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血契-0003 心臓をめぐる愛憎②

9/30 …… 『長女国』と吸血鬼の関係にかかる描写を追加

【紋章】のディエスト家長子ジェロームは、勝算無くして関所街ナーレフへ乗り込んだわけではない――少なくとも本人はそう信じていた。

ハイドリィは有能だが、だからこそ亡国統治は苛烈であるはず、不満と不穏の溜まっていることは容易に想像できた。そこに、腐っても侯子であり、実力も拮抗している自分が訪れれば、必ずや反対派を糾合することができるだろう。

事実、ナーレフで利権を分け合う諸勢力の相互牽制は群雄割拠の様相を呈しており、ハイドリィはこれを御しきれていないではないか。今もこうして、心の底ではハイドリィに反発しているという、ロンドール家指揮下の工作員が定期的に情報をもたらしてくれている。


とはいえ、自分は決して奢るような性格でもない。

おそらく、こうした手合いの中には、忠義よりは打算によって自分を利用しようと近づいてくる者も多いだろうが――それは自分が【魔法貴族】という雲上の身分である以上はやむを得ない。だが、そうした打算が忌々しきハイドリィを打倒することに繋がるならば、自分もそれを利用するだけの器の大きさを見せなければならない。

こうした下心有りな連中を御して、ハイドリィの不正を暴いてこそ……恐ろしき父ジルモに、再び己の存在を認めさせることができるというものである。


――おおよそ、ジェロームが考えているのはこのようなことであった。


勇んで関所街ナーレフに飛び込み、多少ハイドリィを驚かせたは良いものの。

事前の仕込みも根回しも何も無しでは、後が続かない。やがて丁重に貴賓室の一つをあてがわれ、軟禁されるということすらなく、放置されているのが実情だった。ただし、なまじ本当に「反ハイドリィ派の旗頭」になられても困るため、ネイリー子飼いの部下達が指図する、硬軟織り交ぜた"もてなし"を受けていたわけだが。


すなわち、適当なゴロツキ集団や犯罪組織どもにジェロームを襲撃させる「硬い」対応と、あるいはジェロームに近づいて甘言し、さも彼が"影響力"ある人物であると思わせて良い気分にさせておく「軟らかい」対応と、である。

ジェロームが「反ハイドリィ派」からの密かなる秋波と信じ込んでいた接触もまた、その一環の上でしかない。言うなれば、彼はハイドリィの掌の上で、心ゆくまで謀略ごっこ(・・・)を知らず楽しませてもらっているという――言わばロンドール家流の皮肉を織りまぜた"接待"を受けているのであった。


さすがに、主家の侯子ともあろう存在を、ロンドール家が治める街で死なれたり怪我をされてしまっては、それこそ【紋章】侯ジルモになんと難癖をつけられるかわかったものではない。いや、むしろそうした罠をジルモが張っているのか、という可能性も警戒したハイドリィは、当初こそ表面上は快くジェロームを迎え入れたのであった。


結果が今の"飼い殺し"状態である。

飽きるまで「陰謀遊び」を堪能させ、飽きたら丁重に送り返そうという程度の注意しか、彼には払われていない。

――当然、そういう対応ともなれば、ジェロームをただ「観る」ことのみを任務としていた吸血鬼の青年ユールの存在もまた、ハイドリィは見落とすこととなる。


何せ、彼には、ナーレフ入りを手引した"協力者"が存在したのだから。


   ***


『長女国』の最高支配層を率いる一人たる【紋章】侯ジルモ=ディエスト。

何を隠そう、ユールの雇い主はこの雲上人その人であった。


無論、たかだか一暗殺者に過ぎない吸血鬼。正体の十分な隠蔽工作なども無しに、強大な力を持つ【魔導侯】家の者と直接相対することなどはしない。間を仲介した者――一人の老爺との遭遇が今の立場を得るキッカケとなり、ジルモの"(いぬ)"として『長女国』へ潜り込むことに成功した。


「ほう、ほう」と死にかけのフクロウのような独特な笑い方をするその老爺の名はネイリー。

【紋章】家子飼いの走狗たるロンドール家の重鎮にして一流の工作員ながら、その正体は、ジルモに直属しロンドール家を監視し必要あらば抹殺する任を負った鬼札的存在である。


ジェロームの急なナーレフ行きに際して、ユールは別にネイリーに助けを求めなどしなかった。しかし、この老獪な"同僚"は早々にその情報を得ており、頼まれもしないうちから、様々な支援をよこしてきたのである。

――少し前にユールは"別件"でナーレフ近郊(・・)を訪れていたのだが、街自体への侵入はまだであったため、助かったと言えば助かったと言える。


用意された"表の身分"は『肉屋の下働き』。

その正体はナーレフを監視する秘密部隊たる『鼠捕り隊』のうち、ネイリーに直属する工作員達の拠点であり、肉屋兼弱小密輸組織としての"表の仕事"も立派にこなす老舗である。

忌々しき【聖戦】家の悪辣なる対吸血鬼専用探知魔法だけでなく、【闇】魔法を感知する妨害魔法などといった様々な「返し」が張り巡らされた代官邸に、まさか単身で忍び込みジェロームを監視するわけにもいかない。それはユールとて命が2~3個ほど足りない。

確かに、それらの詳細な配置自体は事前にネイリーから聞き出すことに成功はしていたが、立場上、ユールは代官ハイドリィや彼の部下達にその存在を察知されるわけにはいかなかったのである。


しかし、似たような任務を負ったネイリーに関しては例外であるから、彼が用意した身分を活用すれば、台所への納品という形で正々堂々と代官邸の裏口の門をくぐることも可能であった。


――それだけではない。

この老舗肉屋は、密輸組織としては屠殺した家畜を「容れ物」にすることで数々の禁制品をナーレフに運び込むことを生業としていたが……ユールはその方法を使って検問を突破したのである。

侵入のためにはネイリーが別の手段を用意してくれていたようだが、そこまで世話になり弱みを握られるのを嫌っての行動である。吸血鬼の人間に対する切り札である【魅了】をも使い、肉屋の店員達にも悟られぬよう、(はらわた)をくり抜かれた豚の中に身を納めた――という具合であった。


ともあれ、これらのお膳立てにより、ジェロームの様子を監視するという任務は、当初の心配とは裏腹に非常に楽なものであった。

何せ、代官ハイドリィは、侯子ジェロームを積極的に害そうとしていない。

これが、暗殺の試みでも行われるのであれば、ユールはジェロームを守らねばならなかったであろう――ジルモの指示ではなく『使命人格』の判断によって。『長女国』の最有力魔導侯家の一つディエスト家において、野心を隠そうとしない有能な代官ハイドリィと、彼の政敵であり無能とされつつも侯子たるジェロームの対立。そこに「『長女国』に乱を起こすべし」とする、ユールに下された"大命"に通じる解釈(・・)が有り得る以上は、ユールはそうせざるを得なかっただろう。


だが、現実には、ただただ"謀略ごっこ"に一喜一憂するジェロームを見続けるという無為な日々。

こうなってくると、ユールとしては一日でも早く『長女国』王都への帰還ばかり考えるようになってしまう。王都に置いてきた「大切な人」と、最後に会ってからそれなりの日数が経っていたが故に。

その身を案じつつも、思う通りに自身の行動を選べなくなりつつある我が身と先行きを憂うのであった。


ちなみに、この日は"納品"による代官邸入りのため、他の店員(工作員)数名と共に荷台いっぱいの豚肉を積む準備をしているところであった。かっさばいたばかりの豚の内蔵を処理しながら、ユールはふと物思いにふけった。


(思えば長い道のりだったな、ここまで)


故郷で最も尊い(・・)存在から直に命じられた「大命」遂行のために、文字通り血みどろになりながら会得した技量を、惜しむことなく切り売りしてきた。

"魔法使い殺し"の技術の数々は「謀略の獣」達には非常に受けが良く――ユールが"凶器"として役に立つ限り、彼らはそれが少々同胞の血(・・・・)にまみれてようが気にしなかったが故に。


だが、今のユールは、ただ「使命」遂行のためにのみ生きているわけではない。

王都には彼の帰りを待つ者がいて……吸血鬼風に言えば「手足を杭打たれた」状態であった。

そして、その大切な人と静かに生きていくためには、どうにかして己の中の『使命人格』を出し抜き続けなければならない。これは、一つの重要な難題であり続けるだろう。


――と、空気がやけに静か過ぎることにユールは気づいた。


正午からいくらか日が傾きかけた午後のこと。

"解体場"での作業を終え、2階の共同部屋の央で、家畜の血の付いた作業衣を着替えた頃。普段であれば、他の肉屋店員(工作員)達の騒々しくも慌ただしい喧騒が、一切無かった。


(なんだ……?)


不穏さを感じ、いつでも立ち上がれるような姿勢で、研いでいた短刀の構え方をわずかに変えた――まさにその直後。

脳天まで突き抜けるような濃密にして強烈な"血"の臭いがユールを襲った。

それで、反射的に全身が一気に警戒体勢に入るのは、訓練の賜物であろう。


半瞬後には、容赦ない乱暴なる破壊音と共に部屋の木扉が蹴破られたのであった。


「ちっ!」


舌打ちと共に、研ぎたての短刀を扉に向けて投擲。

即座に金属音がすると共に短刀が叩き落とされるが、その隙を衝いて床を蹴飛ばすようにして立ち上がり、勢いのまま窓枠まで後退。奇襲を受けたという不利を多少なりとも打ち消す。そしてカーテンを乱暴に掴んで一気に引き閉じ、西日がこれ以上部屋に差し込むのを防いだ。


生まれた『影』を媒介にして、吸血鬼の暗殺者としての"技"を見舞おうとしたユールだったが――。


想像の埒外にして、とても懐かしい人物がそこに立っていた。

そのことに気づいて、詠唱しかけていた【闇】魔法を取りやめた。

驚きとともに、懐かしさと後ろめたさがこみ上げてきたから、だけではない。

その相手に、今発動しようとした攻撃用の【闇】魔法は通用しないのだから。

同時に、先ほど自身の"嗅覚"を襲った強烈な刺激臭じみた衝撃が、久しく忘れていた吸血鬼特有の感覚であることを思い出していた。


――これはユールにとっても、そして絵図を仕掛けた黒幕たるオーマにとっても想定外のことであったろう。シンプルな話、アシェイリもまたユールと同じように"屠殺した豚の血"を利用して、己の存在を直前まで隠して不意討ちを見舞ったというわけである。

故に、アシェイリと異なり、ユールは実際には彼女の存在を察知できていなかったのである。ただし、多少暴力的なれども、邂逅後の反応についてはオーマの想定通りの展開ではあったが。


「なんだよ……アシェイリじゃないか」


顔に大きな傷をつけ、大の男ほどの長さもある大斧を背に引っさげた幼馴染。

――それだけで、自分が出ていった後に彼女がどんな"道"を選んだのかを悟る。


アシェイリはユールにとっては、忘れもしない、かつての「半身」。捨てたはずの"過去"を共有する"共犯者"のような厄介な相手であった。

久しく見なかった顔には、気まずさよりは、やはり不思議な懐かしさの割合が大きい気がする。


「ユール……久しぶりの再会、なのに。言ってくれる言葉が、それだけ?」


淡々と告げる"幼馴染"であるが、声には抑えた怒気が渦巻いている。目が決して笑っていないことと、こんな乱暴な「ご挨拶」をかまして来てくれた状況から察すれば、まぁ、友好的な展開は期待できないだろう。

だが、二人にとっては、実に5年ぶりの逢瀬ではあった。


「【魅了】を使ったね? ……あまり魔法使いどもを甘く見ない方が良い。対抗魔法で警戒されている場合も多いよ?」


自分のことは棚に上げつつ、つい説教みたいな言い方になってしまう。だが、それが静けさの正体であったわけだ。

一度、吸血鬼の【魅了】にかかった者は、再び【魅了】にかかりにくくなる……ここが代官邸か、詰め所などであったならば、即座に魔法部隊なりがすっ飛んできたことだろう。その意味では、随分と危険な"切り札"を切ったものだ――そこまでして、自分の不意を狙ったということでもある。


「関係無い。私の目的は、あなたを連れ戻すこと」


「意外だね。てっきり殺しに来たのかと思ったけれど?」


「今度そんな冗談を言ったら、望み通りにしてあげるから」


大斧を握る手指に力がこもるのが見えた。

間合いにはギリギリ入っていないため、初撃を叩き込まれる心配は薄いだろう。だが、久方ぶりの再開を祝した「近況報告」なんていう、のんきな会話でどうにか言いくるめられる様子でも無い。

それになにより――。


「君は変わったね。変わりすぎて、びっくりしたよ」


「ユール。あなたも変わった、それだけは、すぐに分かった」


あの、のんびり屋だったアシェイリが、ここまで殺伐とした女戦士に変貌していようとは。月日は残酷だ。大斧を構え殺気はそのままに、しかし昔からよく読めなかった表情だけはやわらかくなって、アシェイリが「ひい、ふう、みい」と何事かを数え始める。

それを無視して"吸血鬼にも効く"【闇】魔法を練り始めるユールであったが、続くアシェイリの言葉に気色ばんだ。


「この5年間で、何人殺したの? "食べる"以外の理由で――それから、その酷い悪臭は……女? ねぇ、ユール、一体……それは何なの? そんな酷い臭い(・・・・)の"血"は――うっ……どうして?」


制裁を加えるためでもなく、また精算するためでもなく、ただ自分を「連れ戻し」に来た、と。

その意味を静かに考えながら間合いを測りつつ、ユールは嘆息する。アシェイリは【吸血鬼】の"戦士"として、「里」で最も過酷な鍛錬の一つを受けたのだということを確信したからだ。

自分を"嗅ぎ当てた"であろう、その「技」を、ユールもまた会得している。それは、見た目では区別できない吸血鬼(同胞)人間()を判別する手段として、吸血鬼達の間に存在する"血の束縛"でもある。


「どこもおかしくはない。僕は『殺し屋』として鍛錬されたんだから、ただ"殺すために殺す"のは当然のことだ」


「質問に答えて。その悪臭は――こんな"亡者みたいな腐った血"は……ユール、あなたが今一緒にいるのは"何"? ――一体、あなたは"それ"と"何"を、しているの?」


殺気が少しだけ薄らぐ。

感情をあまり見せない性格であったはずのアシェイリだったが、どこか哀願する様子があるのが意外だった。

とはいえ、昔の二人であったならいざ知らず。

そんな様子に心動かされる今のユールではない。そして、何も知らず、知っても理解できないだろうアシェイリが、酷い臭いだとか悪臭だとか無邪気に発言できることに苛立ったのは事実。

まぁ……当初は自分も「同じ感想」を抱いた。その血(・・・)が吸血鬼という存在にそういう風に(・・・・・・)臭ってしまうのは、半ばしょうがないことなのだと今は知っているだけに、アシェイリの困惑も理解はできるのだが。


「君こそ、最近随分と"飲み食い"したようだね? ……不意討ちに使った"豚の血"も、これだけ薄れてくれば、さすがに僕だって気づくよ」


問答の中で気づいていた。

その"血"のにおいの様子から――アシェイリが最近"食事"をしたことに。

そして彼女の大斧からも、派手に叩き割られたのであろう脳漿混じりの"血の跡"が嗅ぎ取れた。


その事実に、ユールの脳裏には強烈な不安がよぎる。

なるほど、アシェイリを教練したであろう「奴隷戦士の里」でそれが教えられているかはともかく、吸血鬼が吸血鬼を嗅ぎ当てるのを避ける方法の一つが、極限の餓えと渇きに耐え、血を「崩壊手前」のギリギリで停滞させ続けることだ。皮肉にも【聖戦】家の探知魔法は、そんな"弱点"まで再現してしまっているわけだが――とにかく、そんな地獄の苦しみに耐えてまで自分を不意討ちしに来た、というならまだわかる。

……だが、アシェイリは明らかに、つい最近飲み食いしているのである。

それも、ギリギリまで【血の渇き】に耐えた末に、まるでそれを解き放ち我慢するのをやめるかのように。

自分を探す以外でも、人間達に正体をバレないようにするためには、飲み食いせずに餓え渇いた状態のままでいるべき……さすがにそれはアシェイリだって承知しているはずだ、いくらなんでも。


故に、そうする必要(・・・・・・)がなくなった(・・・・・・)、ということだ。


「君は、僕の苦労なんて知らないで、何もかもぶち壊しにしてくれようってんだな? ねぇ、どうやって、僕を見つけた? 言ってみてよ」


忌々しい探知魔法【腐れ血の帳簿】の弱点を完璧に把握した上で、自身の"渇きのコントロール"も含めて、ユールは隠密行動をしてきた自覚がある。

だから、仮にアシェイリが吸血鬼を嗅ぎ当てる技を体得していたとしても、簡単には見つけられないだろうという確信があった――餓え乾きの状態で「崩壊手前」で停滞した吸血鬼の血は、限りなく臭いが薄くなるのだ、という特徴を知っていたが故に。


――であるならば、アシェイリの殺気と執着心を隠そうともしていない様子を見るに……「悪い可能性」も考慮せざるを得なかった。


「僕を見つけるために、"魔法使い"に協力でもさせた?」


「違う! そんなんじゃない! 私は、ただ」


アシェイリの反応はユールの疑念を深めるだけであった。


「吸血鬼を判別できる何者かの協力は得た、というところか。白子族(ダーキッシュ)? それとも黒エルフ? 鼻の効く狼人族(ルガルー)? ……否定してみてよ」


アシェイリが、しまったという顔をした。

台無しだ、という失望感からユールはふっと自嘲の笑みがこぼした。

もしアシェイリが、誰かの力を借りたのでなく、独力でユールを見つけ出していれば、単に彼女に事情を話してから、先に王都へ行っていてもらうという方法も取れたかもしれない。

だが、彼女の背後にいる存在への警戒から、ユールは今この場では幼馴染(アシェイリ)を切り捨てる判断をせざるを得なかった。それが「何者」であろうが、ユールの目から見て、今の彼女はあまりにも危険な橋を渡っている。


自分達が「人間の血を食らうバケモノ」であることを、まさに人間達の住処であるこの街で、その"何者"とやらには隠していない、その危機意識の無さに無性に腹が立ったのも事実だ。

『正体のバレた吸血鬼』がどんな目に遭うか、彼女はちゃんと"里"で教練されたのだろうか?


「悪いけれど、ここで君に捕まる気は無い。祖国へ、アスラヒムへ帰ってくれ」


突き放すように言い放つ。

だが、拒絶の意思を受けて、逆にアシェイリは闘志に火が着いたようだった。


(開き直ったか。どうしたものかな……)


静かな沈黙と、視線が交差――したかと思うや、裂帛と共にアシェイリがバトルアックスを振りかざして突進を敢行する。【瞬発力強化】の力を借りた絶速と共に、大斧を乱暴に振り、その重量を借りるような円運動でユールへ斬りかかる。

だが、その動きはユールにとって想定の範囲内。

掴んだままだったカーテンを、手首を器用に回して窓から剥ぎ取りざま、闘牛士が布を弄ぶようにアシェイリに投げ放ち、自身は横へ跳んだ。


「ハアアアァァァァァ!!」


大斧に絡みつきながらアシェイリの視界が遮られるが、これは悪手だったかもしれない。叩き断つ(・・)ことが目的の武器であるため、すぐにカーテンを引き裂くことができないものの、バトルアックスは元来、刃の切れ味よりは、その重量による破壊が目的の武器である。

委細構わず大斧が振り回され、ユールが先ほどまでいた窓枠が豪快に破壊され、木屑を飛散させる。


「随分と暴力的になったもんだ!」


横に跳びながら、懐から仕込み短刀を数本投げ放つユールだが――それもわずかな隙を稼ぐための気休めでしかない。案の定、大斧を盾に全て弾かれる。


「対"吸血鬼"とかいうレアケースなんて、想定してなかったっての!」


単純な力と暴力では叶わない――。

躊躇のない剛撃は、吸血鬼同士の"闘争"を知らない者の目から見れば、ただの殺し合いにしか見えないだろう。だが、アシェイリは「連れ戻す」と宣言したのだ。

そして実際、圧倒的な鉄塊を叩きつけてくる彼女のやり方は、「連れ戻す」ためと考えればひどく合理的なのである――体の半分を肉塊レベルに潰された程度では、吸血鬼(彼ら)は死ねないのだから。


「大人しく捕まれ!」


「断る!」


窓枠を破壊しつつ横薙ぎに振り払われるバトルアックス。

"里"の秘伝体術である『蝙蝠術』の心得により、ユールはそれを軽業のごとく紙一重でかわし――かわしきれず、腕を浅く切られて血が飛び散る。その臭いが鼻を衝いたのか、アシェイリが肉食動物のように獰猛な笑みを浮かべた。


(そうか、これが"戦士"のやり方か。血がにおえないなら、無理矢理血を出させて後を追う気だな?)


その意図を理解しつつ、ユールはそのまま天井に逆さまに張り付く。

次はこちらの手番――あまり手の内を見せて次に対策されたくない、などと泣き言を言うわけにも行かず、切り札の一つを切ることを決断する。


アシェイリの大斧に絡まり、窓枠の破壊によってずたずたに千切れつつあったカーテンが、揺れながらも僅かに生み出した"しわ"による、ちょっとした膨らみ。

日差しの届かない気持ちばかりの「影」がその中に産まれて。

――カーテンを掴み、相手がアシェイリであると気づいた時には、ユールは既にその"仕掛け"を仕込んでいた。


詠唱を完成させる最後の一言に伴って、カーテンの膨らみのしわの間に生まれた影を媒介とした【闇】魔法【虚仮威しの曇黒(どんこく)】が炸裂。

空間が球状に切り抜かれたかのように、光を拒絶する薄闇の結界が部屋を覆い尽くした。


【闇】属性によって"閃光"を再現することを志向した秘術を、当然アシェイリが知っている道理も無し。知らないものに対して対策は立てられないし、この魔法は"力押し"をする相手にこそ効果的である。

構わずアシェイリが大斧を足場に蹴って天井のユールへ殴り掛かったが――「吸血鬼の暗殺者」を相手に、光の少ない空間で正攻法を挑むことほどの徒労もないだろう。


アシェイリが「殴ってやった!」と思った直後には、残像のようにユールの輪郭がぼやけたのである。


「え……!?」


まるで靄を殴ったような反動の無さに思考が硬直し、アシェイリは思わず"薄闇"の中を左右上下と見回すが、もはやユールの気配は消え失せていた。


これこそが「吸血鬼」の「暗殺者」たるユールが"里"で教授された技の一つ【夜闇の外套】の効果である。


「そんな!」


という叫びに任せて、色濃く残るユールの"血"の臭いを追って部屋の中でバトルアックスを振り回したものの、所詮は一人相撲。頼りっぱなしにしていた"臭い"が、この場では逆にアシェイリを拘束することになる。

嗅覚ではなく視覚と聴覚を頼るべく――彼女は、すぐに窓枠の外を見るべきだったのだ。


「――ユール、そこまでして……」


大斧を振り回したことが多少は魔法効果をかき散らしたのか、【曇黒】の薄闇が晴れる。アシェイリの目の前には、天井から壁、床にかけておびただしく塗りたくられた赤い赤い鮮血(・・)が、これでもかというほど広がっていた。


何の事はない。

渇きのコントロールによってにおいが「薄く」なったユールを傷つけて血を流させ、強引にでも"血の臭い"を追えるようにするのが彼女の目的ならば――同じ"血"を大量に放出、部屋を充満させて、逆にアシェイリの鼻を混乱させ、潰してしまえば良いとユールは判断したというわけである。

それと比べれば、腕を切られて流した血の臭いなどは、本当にささやかなものでしかない。アシェイリがこの部屋を掃除し、血を綺麗に洗い流してしまわない限り、ユールがどの方向に行ったのかもわからない上、その間にユールは傷の手当てと洗浄によって痕跡を断ってしまうだろう。


「ここまで、来たのに――ユールの……バカ……」


吸血鬼の強靭な生命力は、体内に蓄えた"血"の力によるもので――それを"鼻潰し"のためとはいえ、ここまでぶちまけではユール自身の命に関わるはず。そんな一手を打ってまで、それだけ本気であり、覚悟を決めているのだとアシェイリは悟らざるを得なかった。


   ***


がっくりと項垂れたまま、どれほどかが経過した頃だろうか。

アシェイリに声をかける者があった。


「凄まじい惨状だな。これだけ見れば、どこに出しても恥ずかしくない立派な殺人現場ってヤツだ」


「お外道さん」


「諦めるのは早いぞ、吸血娘、犯人は現場に戻るもんだ。次の機会は、必ず訪れる」


アシェイリが蹴破った扉をくぐり、部屋をグルっと一望した【魔人】が口の端を歪めたように笑う。彼に続いて腰の双剣に手をかけながら部屋に入ってきた赤髪の竜人が、主の言葉を引き継ぐ。


「早まったな。その直情さは、快くはあるが、耐えて待つことを学べ」


「……何も、知らないくせに……私のことも、ユールのことも……」


小さく呟く反抗の声を聞いて、【魔人】オーマは片眉をひょいと上げるのみ。

それは続きを促しているようでもあったが――黙り込むアシェイリをまじまじと見て、数十秒後、残念そうに嘆息しつつ話を再開した。


「この場でお前がユール少年を捕まえてくれれば、とも思ったが。まぁ、遅いか早いかの違いでしかないがな……時に、アシェイリ。ユール少年が何をしにこの街に来たのか、知りたくはないかい?」


ゆっくりと顔を上げるアシェイリはいつもの無表情であったが、オーマの目には、何か底知れない貪欲さを秘めたものが映るのであった。それに満足してか、鷹揚に頷いてから、オーマがアシェイリに提案するのだった。


「何事も経験だ――【魔界】でのちょっとしたピクニックに、興味はあるかい? あとそうだ、今なら特別な……気合の入る"マッサージ"もサービスしてやるぞ」

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