本編-0085 関所街の昼と夜~「裏」編①
当初、ナーレフはその名の通りの関所でしかなかった。
亡国の民という不穏分子を閉じ込める檻であると共に、『長女国』と『次兄国』の山あいの国境を隔てる、見張り台や検問所などの集合基地のような役割である。
北と南に建つ二つの城壁じみた"関"は、中から外への往来をも厳しく制限する。それは、悪意を持って『長女国』へ入ろうとする者達にとっても「罠」となる――"入り"は良くとも、監視によりその不穏な企みが暴かれた時には、彼らもまた閉じ込められることになるのだから。
やがて交易拠点としての"旨み"に気づいた【紋章】のディエスト家により、集中的に資本と資材が投下されて、現在のナーレフの繁栄は成り立っている。
「……だから、征服された後の"街"としての歴史で言うと、十数年ほどしか無いことになるんだろう」
「ふむ。それでこの辺りはどの建物も、整然としているわけだ。よく栄えている――人間は、本当に栄えるのが上手い種族なのだな」
交易拠点ともなれば、商隊や旅人が集まるようになり、彼らの衣食を満たすような宿場産業が発達する。人の集積は娯楽や生活必需品の消費地としてのナーレフの規模を拡大させていく。
そうでなくとも従来は「関所」に詰める駐屯兵達があり、彼らの様々な需要を満たす意味で、人々の出入りと往来があったのだ。
峻厳な山間ながら、露天商や十日市が盛んになる下地自体は元から存在しており、そこに王国の最高支配者層の庇護の元、開発と投資が行われた結果、関所の内側には代官の住まう領主邸を中心とした整然とした町並みが新たに整備されていた。
なにせこの区域は元はワルセィレの祭祀達が住まう区画であったが、徹底的に破壊され魔法の暴威によって瓦礫の山とされており、開発しようと思えば一から作るしか無かったのだから。それほどまでにディエスト家の亡国統治は徹底的であった。
【土】魔法による、大地の災害への耐性を増した建材などによって建てられた建築物は、家屋や店舗などとしても活用される。もっとも、こうした建物に店を構えることができるのは、代官の認可を受けた一部の特権的商人達であるが。
その他にも露天商や行商を奨励するような広場、通りの整備など、商人の優遇が一貫したナーレフの経済策でもあり、『次兄国』の商人達を始めとした各地の商人が集うのである。
「……【魔人】も同じなのでは? オーマ様の言う通り、"人間"とそう大きく変わらないのなら、繁栄する社会的条件なんかだって、そこまでは変わらないと思うけれど」
「それもそうかもしれん――だが、俺はそれを見たことが無くてな。御方様のお造りになっている"母なる船"が楽しみで仕方ないのだ……空の高みから、我が母の生まれた『街』を見るのも一興だというもの」
午後の日差しが傾きかけ、しかし夕方にはまだ至らない小春日和と――肌を刺すような鋭い冬の寒さは、何十年ぶりかの厳冬を思わせる気配である。
見たものに得も言われぬ違和感を覚えさせる、男女の半顔が継ぎ接ぎされたような鉄仮面を被った青年と、秀麗な顔立ちを不愉快そうに歪め、一見すると筋骨隆々さすら感じさせる大柄な体躯を分厚い外套ですっぽりと覆った美丈夫。
商店が建ち並ぶ雑然とした通りを、人波をかき分けながら、しかしこれほどまでに目立ちそうな二人に注目する者は皆無であった。
「そうか……他の"魔人"を、お母上とオーマ様を除いては知らないんだったな、ル・ベリさんは」
「――人間ルクよ。お前の妻ミシェールは、そろそろ"母"になるんだろう? ならば、お前は"父"となるわけだ……教えてくれ、父とは何をすべき者なのだ?」
「これはまた、答えの出ない難事を気楽に聞いてくるなぁ」
ルクは、思案するように仮面をなぞり、しばし考え込む。その様子にすら、道行くすれ違う人々は気づかない。
それもそのはずで、ルクは少しばかり"本気"の【精神】魔法を発動させていた。
正確には、二人は実際には道行く人々には確かに見られているのだが――片端から彼らに【霞がかる容貌】で干渉し、認識を混乱させて、記憶に残りにくくさせているのである。
その効果は二人についていた。
無論、この魔法も万能のものではない。
例えば、予め二人の存在を認識している相手や、強い敵対心によって執着してきている相手には、撹乱の効果が効かない。
事実、二人を付かず離れずに一定の距離と自然さを保ちながら、交代で尾行を続ける者達があった。
……だが、それはむしろルクの望むところであり、併せて精神魔法【執着の移り香】によって、二手に分かれたオーマ側につくはずだった監視の目をもこちらに引きつけていた。
これらこそは、【支配】の魔法と同じく、かつて魔導侯であったリュグルソゥム家の"謀略の獣"としての側面を強調する暗い技に属すものである。
「少なくとも、俺の父は俺にとって厳しい人だった。厳しくこの世の在り方を教え、導いてくれる人だった……時々は優しかったかな」
「厳しく教え導く、か。だが、それは母親にもできることだろう?」
「――幼グウィースのことを意識してるのか。それなら、ル・ベリさん、貴方がお母上に教えられ、そしてやってもらったことをしてあげるのが一番なんじゃないか?」
「……ボアファントの仔はもっぱら雌が育てる。だが、ゴブリンにせよ人間にせよ――おそらく"魔人"にせよ、雄と雌が力を合わせて育てる。この違いはなんだ? 父の役割とは、けして母の代わりではないというのはなんとなくは分かるが――」
「あぁ……まぁ、動物や魔物の場合は雄と雌で体格が違いすぎるから。それに人間だって、文化や身分ごとに大分変わるかな。例えば、ネレデ南海のとある諸島の未開人部族では――」
本題から学術的な議論に脱線しつつ、それに熱中し始めるが、無論、二人は尾行者達の存在に気づいている。そのことについての、目配せによる無言の会話は成立していた。
尾行者達の年齢は、体格は、身のこなしは、得物は……などなど。そんな情報をそれぞれの得意な手段で確認しつつ、しかし撒くでもなく、これから向かうところへあえてついてこさせる。
今二人が向かうのは、ワルセィレ旧都の平民市街地であり――ナーレフの発展に伴って、そのまま貧民窟の様相を呈し始めている区画である。
ただし、オーマ一行がこの数時間後に訪れることになる区画とは異なる。
「話を戻すが、そう都合よく『買い手』が見つかるか?」
「……まぁ、任せてくれ」
ル・ベリから受け取った【魔石】入りの小袋を一つ、片手でお手玉のようにぽんぽんと放り弄びながら、ルクが仮面の下でにっと笑う。オーマからの指示の一つに、【魔石】を売り捌いてまとまった軍資金を手に入れるというものがあった。
……ここで、あえて【魔石】を使うというのも重要である。この一手は『長女国』全土への迷宮開放の布告を利用して、関所街ナーレフに必要以上の"関心"を呼び集めるものとなるだろう。
その条件を満たす『買い手』としては、欲深く、しかし頭が回り、迷宮への挑戦にも関心があり、野心を持ち、表にも裏にも一定の人脈を持った「不良商人」などだろうか。ただし、現時点で足をつかせないために、誰と取引したかは覚えさせない。その意味でも、既に『長女国』に義理などない復讐者と化しているルクこそが適任であった。
元魔導侯子の青年は、少なくともこの手の輩は法の目を逃れ、スラムに拠点を構える者が多いということを経験的に理解している。
二人が向かうのは"そういう場所"である。
今も征服された亡国の住民達が移動の自由を奪われ、縛りつけられたまま農奴として食料生産に従事させられている。そして彼らの間で『森の兄弟団』という秘密結社が暗躍し、それを取り締まらんとする代官ハイドリィの『鼠捕り隊』という名の秘密部隊が闊歩する。
適度に治安が悪く、非合法な活動をする者達にとって、これほど身を潜ませるのに好都合な地区があろうか。
しかも、ハイドリィ自身は【紋章】家が"薄汚れたドブネズミ"たるロンドール家の次期当主。自身の利益と対立しない限りは、表の組織とも裏の組織とも、適度な距離感で利用し合うバランス感覚は備えている。
結果、この数時間後にオーマ一行が見ることになるように、虐げられるは旧ワルセィレの縛り付けられた住民達ばかり、というわけである。
「選り取りみどりかな、おそらく」
交易利権を求め、あるいは「迷宮開放」で生まれる新たなパイを求めて、様々な非合法組織や闇ギルド支部がスラムを根城に勢力進出してきていることだろう。
それを探ることは、リュグルソゥム家の血を引く者には容易い――【精神】魔法それ自体も効果的であるが、それ以上の"知識"がルクにはあるからである。
そして、少なくとも「ナーレフ」としての街の歴史は、まだ十数年しか無い。
ロンドール家の巧みなバランス調整により、ナーレフの「夜」を牛耳る勢力の序列関係は非常に流動的。王都や他の主な大都市のように、裏で総元締めとして縛り上げるほどの支配関係にはまだ至っておらず――そこにオーマの名代としてルクもまた介入する余地があるのである。
……それから数時間。
『尋問』のプロと『拷問』のプロの手により、一晩のうちに明らかとなった関所街ナーレフの都市内諸勢力は以下の通りである。
◼︎ロンドール家代官邸
この街の支配者であるハイドリィ自身が【紋章】のディエスト家の"闇"を司る走狗であり、利権の調整や暗闘領域における実戦経験が豊富であることから、最も力を持っている勢力であるとも言える。
統治する役人集団もロンドール家の息のかかった者達で占められており、【紋章】家からの派遣者達は徐々に取り込まれるか、閑職に回されるか……他の都市よりも頻度の高い"転属希望"によって、実質的な力を持つ者は皆無である。
治安機能は街の守備兵や衛兵に任される一方、『ハイドリィの鼠捕り隊』と呼ばれるロンドール家直属の工作員集団が、暗闘と秘密警察の役割を一手に引き受けており、特に『森の兄弟団』の狩り出しでは手段が問われていない。
また、以下がハイドリィ政権の幹部で要注意な者達。
・魔導顧問:"痩身"のサーグトル
・守備隊長:"巨漢"のデウマリッド
・魔導兵長:"堅実"なるヒスコフ
・鼠捕り隊隊長:"梟"のネイリー
◼︎奴隷商会連合(略称:奴隷連)
非合法組織ではないが、その"業務"の性質上、多くの「ならず者」組織との繋がりが強い。ただし『次兄国』の有力な"参事"輩出組織の一つであり、いくつかの都市では市長を占める外国政治勢力でもある。
『長女国』では【懲罰戦争】の歴史と影響もあり、亜人や人間以外の知性種の権利が特に低いため、多くの都市に『奴隷連』の支部を配置している。
「ナーレフの場合は、開発のための重労働力の供給者として入ってきている」
「つくづく人間とは不思議なものか。同じ種族でさえ、"奴隷"として売るのか」
「魔人は違う、とでも?」
「なるほど、それができるだけの力の差あればこそ、か。仮にそうだとすれば、等しく不可解なことだろうな」
「――人は"平等"だとでも?」
「ルク、俺からすれば"魔法"を使える使えないなどは、ボアファントの牙が長いか短いかの違いと同じようなものだ……乱暴な言い方かもしれないがな」
その他にも『長女国』全般的な話で言うならば――魔導の"研究"に熱心な魔法貴族達が多い、と言えば、どのような用途が多いか想像できるだろう。
また、今後「迷宮の開放」によって更なる労働力需要の増加が見込まれており、奴隷連長女国総支部内において、ナーレフを含む『迷宮を近郊に抱える』都市の支部の発言力の増加も予想されるところである。
■付呪士協会(略称:付呪協)
武器や防具、そして道具に特別な"魔法効果"を付呪する技術を持った魔法使い達を取りまとめる大組織である。奴隷連と同じく、必ずしも「裏」の組織というわけではないが、その設立には『長女国』最強と謳われる魔導侯たる【魔剣】のフィーズケール家が深く関わっている。
実質、その「付呪利権」は【魔剣】家に握られていると言っても過言ではなく、付呪士協会は、ちょうど【紋章】家にとってのロンドール家のような立場にある。
「まぁ、ロンドール家が"走狗"だとか"犬"だとか呼ばれるのに対して、付呪協は"金庫番"とか言われているけれども」
「自らは動かず、手先を扱う者ばかりだな」
「組織が巨大化する宿命みたいなもんかな、それは。弁護するわけじゃないけれど、魔導侯達も為政者だから、その分やるべきことも仕事も多い……ちょうど、オーマ様のために我々がこうして働いているように、ね」
「なるほどな」
【魔剣】家もまた、ルクにとっては復讐対象である魔導侯の一つであるが――"金庫番"と呼ばれるように、付呪術士協会自体は商人的性質が強く、謀りの領域における十分な情報が得られるかは未知数なところがある。
また、伊達に『長女国』最強の座を【御霊】のリュグルソゥム家と争っていたわけではなく、【精神】魔法に抵抗するような特別な"付呪"を備えた道具を抱えていることも多く、警戒が厳重であることもあって、相手にするには非常に骨が折れ、調略のために時間がかかることが予想された。
……同じ【魔導侯】の手先であるならば、次に紹介する組織の方がまだ御しやすい、とルクは考えている。
■幽玄教団(通称:"人さらい"教団)
こちらは【騙し絵】のイセンネッシャ家が抱える「手」であり、元々は『英雄王以前』の信仰に人々を立ち戻らせることを目標とした、王都貧民街に巣食う過激派狂信者集団であった。
だが、その掃討作戦の折に【騙し絵】家に取り込まれ、その都合の良い暴力装置として活用されるようになっているのである。そしてその最大の特徴は――彼らが"才無き"貧者の群れでありながら、死を恐れぬことにある。
「その名の通り、連中は全身に【転移】の魔法陣を刻み込んでいて――"才無き者"どもの分際で、どこからともなく『人をさらう』ことを生業としている……ナーレフでは【紋章】家のお膝元ということもあって、積極的な活動はしていないみたいだけれど」
「だが、その特性は恐ろしいな。話を聞くだけでも、俺でもわかるぞ。そんな連中をどう相手にすれば良いのだ?」
「主に2つ。来るとわかっていれば『対抗魔法』を仕込んでおけば、かなりの割合で連中の"転移"は邪魔することができる――それともう一つは、連中の転移先の目印となる"導師"を無力化することかな」
『人さらい教団』の"拉致者"達は、本職の魔法使いではない。
そのため【転移】魔法とて自在に発動できるものではなく、標的の元へ彼らを送り届けるための"導師"が潜んでいることが多い。だが、こうした"導師"は人さらい教団でも上位の役職を占めていることが多く、少なくともナーレフの教団支部には常駐の"導師"は置かれていないらしい。
ルクとしては、この"導師"を捕らえれば一気に【騙し絵】家に通じる情報が得られるものと期待していたが、アテが外れた形である。
仮にその線に拘るとすれば、【騙し絵】家か『人さらい教団』自身に、ナーレフに"導師"を派遣するほどの旨みや価値があると思わせなければならないだろう。
■罪の蜜と禁断の花(略称:罪花)
同じく魔導侯【歪夢】のマルドジェイミ家の「目と耳」の役割を担う"売春"組織の総元締めである。
前の2組織が派閥領袖クラスと繋がりを持つのと比べれば、主家の魔導侯としての「格」は下がるが――それは自らも元魔導侯家の所属であったルクの立場だから言えることであって、『長女国』の中流貴族以下にとっては遙かなる"雲上人"であることは変わらない。
ただし『罪花』は諜報組織としての性質上、固定的な拠点を持つわけではない。
ルクもまた、あくまでナーレフ裏通りの情報を収集する中で、例えばとある高級娼館にその耳目が伸びているのではないか、と予測をしているに過ぎない。
「どうした、お前らしくもない。直接行って確かめてみれば良いではないか? なぜ、これだけ戸惑っているのだ?」
「この話はよそう。勘弁してくれ、いや、察してくれル・ベリさん。ミシェールに殺される……」
■その他大小のならず者集団
直接に【魔導侯】クラスとの繋がりが有り得る"超大手"としては、上記3組織である。それ以外の【魔導侯】は有力な手駒を派遣してきているわけではないが――その「手駒の手駒」であったり、配下たる【鎮守伯】クラスの手駒であったり、といった大小様々な集団もまた数多く入ってきている。
とはいえ、そうした魔法貴族との繋がりを自称していたり、勢力を得た後に後ろ盾を求めて後から"名前を借りる"ような形で「手駒」となるような、実質的な半独立的な集団も多いという意味では、玉石混交の様相を呈していた。
これらは大概の場合は「密輸団」だとか「盗賊団」だとか呼ばれるものが多い。
人を廃人にしかねない禁制品であったり、あるいは春を売る娼婦であったり、その"シノギ"で取り扱われる品も様々であり……法の網をくぐって、人々のある種の欲求を満たすことで金を稼ぎ、元締めとなる組織に上納金を収めるのである。
ちょうど、この同時刻頃にオーマ一行が遭遇した少年ラシェットに暴行を加えた男バイルも、こうしたならず者集団に属していた。より正確には、そこそこ規模の大きな"密輸組織"――の下部組織である盗賊団であるが。
「面白いのは『森の兄弟団』との繋がりがある連中もいる、というところかな」
「よくもここまで複雑に縄張りを分け合うものだな、やはり人間は面倒くさい」
通常は一つの都市に、多くて一つか二つか、互いに領分を分け衝突を避けるようにして非合法組織は進出を行う。
"商売"を拡大しようとして他の都市に支点や支部を作ろうとするにも、元からそこで大きな影響力を持っている組織に対して、ある程度の「礼」を尽くさなければ、それは単に非合法組織同士の抗争で済む問題ではなくなるからである。大抵、その背後に【魔導侯】の何れかが控えているが故に。
「だが、人間ルク。お前は楽しそうだな、とても生き生きしている。"ならず者"達を暴くことが、好きだと言っていたな」
「……まぁ、心の癒やしみたいなもんさ」
なるほど、と唸りつつも、ル・ベリは人間の"多面性"にまた顔をしかめる。
とはいえ、続く"問い"はさすがに飲み込んだ。
(鳥獣ではあるまいに、"人間"でありながら、残りの命がわずか数年も無い――リュグルソゥム達は一体何を望んでいるのだろうな? ……"家族"か)
浮かぶのは死した母と、リッケルと、グウィースの顔であった。
こうした付かず離れずのやり取りを重ねながら、仮面の青年と擬装の魔人は、徐々に空気でさえ寂れているかのような、裏通りのさらに奥深くまで足を進めていった。




