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半魔-0001 反骨の半ゴブリン①

【2日目】


『ヒュドラの庭』または『最果て島』と魔人族に呼ばれる、絶海の孤島がある。

その名の通り恐ろしき海魔ヒュドラの縄張りのど真ん中にあり、少なくとも【魔界】の為政者側に属する者達には、よく知られた土地の一つだ。

地図の端を飾る「最果て」の道標、あるいは"罪人"の流刑地の一つとして。


ここ(・・)がどういう場所であるか、亡き母から幾度も繰り返し聞かされた"故郷"の話を、ル・ベリはこの時も反芻していた。


土牢に叩き込まれてから3日。

受けた暴行の傷跡も多少は癒えてきたが……この回復力は父親(ゴブリン)譲りのものなのだ。母を、ゴブリンなどとは比べ物にならないほど高貴な存在である"魔人"たる母を破滅に追いやった、そんな"下等生物達"の血によって、今自分は永らえている。

そう考えると、どうしようもない怒りが湧き上がってくる。

――誰が(・・)自分の生物的な意味での父なのかさえわからないル・ベリとっては、ゴブリンという種そのものが憎悪の対象となっていた。


口に噛まされた縄を、歯茎から血が出るほど激しく噛みしめることしかできない。

丈夫さだけが取り柄の、ナズル木の蔦で両手も両足も縛られ、屠殺前のシカみたいに転がされているのだから、それがせめてもの抵抗であり発散であった。


しかし、今彼の頭を支配しているのは、過去に何度も抱いた憎しみとは別の事柄に対する怒りである。


(全部クソッタレのグ・ザウの野郎のせいダ!)


最低限の食事を無理やり流し込まれる時以外は、ずっとこの状態が続いていた。

憎い者の名と顔を思い浮かべ、ル・ベリはギリギリと蔦を噛みしめる。


(成功するまでに、何年かかったと思ってル! 愚図で大バカのゲ・レレーも、絶対に許さン!)


事の発端は4日前。

最果ての島のゴブリン部族である『レレー氏族』の獣調教師(ビーストテイマー)であったル・ベリは、長年の苦労の甲斐あって、島の巨獣ボアファントを餌付けすることに成功していた。

……が、族長長子のゲ・レレーが、その仔を屠殺して(うたげ)に供してしまったのである。事前になんの相談も無く。


ル・ベリは見た目こそ浅黒くずんぐり醜いゴブリンの特徴が強かったが、知能と才能は魔人族であった母を受け継いでいた。

そしてゴブリン達なんぞには理解もできないことであるが、生まれつき、純血の魔人族ですら珍しい【後援神】の歓心を買っていたのである。


如何なる戯れでか半ゴブリン(ル・ベリ)に力貸したるは【嘲笑と調教の女王オフィリーゼ】。【黒き神】の眷属神が一柱にして、生ある者を手懐け玩具とすることを権能とする存在である。

嘲笑と調教の女王(オフィリーゼ)】の歓心によって、ル・ベリは野生の鳥獣を手懐ける行動に大きなボーナスを授けられていた。


かつて母から聞いた"故郷"では、野生の獣を家畜化して肉とし、また使役して食料の心配を減らしていたという。

それに倣ってル・ベリは森の鳥獣を飼いならすことに成功し、レレー氏族の食糧事情は改善され、島のゴブリン諸氏族の中で頭角を現すようになった。


ル・ベリには夢があって、それは死した母の"故郷"をいつか訪ねたいというもの。賢かった彼はそのためにこそ、嫌悪するゴブリン達に従い、時にへつらい、奴隷のような扱いにもめげずに、力を蓄えてきたのである。

だが、それも今や水泡に帰した。


森の巨獣たるボアファントの牙は武器にも装身具にも良く、毛皮は分厚くて冬を越すのにこの上ない一品。肉は脂肪がたっぷりでやわらかく食いやすい。

長大で棍棒よりも重い一撃を加えてくる長鼻こそ危険だが、これも手に入れることができれば、非常に有用な食材・道具の材料となる。

本来、ボアファントを狩るにはレレー氏族では十数体もの成年の雄を駆り出さねばならず、それでも数体が死ぬ可能性がある。

氏族内での自らの地位を上げるために、ル・ベリは何年も前から、密かにボアファントの餌付けに力を注いできたのである。


だが【嘲笑と調教の女王(オフィリーゼ)】の歓心を得たりとはいえ、ゴブリンにすらも劣る貧弱な半ゴブリンの身。

初めは失敗の連続で、ボアファントの鼻に匂いを探り当てられ、近づく前に命からがら逃げ延びねばならなかった。

それでも根気強く、粘り強くボアファントの生態や特徴を調べあげ、執念とも言える情熱でもって、ル・ベリは餌付けに成功したのである。


鍵は巨獣の好物である青い果実である『ポラゴの実』と、その敏感な嗅覚をごまかす『夜啼花』の花びらの粉末であった。

この花びらの粉末はボアファントの嗅覚を狂わせ、本来とは違う方向から匂いがするように感じさせる効果があった。

好物たるポラゴの方はずっと前に発見しており、ル・ベリにとって必要なのは、ボアファントの警戒をかい潜って餌をやれる距離まで近づく手段であったのだ。


この発見が【嘲笑と調教の女王(オフィリーゼ)】の加護なのかはわからないが、一度でも手づから餌付けすることさえできれば、ボアファントを完全に手懐けるまでに、それほど多くの時間はかからなかった。

隠し通すこと1年、手懐けたボアファントがたまたま仔を産んだのを機に、ル・ベリは「成果」を氏族へ持ち帰ったのである。


だが、ル・ベリの活躍に嫉妬する者がいた。

氏族唯一の祭司(ドルイド)であったグ・ザウである。

グ・ザウは他氏族からの流れ者で、ゴブィザードとしての力量は二流以下であるが、それでもレレー氏族唯一のドルイドであったため、族長家から相談役のように重用されていた。


一般的にゴブリンの社会では、単純な暴力が尊ばれ、力の強い者が氏族を率いる地位につくことが当たり前である。【魔人】の血も引いていたル・ベリは、年齢だけで言えば氏族でも最年長と言って良かったが――例えば"年功序列"といった文化はゴブリン達の間には存在しない。老いて力が衰えれば当然追い落とされるし、またそもそもゴブリンとしては非力であったル・ベリは、その意味では最初から"老ゴブリン"のような扱いが変わったわけではない。


レレー氏族はなどはその典型であったが、グ・ザウはゴブリンには珍しく強者にうまく媚びる術を心得ており、またドルイドとしても簡単な占術を行えたため、相談役に収まることができたのである。


逆に言えば、たかだかそよ風を起こす程度の魔術と、当たらないことの方が多い占術なんかより、もっと有用な「技」を持つ者がいれば、単純なレレー氏族長はあっさりと相談役を代えるのである。

ル・ベリはゆくゆくはレレー氏族を掌握し、島内の敵対勢力を統一して、いつの日か「船」を作りたいと考えていた。

母の"故郷"を見てみたい、いや、今は物言わぬ髑髏(しゃれこうべ)となった母を"故郷"へ帰してやりたい、そんな願いを持っていた。


だが、地位を奪われることを恐れたグ・ザウが族長の長子ゲ・レレーを唆し、ボアファントの仔を殺して食ってしまった。

ボアファントは牙が生涯伸び続けるため、あまり伸びすぎないようポラゴの実を定期的に食って適度に研ぐ、という性質がある。

まだ、牙も生えていない幼獣のうちに殺さず、成獣まで育てれば、死ぬまで良質な牙が採れたというのに!

あまりにも愚かで、短絡的な族長長子の行動に憤る間も無かった。

我が仔を殺されたことに気づいた母ボアファントが大暴れし、氏族の集落を半壊させて、何処かへ逃げ去ってしまったのだ。


少なくない死者が出て、その責任はすべて「災いを運びこんだ」ル・ベリに帰せられ、今こうして土牢へ放り込まれているわけだ。


グ・ザウはル・ベリの秘密兵器である「夜啼花の粉末」を奪った。

それを有効活用して「逃ゲタ『災イ』ヲ討チ取ッテ来テヤル」などと、醜い顔をしわくちゃに歪めて言っていた。


(馬鹿な奴ダ、たかがそよ風を起こすのに魔力を使い過ぎテ、頭の血管が切れたに違いなイ!)


ル・ベリはグ・ザウの風魔法の実力を過小評価しているわけではない。

そうではなくて、グ・ザウとゲ・レレーが逃げたボアファントの力を過小評価しているのだ。


(狩猟隊がたったの6人だト!? 皆殺しになってしまえばいいんダ!)


所詮は腕力でしか物を考えられない愚図どもなのだ。

大方、「軟弱」なル・ベリに手懐けられたのだから、ボアファントの中でも貧弱で落ちこぼれた雑魚に違いない、とでも思い込んだのだろう。


グ・ザウもゲ・レレーも、レレー氏族のクソ劣等生物(ゴブリン)どもなど、みんな死んでしまえば良い。ゴブリンの種族技能【悪罵の衝動】に突き動かされるまま、ル・ベリは心の中で尽きることの無い呪詛悪罵を吐き続ける。


彼はこの日もまた、凄絶な笑みを目に浮かべていた。

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