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本編-0105 家族の絆はいずこへ宿るか

次の【人界】行きの準備がてらの、配下達を交えた今後の動きに関する意見交換。

ちなみに現在の話題は、代官ハイドリィの側近である魔導師サーグトルを如何にして罠にかけるか、その執心の女性である高級娼婦シーシェの素性についてだ。

まぁ、サーグトルの処理ついても方針が煮詰まったところ。だから半分脱線気味とも言うべき形で、議論の息抜きとして、という感じかな。


「ふむ。巡業劇団『笛吹一座』の元看板娘にして、今は亡きエスルテーリ鎮守伯家の一人娘、ね」


「おい、竜人。"劇"とは何だ?」


「ル・ベリよ、学のない俺に聞いて妙な回答をさせてなじるつもりだろう? その手はもう食わん」


「……ええっと、話が進まないんですけど。ル・ベリさん、後で教えますから」


むうと唸るル・ベリをリュグルソゥム兄妹――いや、夫妻(・・)がなだめつつ「オーマ様、今何か失礼なことを考え『きゅぴ! ルクさん、ちょーっとばかり勇み味さんだよ! あと5秒ぐらい待てば創造主様は多分――


ええい!

当然のように人の思考に割り込んだのにさらに割り込んで脳内会話をするんじゃない、お前ら!

話が進まないと言ったのはどこのどいつかね?


おほん。

そうだね、喩えるならばチェスしながら将棋を指しているような感じかな。

口頭での議論をしつつ『エイリアンネットワーク』でも同時並行的に議論をできる奴が何人かいるもんだから(俺、ルク家族、副脳蟲(ぷるきゅぴ)ども)、そりゃこうなるというものだが、まぁいいか。

アシェイリが面食らって頭を抱えて突っ伏しているが、まぁ慣れていってもらうしかないわな。その意味ではル・ベリとソルファイドの鞘当ては、仲が悪いからというよりはむしろその逆。慣れないなりに頭がパンクしないように、適度にくだらない話をして、思考をリフレッシュするための協力的行動とも言えよう。うん、そういうことにしておこう。


で、まぁ話をシーシェ嬢に戻して。

かつて、『長女国』内を回る巡業芸能団のうち、『笛吹き一座』という名の劇団が存在していたらしい。といっても、こいつは貴族連中よりは、中小規模の都市や街なんかの商人や職人といった小金持ち達を相手にするのがメインの巡業団だったらしい。

その意味じゃ、本来なら貴族連中が相手にしたり、まして記録に残るほどの存在でも無かったんだろうだが――一応、リュグルソゥム家の『止まり木』の知識にて、『芸能』分野と『犯罪(・・)』分野に記憶される程度には名を残してしまう事件が起きたようで。


「つまり、ルクよ、あのハイドリィが属するロンドール家と同じような存在だったのだろう? そのエスルテーリ家というのは」


「その通りですね。【歪夢】家の奉公者……ただまぁ、【紋章】家にとってのロンドール家みたいな取りまとめ役では無かったようですが」


「だとすれば、あの女シーシェの運命は、やはり皮肉なものだろうな」


この国の最高権力者である魔導侯家の一つである【歪夢】家が、その手足として『罪の蜜と禁断の花』という売春組織を活用しているってことは既に聞いている。そしてシーシェの実家であるエスルテーリ鎮守伯家は、その『罪花』へ人材供給(・・・・)するための様々な弱小組織を取りまとめる立場にあったのだ。

まぁ、早い話が「人買い」とか「人攫い」だな。どこぞの教団とは全く意味合いが異なっているが。

――違法である分、需要も高い「子供の奴隷」も随分と陰湿な方法でかき集めていたご様子で、そうした独自ルートを持っているが故に『罪花』は『奴隷商会連合』への依存度を低く保つこともできていた、と。


だが、シーシェの不幸なるは、そんな"家業"を知らずに育ってしまったところか。

だのに、年頃の娘としては自立心が強すぎて、家族と対立した挙句、祖父が死んだ際に父と叔母の間で発生した「お家騒動」のどさくさで出奔をしてしまった。

その後、運命が流転だかなんだかして『笛吹一座』に転がり込むようになり、しかも一躍看板女優として知られるようになったんだから、人生てのは何があるかわからない。


「それで終われば、まぁ、平民向けの吟遊ネタとしてはそこそこのもので終わったんでしょうが」


「でも、家族に対する責任から逃げたんだから、報いを受けて当然だよね? そんな女」


【歪夢】家の支援を受けた叔母派が勝利して、ついにシーシェの行方も追跡された時。

『笛吹一座』はシーシェを守るために、エスルテーリ家の走狗となったのである。

……この結果、看板娘シーシェに憧れた数多の純朴な少年少女が、訪れる都市や街の先々で、次々と不自然な失踪を遂げることになった、というわけだ。


「そういうことか」


苦虫顔になるル・ベリは、あぁ、シーシェ嬢から何らかの事情は聞いていたのかもしれないな。ただまぁはぐらかされて、その話の裏が今のルクの話の中から察することができた……て感じかね。

確か、子供の奴隷達を買って救おうとしていた、だったか。そりゃエスルテーリ家の"家業"からすれば、皮肉な罪滅ぼしの方法だろうなぁ。


「それでまぁ、エスルテーリ家の運命に話を戻しますけれど」


最終的には、お家騒動の影響で【歪夢】家内での力が弱まったことに焦ったシーシェの叔母が、エスルテーリ家が逆転するための危険な陰謀を企んで、『笛吹一座』はその手先にされたわけである。

なんともまぁ大それたことだが、【四元素】家が王都に保持する「孤児院」への襲撃と、そこに集められているであろう魔法の才能有る子供達の拉致を偽装(・・)しようとしたんだからな。


「【破約】派から鞍替えして日が浅かったですからね、【歪夢】家は。だから、【継戦】派諸侯への"手土産"として、【破約】派と【王権】派に大々的な抗争が起きるように仕向けようとしたんでしょう」


そんな先走った行動が命取りとなり『笛吹一座』は逮捕されて反逆罪で全員処刑。

エスルテーリ伯家もまた、責任を取らされる形でお取り潰しの憂き目に遭い、哀れシーシェは『罪花』の"蜜"という奴隷の立場に堕とされたという顛末である。


「失敗するのも当然だよね、ルク兄様。そんな中途半端な策しか思いつかない鎮守伯(走狗)家なんて、潰れて当然」


――ふむ。

『長女国』それ自体への恨みもあるだろうが、子供ができて守るものができた分、"母の強さ"というべきものが随分とまぁ攻撃的な形で昇華しつつあるミシェールのこの反応は、これはこれで興味深いな。

父親の方は逆に、むしろ家族を守るためにこそ『長女国』への恨みを限定しようとしている……表には出さないが、心の奥底にはそんな信念が生まれつつある様子のルクとは、随分対照的だな?


果たして、ダリド(兄妹の子)は、どっちに傾くかな?

俺がこの"息抜き"を許した理由も、実はそこのところを観察したかったということにある。


ルクが"劇"について、ル・ベリとソルファイドに解説し始めたのを横目に、俺は改めて「ダリドの誕生」がリュグルソゥム家に与えた影響について、ルクから内々に受けた報告を反芻する。

なぁに、元々のリュグルソゥム家の『長期計画』通りの展開ではあったとも。家族が増えればその分『止まり木』を維持する者が増え、再認識(・・・)できるようになる知識の量が増える――ダリドはまだ幼くとも、2人が3人になったことの意味は大きい。


『"秘史"という名の記憶領域を、発見してしまいました』


というのが、ルクからの報告だった。

ただし、そういう記憶領域が存在することを認識できるようになっただけで、そこから知識や情報を引き出すには――人数不足(・・・・)らしいが。

まぁ、それだけならば、想定の範囲内。『長期計画』の考え方からは、ルクとミシェールの世代でそうした真実を明らかにできるという期待はしていないのだからな。


――興味深いのはこの後の報告だ。


『ミシェールには、このことは秘密にしていてください。後生です。私の遺言の一つに思っていただいても結構です』


などとルクが懇願したのだから、な。

家族の絆に基づく信頼関係を精神ごと共有するはずの一族の最後の生き残りである二人の間に、共有され得ない"秘密"がこの瞬間生まれたことになる。

それで、その時俺は『いずれミシェールにも気づかれるんじゃないのか?』と問うたさ。

だがルクは首を振って、それが「リュグルソゥム家の当主にのみ」確認することのできる特別な知識である、そう在るように意味づけられた"知識"であることも同時に分かった、と述べていた。


――つまり、だ。

「隠し事」はルクとミシェールに対して、というわけではない可能性がある。

いや、二人が逃される直前には(どうして二人が選ばれたかという謎は別として)他の家族達にも伝えられ、それが二人を逃がす献身に繋がったのかもしれないが、そもそもリュグルソゥム家には代々当主とその地位を継ぐ者にのみ受け継がれる『秘史』が存在していたということである。


その内容まではわからないわけだが。

俺は、そこで違和感を持った。

……おそらく同じ違和感をルクも抱いたに違いないさ。


思い出してみてほしい、『止まり木』とリュグルソゥム家の"知識"の性質を。

理論上、知識それ自体は無限にだって記憶できるだろうが、その宿り場である『止まり木』自体は魔力によって維持される特殊な精神空間である。すなわち現実に「認識」したり「活用」できる知識量には事実上の限界があり、それは『止まり木』を維持することのできる血族の人数に大きく左右されている。

虐殺を経て"血族"は2人まで減り、今また俺の【エイリアン使い】の力で3人になり、そして近いうちには4人にまで回復するとはいえ――未だ膨大な"知識"が再認識できないままに残っている。


……ただし、これは例えば『博物学』だとか、ダリドが誕生した分の"枠"を充てた『芸能史』『犯罪史』といった、半分は趣味のような「蒐集知識」に関する話だ。

結合双生児リュグルとソゥムに始まるリュグルソゥム家の『一族史』のような「核となる知識」なんかは、真っ先に最優先で再現されている。


それで、だ。

ここで「リュグルソゥム家の人間1人が『止まり木』で再現できる知識量 = 1リュグルソゥム」とかいう適当な単位を定義してみよう。

すると――ルクへ聞き取る限り、各記憶領域の知識量は大体こんな風になる。


『全体』  = 2.5リュグルソゥム ※ダリドはまだ赤子だからな


『一族史』 = 1.2リュグルソゥム

『博物学』 = 0.35リュグルソゥム

『生物学』 = 0.3リュグルソゥム

『魔導史』 = 0.25リュグルソゥム

『芸能史』 = 0.1リュグルソゥム ※ダリド誕生後

『犯罪史』 = 0.15リュグルソゥム ※ダリド誕生後

『その他』 = 0.15リュグルソゥム


ちなみに『芸能史』のチョイス理由だが、ミシェールの"責め"に耐えられなくなったルクが、ダリドへの情操教育材料に良いとか、さらにはそういう子供向けのおとぎ話的なものが好きだったミシェールの気を少しでも逸らそうとした苦し紛れの産物――おっと、ルクに睨まれないうちに話を戻そう。


さて。

それでは、この新たに発見されたらしい『秘史』とやらは、一体全体「何リュグルソゥム」の知識量になるだろうか?


200年分の『一族史』でさえ「1.2リュグルソゥム」だ。

それも、文字通りこれまで存在した数百人ものリュグルソゥム血族の一人一人を、夭逝した赤子やら、公式には名前の記録されなかった私生児のそのまた隠し子に至るまで、全員(・・)の生涯が事細かに記録された情報量は決してバカにできるものではない。

それを上回るほどの情報量ということらしいが――やはり『秘史』という名前が引っかかる。

単に歴史の裏側の出来事なんかが記された「秘された歴史」に過ぎなければ、それが歴史の表側であろう『一族史』を越える情報量であるというのは、感覚的にも納得しがたいんだよ。

だというのに、家族が数人増えた程度では再現できなさそうだとルクは言っており――それならば、少なく見積もっても5リュグルソゥム、下手したら10リュグルソゥム以上になったっておかしくないだろう。


そうすると、はて。

『秘史』とやらには、一体全体何年分(・・・)の記録が記されているのやら。


――いや。

あるいは『一族史』と『秘史』は、逆転した関係だって可能性もあるか。

当主以外には『一族史』こそが真実である、と伝承されている……ならば、容易には同じ一族にですら伝えられない『秘史』には、何が記録されているのか?


そこまで思い至ったが故に、ルクは、この知識をミシェールとただちに共有することをためらって、俺にだけ報告したんだろうよ。

「当主のみ」に限定されてきたことには、それなりの重い意味があるはずなのだから。


……まぁ、とはいえ俺がそのことへの良い考察が今できるわけでもないから、一旦は頭の片隅に置いておこう。

リュグルソゥム家の『長期計画』的には、どのみち時間が解決するのを待つしかないな。


というわけで、【人界】への出立前にもう何戦(・・)かルク夫妻が励むだろうことを見越して、またル・ベリに「紅鈴草」の粉末をルクに届けさせよう、そうしよう、是が非でも。


   ***


遠く離れた異国どころか"異界"にて、自身ですら知らなかった素性や、零落の背景までもが歓談に供されていることなど露知らず。

高級娼婦シーシェは、救貧院の実質的な管理者として日々あくせくと働いていた。この日はちょうど、厨房で食事の仕込みに取り掛かろうとしていたところである。

そこに、何者かが入ってくる気配。手伝いに来たラシェット少年あたりかと思って振り返り――彼女は表情をこわばらせた。


訪れたるは妙齢の女性。

シーシェにとっては、とても複雑な感情を抱いてしまう相手であった。


「元気そうだね、シーシェ」


「ベネリー……さん」


在りし日の【ワルセィレ森泉国】を知る古い住民の一人であり、関所街ナーレフと名が変わった後も『長女国』の統治と上手い距離感を保つことに成功した女性であり、シーシェの恩人(・・)である。酒場を切り盛る女将という立場は、そのまま情報の結節点を押さえているということでもあり――それが彼女の処世術に一役買っていると同時に、彼女のきな臭さ(・・・・)の源でもあった。


……もっとも、きな臭さと胡散臭さという意味では、シーシェを今の立場に押し込めることを画策したらしい【人物鑑定士】の方が遥かに上回っているだろうが。

彼にまだ直接会ったことはないシーシェであったが、その配下として働く『異形』の男ル・ベリや、隠しきれない『高貴さ』を湛えた仮面の男ルクが心服していることを見て取るに、並の者ではないと警戒せざるを得ない。

そして、その辺りの事情を、目の前の「恩人」は持ち前の情報網から把握しているようだった。


「鑑定士様に気に入られるなんざ、まさに『人生何があるかは、わからないもん』だって……おやおや、そう警戒しないでくれよ、シーシェ」


「女将さん、よくも私の前に現れて……いいえ、『立ってる者は親でも使え』てのも女将さんの教えですよね? ちょうど良いんで、明日の仕込みを手伝ってください」


慣れない厨房働きで、シーシェは『娼婦』としては決してすることのなかった格好をしている。

まくった両腕や指先には切り傷や火傷を治癒魔法で治療した痕が絶えない。それも当然の話で、十数人分もの食欲旺盛な子供達の食事を用意するのは、それだけで大事(おおごと)なのである。無論、他にも救貧院を立て直すために必要な物資は山とあったが……当の鑑定士様も忠実なる配下達も、金だけ置いてきゃなんとかなるだろとばかりに雑事を丸投げしてくれた。

その不満をぶつけたところ、ベネリーは愉快そうに笑って、外套を脱ぎ上着をまくり、慣れた手つきで溜まった食器をシンクに放り込み始めるのであった。


「全く、男達ってどうしていつもこうなんだか」


「なんだ、元気そうじゃないか。でも、男どもを手玉に取ってきたあんたでも、あの『鑑定士』様には逆に手玉に取られてしまうんだねぇ」


「会ってもいない相手をどう骨抜けばいいのかしら? ――その殿方の、使い走り達でさえ、私みたいな田舎娘の手に負えないとんでもない難物ぞろいだもの」


「違いない。それでも、あんたは今の方がずっと生き生きしているよ――でも、とうとう腹をくくっちまったみたいだね?」


声を落とすベネリーの瞳に、憂うような心配の念がこもる。


「……サーグトルの奴には、もう付き合いきれない。ちょうど良かったの、もうしばらく勤め上げれば、他所へ行かせてくれそうだったから」


「その前に『善行は積める時に積め』てわけかい……でも、シーシェ。あの元測量士爵家の娘さんは、まずくないのかい? さすがに、お代官様はサーグトルの悪癖だって見逃し続けてはくれないかもしれないよ」


あるいはそれは、かつて「母代わり」を務めてくれたが故の警告であったかもしれない。

だが、シーシェもまた声を落とし、冷たい口調で淡々とこう返すのだった。


「貴女に受けた"恩"を、貴女には返したくない」


かつて、この関所街ナーレフでシーシェはベネリーに救われた。

違法な奴隷競りで、どこの何者のどのような手段による"慰みもの"とされるかもわからなかった運命から。その後は結局、逃れられない業のようなものによって、結局はある種の"慰みもの"である『罪花の蜜』になってしまいベネリーの庇護からは離れたものの、数年の間、失った母の代わりを務めてくれた恩を忘れはしない。

そうして"蜜"として各地を転々とする生活を送り、今また関所街ナーレフに戻ってきたのも、運命の因果かはたまた人の縁と言うべきものか。


そして、それが同じ境遇(・・・・)を持つ少女スセリを救った理由でもあった。

ベネリーに返すべき恩を、彼女へ返したくない理由があり、されど恩が恩であり今のシーシェを形作る確かな拠り所の一つであるが故に、自身の"誓い"とは――他の子供の奴隷達を救ったのとは、異なる理由から元貴族の奴隷少女に手を差し伸べたのである。


様々な想いが去来し逡巡するシーシェに、深い淀みが(りゅう)として在るを見て取ったか。ベネリーが苦笑いしつつ、話題を変える。


「あんたがあたしを許せないのは、分かっているつもりだよ……だから、今日は"母親代わり"じゃあない。古きワルセィレの民として、あんたに感謝しているんだよ――誰も手を付けられなかった、この『救貧院』を、こんな風に取り戻してくれるなんてねぇ」


「今後見返りを求めるなら、私は貴女には協力しません。『森鼠の女首領』さん」


ベネリーは本当にかつての「母親代わり」という立場で訪れたのかもしれない。シーシェは確かに、かつてベネリーが犯した行為に怒りを抱いていたが、それでも、甘えるようでご都合主義な気持ちで、やはり「母」としての彼女の優しさを求めてもいた。

――その意味では、今ベネリーがあえて(・・・)政治的な立場を強調したことは、それ自体がシーシェに対して、心置きなく怒り恨みをぶつけてくれて構わない、という逃げ道を与えてくれた慈母の優しさの現れか。


そんな「娘代わり」の"拒み"すら当然のものと予期していたように、ベネリーの表情は柔らかい。多くを語らず黙したまま、洗い終わった食器を片付けつつ、シーシェが用意していた大鍋と、それに入れて煮込むべき具材をさっと見渡す。そこで酒場の女将としての血でも騒いだか、横目にシーシェの生傷の絶えない腕を見て「娘」の無様さに呆れたか。

初めて訪れるはずの厨房とは思えないほどの要領の良さで、必要な調味料を探し当て、子供達の腹を満たすための肉を正しく切り分け、食べ合わせの良い野菜を選り分けるという料理の実演を始めるのである。その傍ら、まるで若い見習いに助言するかのようにてきぱきとシーシェに指示を出し、時に注意するのである。


『立ってる者は親でも使え』と格言を使った手前、さすがにシーシェも女将さんの"お節介"を止めるわけにもいかない。そこまで頼んでいないと面食らうが、「子供達にまずい飯を食わせる気かい?」などと挑発されては、反発心と克己心が出てくるようなものだ。

上手く乗せられたなとため息しつつも、厨房の支配権を一時的に明け渡して、素直にその教えは乞うシーシェであった。


……なにせ、冗談でなく猫の手も借りたいほどの人手不足であった。

当初、戦力とアテにしていた【人攫い教団】の貧者達は、救貧院の"大掃除"が終わって子供達を受け入れるや否や、仮面の男ルクによって"導かれ"、まとめて何処(いずこ)かへ派遣されてしまった。

ルク曰く、彼らの本性は貧しく卑劣であり、催眠が解ければ、また悪事を働くに決まっているため追い払ったとのことだが――どうせ『人物鑑定士』の指示か何かで、良からぬことに利用するのだろう。『罪花』を通して、多少なりとも「夜」の世界の暗闘を知ったシーシェである。


だが、金だけ置いていってのこの管理運営の丸投げにはさすがに閉口した、というのは先に述べた通りである。

子供達が、奴隷としての「(しつけ)」を受けており、良くも悪くも素直であったから何とか切り回せているようなものである。それに、幸い、スセリに恋したらしい『人物鑑定士』信奉者のラシェット少年が住み込みの手伝いを申し出ており、力仕事なんかは全て押し付けることができているが。ただし、彼もその『人物鑑定士』殿の強引な"売り込み"によって、どこぞの武装商隊だかへの奉公が決まっているらしく、翌年からは街を離れる期間も長くなるだろう。


――などと、また愚痴をベネリーに聞かせていると。


「『噂をすれば人の影』じゃないかい?」


「え?」


ベネリーが呟いた直後、廊下から年少者達の気配が近づいてくるや、すっかりこの『救貧院』の一員と化していたラシェット少年と元貴族の少女スセリが厨房へ顔を出すのであった。


「女将さん!? なんで、ここへ? 白馬亭は良いのかい!?」


「おやおや、元気そうだねぇ、街一番の出世株のラシェット坊主。情報通のあたしなんだ、久しぶりにあんた達の顔でも見たいと思ってねぇ」


知らない女性の顔を見てラシェットの後ろに隠れるスセリだったが、すぐにラシェットがベネリーを紹介し、緊張をほぐすように笑いかける。

そして、それに受け答えるベネリーは――シーシェの記憶と変わらぬ"役者"ぶりであった。まるでスセリのことなど事前には何も知らなかったかのように、心から明るく優しく応対する「女将さん」に徹するのだから。


それを見て、シーシェの心に波紋のような複雑な感情が広がっていく。

ベネリーと、奴隷の運命から救われた少女と、その少女を気にかける闊達で活発純粋な少年、という組み合わせ。

かつて、シーシェもまたその「少女」だった。

スセリが、積極的に構ってくれるラシェット少年に対して、本人は認めないだろうが徐々に心を預けていく様子を見る度に思い出してしまう。何故なら、かつての彼女にもまた、スセリにとってのラシェットのような存在がいたのであるから。ベネリーに匿われていたほんのひと時のことであったため、それが仄かな恋心にまで育ち得たかは、シーシェ自身にもよくわからない。

だが、年少の少年少女がかつての自分達と違い、そうした感情を順調に育んでいる様を見せつけられる度に――在り()べからざりし現在(いま)にふと思いを馳せてしまう。


(……大丈夫。スセリは、私とは違う、私ほど酷くはない。ラシェットも同じ、私とは違って、彼には『人物鑑定士』サマが後ろについているんだから)


一番"最近"では、材木工のエボート青年と、そしてラシェットの親友であったジャニアンという少年であったか――彼らが死んだのは、ベネリーによって仕組まれていたのだと伝えたら、純粋なる少年と少女は一体どんな反応をするだろうか?


あえてそうしようとは思わない。

自身の心の淀みに彼らを巻き込もうとは思わない。

だが、ベネリーが重ねてきた行いの一番"最初"を、シーシェは決して忘れられないだろう。

人生のどん底を味わい、ベネリーに救われ、しかしそのベネリーによって「二番底」のあることを思い知らされたシーシェ。

ベネリーが、自身を慕う"弟分"達を利用して、そそのかして、誘導して、『森の兄弟団』の活動のための生贄にしたてあげるというやり口をシーシェはよくよく知っている。


その最初の犠牲者こそが、かつてシーシェが心を開きかけていた少年だったのだから。


(男を手玉に取ることができる、と自惚れているのは、貴女の方かもしれないのよ……女将さん)


関所街ナーレフに再び戻ってきたシーシェを、わだかまりがあると理解して、これまで直接的に訪ねてくるということをしなかったベネリーである。その『森鼠の女首領』という立場からは、きっと自分を通して『人物鑑定士』との距離を縮めようと画策した、そんなところだろう。


だが、それはきっと徒労だろうとシーシェは思った。

だから、むしろ「手を引いてほしい、そして改心してほしい」という想いから、ベネリーを拒んだとも言える。怒りを抱けども、幼い頃に実の母を無くしていたシーシェにとって、「母の愛」というものを教えてくれた女性には違いなかったのであるから。


   ***


実際のところ、シーシェの真心は、よくよくベネリーに伝わった。

そのまま数日ほどベネリーは救貧院に滞在するが、その間、『森鼠の女首領』としての顔は一切見せることはなかった。あるいはベネリーにとっても、それは数年ぶりに、純粋なる「母親」に戻ることのできた数日間であったか。

ひとところを切り盛る女の心構えなどについてシーシェに説いたり実践したりして、数年ぶりの「母親代わり」としては、これ以上にないぐらい久しぶりの「娘」との交流となったのである。


そうして娘の成長と自立を喜び、そして寂しく思う「母」としては、もう思い残すことなどないと言っても良かっただろう。

ただし『森ネズミの女首領』としては、当初仲間達に約束した成果を得たとは言い難い。

ついに自分も『"焼き"が回った』か、ならば年貢の納め時も近いかもしれない、と苦笑しつつベネリーは帰路につく。


――そしてその帰路で、ワルセィレの旧住民の間では指折りの人格者として知られる「女将さん」は消息を絶つこととなる。

辺りにはわずかばかり「血の臭い」が漂っていたというが、彼女ほどの人物が、大した抵抗もなくまるで【魅了】されたかのように忽然と連れ去られたことに気づく者が現れるのは、今少し先のことである。

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