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さして遠くまで行くこともなく城に戻った俺と桂馬を、将軍はなぜか機嫌よさそうに迎え入れた。
「おおアリス、桂馬、戻ったか! 何か手がかりは掴めたか?」
直々に城門までアリスを迎えにきた将軍に驚きつつ、俺は微妙な返事を返した。
「あー……少しは。ええと、知者猫を探そうということになりました」
「そうか、知者猫な……」
将軍はふむ、と一度頷いてから、アリスの両肩を掴んだ。
「実はな、アリスに会わせたい男がいるのだ」
「え?」
「来い、香車よ!」
そう呼ばれて、一人の男が建物内から現れた。それは、男というよりも少年だった。俺と同じくらいの年齢だろう。身長は俺よりも低いくらいだ。……そして、悔しいくらい美少年だった。女の子みたいな顔で、正直桂馬と同じ甲冑が似合っていない。色素の薄い瞳の色が俺を映してきらりと光った。
俺たちの前にゆっくりと進み出て、彼は右手を差し出した。
「香車と申します。よろしく」
少し掠れたような、男にしては高めの声。俺は意識して低めの声を出して挨拶を返した。男の意地的なものである。笑いたきゃ笑え。
「ああ……よろしく」
握手を交わすと、香車が微笑んだ。うう、こいつモテるんだろうな。
「こいつはさっき会った飛車の弟だよ」
桂馬が横で教えてくれる。俺はさっき槍を振るっていた男たちの片方を思い出した。
「に、似てないな」
「はは、よく言われます」
「この香車はこう見えて体術に長けておるのだ。アリスに少しでもその術を学んでもらおうと思ってな。……この世界を回るのに、少しは役に立つだろう」
満足げにそういうと、将軍は従者を引き連れてさっさと行ってしまった。
「……ええと」
「よろしく」
どうやら、俺はこれから修行することになったらしい。
広い柔道場のような場所に遠された俺は、どういう流れやらさっき紹介されたばかりの香車と向かい合っていた。
「あまり緊張しないでください。今からアリスさんには受身とか、急に襲われたときの回避法を学んでもらおうと思ってるんです」
「お、おう……」
「将軍様は、アリスさんには強い男になって欲しい、と言ってましたが、そう簡単に強くなれるわけは無いので、今回は基礎編、ということで」
爽やかに説明されて、少し自分が情けなくなってくるが、確かにこれは良い機会である。いつまたあの狂ったうさ耳少女に襲われるか分からないのだ。逃げる訓練くらいしておいた方が良いだろう。将軍さまさまである。
「ああ、……よろしくお願いします」
真面目に一礼すると、香車も一礼した。
「では、まず受身の練習からですね!」
二コリ。香車の笑顔が、変わったのはそのときだった。
――結論から言おう。香車はどSの星から来た王子様だったのだ。……とにかく、容赦の無い特訓だった。俺もう泣いちゃう。
「ほらほら、もう一回!」
「お、おうっ!」
「よーしよし、そらっもう一回!」
「うおおっ」
「さあ、息が上がってますよー」
「……ううっ」
そんな感じで、俺は長時間に及ぶ(精神的には数十時間くらい経った気がする)特訓に汗を流したのだった。
息が上がってその場に寝転がった俺に、香車が苦笑する。
「仕方ありませんね、それじゃちょっと休憩にしますか」
香車の言葉に、俺は思わず上半身だけ起き上がった。
「!? まだやんのかよっ!」
「当たり前じゃないですかー。じゃあ、お水でも貰って来ますね」
俺に付きっ切りで稽古をつけていた香車は、汗を掻いてはいても余裕の様子で歩いていく。謎過ぎる。なんつー体力だ。この世界の奴はみんなそうなんだろうか。初めて会ったときの桂馬もなんか凄かったし。壁粉砕してたし。
ちなみに桂馬は将軍に呼び出されて今どこに居るかは分からない。俺は広い稽古場の床で一人大の字になっていた。
――久しぶりに一人きりだ。
久しぶりとは言っても、どれくらいぶりかと言われると説明しがたい。この世界に不本意ながらやって来てから、どれくらいの時間が経っているのか、俺にはよく分からなかった。時間感覚がおかしいのだ。凄い時間が経っているようにも感じるし、実は一日も経っていないのかもしれない、とも思う。いつ外を眺めても、外が明るいピンク色に染まっているのも原因の一つかもしれない。この世界は夜暗くなるという概念があるのだろうか。
「……っはあ、疲れた」
ぼやきながら外を眺める。稽古場には縁側が付いていた。今は戸が全開になっていて、俺が寝転がっている所からでも十分に外の景色を眺めることが出来た。……相変わらずピンク色の空が不気味だ。だが、こんな空の色を、もしかしたらどこかで見たことがあるのではないか、と俺は内心思い始めていた。真っ赤な夕日が沈む直前、ピンク色に染まった世界を、昔一度見たことがあるような……。
「やあアリス、久しぶりだね」
そのとき突然、ひやりとした声が耳に響いた。