハール……イセンネッシャなら、組み合わせがどうとか間抜けなこと言うわけがないだろう」
冷静に考え間違いを訂正した迎え師は、目の前の青年に直ちに敵対する意思が無いことを見抜いていた。故に、その目的が交渉かまたは脅迫だろうと見て取って、まずはその出方を伺うべく睨みつけた。
だが、そんな迎え師の様子を、仮面のあごに手を当てながら観察する青年――ルクは気にも留めない。
「ふうん、なるほどな。『送り師』の権能をさらに2つに分割して、"隠れ家"に呼び戻す役割を与えられたのがあんたってところか。呼び方は、そうだなぁ、『戻し師』か『呼び師』ってところかな?」
「良い線だが、どちらも違う。私は『迎え師』のメイロンと言う者だ。こちらは、ご賢察通り『導師』シハールと『送り師』ホグリル。青年、君は一体何者だ?」
「全ての【魔導侯】家を憎む亡霊さ」
「亡霊……『霊』だと? お前まさか、【御霊】の――ッ」
「なに、辺境の関所街に関心を持っているお前達に、ちょっと聞いてみたいことがあってね、こうしてわざわざ廃坑くんだりまで出向いてきたってわけだ」
"迎え師"などと名乗った教団幹部が、ルクに見えないように導師と送り師に何か合図を送ろうとしたことなど、ルクにはお見通しであった。
別に彼らがそうしても一向に構わないし、当初の目的通りではあるのだが、実は"桃割り"には、ささやかだが意外な欠点が判明している。考えてもみれば当然であるが、割られる者自身の「考え」は引き出せず、質問に対して事実を答えさせるという形しか取れないのである。
情報は単なる事実としてではなく、どのような視点で見るかもまた重要であるため、時には精神崩壊する前の正気の状態で、その情報を語らせた方が良い時もある――という判断から、せっかくならばと試していたのである。
故に、彼らに示威しつつ、ルク自身に興味を持つような言葉を吐いた。
「リュグルソゥム家への追討で、なぜ【騙し絵】家は侯直属の隠密部隊が動いたんだ? 別にお前達でも良かっただろうに……出世の機会を何度逃しているんだよ、この無能どもが」
【紋章】家は自ら動かず、また直属の隠密部隊を動かさず、ロンドール家のモーズテスらを派遣した。王配を排出したとはいえ魔導侯としては格下である【冬嵐】家や、単に昇格が内定したに過ぎないイェリトール家はともかく、【紋章】家と同格であるはずの【騙し絵】家であれば、教団を派遣してもおかしくはなかったのではないか――単なる"付き合い"で、さほど重要な案件ではないのであったならば。
「……我らには知らされていなかったのだ。リュグルソゥムの残党、貴様のような者が、よもやあの関所街の近郊に逃げおおせていたとはな。調べたのも、イセンネッシャ直属の狗どもよ」
「何故そんなことが気になる? 青二才め、貴様こそナーレフで何を企む?」
次はお前が有用な情報を提供する番だ、と言いたげな送り師を露骨に無視し、ルクはまた、わざと聞かせるように独り言を呟く。
「イセンネッシャ家の狗風情が、せめて担当地域内の"転移先"を把握していなかったのかって聞いてるんだよ、無能ども。後から知らされたにせよ、そこの『送り師』を使って加勢を送るってことはできたはずだろうが」
吠えかける送り師を導師がまた制し、しかし彼自身もこめかみに青筋を浮かべながら、訴えるように迎え師に視線をやる。それを理解しているように、迎え師も、声を落として脅迫じみた言い方に声色を変化させる。
「忌々しい『末子国』が禁じた森のことが言いたいのか? 我らからイセンネッシャの情報を何か引き出そうとて、無駄なことだ。我々は"禁域"への立ち入りを禁止されているのでな……ふん、事前に分かっていたら、お前に言われなくても、リュグルソゥムの脱出を阻止できていたものを」
「へぇ……お前達程度でも"転移先"に『干渉』できるのか。でも、そうすると妙だ。あの女、ツェリマはどうして"転移先"を調べ上げるのにあんな時間がかかったんだ? ということは、少なくとも、彼女には情報が与えられなかった――」
「おい、いつまで独り言を言っている! 脅しに来たつもりかもしれないが、俺達が何者かってのを全く理解していないようだな! もう止めるなよ、シハール。メイロン、やっちまおう!」
ルクの隠しすらしない独白を、奢りと油断と受け取ったか。
迎え師と導師と目配せをした送り師が、両腕を構える。右手で導師に触れ、左手で迎え師に触れ――三師の腕や身体や顔に刻まれた"未熟"な魔法陣が、一つの完成形になり、その意味する魔法効果を発動させる。
青白い閃光が場を押し包むや、その効果は直後に現れた。
瞬時にして、十数人もの武装した教団信者が周囲に忽然と現れたのだった。
「なに!?」
三師はそれぞれに、青年が仮面越しにどんな驚愕の表情を浮かべたかを想像した。
彼らの眼光には一様に嗜虐的な色が宿っている。それなりの合理的思考の持ち主ながら、彼らもまた虐げられ鬱屈した貧者の出身。正しき教団信者として、普段偉ぶる「持てる者」達の"驚く"表情をことさらに好んでいたのである。
さも知った風な事情通ぶった口を聞きながら、教団の隠れ家に踏み込んでおいて、この程度の奇襲さえ予想できないとは。だが、危険な交渉に無策で臨んだツケを支払わせるのはこれからである。
「言っておくが、対抗魔法や妨害魔法なんて無意味だからな? "幻影"でも"召喚"でもない生身の戦士達はもう現れちまった。何かを対抗してみろってんだ――いや、こいつはとんだ大金星」
「全く、罠でも仕込んでいるかと思ってホグリル師を止めたのが杞憂で良かったですよ。ですが、それに見合う大きな功績だ、ありがたい。十分な"お釣り"も期待できるでしょうな。やっと、やっと運が向いてきました」
「ということだ、残念だったな、リュグルソゥムの"亡霊"。我らをどう利用しようとしたのかは知らないが、別にナーレフで功績を絶対に立てないといけないわけじゃあない……覚悟しろよ、かかれ! 信者ども」
――これこそが彼らをして【人攫い教団】と呼ばしむる真骨頂である。
失うものの無い貧者達は、来世信仰色の強い教義によって死すら恐れぬ兵となる。
転移魔法による転移先の座標となる"導師"の導きにより、瞬時に標的の元へ奇襲を仕掛け、暗殺、強奪、破壊工作、そして特に「誘拐」を得意とする。
たとえ相手が魔法の使い手であったとしても、この奇襲法は事実上魔力感知系の探知魔法に対する強力な対抗札となり、【騙し絵】家に敵対する陰謀を企てた無数の人物が身分・貧富を問わずに"攫われ"てきた。
今回も、己の組織の力の勝利を確信した三師だったが――。
「ぐはっ……? お、お前達一体なにをごぶぅぇ!?」
「かかれ」の合図の元。
狭い空間で武装した信者達が殺到したのは、仮面の青年ルクではなく、命じたはずの迎え師自身であった。頸動脈を的確に絞め落とす"気絶術"により、彼は白目を剥いて昏倒する。
「あんまりにもあっさり侵入できたから、"罠でも仕込んでいるかと思って"話を引き伸ばして探知魔法をかけていたのに、とんだ時間の無駄だったよ」
「やめろ馬鹿者ども、狙うのは――はぐぅおッッ」
次の餌食になったのは、信者達の暴走を止めようとした導師である。
みぞおちに拳を叩き込まれ、くの字に身体を折り曲げて崩れ落ちたところを、取り囲まれて関節を折られつつ縛り上げられる。
「なん、なんだ……お前、お前、一体……何をしやがっだばァガはっ……」
そして逃げようとした送り師も、容赦ない一撃を頭部に食らって白目を剥く。
ルク自身が何か魔法で補助をする必要すら無かった。
隠れ家にこもり、まさか自分達が襲われることなど想定していない者達の気骨など、この程度のものなのであろう、と嘆息する。
無論、末席とはいえ【魔導侯】として、権力の暗闘の渦中に身を置いていたリュグルソゥム家の生き残り。当然、他家の危険な走狗らの手口については研究していたというアドバンテージはあった。
そして、そんな連中を相手にする以上、対抗できるだけの十分な「準備」を事前にするのは当然のこと。オーマの命ではあっても、ルク自身はナーレフ到着当初より『救貧院』に目をつけており――むしろ、このように切る手札として教団信者達を確保すること、こそが本命の狙いでもあった。
案の定、奇襲戦力として、事前に"催眠済"であるナーレフ支部の教団信者達を呼び出してくれた、という塩梅。強力な術ほど術者が近くで継続的にかけ続けなければならない、というのが【精神】魔法の弱点と言えば弱点であるが、逆に言えば強力ではない魔法であれば、こうした応用法も可能であったというわけだ。おまけに、相手は「魔法の才」が無く、対抗魔法を用意する術もない貧者の捨て駒であるからこそ、こうも拍子抜けするほど上手くいった。
こうなってしまっては、凶暴性においては下手な傭兵団をも上回ると恐れられる【人攫い教団】の特攻的襲撃部隊は、むしろ味方にとっても危険な刃……その結果が、目の前の惨状だ。この強欲な幹部達が、他に切れる手札があるにも関わらず、わざわざ坑道で採掘させている信者達の作業を中断させるわけがないと読み切っていたこともあるが。
縛り上げられ、"献上"された三師に対して「桃割り」の準備を始めたルクであったが――ちょうどそこにミシェールから連絡が入ってくる。おそらく事が終わっている頃合いと見通していたのだろうか。
『捨て駒とはいえ、【人攫い教団】も質が落ちたのかな? ルク兄様』
『【騙し絵】家は、直属の隠密部隊の役割が大きいからな。同じ"走狗"と言っても、そもそも【紋章】家にとってのロンドール家とは、そりゃ練度も重要度も違うだろうさ』
『まぁ、確かに彼らからしたら、相手が悪かったのかもしれないね?』
『それは……そうだろうなぁ。まさか"転移魔法"を経験済の魔法使いが【騙し絵】家以外にもいるとは、こいつらからしたら想定外もいいところだろうさ』
三師の手ぬかりは、そもそもルクが"隠れ家"へ侵入できたという違和感を即座に突き詰めなかったことだ。侵入が「転移魔法」以外の手段では非常に困難であるところから、まず導師がルクをイセンネッシャ家の使いと誤解し、その誤解を迎え師が注意したところまでは良かったものの。
そこで、相手が【騙し絵】家の者ではない魔法使いである、故に「いつもの」方法で対処可能だ、と思考が停止してしまった。
だが、この兄妹は以前に「転移魔法陣」による"転移"を経験済なのである。
そして、並の魔法使いと異なり、リュグルソゥム家の魔法使いが「たった一回」でも何らかの魔法を経験するということは――次に会う時までに学習され一族間で共有されているということを意味するなどと、使い捨ての狗のそのまた後方要員系の下級幹部が、如何にして知ることができようや。
他家の技術ゆえ、魔法陣自体の作成方法や、そこに「転移魔法」を封印するための魔法学的な理論構成などの解析自体はできていない。しかし、もし「同じ魔法陣」が目の前にあった時には、それに"干渉"したり"逆用"したりするといった使い方については、既に兄妹はあらかた学び終え会得していたのである。
何せ、限定的な効果とはいえ、日頃の「転移」のための魔法陣を身体に刻み込まれた教団信者達を確保していたのだから。
ちなみに、ハンベルス廃坑への侵入自体も、彼らを通して廃坑支部の導師達へ「重大な有用情報」を提供して興味を引き……聴取のために数名の教団信者が転移魔法で呼び戻されるのについていくことで、あっさり達成したのである。
『そこだけ切り取ると、オーマ様が大喜びしそうな"技術"だけれど。これ、魔法陣の刻まれた教団員の"命"を消費してしまうんだよな。下民とはいえ、【騙し絵】家もなかなか残酷なことをする……まぁ、少なくとも【騙し絵】家か、限定的な状況下なら俺達にも一応は扱える"技術"でしかないから、汎用性は高くないね』
教団信者の"転移"は、複数名同時に、が基本となる。
――何故ならば、この魔方陣の仕組みは、使用者の「内なる魔素」を強引に燃焼させることで、魔法発動のためのエネルギーを確保したものであり……簡単に言えば教団信者達の命そのものを削るのである。
実際、ルクも廃坑侵入にあたって"便乗"する際にだいぶ無茶をしたため、信者が一人、迎え師によって呼び戻された時に絶命している。あるいは、それもまた彼らが気づくべき違和感の一つであったかもしれないが、過ぎた話である。
『そりゃあ、私たちは【騙し絵】じゃないんだから仕方ないよ、ルク兄様。でも、一応オーマ様には報告しておいた方が良いと思う。きっと、何か別のもっと良い趣向を思いついてくれるよ、あの方は。案外、あの"エイリアン"達を使ってあっさりと技術を再現できてしまいそうだしね?』
『あぁ……【異界の裂け目】を"移動"させた話か――うん、なんか嫌な予感がしてきた。でも、オーマ様のためにこの三馬鹿はキッチリ持ち帰らないといけないし、あぁ、面倒で憂鬱な仕事だよ……ミシェール、生きるってしんどいねぇ』
『大丈夫、ルク兄様。そんな変な冗談を言うなんて、意外なほど弱ってるのね……分かった、後で戻ったら一肌――』
『そう、そうだそうだ! ミシェール、そっちの"仕込み"は順調? 戻って手伝った方が良いかな?』
『え? あ、うん。それは心配しないでも上手くやるから平気。兄様が戻ったら効率は上がるかもだけど、リスクも上がるからね? 大丈夫、任せておいて』
兄の心の変調に気付いてか、ミシェールが、彼女にとっては慰めのつもりで甘い誘惑を送ろうとする。しかし、ルクの「嫌な予感」はそれすらも察知しており――このように機先を制して話題をそらすことには、なんとか成功したのであった。
そのことに安堵しすぎたせいで、続くミシェールの"冗談"を聞き逃すことになったわけだが。
『――そうね。兄様が"亡霊"なら、私は"怨霊"って名乗るのもありかもね』
斯くして、若き"獣"達による謀略の糸が、静かに張り巡らされていく。




