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本編-0092 語らう主従と騙らう主従

「ちなみに、【生ける鎧(リビング=メイル)】のようなタイプの魔物が、無生物系なのか、それとも不死系なのかで昔は論争があったようです」


博識なる元貴族青年の魔物講義を聞き流しつつ、『エイリアン酒』にチビチビと口をつける。女将ベネリーが料理の仕込みを行うのを横目に、俺は道行く人々の観察を続け――『人物鑑定士』としての実績を黙々と積みあげているというわけである。

この数日間で、既にラシェット少年の他にも有望な"人材"に目星をつけたり、喧嘩の賭けで儲けたりを繰り返していた。


と同時に、パラサイト達を送り込んだ迷宮【心無き鉄戟の渓谷】について考察を深めており、その一貫として、こうして魔物講義をさせていた。

ルクは――こいつは知識を語るのが好きだからな。

まぁ、リュグルソゥム家の在り方を考えれば、然もありなん。

"知識"とは死した家族達から受け継いだ「絆」そのものだ。それを自ら語ることで自分の中で再整理・再確認するのは、そのまま、遠い追憶を振り返る作業に他ならないのだろうよ。


「――【彫像】のアイゼンヘイレ家が【王権派】から【継戦派】に鞍替えしたのは十数年前。その決め手が『鉄戟渓谷』からの利益提供だった、というわけです。【彫像】家の連中の巨像兵(ゴーレム)術は――」


まぁ、いつものことながらルクの話は脱線を重ね、【心無き鉄戟の渓谷】が【紋章】家の権勢を支える一要素となったのか、に関する"分析"に移っていたが。

元は【王権派】であったアイゼンヘイレ家は『石材商会』や『鍛冶師職人組合』との繋がりが深いことから、なるほど、彼らを抱き込むのに鉄戟渓谷から採れる金属塊の類は実弾(贈り物)として非常に有効だったんだろうな。


「……オーマ様、それだけでは、ありません。同じく【継戦派】である【魔剣】のフィーズケール家の金庫番は、この間お話した『付呪士協会』です。【紋章】家を通して、同じく【継戦派】となった【彫像】家製の武具が彼らの元に届けられることになった」


あぁ。

それもあって「最強」の地位をますます高めている、ってわけか。

多分、そこには【紋章】家の技術も組み合わせられているんだろう。


【継戦派】の【魔導侯】達の戦闘能力を決して低く見積もってはいけないというわけか。仮にも、この国の最大最強派閥なようだしな。

だが、実際に彼らを率いているのは【紋章】家である……と。

単純な"戦争屋"としては【魔剣】家や【聖戦】家なんかが遥かに強力なようだが、こうした利益の巧みな活用こそが、彼らを【継戦派】の領袖に押し上げているのかもしれない。


ルクの話を【並列思考】を通して"知識"として吸収しつつ、俺は今度は、関所街ナーレフでの俺自身の活動の到達点について考察を移ろわせる。


ナーレフで『魔石』を大量に出回らせ、それの出処としてナーレフ近郊の迷宮に噂を立ち上らせる。それによって『長女国』内の他の有名な迷宮に行く者達の足を止め――迷宮に挑戦する者達を「管理」する組織を立ち上げる。


言わば"冒険者ギルド"とでも言うべき体制についての考えを、ちと再整理。


一口に"迷宮挑戦者"といっても、実態は傭兵くずれや、夢見がちな若者や、欲深い武装商人だったりと、職業も背景もバラッバラ。各個好き勝手に活動しているのが実情で、例えば「情報の交換」という体制なんかは非常に貧弱であることがうかがえた。


というのも、歴史的に魔法貴族達による上からの支配・指導が当たり前な国であったわけで、迷宮や周辺の探索などについても、【魔導侯】達が主導してきたのだから、むしろ独立したそういう組織が発達する余地が無かったのかもしれない。

……それに迷宮を"査察"する権限を持った『末子国』との関係もあるからな。

荒廃した大地を『晶脈ネットワーク』を通して復興するのに力を割いていたこともあって、下手に迷宮を"刺激"して、どんな結果がもたらされるか、博打を打とうという気はあまりなかったろう。

少なくとも、あまり表立った形では迷宮の探索が進められてこなかった。


――だから、今回の"布告"は、ルクの指摘通り『末子国』に対する決別宣言とも受け取れる。

これまでは水面下の行動だった迷宮探索が、白昼堂々と行われるものとなる……それなら、なるほど、俺と同じこと(・・・・)を考える魔導侯家もあるかもしれない。


さらに、同じタイミングでリュグルソゥム家の虐殺が発生している。

ならば『長女国』の三大派閥の間で、あるいは"迷宮"に関連して、何らかの利害が一致したとして、その"何らか"とは"何"なのか、それが【御霊】家の命運にどのように影響したかを探る鍵となるか。

これが、今のところのルクの読み(・・)である。


実行犯である"銀衣仮面"の男が属す『末子国』も黒幕であるにせよ、積極的に関わった【魔導侯】達の思惑に関する手がかりを得るために、ルクは実に精力的に働いていたわけである。

その結果として、名前だけ見れば"大手"たる非合法組織が進出しているわけだが――『付呪協』にせよ『幽玄教団』にせよ『罪花』にせよ、せいぜいが「とりあえず目をつけておく」レベルの支部しか無し。

肝心の【魔導侯】達に直接繋がりそうな情報としては弱い。


――ならば、「とりあえず目をつけておく」状態から、「もっと注目する」状態に持っていけば良いだけだな?


だからこその「第二手」だったというわけだ。

ハイドリィ君の並々ならぬ"調整"の努力にヒビを入れる。

そのために、盗賊団『三本短剣』と『西の欠け月』の抗争現場には、死体の近くに【魔石】の破片もばら撒いておいて、"生き残り"達が一発逆転をかけて「迷宮」に行ったという噂も流したところ。


"夜"の勢力バランスには一石が投じられ、迷宮に挑戦しようとナーレフに足を止める者が増えている。出回った【魔石】の存在は、『布告』後に早くも一攫千金の具体的なイメージを食い詰め者(ゴロツキ)達に与え、夢を見させたようであり、迷宮探索の機運が高まりつつある。

どこの酒場でも荒くれ者や若者達の密かな話題に上り始めているのである。【紋章】家の、どの迷宮が"当たり"であるのか、とな。


そうして、代官ハイドリィが心血を注いで組み上げた、この街の諸勢力間のバランスを揺さぶってやる。

経済的利益がありつつも、独裁と弾圧によって安定している街に混乱の兆しが見えた時、他家に紐付けられた「とりあえずの注目」のための連絡員達は、一体どう行動するだろうな?

それに対してハイドリィは、どう対応するだろうな? ――外へ注意を向ければ内の統制が弱まる、そういうことだ。


この路線での次の動きとして、傘下の2組織が謎の行動をしたせいで大混乱に陥っている密輸組織『老い馬叩き』を上手く誘導しようと、タイミングを図っている今日この頃。


「ル・ベリ達が戻ったら、一度帰還する算段をつけるか。ルク、そろそろ(・・・・)だろう?」


指摘に黙り込むルク。

――珍しく戸惑っているやら、興奮しているやら、何やら曖昧な反応。

普段、頭痛だか胃痛だかに悩まされているらしいのとはまた異なった反応だ。


()もありなんよ。

ミシェールを【揺籃臓】へ放り込んで、2~3週間は経ったか。

計算によれば【揺籃臓】の"人間"の妊娠に対する効率倍化は約10倍だから、な。


……などと呑気なことを考えていたら。

予想とは大分違う『事件』が発生したと、情報収集に出させていた配下達から報告が相次いで上がってきたのであった。


   ***


執務室で書類の内容に目を通し、代官としての職務を黙々とこなすハイドリィ。

【封印】家には及ばないものの、ディエスト家の秘技術たる『紋章石』によっても、様々な特殊な効果を生み出す"結界"を構築することができる。

【均衡】属性と【風】属性の複合魔法が込められた『紋章石』が、書斎の天井の四隅と床の四隅の合計8ヶ所に配置され、執務室の内部の音などが外へ漏れ出ることを防ぐ"魔法効果"を生み出していた。


部屋にはまた、取り込んだわずかな陽光を瑠璃色の淡い光の装飾に変える、特注のステンドグラスがあった。ふとそれに目をやり、ハイドリィは足を組み手を止めて物思いに耽った。

このステンドグラス、前の代官の趣味に過ぎない無用の「贅沢品」だが――これでも【魔道具】の類である。ハイドリィ自身はこうした芸術品に何ら興味は持っていないが、商人達を「優しく」威圧する小道具としては使い勝手が良い。そんな風に己の役に立つと考えると、意外な愛着も湧いてくるというもの……このように考えるのがハイドリィという人間である。


内政上はほとんど副官を置かず、独裁によって迅速果断にナーレフを切り盛りする代官ハイドリィの命令の大半は、この書斎から下されているのである。


――ちょうどオーマがルクと語らっていた頃。

扉をノックする音が響き、それに答えるようにハイドリィが遠隔連絡用の『紋章石』を通して入室を許可。果たして、入ってきたのは、密輸組織『老い馬叩き』と『森の兄弟団』を監視させていた部下であった。


若き代官はこの部下から、オーマが受けたのと同じ『事件』に関する報告を受ける。それはハイドリィにとっては、描く"絵図"が順調に進んでいることを示す吉報でもあった。

待ち望んだ報告を受けて、彼にしては珍しいことだが、ハイドリィは思わず顔を綻ばせるのであった。


――なにせ、こここそが、内容の地味さの割に決してリスクも少なくない、一連の企てにおける"正念場"の一つだったからだ。


【封印】のギュルトーマ家との取引。

それも主たる【紋章】家にすら、絶対に露見しないように行った秘密の取引である。万が一、これがハイドリィの手によるものであるとの証拠が【紋章】本家に知れた時は、ただちに討伐軍を起こされるか、最高の暗殺者が送り込まれるだろう。

その程度には危険な橋を渡った自覚はあった。


ただ、勝算が無かったわけではない。

その甲斐あって、ハイドリィは自らの企てに絶対に必要な"連鎖"の始まりとなるピースを手に入れたのである。


それこそが、現在ナーレフ周辺の街道を行く者達を震撼させる【炎の魔獣】の騒動であった。


執務室にはハイドリィと、扉の近くで膝をついて報告する『鼠捕り隊』隊員の二人しかいない。秘密の任務を成し遂げ、重要な報告を持ち帰った部下に、ハイドリィが念を押すように確認する。


「"ネイリー"にはバレて無いだろうな? あれ(・・)を用意するのにどれだけ苦労したことか――いや、あの死にかけ詐欺のジジイのことだ、察されてはいるかもしれないな。だが、証拠を掴まれていないなら無理な動きはしないだろうが」


「問題ありません、代官様。『老い馬叩き』は予定通り"森ネズミ"どもによって殲滅されました。我らに通ずる情報提供者は全員死にました」


「ハーレインは上手くやったようだな。ああいう奴が長生きできるのだ」


今まさに発展期にあるナーレフでは、拡大する権益を巡って、様々な勢力が住み分けや序列を流動的に競い合っている。

代官として、そこから最大の利益を得るべく、ハイドリィもまたそうした勢力図の"調整"に腐心していたが――その最たるものこそが、実はワルセィレの亡霊たる『森の兄弟団』達への硬軟織り合わせた一連の対応であった。


実のところ、反抗勢力として徹底的に弾圧をする傍らで、ハイドリィは彼らに利益を誘導してもいたのである。例えば、力をつけ過ぎた密輸組織や盗賊団、ならず者集団を襲撃させてその「上がり」を吸わせてやるなど。

無論、それは「逃げ道を全て塞げば地下に潜り、それこそ摘発が困難になる」ことを防ぐための懐柔策でもある。しかし、どちらかというと「飴と鞭」によってその行動を制御することで――今回のような、自身の手駒を動かせないような重要な"汚れ仕事"に仕立ててしまうといった意味合いの方が強い。


その意味では、先日のエボートとジャニアンの一件もまた、『鼠捕り隊』の注意を「内」に引きつけようとしたものであることなどはとうに把握済みだった。

というよりは、ワルセィレの象徴たる存在『泉の貴婦人』に関わる「重要な品物」を運び込もうとしているという情報をわざと流して、それを強奪するよう『森の兄弟団』を誘導したのは、他ならぬハイドリィ自身だった。


現状、思惑通りに事が運び、積み荷(・・・)であった『炎の魔獣』が周辺の街道で暴れ回ってくれている。


以上の報告に満足したハイドリィは、その場でナーレフ守備隊の治安部隊に向けた新たな指令書をしたため、部下にそれを手渡す。


「デウマリッドに伝えろ、残った『老い馬叩き』の幹部どもも全員逮捕しろ、それとこのリストにある連中もだ。あの"巨漢"も、少しは運動させてやらないと次々に部下を診療所送りにしてくれるからな、まったく……」


"裏"の商品を輸送する中堅組織であった『老い馬叩き』を排除する影響を最小にとどめ、同時にその"仕事"を割り振ってやることで、ハイドリィ自身に好意的な組織や勢力を増やすための一手。

主に『老い馬叩き』の取引先であった商人、盗賊団の幹部、生贄(エサ)となる民間人や、他家から始末を依頼されていた間諜(スパイ)など、事前に準備していたリストを含んだ指令書である。


一応、遠隔への通信用の『紋章石』もあるのであるが、今は(・・)無駄遣いせずに蓄えておかなければならず、このような形を取ったのだ――決して、デウマリッドの必要以上に巨大な罵声が『紋章石』越しに響き渡るのを嫌ったわけではない。


意を受け、部屋を後にする『鼠捕り隊』隊員を見送る。

しかし……ハイドリィはこの時、喉の奥に魚のトゲが刺さったような不快さを感じて、顔をしかめた。


「そうさ、最初から用済みだった。だから、最初から始末する手間が省けたと言えばその通りではあるんだ、が」


脳裏をよぎったのは、今回の"取引"の実行役にして、『森の兄弟団』達への"生贄(エサ)"となった密輸組織『老い馬叩き』、その手下であった2つのならず者集団の乱心(・・)であった。

『三本の口裂き短剣』と『西の欠け月』という名の盗賊団が抗争を繰り広げて貧民窟(スラム)の一角に火事を引き起こした挙句、その生き残り達が――よりにもよって【紋章】家の"金のなる木"である迷宮(ダンジョン)『鉄の渓谷』に侵入したのである。


となれば、近頃ナーレフに様々な意味での波紋を広げている「大量の魔石出回り事件」の犯人は彼らだということになる。それは、この出所不明の超高純度(・・・・)な『魔石』を売りさばいていたのが密輸組織『老い馬叩き』であるという情報を裏付けるものである。

『老い馬叩き』が傘下の盗賊団を使い、ナーレフの"暗黙のルール"を破ったこともまた、彼らを生贄とすることに決めた主な理由ではあったが――時同じくして、例の2盗賊団の生き残り達が『鉄の渓谷』で大量の魔石を見つけて持ち帰ったのだ、という"噂"がにわかに街中に広まりつつあった。


それ自体は、関所街ナーレフに拠点を構える旅人や商人、職人などが増えるという意味で、為政者ハイドリィにとっては望ましい話だ。『鉄の渓谷』の"開放"を【紋章】家に提案すること自体は、将来的な構想の一つであった。

ただし、それは現在の"企て"が成功して独立(・・・)を勝ち取った後に、自分自身の財力を強化するための一手として、という意味において。


先の話はともかくも、この"噂"それ自体は「汚れ仕事」に慣れたロンドール家の嗅覚に頼るまでもなく、非常に臭い、嫌な、作為と害意の込められたものだ。


――なにせ、2盗賊団の構成員は一人として街に帰っていないのだから。

這い出す魔物があるため、あまりに至近での監視は難しいが、険しい山林の奥に「入口」があるとはいえ、要所を押さえれば"監視漏れ"の可能性は限りなく低くできる。その結果、もはや迷宮内で魔物に襲われるなどして果てた(・・・)と断定できる日数が過ぎていた。

故に真実を掴むことが困難となったわけだが、それがハイドリィに様々な可能性を考えることを、逆に強制しているのであった。


この噂は誰かが意図的に流したものであり、その候補である『老い馬叩き』の始末後も魔石の出回りが止まらないということは、他に黒幕が存在していることが示唆されている。

ならば、『鉄の渓谷』のことを2盗賊団に漏らした存在の候補は、ロンドール家か【紋章】家の関係者とその周辺に限られるか。ただし、いくつかの貴族家がナーレフに注目しつつあるとの情報が、ロンドール本家の他家監視班からもたらされているが、黒幕候補を現時点では他家にまで広げて考えすぎても仕方がない。

その場合は、【紋章】本家に報告した後に、常の通り手足となって"謀略合戦"を仕掛けるのみ。


ただし、少なくともハイドリィ自身(・・・・・・・)の目的のためには、以下の可能性を独自に検討する必要はあった。


■候補その1:モーズテス

ハイドリィの改革に敵対的な上級工作員であり、これが追い落としのための"罠"なのだとすれば、一番可能性が高いだろう。しかし、この厄介な年長者はリュグルソゥム家の生き残り討伐において死亡したと伝えられている。

【紋章】本家へ接触した形跡がずっと無いことからも、死んだこと自体は事実だろうとハイドリィは考えていた。


■候補その2:【騙し絵】のイセンネッシャ家

その死が偽りであるならば――例えばモーズテスがそれまでの忠誠も実績も何もかも捨てて【騙し絵】家に亡命して、【紋章】家の財力を支える一要素たる『鉄の渓谷』の秘密について洗いざらい喋った可能性も、無いとは言い切れない。

しかし、そのようなことを【継戦派】全体が許すとは考えにくい。【紋章】家も【騙し絵】家も、王国第3位と第2位にして派閥の領袖であり、その対立や迂闊な陰謀の仕掛けは、他家を芋づる式に巻き込んだ凄惨な"謀略合戦"を招きかねない。

ハイドリィ自身、最近のギュルトーマ家との「取引」の目眩ましとして、手頃な【測量士爵】家を一つ取り潰したが――国全体を巻き込んだ"謀略合戦"とは、そのような手打ち(・・・)で済むようなものではないのである。


だから、もしも自分が【騙し絵】家の立場で、本気でモーズテスを利用するならば――こんなぬるい(・・・)仕掛けは絶対にやるはずがない。『鉄の渓谷』は【紋章】家にとって、失ったら痛い"経済要素"ではあるが、侯家が傾くほどの弱点ではないのである。


■候補その3:"無能者"の侯子ジェローム

ロンドール家のハイドリィ派工作員達から先日連絡があったことだが、寂れた小市アンズスールの代官に押し込められていた【紋章】家第一侯子ジェロームが、関所街ナーレフに向かっているとの情報がある。

彼は、ハイドリィにとっては主家の御曹司であり、【紋章】家の暗闘領域においては監督役であるはずだが――そんな重要な役目を任された事すら理解せず、"鷹から産まれた土鳩"と蔑まれる男である。


十中八九、立場を脅かされたことに焦って動転した挙句、動けば何とかなると思ってヤケ気味に怒鳴り込んでくるためであろう。そのジェロームが、乾坤一擲に窮鼠猫を噛むが如く、意外な食らいつきを発揮でもしたのか?

確かに偶然の可能性は高いにせよ、タイミングは符丁していると言わざるを得ない。これもまた、自分が逆の立場であれば、例えば『鉄の渓谷』から得られる富を自分のシンパ達に流しつつ、その責任を代官に負わせて【紋章】家自らの手で排除させるなどの策を練るだろう。


……問題は、過小評価でもなんでもなく、ジェロームはそのような"曲芸"とも"腹芸"とも無縁な、貴族としては「落伍者」でしかない出来損ないだということだが。


■候補その4:【紋章】侯ジルモ

これが実際には最も恐ろしく、ハイドリィとしては避けたい可能性である。野心はともかく、ハイドリィの「逆心」までもが、あの冬の大鷲のように厳しく鋭い眼光に見透かされていた場合は、そもそも詰んでいる。

だから、これが暗にハイドリィに、叛心なぞ見抜いているぞという警告であると受け取れなくもない。ただし、【騙し絵】家と同じような理由で、やり方としては迂遠でわかりにくい手段を選んだ理由が説明できないが。

暗闘相手の他家と異なり、ロンドール家にとってディエスト家は主家なのだから、それを伝えようと思えばもっと直接的な手段を取ることだろう。


「仮にそうだったら、私は今ここで安穏と書類の決裁などしていない、か」


確信があった。

『鼠捕り隊長』"梟"のネイリー。

もはや年齢がいくつであるのかなど全くわからない、枯れ枝のような、しかししわがれたまぶたの裏に鋭い眼光を秘めた老人だが――その正体は【紋章】家に仕え、ロンドール家を監視する、【紋章】侯直属の間者である。

この事実を、ハイドリィは幼少期に偶然知ったに過ぎず、誰にも語らず心に秘めてきた。


つまり、ハイドリィは「そのことを知っている」ということを、ネイリーにすら知られないように努めているのである。表向き、この老間者はあくまでロンドール家の重鎮として振る舞っており、彼ら"闇"に生きる者達の社会においてもそう認識されているからである。

己の"傅役(もりやく)"でもあったネイリーをハイドリィは苦手としており、同時に恐れており、仮に【紋章】侯ジルモに自身の逆心が知られているならば、とっくの昔にネイリーによって殺されているはずである。


だからこそ、ハイドリィにとってこの老間者は、どこかのタイミングで必ず排除しなければならない存在であるのだが、それはまた別の話。


今、自分が生きていることそれ自体が"賭け"に勝ったことの証左であり、その意味でも2盗賊団の一件がジルモの仕掛けであるとは考えにくいのである。


ならば、やはり奇妙な偶然が重なったか。

この時、ハイドリィの頭に一人の怪しい人物の口の端を釣り上げたような笑みが浮かんだ。


(部下を見事な手際で始末してくれたものだ――『酒場の人物鑑定士』とはな。大層なあだ名をつけたじゃあないか。奴が間諜の可能性は、あるな)


あの、怪しさが服を着て歩いているような旅人オーマ。

なにやら、その者の"隠れた才能"を見抜く特異な眼力によって、静かにそのシンパを増やしつつあるという。

裏通りに近い酒場『木陰の白馬亭』を拠点にして、いつまでも居座る構えを見せている。今のところ、彼の行動や煽動は結果的にはナーレフに拠点を構える旅人や商人達などを増やす方向に作用しているため、表立った害となっているわけではないことから、ハイドリィは静観の構えを取り、半ば放置していた。


だが、そのオーマにつけていた監視役が、2盗賊団の抗争に巻き込む形でまんまと始末し仰せていたことを、ハイドリィは最近ようやく突き止めた。


死体は見つからず、しかし巧妙にも定時連絡が偽装されていたため、発覚が遅れた。入隊して日が浅いとはいえ、『鼠捕り隊』独自の連絡手段について口を割らせたのだ。オーマ自身か、彼の不愉快な配下達の中に、尋問か拷問のプロがいることは確実であった。

見かけ以上の工作能力を持っていることは厄介であり、自分の知らないところで『老い馬叩き』と何らかの協力関係を結ぼうとしていた可能性は小さくない。


――この時、ハイドリィは『鉄の渓谷』という【紋章】家の秘密が直撃されている、ということの事実をかなり深刻に受け止めていた。そして、それが彼の分析の方向性に影響を与えた。

『謀略の獣』の実働部隊を担う中級貴族の指導者としての"常識"から、仮にオーマが2盗賊団をそそのかした「実行役」であるとしても、それは彼が上記の"各候補者"達か、あるいは他家の工作員であることを裏付けるものである……と考えたのであった。


(その場合、【騙し絵】家の走狗というのが最も厄介だな。さすがに【破約派】の介入はまずい、そちらの監視を強化……そうだ、それにかこつけてネイリーをしばらく他所へやってしまうか)


方針を定め、ハイドリィは『ステンドグラス』に向けて、いくつかの『紋章石』を組み合わせて魔法を発動させる。

すると、部屋の"結界"を構成する8つの『紋章石』の内1つが不意に魔法的輝きを失い――。

それを合図に、いつの間にか、一切の気配を感じさせず、まるで開けた窓からいつの間にか枯れ葉が舞い込んでいたかのような静寂とともに、その老間者がハイドリィの死角に佇んでいた。遅れて気配を感じ、鷹揚にそちらを向くハイドリィ。

その表情には――「守り」の意味での"微笑み"が浮かべられている。


"梟"のネイリーは枯れ枝のような老人であった。

濃い紫の礼服に身を包み、禿げ上がった頭にはわずかばかりの白髪がへばりついておるのみであり、まるで水分の抜けたミイラが棺桶から這い出したと言われても納得しそうなほど、しわがれた老人である。

ネイリーはハイドリィを一瞥してから、軽く片膝を着くように身体を上下させ、敬礼の意を伝える。


風が吹いただけでも飛ばされてしまいそうなほど頼りない老人であったが、ハイドリィは微塵も侮ることは無い。

世間には側近の一人として認識されている老間者を、まるで敵であるかのように油断なく微笑みかける。


両者の沈黙を破ったのは、老ネイリーの方であった。


「ほう、ほう……はて、お呼びですかな? 誤解ですかな? 爺やは近頃、耳が遠くてですのう」


「戯言を。侯子殿下がこちらへ向かっている、このタイミングでな」


前置きはわかっている、と言わんばかりにネイリーが続きを促す。

老間者の反応を見通そうという試みが成功した試しは無かったが、それでもハイドリィはネイリーの一挙手一投足に注意しながら、言葉を続ける。


「万が一にも【騙し絵】家と連携されたら厄介だ……今の情勢下で、連中がすぐに仕掛けてくるとは考えにくいが、いろいろときな臭くてな」


「ほう、ほう。気がかりは、やはりあの『人物鑑定士』ですかな? あれは、近頃の若者にしては珍しく小気味良いですからのう」


「『鉄の渓谷』の存在がこんな形で世間に露見した以上は――せめて【紋章】家の利益を追求するしかあるまい? だが、そこに【騙し絵】家か、他の魔導侯連中の思惑が絡んでいると厄介だ。そしてこのタイミングでジェローム侯子が来る」


「馬鹿なことを考え出さない者がいない、とは言い切れませんな」


「そうだ。その通りだ。ネイリー、【破約】派の監視と撹乱に力を割いてくれ」


「……ほう。よろしいので? "森ネズミ"達の見張りが緩くなりますぞ。これも若がいたずらに手足を切り落としすぎたばかりに、こんな隠居爺まで老骨に鞭打つ有様で。モーズテスの若造がこの場にいれば面倒事を押し付けられたのにのう」


裾で目元を拭うような仕草を見せるネイリーであるが、それがつまらぬ芝居であることもハイドリィにはお見通しである。だが、いちいちそれを指摘したりたしなめたりするつもりも無い。

ロンドール家の重鎮でありながらも、ハイドリィに与した老間者を邪険にすることはできなかったからである――事実、ネイリーはハイドリィの「表の勢力になる」という構想の支持者であった。


それは父にして現ロンドール伯たる老当主に、かつて強く否定され、諌められた想いでもある。父曰く、才能の発露を、野心による増長と混同してはならない。

闇に生きてきた"ドブネズミ"が、己の故郷である下水を離れて日の下で踊り明かそうとも、染み付いた腐臭を無くすことはできない――その領分を弁えてきたからこそ、静かに、そして目立たずロンドール家は【紋章】家の懐刀であり続けた、と。


無論、そんな蜘蛛の巣の生えた古臭くて小うるさいだけの主張に同調する保守派の勢力は、モーズテスの死を契機に一気に衰えつつあった。故に、ロンドール家の重鎮たるネイリーのハイドリィへの賛意は大きな意味を持つ。


……だから、事実上の独立(最終目標)の話はできずとも、『森の兄弟団』を利用した現在進行系の"企て"については、ネイリーの意見を聞き、また指示を下して、具体的な工作をさせることができる。

老間者ネイリーの存在はハイドリィにとって大きな後ろ盾であり、いずれ排除しなければならないとしても、機を慎重に計らねばならない。


「わかっているだろう? 事が動き出した。『森ネズミ』どもの監視だって、次の段階に移行する時機だ――少し早いが、想定の範囲内だ。ここからは蠢動させてやれ。今、他家にも【紋章】家にも介入されるわけにはいかない。だから、お前ほどの工作員を遊ばせるわけがないだろう」


ふと、ハイドリィは老ネイリーの、しわがれたまぶたの奥の眼光がふっと憐れむような、あるいは優しさを帯びるような、とにかく鋭すぎる眼光が"和らいだ"かのような錯覚に襲われた。

それは違和感にも近い、意外な感覚であった。


「若君、いや、ハイドリィ坊っちゃん。爺やの老婆心からお聞きしますがのう。他に、見落としはありませんかな? ほう、ほう」


「……街道を騒がせる『炎の魔獣』のことか? あれも当然、討伐する。近々布告を出すつもりだが、それで"泉の貴婦人"はさらに力を落とすことになるだろうよ。だが、ふむ。言われてみれば、これも確かに想定より早い(・・)"季節移り"だが――」


「ほう、ほう! よくわかりましたとも。この爺やにお任せあれ、差し当たっては……そうですな、ジェローム侯子に妙な虫(・・・)がつかぬよう、牽制でも入れておきますかな」


ハイドリィに皆まで言わせず。

ネイリーが言葉を打ち切って早々に己の行動指針を定め、深々と一礼をする。先ほどまでハイドリィが感じた"違和感"は消え失せており、いつもの「圧」たる気配を枯れ木のような身体の内側に秘めた調子が戻っていた。

そしてハイドリィは――それを"気のせい"として切り捨て、早々に忘れてしまったのであった。

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