樹祖-0001 幼樹グウィースの大冒険
異星窟の主にして【エイリアン使い】オーマが死闘を繰り広げた最初の相手リッケル子爵。力を蓄え、単なる【樹木使い】から【樹木の奏者】へと位階を登るに至っていた彼が――迷宮領主としての奥義の一つである『眷属転生』に類する技能を使用した結果は、【宿れる偽人】という新たな肉体(植物)を得たことであった。
そんな彼は、最期には自身の業によって産み落とされたとも言うべき、元半ゴブリンの魔人ル・ベリによって"裁かれ"ることとなるが、その時に、ル・ベリの母にしてリッケルの愛し人であった女性リーデロットの遺骸を体内に取り込んだ。
……これが【樹木使い】の基本技能たる【種子創造】と組み合わさったことで誕生したのが、幼樹グウィースである。
そんな自分自身の出自を、なんとなくではあるものの、グウィースは覚えていた。
ただし、それはオーマがテルミト伯に対してグウィースを紹介したような、いわゆる"生まれ変わり"的な意味とは異なる。
『その感覚』を、グウィース自身、未だうまく表現することはできていない。
オーマや、彼の操るエイリアン達である副脳蟲達とさえ、まだ上手に交信することのできない『感覚』である。
すなわち、幼き魔人樹は『人』であると同時に『植物』であった。
根と枝を花と葉を介して、最果て島中の植物達の"集合的な意識"とでも呼べるものにグウィースは繋がることができる。例えばその中には、元はリッケルの眷属の一種であり最果て島侵攻の尖兵を務めた【宿り木トレント】達も含まれていた。
……あるいはグウィース自身が完全な『植物』だったならば、話はそれで終わりだったろう。副脳蟲達が精神同調系能力によって繋ぐネットワークが存在するエイリアン達もまた"集合的な意識"を保有するようなものではあるが、そうした「エイリアン語」と「植物語」の違いについて、オーマに解読・翻訳の難しさを実感させて終わりである。
しかし、グウィースは『その感覚』を、自身を構成するもう半分の要素たる「肉と骨と血と神経」によっても直に感じ取り、受け止めることができていた。リッケルが、あくまで意識は肉体に縛られた【樹木の奏者】として『その感覚』を終始理解し得なかったこととは、魔人樹の幼子はこの点で決定的に異なっていたのである。
故に、グウィースが"片言"である理由は、別に生まれたばかりの幼児だからというだけではない。よりシンプルな話として、単に『その感覚』を、動物的感覚を通した"言葉"という手段で表現すべき、十分な知識や語彙と感性を身につけていないに過ぎなかったのである。
そしてそれが「植物由来」のものである以上、エイリアンネットワークを司る副脳蟲ウーヌス達にも直ちには交信できないものであることに無理はない。機能上は最も植物に近しいエイリアン=ファンガル種達でさえ、オーマ自身の表現を借りれば「動かない動物」のようなものなのである。
だから、魂の器と身体構成要素の半分を父親から、もう半分を母親から授かったものの――グウィースのもう半身が植物のそれであることを思えば、彼の類まれなる好奇心の強さにもそれなりの説明がつく。
なんということはない。動物的感覚と植物的感覚の狭間に立つ幼樹にとっては、それこそ陽光や空気の感覚一つでさえ、二重に新鮮で刺激に満ち溢れたものなのであった。
ここに、彼が正しく魔人ル・ベリの"異父弟"であるということが加わり……その押さえきれぬ好奇心と行動力のたくましさをして、ル・ベリの手を焼かせるに十分だったわけである。
――そして今、その好奇心の結果として、グウィースは【魔界】の赤き大海に漕ぎ出していた。
***
「あおい」
……とグウィースは呟いたつもりだ。
実際にはガボゴボと泡を吐き出すに終わり、海水が入ってこないようにすぐに口を閉じる。
太陽の光に当てられて、外側からは「あかく」見えるはずの最果て島近海が、海中では濁った青色に見えていたことが、純粋に不思議でたまらなかったのだ。
少なくとも、陸地の植物達は遠くから見ても近くから見ても、同じ「みどり」色であるはずだというのに。
だが、全身を押し包むような水流の感覚は非常に心地よいものであった。
両腕と下半身を"植物モード"に変え、根や蔦や枝の混合状態によって絡みついた【水流カメ】は、陸での鈍重な動きとは異なり、直線的な移動ならば水棲系エイリアン達の中でもかなり速い方に属している。
周囲には十数体に登る【突牙メダカ】や数体の【槍牙イッカク】が同行しており、さらには数体の【潜水蟲】達が、"群れ"の央に護られるように泳いでいる。
彼らこそは、最果て島の近海を探索しヒュドラの動向を伺えという創造主オーマの命を受け、ウーヌス達が派遣した『海中探索隊』である。実は既に何度か探索部隊は派遣されていたのだが――ヒュドラの襲撃による壊滅の憂き目にあっており、グウィースがちょうど紛れ込んだのは「第7次」の派遣隊であった。
そんな決死の任務を帯びたエイリアン達にどうにかして紛れ込んでしまったグウィース。だが、幼樹自身はその溢れんばかりの好奇心から、あることを確かめようとしたに過ぎなかった。
ゴブリンの"海憑き"現象。
最果て島の森を海岸を日々駆け回るグウィースは、オーマがウーヌス達から単に数字として機械的に聞かされるのと違って、その現象を直接目撃する機会が多かったのである。
エイリアン=ファンガル種達によって構成された『工場』から生産された奴隷ゴブリンにでさえ、一定の割合で"海憑き"が発生し、時には数体で連れ立って脱走して――ヒュドラの唸り声に導かれるままに海へ飛び込み藻屑と化す。
そのまま還らないゴブリン達がどうなってしまったのかを、グウィースは純粋に確かめてみたかった……に過ぎない。この日も、「かんしやく」を頼んでおいた【宿り木トレント】の一株から、数体のゴブリン達が海へ飛び込んだという知らせを固有技能【木の葉のざわめき】によって確認した。
そして、いつもはうるさく行動を制限するル・ベリもいないこのタイミングで、ついに決行に至ったというわけである。
水棲系エイリアン達が、やがて前回の第6次探索でヒュドラの襲撃を受けた地点に近づいていく。徐々に水泳速度を落として警戒かつ巡航状態に移っていくが――第7次派遣部隊の目的は、引き続きヒュドラの行動パターンや戦闘能力を測りつつ、いくらかの物資を持ち帰ることができるか否かを試みるというもの。そのために潜水蟲達が同行しているのである。
だが、グウィースにとって興味を引くものは他にあった。
最果て島から20分ほど沖に出たその地点には、有数の「自然」が広がっていたのである。
「おさかなが多い! 色も多い! きれい……」
今度は口を押さえながら、それでも声を上げずにはいられず、もごがぼと再び感嘆を発するグウィース。彼の目に映る"青い海"は、実際の所、生命に満ち溢れているように見えた。
最大でも深さ300メートル程度の遠浅の大陸棚が長く平坦に伸びており、魔界の黒き太陽から降り注ぐ光を受けて色鮮やかなサンゴ礁が広がっており――そこを住処にする小魚や、小魚達を捕食する中魚、それを喰らう大魚などが多く集まっていたのである。グウィースの語彙に"生態系"という言葉はまだ無かったが、少なくとも生命同士の結びつきの在り方……特にサンゴや海草といった植物的なものと魚を中心とした動物的なものとの連なりが、最果て島上の森のそれとは異なることは純粋な驚きなのであった。
――そして。
「あっ」
海流に削られた地形と這うようなサンゴに覆われた複雑な地形の合間で、するすると泳ぐ、エイリアン以外の何者かがグウィースの目の端に映る。
ただそれだけならば、目を引くだけに終わったろう。だが、そこにグウィースが今回の「冒険」に出た目的である"ゴブリン"達も一緒に映ったのであれば、話は別であった。
ちょうどグウィースが根と枝を使って木の実を取るような、あるいは"異父兄"ル・ベリが奴隷ゴブリン達を痛めつける時に伸ばす触手のような――長い縄のようなものでくくられた、おそらく既に絶息していてピクリとも動かないゴブリン達が、その「泳ぐ何者か」の後にすいーと続いてサンゴ礁の影に隠れたのが見えたのだ。
「ゴブリン!」
叫ぶなり、水流カメの背中から跳び離れてその方向へ向かうグウィース。
両腕と両足の根枝があらかじめ櫂のような形に変わっていたのは、自分自身が"泳ぐ"ことも想定して、ずっと最果て島地下迷宮内の水路で「練習」をしていたことの賜物だ。それまでの「乗り物」に使っていた水流カメが噴射する"水流"をも初速に利用して、グウィースは一気に「泳ぐ何者か」が見えた区画まで距離を詰め、サンゴ礁の角の奥を覗き込む。
「いない……」
嘆息。
海水越しの陽光を受けて淡く光るサンゴ礁は木の実のような小さなものから、グウィースほどもある大きなものまで大小様々である。その周囲を彩るように岩などに這いしがみつく海草の類は、海中の"森"といった趣きであり、グウィースの目を楽しませるものではあったが――ところどころに海底トンネルが続いているような起伏に富んだ地形は、踏破するだけでも一大事だろう。
息継ぎをそろそろしなければ、と思い海面の方を見上げるグウィース。
――海鳴りのような、深い海底から遠雷のような重低音が衝撃波のように響き渡ってきたのは、まさにその時であった。
これが陸の上ならば、ただ単に重低の爆音が響き渡った、で済んだだろう。
せいぜい鼓膜が貫かれ、頭痛か目眩を起こす程度の衝撃を受ける程度で済む……事前に対策するか、あるいは即座に耳を塞ぐことでその悪影響を最小限に押さえられるはずだ。
だが、ここは空気よりも重く空気よりも密度の遥かに高い"液体"によって満たされた海中である。海底で発せられたその"衝撃"は空気中を伝わるよりも遥かに「重い」ものであり――グウィースの小さな体をもみくちゃにするには十分過ぎた。
全身が引き千切れるかのような衝撃に、グウィースは目を回しつつ意識を一瞬吹き飛ばされる。次の瞬間には意識は回復するが、激しい海流に振り回され、上下左右すらも定かでない混乱状態に襲われた。
それだけではない。悪いことには、体の奥深くから底冷えするような"恐怖"の感覚が揺すり起こされており、上手く手足の根枝を操れなかったのだ。
「やばい」
そして視界の端で、その"恐怖"が明確な形となって顕現していた。
「ヒュドラ……!」
忘るるなかれ、グウィースが同行したのは「決死隊」である。
その意味は、ヒュドラに襲われ食らわれることなど覚悟の上で、それでも最果て島の近海を探索し、この恐ろしき海魔の隙を探るという主命を達成することである。ウーヌス達とて愚かではなく過去6回の「失敗」に学ぶ副脳蟲達であり、それまでのヒュドラの攻撃パターンに鑑みて、この第7次派遣部隊では倍以上に戦力を増強していた。少なくともヒュドラとの交戦を経て、逃げ延びて情報を持ち帰ることのできる陣容を整えたつもりであった。
――だが、何の事はない。
ヒュドラはそれを上回るかのように、わずかばかり本気を披露にしたに過ぎなかった。それが、この"海中津波"の正体であったことにウーヌス達がたどり着くのは、もう少し先の話である。
ともあれ、グウィースが未だ"幼児"であり、良くも悪くもその身体が柔軟であることが、ここでは彼を救った。
両手や下半身を構成する根や枝もまたよくしなる若木が中心であったことから、ゴム人形のように見た目は激しく振り回されながらも、ちょうど全身で衝撃を分散し逃がすことができたのである。例えば、もう少し成長して骨がしっかりと固くなっていたならば、背骨が捻れ砕けていただろう。
「め、目がまわる……」
だが、それでも体を動かすことのできないほどの衝撃を受けたのは確かである。
高波にさらわれた流木のごとくグウィースは全身に力が入らず、そのまま沈んでいく――サンゴ礁の上にどさりと横たわり、わずかばかり海底にたまった白い砂が舞う。"海中津波"を引き起こして第7次決死隊の水棲エイリアン達がヒュドラに粉砕されていくのをぼうっと見上げながら、グウィースの意識が薄れゆく。
"血肉"と"根枝"を併せ持つ「二重感覚」への驚きが全身を突き動かす有り余るエネルギーとなり、好奇心と合わさって山野を駆けずり回った幼樹は、この時、"無謀"という言葉の意味を知ることとなる。だが、それを経験に昇華するためにはその場から生還せねばならぬところ――。
――ふと、サンゴ礁に絡みつくように伸びていた海草の一種が、波にあおられ、グウィースの垂れ下がった手(枝葉)にしなだれかかってきた。
その瞬間のことである。
まるで森中の木々の葉が一斉にざわめいたかのような、膨大な情報がグウィースの"植物"部分の感覚に伝わってきたのである。
電流に打たれたように一種グウィースが痙攣した後、その感覚がわずかに弱まる。だが、次にはグウィースの"肉体"に訴えかけるような、つまり「声」が直接頭の中に響き渡ってくるのであった。
『――新たな子、血と根の狭間を歩む幼子よ、儂の名を呼ぶのだ。其方はツキを持っている、なんとかしてやれるかもしれない』
葉がかすれ合うような、とてもかぼそい声である。
聞く者が聞けば「人樹」と化したリッケルを髣髴とさせるような雑音が混じった語りであったが――声に重なる"木擦れ音"はノイズの類ではない。それは現在進行形で、グウィースの"植物"としての感覚に呼びかける続けているのである。
つまり、オーマの言葉を借りれば『植物語』に属する概念であり、グウィースが【宿り木トレント】達や、その他の森の数多の植物達と交信する時の響きと同質のものであった。
斯くして【木の葉のざわめき】を通し、グウィースは、彼自身が生まれる前からその誕生を見守っていた者の名を知ることとなる。
「腐れ根の隠者……?」
『それでよい』と頭の中の声の主が頷いた、ようにグウィースは感じた。
だが、実際には枝がたわむのに似た音が響いたに過ぎず――それがどうしてか、グウィースの中に残り火のような活力を灯す。その力を以って、グウィースは両手と下半身の植物体を変形させ始める。
それは記憶よりも深い位置、魂に刻まれ継承されたかつての"知識"に由来する形状を、この窮地をなんとか脱するのに最も相応しい形状を一心不乱に象り始め――。
***
"彼ら"はサンゴの森の影から、あるいは入り組んだ海底の岩場の隙間から、海流にたゆたう【大般若ミカヅキ藻】の群生地の中に隠れて、その様子を視ていた。
生贄や厄介者とも異なっておりながら、しかし魚鱗やヒレの代わりに流木や木片を半身にまとった不可思議な幼児を見て、それが敵か味方かを測りかねている……というのが"彼ら"の事情であった。
グウィースが両腕と下半身の植物体を広げ、伸ばし、編み合わせながら小さな木船を形成しながら浮かび上がっていくのを、怪訝な表情で見つめる6対の眼光。
互いに目配せをし、目振りと手振り、そして喉からみぞおちにかけて魚鱗の上に淡く浮き出た『発光器官』で複雑な光を反射し合うことによって繰り広げられる"会話"は、彼らと異なる知性種が見ても、酷く混乱した様子であることが分かったであろう。
銛を振り上げて浮上していく「木船」を何度も指し示す体格の良い『男』に、それを拒絶し鋭く制しようとする『女』。ミカヅキ藻の茎を束ねた縄に括り付けたゴブリン達の様子を確認する『少年』に、ヒュドラが嵐のように水棲エイリアン達を食い荒らしていくのを見ながら、そろそろその場を去らなければならないと訴え始める『少女』。
――"彼ら"は【魔界】よりはむしろ【人界】において、かつてその存在をよく知られた、いわゆる"人魚"と呼ばれる種族であった。




