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血契-0002 心臓をめぐる愛憎①

9/30 …… 『長女国』と吸血鬼の関係にかかる描写を追加


   ***


~~『馬商人アルノットの報告書より抜粋』~~

(同報告書の全文は『長女国』王立図書館の"封印書庫"に保管中)


愛しいメイベル……こんな任務さっさと放り出して君のところに帰りたいよ。

あのクソ伯爵の依頼なんだ、内容をもっと確認しときゃ良かった。


いや、泣き言書いても仕方ないか。


吸血鬼どもの王国は、常軌を逸している。マジでヤバいなんてもんじゃない。


……あぁ、くそ、どう言えば良いんだろうな。

なぁ、俺は別に頭が可笑しくなったわけじゃないからな? どう報告書書けって言うんだよ、くそ、垂れ流しにしてやるよ、もう!


なぁ。

例えばそうだな、椅子に座っていて腹が減ったら、どうする?

――椅子を食うなんてしないよな、普通。


でもさ、それが「吸血鬼(あいつら)」にとっては普通なんだよ。


だって、あいつらの「家具」は……そうさ、おぞましいが、本当におぞましいが、「人間」でできてるんだからな!


信じられるか?

俺の前任者――たって前の"潜入"は五十年も前らしいが、その時は単に「人間」が「豚」みたいに交配させられて、連中の血まみれの食卓に上がる程度の話だったじゃないかよ! ……いや、それだって十分イカれているが、俺は狂っちまったのか……ともかく、吸血鬼の「貴族」どもはとにかく良い趣味をしてやがるぜ!


人間でできた椅子! 机!

人間でできた衣装棚! 照明器具!

人間でできた処刑道具! 遊技盤!

オマケに人間でできた便所とキたもんだ!


冗談じゃねぇ、何が「畜人」だよ!

あいつら……あいつら、「人間」をなんだと思ってるんだ、あのバケモノ達は。

なんであんなバケモノ達が、俺達と同じような見た目で、同じような言葉を喋って、普通にコミュニケーションできるんだよ……絶対おかしいだろうが、こんなことって。

ル・ベリから小袋の一つを手に取り、中をあらためる。

中には最小サイズの【命石】数個と、それを砕いた欠片を埋め込むことによって寿命を延ばすことに成功していた【寄生小虫(パラサイト)】達である。そして、当然こいつらを埋め込むことになる部位は――。


ルクによって【精神】を破壊された"生き残り"のうち、比較的軽傷な若い男の頭髪を掴み、【命石】の欠片を埋め込んだパラサイトを頭頂部に這わせた。

すると、仮眠状態で死んだように身動き一つ無かったパラサイトがもぞもぞと動き始め――男の頭皮をガリガリと齧り始めて、小さな血豆を作りながら、その皮膚下へ潜り込んでいく。

多少呻くか起きて抵抗するか、ということもない。ビクンと痙攣しまぶたの裏で目玉がグルングルンしているように激しく眼球運動してから、男はまたがくりと倒れ、やがて生まれたばかりの仔鹿のように、震える手足を、まるで確かめるように頼りなさげに動かしながらも、必死に立ち上がるのだった。


――パラサイトに寄生された生物が、パラサイトが「身体の動かし方」を体得するために試行錯誤する、そんな独特の光景である。


「うわ……お大尽さんじゃなくて、お外道さんだったんですね……!?」


「オーマ様。種が明らかにならないうちは良いでしょうが、探知魔法によっては、これ結構バレやすいですからね? 【肉体】系統とか【活性】系統とか、後は【均衡】系統でも、多分いけます。なにせ、似たような現象を起こす魔物や技術は【人界】にだって、無いわけじゃないんですから」


「構わんさ。こいつらは実験台兼捨て駒――それにこの程度(・・・・)の"蟲"の存在を"探知"することができるのは、別に魔法使いだけってわけじゃあない。バレるならバレること前提で使うまでだ」


一人目の処置が上々であることに満足した俺が、ル・ベリ達に命じて手分けして他の連中にもパラサイトを植え付けようとしていると――アシェイリが、もう我慢できないとばかりに訴えてきた。


「それで、お大、お外道さん。この"生き残り"達を……食べろ、と? 本当にもらって良いんですか? 後悔しません?」


アシェイリが問うてくる。何やら失礼な呼び方をされたような気がするが、気にしないことにする。

……大分、渇血を我慢してきた様子だな。もう、幼馴染にバレるとか色々我慢の原因になっていた理性での押さえ込みが、効かなくなっている様子がうかがえた。


後先考えずに飛びかかることをしないあたり、これも大した精神力だろう――が、やはり気になるんだよな。別に目が血走っているとか、犬歯が鋭く尖ってくるとか、そういう俺の知識にある"吸血鬼"にありがちな特徴はどこにも見られない。

それよりは、むしろ飢えて空腹に喘いでいるような反応は、やはりどこまでも『人間』に近いのだ。啜り喰らうのが「人間の血」であることにさえ目を瞑れば……それも生きた人間の血(・・・・・・・)でなければならないというのは、偏食を通り越して業が深いなんてもんじゃない。


「そうだ。お前が"壊して"使い物にならなくなった連中で、まだ息がある奴らを楽にしてやれ。これは慈悲だ、そう思わないか?」


――というわけで。

せっせとパラサイト植え付け作業をする傍らに、人間とも魔人とも違う「吸血鬼」の生態もついでに観察させてもらうこととしよう。


……しかし、黙ってこちらを見、死にかけ(食料)と見比べているアシェイリ。


「どうした?」


「あの、ひょっとしてここ(・・)で……やれとか言っちゃいます?」


「早く血を啜らないと死ぬとか全力でアピールしてるのはお前自身だろ、何を遠慮してるんだ」


「……わかりました。それじゃ、ちょっと向こうを向いてて――」


「は? そんな提案は却下だ。とりあえず吸血鬼の"食事"風景に興味があるから、見せろ」


「「え!?」」


素っ頓狂な声をハモらせたのはアシェイリとルクだった。

だが、一切気にしない。その場で腕を組み、鑑賞モードに入る俺。

思わず声を上げたルクは頭を押さえ、何かを思い出したように頭を横に振った。


「……オーマ様、貴方様は――"魔人"は、いや、"迷宮領主(ダンジョンマスター)"はみんなそう(・・)なんですか? 私が言うのも何ですが、一体どういう【精神】構造しているんです?」


「? 何に悩んでいるのかわからんが、大いに悩め、青年。理解のできない物がこの世に存在することの神秘について考察するが良いさ」


「お外道さんですらなくって、お変態さんだったんですね……うぅ、背に腹は代えられません」


"血"の誘惑に抗えなくなっていたのか。

しかしその顔に浮かぶ表情は、どこまでも"罪"の意識に苛まれる囚人のようなもので――どうして「吸血」シーンを見せることに抵抗感を示したのかのヒントも、そこにあるのかもしれない。

飢えを凌ぐためとは言え、ルクがドン引きするぐらい酒場では暴飲暴食してたっていうのになぁ。


アシェイリが死にかけの強盗団員の下まで歩いて――四つん這いにかがみ、まるで肉食獣が狩った獲物の喉笛に食らいつくように、その首筋に噛み付いた。


――それからの10分ほどは、なかなかに見応えのある光景だった。

びくんびくんと痙攣する男、ごくごくと喉を鳴らすアシェイリ。

片方の「死」がもう片方の「生」に繋がるという倒錯性とでも言うべきか。俺は知的興奮がフル回転し、低俗な言い方をすれば「脳汁が出る」ようなテンションの上がりを感じていた。


襲撃と虐殺の痕が色濃い、血生臭い空間で行われる「食」を通した生死の舞踊とも言うべき光景は――実に良かった。

その意味では、ルクとミシェールの一件(・・)も非常に良いモノだったが……だからルク君、お前なんでこっちの考えてることが分かってるような、そんな嫌そうな顔をするんだよ、仮面越しにも分かるぐらいの目つきで。


そして、だ。

アシェイリの"食事"の、その最中。

俺は、初めてアシェイリに【因子の解析】をかけてみた。


この"現象"を俺の【エイリアン使い】は、何らかの因子として"解釈"するや否や――果たして、システム音から【肥大脳】が既に解析完了しているとの、ちょっと丁寧過ぎるメッセージが流れた。

ビンゴ。新しい【因子】が定義されたことを知らされた。


『――因子【溶血】を新定義。解析率:0.1%に更新――』


……なんじゃこら。

俺の「知識」を元に、俺に理解しやすい言葉で"翻訳"してくれたであろう迷宮核さんのセンスは信じたいが――これは、どういう風に受け止めればよいのやら。

生き血を啜るはずの『吸血鬼』持つ因子が――血を溶かす(・・・・・)などというのは、随分と謎掛けじみているな。少なくとも俺が元々持っていた創作上の吸血鬼に関する特徴とは、すぐには合致しない。

あるいは、アシェイリ達吸血鬼が生きていくためには、【人間の血を体内に取り入れる】必要が絶対にある、という事実と関係しているのだろうか。『血を溶かす』とは、そのまま"消化"的な意味ってわけか?


ううむ。


「なぁ、ルク。吸血鬼の【隷属種】には、噛んだ相手を吸血鬼化させる力は無いんだったよな?」


「えぇ、そうです……こんな悪趣味な光景を、よくもまぁ見てみたいなどと言い出すもんですね、本当に。いや、全くもって」


「どうした、ルク。"人間"と"吸血鬼"……異なる種なら、食い食われは当然ではないか? お前達だって肉を食らうだろうに」


「いや――わからない? 見た目が"近い"ってのが問題なんだよ、ル・ベリさん。頭じゃ違うってわかっていても、共食いを連想させられる。悪趣味な光景だよ、これは。なんでオーマ様は……」


「それだけ御方様が寛容であるということなのだろう」


「駄目だこりゃ――オーマ様。話は逸れますが、"これ"が吸血鬼(彼ら)人間(私達)と相容れない理由です」


「まぁ、存在自体が脅威なのは理解できるが……それならどうして、アシェイリ(こいつ)はこんなに人間臭いんだろうなぁ。そんで、どうして【人間の血】じゃないといけないんだろうなぁ」


ルクの知識にあった『報告書』と、アシェイリの証言によって裏が取れた、吸血鬼達の王国アスラヒムにおける凄惨にして"効率的"な「畜人」制度の概要が頭をよぎる。だが、そもそもなぜ「人間の血」でなければならなかったのだろうか。種族としての"吸血鬼"のルーツが、そうなった経緯が、非常に気になるのである。

ル・ベリの言うとおり、完全な「別種族」であるならば――アシェイリの"悩み"は、彼女が異常個体であることの証左と考えた方が、まだ楽なんだがなぁ。


興味深い、とても興味深いんだが……今は目の前の『長女国』を揺さぶるための土台作りと地道な仕込みに意識を戻す場面だ。愉しい(・・・)時間もそろそろ終わりに近づいてきていた。

血を吸われる男の痙攣が、いつの間にか無くなっていたのだ。死にかけだったのが本当に死体になっただけではあるが、まぁ、苦しむことはもうあるまい。


「げふ」と乙女にあるまじき生理現象を催したアシェイリが、口元を手でごしごしと拭う。

ぬらりと血が手の甲から垂れていた。

俺は自然と手をパチパチと叩いていた。

ソルファイドが特に動じず、ルクは頭痛でもしているのか頭を片手で押さえている。


「……どうですか、お外道さん。お望み通り見せてあげましたよ――これが吸血鬼(私達)です。あなたは、そのお貴族さんみたいに、魔法使い達と同じように、吸血鬼(私達)のことを嫌悪しますか?」


――へぇ?

おかしいな、アシェイリ。

その発言はまるで自分で自分を……と、意地悪な問い返しをしようとしたが、図らずも、ル・ベリが俺の言いたいことに近いことを先に発言する。


「妙なことを言うな、小娘。狼は肉を食らい、川鳥は魚を啄む。それがお前達の在り様なのだろう? それを、どうして御方様が"嫌悪"することなど気になるのだ?」


「……ッ! それは……」


口ごもるアシェイリの様子を見て、ルクが目をすっと細めるのに俺は気づいた。

あぁ、どうやら"察した"ぽいな。


……こいつは、俺の予想だが。

多分、今のアシェイリの躊躇は、彼女自身かあるいは幼馴染ユール君とやらの間にある"因縁"に関わっている。

ル・ベリの表現を借りるなら――なるほど、アシェイリとユールは吸血鬼(自分達)の"在り様"について疑問か迷いを持っている、ということか?


だってそうだろう。

牛肉や豚肉を食料として屠殺しておきながら、牛や豚に同情して飯も喉を通らない――だなんて"先進"的な思想が「この世界」に芽吹いているのでもないならば。

どうしてアシェイリは、まるで「人間の立場」から『血を啜る』行為を()んでいるだろうかねぇ。


「貴方達が"人食い"であることに、変わりはない。どんな理由があるのだとしても、"人間"達にとっては」


字面だけで言うならば突き放すような言葉ではあったが、それによって剣呑とした空気――にはならなかった。ルクがふっと張り詰めた視線を和らげて、それまでアシェイリに向けていたやや尖りある態度を納めたからだ。


「――まぁ、幸い()達は、吸血鬼(貴方達)には恨みは無い。ル・ベリさんの言うとおり、それが"在り様"で、それが貴女の苦しみならば、少し言いすぎてきたことは詫びる」


……といって、アシェイリがそれを素直に受け取れるわけではないだろうが。

ルクもルクで、別に仲直りやら急接近やらを望んだわけではないようで――彼なりのアシェイリへの接し方について、方針が決まったというようなところ。そんな「人間臭い」両者の微妙な応酬を、いつもの苦虫顔で観察しているル・ベリ。


まぁル・ベリのことは置いておいて――これは、根が深いな。

【魔界】産のゴブリンが元は"何"だったのか、ということと同じぐらい、深く暗澹たる因縁がその根源にあるという直感が働いてならないな、こりゃ。


これは、アシェイリの幼馴染ユール君との邂逅が楽しみだが、さてはて。

俺は話を戻すために、一行を見回して手を軽く叩いた。


「OK、OK――ここで会議だ、アシェイリの腹の虫が収まったところで、とにかく会議にしよう。斯くして即席の"捨て駒"集団が出来上がったわけだが――こいつらを、どの迷宮(・・)に放り込むのが一番効率的だと思う?」


言いながら、俺は【魔石】入りの袋を振ってみせた。

さぁ、次の一手を打つ時だ。


   ***


ユールもまたアシェイリと同じく、アスラヒム王国の隷属種(サヴァント)階級の吸血鬼であり、【里】で「暗殺者」として育成された――それを単なる"育成"と言えるかは、外の者にとっては眉をひそめるような訓練内容だろうが。

齢10を迎えるまでに7割が死に絶え、訓練の一応の完了となる齢13までにさらに半分が命を落とすほど、それは過酷なものである。これだけの凄惨さが、近年『長女国』との戦いを膠着状態にまで引き戻すに至った、アスラヒム王国軍の精強さを支える礎となっている。


ともかくも、幸か不幸かユールは生き延びた。

そしてこれは他の【里】でも同じことだが、サヴァント達を消耗品としか考えない従属種(スクワイア)階級の吸血鬼達によって、"訓練"という名の厳しい生存競争を勝ち抜いた新米達には、最後の通過儀礼(イニシエーション)として「使命」が与えられる習わし。


――だが、実際のところ、これは正式な「任務」とは異なり、言うなれば"遊び"である。なにせ、肝心の使命内容については、ほとんどはスクワイア達の野心や思惑または欲望によって気まぐれに決まるのだから。

やれ「百年に一度しか咲かない貴重な薬草の花卉を収穫してこい」だの、「『長兄国』の駿馬と交わってこい」だの、事実上実現不可能なものを、特に深い意味もなく、ただただ嗜虐的な戯れのためだけに選ぶことがある。おまけに、稀にではあるが、そうした戯れがさらに上位たる貴族種(ロード)――時にはさらにその上位――の吸血鬼達から下されるわけだが。


……それ以外にも、始末に失敗した「反抗分子」や、自分達の立場を脅かす従属種(同格者)への昇格可能性がある「優秀個体」を、すり潰す手段となることも多い。そしてユールの場合、その両方に該当すると彼の"親"たる従属種(スクワイア)に見なされていた。


(今日も荒れてるな……)


気配を消し隠形に身を包み、低位の【闇】魔法をも重ねて己の存在を『部屋の主』に悟らせない。

相手が探知魔法か【光】属性に特化した魔法使いであれば、こうも上手くはいかないのだが――現在の監視相手である「部屋の主」が持つ探知手段は、ユールにとってはすでに対策済みのものばかりだ。


(【魔導侯】の子ながら冷遇されているのも納得の無能さ、だな。相変わらず)


ジェローム=ディエスト。

神経質そうに髪を掻き毟り、次から次へと書状を書き連ね、時折り呼び鈴を鳴らして配下を呼んで何事か指示を下しながら、今にも倒れそうな顔色の悪さで呪詛の如き独り言を呟いている男。

『長女国』第三位魔導侯【紋章】のディエスト家当主ジルモの長子であるという、この国最高クラスの身分であるはずが――せいぜい一族のお家芸である『紋章石』をかろうじて使うことができる程度の魔導の才しか持たない。


魔法使い達の目を欺くための"技"をいくつも叩き込まれてきたユールではあったが、それであってもアスラヒムの「暗殺者」達の損耗率は非常に高い。

【聖戦】家の探知魔法などを筆頭に、目に見えない防御手段や罠を張ることのできる魔法使い達は、それだけ油断のならない相手である――のだが、このジェロームというプライドと実力の釣り合わない男に関しては、そのあたりの対策は非常に楽なものだ。


新米の訓練兵を相手にする程度の隠形と、用心の意味を込めた【闇】魔法による気配消し・視覚阻害を組み合わせればそれで事足りる。加えて、"里"の秘伝技術の一つである『蝙蝠術』により、実物の夜闇であれ魔法的な闇であれ、それらに紛れることによる隠形の効率を跳ね上げる。

"亜人殺し"はともかく、少なくともジェロームの如き実力では見破るのは不可能。

ジェロームの執務室の天井、吊り灯火の影に潜み、何重もの身隠し・隠形を重ね、『耳無しコウモリ』が獲物をじっと待つ時のように何時間でも静かに佇んでいた。


吸血鬼達の統治する【アスラヒム王国】と『長女国』の対立の歴史は根深い。

【懲罰戦争】によって幾度も辛酸を嘗めさせられてきたため、魔法使い専門(・・・・・・)の暗殺者の"里"をいくつも擁するようになる程度には憎悪が積もり積もっており――その分、"里"における隷属種(サヴァント)達の訓練と選別もまた徹底しているわけである。

死兵として突貫することが前提の「戦士」達を養成する"里"とは異なり、正体をバラさずに長期潜行できる能力も重視されるため、訓練内容には吸血鬼特有の"渇き"をコントロールする技術も含まれている。

ただし、忌々しき【聖戦】家の対吸血鬼専用(・・・・・・)探知魔法の"欠点"に関する情報がもたらされてからは、「渇きのコントロール」は里で最も過酷な訓練に変貌してしまったのであるが。


ともあれ、それをくぐり抜けたユール自身は、飲まず食わずでただ「見続ける」だけならば一月だってこの状態を維持できる。

それに「監視」を何日も泊りがけで行うのは、これが初めてではない。現在の地位を得るまでの数年間、暗殺者としての本領を発揮するというよりは、単なる潜入工作員のような下積みを行うことの方が多かった。"謀略の獣"とも称される魔法貴族達が相争う『長女国』を巡り渡ってきたユールからすれば、今回の"仕事"は、その内容というよりも――期間の長さ(・・)が問題であった。


(焦っているな、どいつもこいつも、焦っている。ジェロームだけじゃないさ、雇い主……【紋章】侯ジルモも、他の魔導侯の連中も、そして僕だってそうさ)


隷属種(サヴァント)の奴隷戦士や奴隷暗殺者にとって、初陣の「使命」には、時に絶望的なまでに実現不可能なものが与えられる。

だが、想定外はそれにとどまらない。なんと、彼の使命は使命ではなく――【大命】と呼ばれる類のものであったのだ。戯れに、非常に稀なる戯れとして、ユールの如き奴隷ではその声を聴くことすら断罪ものである【皇血種(リネッジ)】達の頂点に立つ「いと(たっと)き」存在から命じられたものであったのだから。


曰く「『長女国』に"乱"を起こせ」と。


そんなことができれば、両国の争いはこんなにも長く根深いものとなっていない。

アスラヒム最高の暗殺者や工作員を以ってしても、そんなことを容易に成し得るわけがない――従って、それは間違ってもユールの如き奴隷に下されるはずの使命ではない。

だが、そうしたまるで【人間】のような「運命の流転」が無ければ、ユールが"親"から下されるはずの任務は「『火山ナマズ』の仙椎を50個回収してくること」という、実質焼死を命じられるのと同様のものとなっていた。

それに比べれば……少なくとも「成し遂げるまでに確実に死ぬ」可能性は、まだ低いのかもしれない。あるいは問題の先送りじみた言い訳かもしれないが。


ともあれ、全ての吸血鬼達の"母"たる存在にして、アスラヒム王国の『生ける法典』そのものである皇血種(リネッジ)たる存在の言葉は絶対であった。


こうしてユールは、通過儀礼(イニシエーション)にしてはあまりにも壮大で艱難辛苦に満ちた「使命」を背負わされ、4年前に身一つで『長女国』へ放り込まれた。


だが「実現不可能」であるとはいえ、即死するような類のものではない。

それに「優秀個体」として"親"から警戒される程度には才能を秘めていたユールにとって、それは"外"の世界で大いに見聞を深め広めるのに役立つこととなった。

なにせ最終的に"乱"に繋がれば良いのだ。ユールの中に生み出された『使命人格』に対する"解釈"の余地はかなり広く取ることができ、現在はともかくとして、まず王国内での地位を築かなければならなかった最初の1~2年は、実質行動の自由を保証されたようなものであった。


そうして、ユールに大きな転機が訪れることとなる。


――使い潰され終わり果てるはずの一生に、生きる価値を見出せるような"出会い"があったのだ。


(早く王都へ戻らないと。日を開けすぎだ、リシュリーの体調は……ん?)


今回もまた、退屈だが、時の経過に焦らされるばかりの「監視」に終わるはずだと思っていた。

しかし、急にジェロームが普段と異なる行動を始めたのである。


他者を信じず、世界すら信じないほどにまで「こじれ」た結果として、自らの執務室に長らく引きこもった状態になっていたジェロームであったが……どうも"外出"の準備をしている。

荷造りを進め、屋敷に務める使用人達にあれこれと指示を飛ばし――自分がいない間の指示であるが――メイド達に持ってこさせた、機能性を重視した服装に着替え始めていた。そして、護身用かはたまたそれ以上の目的か、いくつもの【魔石】と『紋章石』を種類別に神経質に大小の袋に取り分けていき、全身のあらゆる箇所に仕込んでいく。


(この装備具合だと――おいおい、まさか"関所街ナーレフ"に行く気か……!? よりにもよって)


ユールの懸念はすぐに現実のものとなる。

「ハイドリィ」がどうとか「ナーレフ」がどうとか、大きな声で叫ばれてしまっては、疑う余地も無い。


(厄介なことになったな……リュグルソゥム家が滅ぼされてしまって、計画(・・)を練り直さないといけないってのに)


この時、ユールの中で『主人格』と『使命人格』のせめぎ合いが起きている。

放逐されたとはいえ、【紋章】家の長子である以上は本人の実力以上の影響力は持つはずのジェローム侯子が、政敵にして、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで地盤を固める野心者ハイドリィが統治するナーレフを訪れようというのだ。

必ずや何か、何か「乱」に繋がるネタを掴めるはずである――としてナーレフ行きを囁く『使命人格』。


一方で、ユール自身はユール自身で、『使命人格』の目を誤魔化しながらでも、なんとか達成しようとしている"目標"があった。そのためにも、王都に残してきた「恋人」の元に戻りたかったのだが……ジェロームの行き先が『関所街ナーレフ』であったことから、考えを改める。


――主人格のユールにとっても、そこで"確認すべき事柄"があったのだから。

『使命人格』と折り合いがつき、ユールもまた他の街への長期潜行のための準備を始めた。

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