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本編-0099 三つの密談

「ほう、ほう。手酷くやられたようだな? お若いの」


ナーレフ"表"通りの高級衣装店の倉庫に構えた隠れ家に撤退し、「大怪我」に対する急場凌ぎの止血を、本格的な治療に切り替えていたユールであったが――突如背後からかけられる。

そしてその声の主が何者であるか気づいて、静かに戦慄するのであった。


声の主が何者かはわかっている。

協力者たる老爺ネイリーである。


だが、場所が問題だ。

ネイリーを信用しきっていないユールが、老爺に知られないように苦労して用意した隠れ場所に当たり前のように現れてくれるとは。


「……筒抜ってわけか?」


「なに、年寄りを甘く見ちゃいかんよ。その腰のベルトから抜き放とうとしている短剣も、元の鞘にしまっておきなさい」


アシェイリの猛撃に対して、かなりの無茶をして退却したユール。

元より間諜だの暗殺者といった類は闇夜からの不意討ちを基本戦術とするものであり、搦め手無しに「ああいう」戦士(もののふ)と正面から戦うようなものではない。だが、この街に、何者の紐付きかも分からなくなった元幼馴染みにして、自分の正体を知る存在が居ることのリスクを理解できない彼ではない。

必要があれば排除するか、何か言い訳を考えて一時撤退して身をくらませるか、ジェロームを帰還する方向へ誘導するか。そんな選択肢を吟味するためにも、アシェイリについて身辺調査を開始しなければならない――そう考えている矢先に発生した"新たな問題"というわけである。


(この爺さんは、俺の正体に気づいているのか……?)


魔導侯直属の隠密である。仮にそうだとしてもおかしくはない――だが、ネイリーの気配に殺気は薄く、すぐにユールを害するという意思も無い様子だった。


「ふむ、儂と君とでは雛鳥と怪鳥ほども実力に差がある、自惚れてはいかんぞ……? まぁええか。ところで、あの血の臭いを滴らせる戦士の少女なら、彼奴の"主"と共にこの街を去ったようじゃよ」


肩をすくめるように両手を広げ、武器の類を隠し持っていないことをアピールするネイリーに、ユールは内心の驚きを隠しつつ、改めて向き直る。

皺が折り重なったまぶたに埋もれた眼光はギラリと鋭い。


「どうしてそんなことを俺に伝えるんだ?」


「君の"仕事"に専念して欲しいからじゃよ……歳を取ると世話焼きになるもんでな、このまま侯子の監視から撤退してしまうんじゃないかと思ってな」


「【紋章】侯は何を企んでいるんだ?」


「ほう、ほう! 儂と君が、奇しくも同じ主に仕える"草"がここにいることの意味ぐらい、わかるだろう?」


「――あんたの仕事を手伝えっていうのか?」


「対価は、君を襲撃した少女をほだした者の情報……そうさな、彼奴は『酒場の人物鑑定士』とか巷では呼ばれておる」


酒場の人物鑑定士。

それはナーレフ入りした翌日には、情報収集していたユールの耳に入った存在である。なんでも、一目見ただけで相手の素性や"才能"を見抜く眼力を持っているらしいが……詐欺師の類だと考えていた。


だが、老ネイリーほどの間者が注意を払っているならば、相応の存在に相違ないということである。

もし本当にそんな者がアシェイリの背後にいるならば――自分の素性がバレた原因はそれであろうか? だが、ユールは盛り場などを無意味に往来したことは無かったし、そもそも探知魔法を警戒していて、人目に触れる機会は避けていた。

肉屋の下働きとしての納品だって代官邸以外には行っておらず、接触の機会は無かったはずだが。


ならば、その情報は確かに欲しい。

アシェイリのあの様子を見れば、手段を選びそうにないことも想像に容易い。彼女の口を通して、自分の素性が『鑑定士』に知られているということもあり得る話。

……その意味では老ネイリーの持ちかけた「提案」に乗る価値自体はある。


「ここで耳寄りな情報だがな、あの若者は――なんともまぁ、恐れ知らずにもハイドリィ殿下に挑もうとしていると儂は睨んでおる!」


ユールの心が提案に乗る方に傾きかけた、まさにその絶好のタイミングを、狙っていたわけではあるまい。

だが、ネイリーのその発言は、瞬時にユールの『使命人格』を呼び起こすには十分な爆弾発言であった。


「――爺さん。あんたは、何を企んでるんだ? 僕が調べたところじゃ、あんたは【騙し絵】家の動きを監視するように言われてたんじゃなかったのか?」


半分はカマかけである。

『炎の魔獣』騒動に関連したここ数日の『鼠捕り隊』の動きを、工作員的な眼差しで観察していれば、明らかに「森の兄弟団」への締め付けが緩んでいた。

となれば、闇の者としてのハイドリィが警戒する対象は他家の動きとなろう。政敵ジェロームがナーレフ入りしたことに呼応されないよう、手を打つのは予想できたことであり……だからこそ現在の緩い対応に拍子抜けした面もあるわけだ。


ユールの指摘を受けて、ネイリーが破顔する。


「ほう! 儂のこともよく調べておるな? それでこそ、というものだよ、お若いの。ならば、儂が君に『鑑定士』殿の情報を与える意味も予想がつかんか?」


「……"ごっこ遊び"を本物にする気か、あんた。まさか、それが【紋章】侯の意思だって言いたいのか?」


ジェロームをその『鑑定士』と引き会わせる。

前後して、彼がネイリー子飼いの部下達によって行われている「謀略ごっこ」がそのままハイドリィに対する目くらましに化ける。ごっこは本物となり、ジェロームを傀儡として、得体の知れない『人物鑑定士』なる者が反ハイドリィのために蠢動する絵図を描く。


……なるほど、その傘下に降ったと思われるアシェイリとも面識があり、尚且つジェロームの監視役である自分こそ、老ネイリーの目から見れば繋ぎ(・・)役に相応しい、ということか。

ネイリーはユールの理解を肯定も否定もせず、改めて「返事はどうかの?」などと問うばかり。つい先ほど芝居がかった破顔を浮かべたかと思うや、その次の瞬間には冷徹な工作員の無表情に変化している。


だが、ここまでお膳立てされていれば、少なくともユールの『使命人格』は一も二もなくその提案に飛びつくのであった。そもそも、ジェロームのナーレフ行きを阻止しなかったのもまた、このような展開を期待してのことであるがために。

故に、ユール自身も首を縦に振るしかないのであった。その言や良しとばかりに再び破顔するネイリーが、まるで孫に買い出しを頼むかのような気軽さで最初の指示を下してくる。


「そうだな、差し当たっては……『救貧院』を調べてきてもらおうか」


「それは【騙し絵】家が動いているとハイドリィに錯覚させるのか?」


「あそこは最近、オーマ君……鑑定士殿の名前じゃよ、彼の部下に"制圧"されたようでな。まぁ、どんな状況かは百聞に一見は如かずじゃ」


「いいだろう、あんたの企みに乗ってやる」


「ほう、ほう。素直で良いのぅ、儂みたいに長生きできるぞ?」


「言ってろ、自称"怪鳥"の妖怪ジジイめ」


斯くして青年ユールのナーレフ離脱は立ち消え、彼はその足で『救貧院』へ赴くこととなる。

そこで目の当たりにしたのは、まるでアシェイリに吸血鬼の切り札である「魅了」の術を使ったかのように従順な様子で、とてもとても、敵対者を命懸けで神隠す武闘派集団と謳われた『幽玄教団』の貧しき信者達とは思えない者達の姿であった。

そんな彼らに指示を出しながら、『救貧院』を『孤児院』に変えつつある一人の女性に、彼女を手伝いながら子供達全員のお兄さんとして面倒を見つつ、明らかに一人の元貴族の奴隷少女に恋心を抱いている様子の少年。


――この両名とも、間接的に『人物鑑定士』との繋がりが存在している様子で。

ユールはオーマに対し、アシェイリを唆した者として以上の脅威と興味を抱くこととなる。


   ***


「あの人達がいないと、うちの酒場も急に寂しくなった感じがするねぇ」


「何言ってんだよ、女将さん。その隙を突いて俺達に緊急招集をかけたんじゃないのか?」


「ちょうど良いタイミングだったがな。それにしても……"迷宮挑戦"ね。いろいろ暗躍してるらしいが、本質はやっぱりそっちなのか?」


女店主ベネリーが切り盛る『木陰の白馬亭』では、この日再び"連絡員"達の会合が開かれていた。

急速に声望を高めつつある『人物鑑定士』が居座り、彼の実質的な拠点と化していたが、この度『鉄の渓谷』の迷宮へ挑戦するためにナーレフを発ったのであった。


――連絡員達の認識では、人物鑑定士オーマの立ち回りは非常に、露骨に怪しいものである。

悪漢バイルとラシェット少年の間に何があったのかを、あの日の決闘騒ぎで知る者からすれば、強盗団『三本短剣』と『欠け月』が同士討ちした一件はオーマの暗躍あってのものというのが共通の疑念。だが、わずか数名の配下――どれだけ腕が立とうとも、ナーレフに来て日が浅いはずの"よそ者"達が、この短期間の間に各勢力の事情に通じて、ここまで手際よく引っかき回すこと自体が予想を越えた事態であった。


「少なくとも"教団"の件はもはや疑いようがねぇな」


「シーシェの身元はあたしが保証するからね、あれでも大切な『妹分』さ。あの子は"人さらい"どもの仲間じゃない」


「鑑定士サマは、まさか『導師』か『送り師』の類じゃないよなぁ?」


「少なくとも、今更になって【騙し絵】侯が本格介入してきたって線はある。教団幹部じゃないなら【騙し絵】家直属の工作員って可能性だってあるぜ」


「このタイミングで、侯子ジェローム殿下がおいでなすったことにも意味が無いわけないだろ……このままだと【騙し絵】侯に横から持っていかれかねないぞ?」


「代官様もそれを恐れてるんだろうさ、"ネコ"どもの監視だって連中に向いてるみたいだよ? あの"フクロウ"が、最近は全然姿を見せやしない」


密輸組織『老い馬叩き』の傘下強盗団であった2組織の壊滅に、オーマがどこまで関わっているのかベネリー達に確信は持てなかった。

しかし『救貧院』をここまで手際よく支配下に置いたならば、流れ者に見せかけた【騙し絵】家の手の者の可能性も高くなる。ベネリーを始めとした連絡員達は、ハイドリィとは密かな協力関係にありつつ――その実は絶好のタイミングで出し抜いて裏を書くタイミングを読み合う、仮の休戦状態でしかない。


だが、そこに漁夫の利を得ようとする外部勢力が嘴を差し込もうとしてくるならば、話は別であった。


「しくじったか? 女将さんよ、"蛇"を懐に招き入れたと思ったら、実はサーペントでしたってオチは笑えねぇぜ」


「……こっち側に取り込むしかないさ。それで、代官様と相討ちにさせるとかねぇ」


「それはつまり、今は見事に"孤児院の女主人"に収まりつつあるあんたの『妹分』を利用する気か? 女将さんよ、確かエボートで最後(・・)だって言ってたよな。いくら不確定要素だからって」


「よせ。女将さんがいなければ、俺達だってここまでやれなかった。もう止められないんだよ」


たしなめるような言葉に、ベネリーに苛立ちを向けた男は舌打ちをして黙る。「内」と「外」の『森の兄弟団』達を実質的に取りまとめる者が誰であるかを、知らぬ「連絡員」達ではなかったからである。


「アルグだって殺っちまったんだ――"春の使い"様の出現も確認できた、貴婦人様は健在だ。もう、待つのは終わりだぞ。後は()を起こすだけなんだ、わかってるだろう?」


それまでの、軽口の混じるようなやり取りから、連絡員達の声のトーンが重々しいものに変化する。しばらくはハイドリィの『鼠捕り隊(ネコ)』達の動向を気にする必要が無いため、彼らの発言も赤裸々なものとなっていた――無論、魔法による探知、特に"魔導顧問"サーグトルの【風】魔法で音を拾われないような備えがいくつもなされている

そして、泉の貴婦人(ルル=ムーシュムー)の名が上がるに至り、とうとう彼らはこの日の会合の"本題"に入ったのである。


その中で、否応なしに『人物鑑定士』をどのように取り込み、懐柔し、利用するべきであるのか、そこに話の焦点が定められることとなる。

最終的には、当初ベネリーが提案したように、彼女自らが『救貧院』へ赴く案が採用されたのであるが――"探知"対策が万全であった彼らにとって想定外の誤算があったとすれば、以上の会話が、屋根裏の本物の「ネズミ」に植え付けられた寄生小虫(パラサイト)に全て聞かれていた、というところであろうか。


   ***


『奴隷商会連合』の会計係ディンドリーは、親や故郷から受け継いだ"コネ"も無しに身一つで成り上がってきた個人営業の武装行商人である。取り扱う品物に拘りは無く、『次兄国』の都市から都市を巡りながら実力を蓄えてきた。

だが、彼の過去を知る者からすれば、商人などという道を選んだことは意外というもの――その気性の激しさとむき出しの暴力性は、荒くれ揃いの船乗りとして私掠船団か、陸では傭兵団などがお似合いだと思われていたからである。


『次兄国』または正式名称【白と黒の(ビアン=ネッリ)諸市同盟】の、半島中央部に位置する"黒"派都市フロレンツェの都市名族(パトリシアン)……が抱える私設兵団長の三男坊という出身からも、その生い立ちがうかがえよう。


彼の信条は、一言で言えば『欲しければどんな手段を使っても手に入れる』だ。

――だが、不運なる哉、ディンドリーの「欲しいもの」は、残念ながら『海賊』だか『傭兵』だかになったところで容易に手に入るものではなかったのである。


(チンピラに堕ちたナーレフ支部の連中を一掃して、俺がナーレフ支部長を拝命する。"迷宮探索拠点"として発展が約束されたこの街で俺の商会を立ち上げる……その時に『奴隷連』が王国総支部長の座をくれるってんなら、もらってやる)


獅子のごとき冒険心と狐のごとき怜悧さを持つように育てられる『次兄国』男が一生かけてでも手に入れたいものなど、片手で数えるほどでしかない。富か、名声か、権力か――あるいはこの世で最高の女かだ。

ディンドリーが周囲から思われていたような生き方を敢えて選ばず、コネも無い一個人行商から身を立てる決断をしたのも、それを手に入れるためだ。それを手に入れるためには、いくらなんでも、心に秘めた虎をそのまま解き放つような『暴力』的な生き方では足りない。

よって彼は「笑う」ことを覚えた。


『次兄国』の権力構造(・・・・)において、私兵団も私掠船団も傭兵団も海賊集団も、使われる駒の一種でしかない。そんなところで燻り、よしんばお山の大将となれたところで……とてもとても、一都市どころか同盟全体の舵取りをする【同盟総参事会】とお近づきになるのは難しい。


――ここまでのディンドリーの"動機"を知る悪友は片手で数えるほどしかいないが、そんな彼らですら、単にディンドリーが『次兄国』の"総参事会主席兼評議会議長兼護民会議委員長"つまり【統領(ドゥーシェ)】になりたいんだな、などと誤解している。

だが、それ(・・)は目的などではない、今も昔も。


(惚れた女がたまたまドゥーシェの孫娘(・・)だった、ただそれだけなのになぁ)


しかも"人妻"である、という心の声すら飲み込むディンドリー。

だが、『長女国』(身分社会)『長兄国』(闘争社会)などと異なり、『次兄国』では悪運と才能と努力と狡知を兼ね備えれば、それも決して手が届かない目標ではない――実際のところは大商会を統べる一部特権的豪商達の"都市貴族"化が進んでいるのが『次兄国』の現実ではあるのだが、その中でディンドリーの如きは、今は数を減らしつつある、同盟成立初期の開拓と冒険の精神に溢れる野心的な若者であるとも言えた。


「待たせたな」


声をかけられる。

数名の取り巻きを連れたこの街の権力者の一人にして、娼館狂いでも有名な男サーグトル。横柄な態度でディンドリーを品定めるように上から下まで眺め回し、鼻を鳴らしている。


(相変わらず偏屈なおっさんだぜ)


「お待ちしていました、"魔導顧問"殿。さぁ、さぁ、こちらへ」


奴隷商会連合の王国総支部では単なる会計係でしかないディンドリーだが、ナーレフ行きに際して『会計監査役』という肩書きを与えられている。

ハイドリィの手足として、『奴隷連』のような"表"でも影響力を持つ非合法組織への指導(・・)を担当するサーグトルとしては、無視できる相手ではないだろう。この狭いナーレフでならばともかく、『長女国』王都レンゼシアに拠点を構える"王国総支部"を無下に扱うことは、事によっては『次兄国』との摩擦を生みかねない。それは、たかだか「犬の犬」如きに判断できることではない。


……片一方で、そうならないようにナーレフ支部に硬軟織り交ぜた"指導"を行い、見事に牙を抜いて尻尾を振るしかない駄犬に調教した張本人であるわけだが。


(それが"魔法使い"達のやり口ってわけだ――胸糞悪いぜ。支部の連中も被害者、だな。そこだけは……まぁ、俺の養分に変わりは無いがな)


とはいえ、王国総支部からお目付け役として身一つで送り込まれたに過ぎないディンドリーである。自身に協力的な"武力"を短時間で用意するのには限界があり、そして、この街でそれをしようとすれば必ずあの「微笑みのお代官様」の耳に入ることだろう。

良くも悪くも『奴隷連ナーレフ支部』が代官ハイドリィと"良好"な関係を築いている以上は、邪魔をされる可能性が高い。良くて逮捕からの送還、悪ければ暗殺の手を差し向けられる可能性があった。

もちろん、『次兄国』の猛々しき"武装商人"たる彼にとって討ち入りの類は望むところではあったが、他に金になる手段で代替できるのならば、むしろそうするのが正しいとも考える。総支部長の隠れた意図であろう「ナーレフ支部の大掃除」を愚直に実現するだけならば、自分がリスクを取るという手法もあるが――苦労してドブをさらった後に、どこの馬の骨とも知れない"後任者"に全てをかっさらわれるというのも商人としては"負け"である。


……故に、娼婦シーシェの一件を通して知己を得たル・ベリという男と取引をした。その取引に基づいた一手が、現在の行動である。


「メッゼーニ産の蒸留酒が入りましてね、是非ご賞味ください」


場所は奴隷連ナーレフ支部の応接室の一つだが――問題は無い。

人払いや、盗聴対策は当のサーグトル自身の部下がやってくれているのである。今に限れば、彼は飼い慣らしたはずのナーレフ支部の商人達にだって、会談の内容を聞かせたくはないだろう。


"犬の犬"程度に飲ませるには惜しい酒を提供し、正しい飲み方も知らず、その独特の風味に顔をしかめているサーグトルを内心で小馬鹿にしつつも、それを表面にはまったく出さないディンドリー。

他愛無い歓談や、『長女国』の情勢に関して適当に意見交換した後、蒸留酒を飲み干したサーグトルにもう一杯勧めるが、断られる。代わりに、関所街ナーレフの魔導顧問は、ハンカチで口元を拭いながら――ギラついた目つきで本題(・・)を切り出してくるのであった。


「『夜光雨宿り』が"奴隷競り"で不正を行ったという情報は本物か?」


「残念ながら。実は私はそれをこそ突き止めるために、王国総支部から派遣されてきたのです……支部長もこの不正に関わっているようでは、ご助力願えるのはもはや"魔導顧問"殿の他には無く」


(女好きめが。あの女(・・・)が関わってるって仄めかした途端、この掌返しだもんなぁ)


『夜光雨宿り』とは、サーグトルが執心していた高級娼婦シーシェが身を置いている売春宿の名である。

……当のシーシェと、彼女の"取引相手"だという美丈夫ル・ベリから、事前にサーグトルの「弱点」を聞いていなければ、こうまで手早くこの会談に漕ぎ着けることはできていなかった。いや、それどころかナーレフ支部を大掃除しようという目論見を統治の妨害と捉えられ、何かされていたかもしれない。

『事故』に見せかけるも良し、濡れ衣を着せるも良し。

表立っては排除し辛い存在を罠にかける手段など代官ハイドリィはいくらでも用意してみせることだろう。


だが、罠を用意することに長けているのは、別にロンドール家の専売特許というわけでもないのである。


「先日の、ゼスタル士爵家令嬢の"奴隷競り"の顛末はご存知で?」


「……おい、ディンドリーとかいうの。意外だな、まさか『次兄国』商人のお前が――顧客の情報を売る気か?」


「それだけ、深刻な事態だってことですよ」


ゼスタル測量士爵家は【紋章】のディエスト家の陪臣の一つであり、身に覚えのない罪によって最近取り潰しを受けた没落貴族家である。

――実はその背後には、代官ハイドリィと【封印】のギュルトーマ家の間で行われた"取引"を覆い隠すための目眩まし兼生贄にされたという真相があるのだが、その詳細はここでは割愛する。ディンドリー自身も、そんなことは当然知らないが……"やり口"からして、魔導侯間の陰謀合戦の人身御供にされたこと自体は察していた。


そして、そのゼスタル士爵家令嬢であるスセリという少女を「不正な」手段を使って落札したのが、サーグトルご執心の娼婦シーシェであると、さも心痛める清廉なる青年然とした様子で嘯くディンドリーであった。


そして、この心に虎を飼う若手商人の言は、感情に訴えることと、根拠を示して理知的に説明することのバランスが非常に良かった。サーグトルの、実質的な左遷を受けたところをハイドリィに拾われたという経歴をも事前にル・ベリから聞かされていたこともあり、その自尊心をくすぐるような物言いをさり気なく挟むことも忘れない。

実際、このサーグトルという男は、これまでの人生で、脅すか脅迫するか、あるいは権威権力と、自身の魔法という暴力を盾に我を押し通してきたに過ぎない。いくら統治権力への入り口たる"魔法の才"を持っていても、その品性の卑しさを"真なる貴族"達に見透かされては……それ以上の出世の道を断たれるのも道理であった。


(どうやったらそこまで調べ上げられるのか、是非ともノウハウを教えて欲しいぜ、クソ)


馬鹿正直さとは全く別の意味で"腹芸"の類とは無縁に思われる男ル・ベリ。故に、嘘を言うはずがないという直感が働いただけに――もたらされた『情報』の裏が取れる度に、彼の「御方様」の情報収集能力に舌を巻かざるをえない。

だが、逆にそこまでお膳立てをされていれば、海千山千の老獪にして凶暴な"武装商人"達の間を泳いできたディンドリーにとって、サーグトルを誘い込む"罠"を張ることなど赤子の手をひねるようなもの。


会談はさらに1時間ほど続き、最終的にサーグトルは、「次回の"競り"」にて予定されている(・・・・・・・)不正行為の現場を押さえるために、奴隷連ナーレフ支部に抜き打ちの査察に入ることを決めることとなる。


(さて、俺が汗をかくのはとりあえずここまで――ル・ベリの奴と奴の主人一行が戻るのはいつかな? 次の"競り"に間に合わなかった時は知らんがな)


"武力"に欠ける現状、早急に「大掃除」を完了させようと思ったなら、どうしたって関所街ナーレフで「商売仲間」を見つける必要がある。その点、ル・ベリが仕えているという『酒場の人物鑑定士』なる人物の勢力は……魅力的な選択肢である。


その()が全て本当であるならば、だが。


彼の登場に前後して、出所不明の「魔石」がナーレフの市場に流れ出していることも、注意深き商人たるディンドリーは早々に気づいていたことである。

男前な顔の割に屈強な"力強さ"を秘めたル・ベリもそうだが、つい昨日には、同じく『人物鑑定士』の護衛である竜人(ドラグノス)が、関所街ナーレフの守備兵隊長を務める"巨漢"と素手でやり合って土をつけたと聞く。

これは目撃者も多数であり、単純な暴力では、現状ハイドリィの手勢達でも手を出しかねていると見て良い。


件の『人物鑑定士』が代官ハイドリィと、消極的であれ敵対しているのであれば、利用しない手は無い。その実力が本物であればそれで良し、そうでなかったとしても、『奴隷連ナーレフ支部』をかき回してもらった後には"通報"してしまえばそれで済むことである。


ディンドリーはおおよそ、このように計算して立ち回っているのであった。

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