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小さな部屋から出た俺は、そこから伸びる廊下や建物全体の広さに驚いた。まるで城だ。日本史の教科書やら大河ドラマに出てきそうな内装。しかし、やはり所々おかしい。
壁からにゅっと突き出たトナカイの首。和の雰囲気漂う建物にまったくそぐわないシャンデリア。それに、なぜかここにも大きなハワイアンキルト。そして一番目を引いたのが、広間らしき空間にでんと置かれた巨大な液晶画面。スイッチを入れたらニュースでも流れるのだろうか。
床は畳とフローリングが混じっている。その上を、俺たちは土足で歩いていた。それが一番の違和感だ。しかし、もう色々気にしたら負けな気がするので、何も言わないことにする。
しばらく歩くと、大きな扉のある部屋の前に出た。今まで通り過ぎた部屋はみな引き戸だったが、ここは洋風の両開きの扉だ。赤い地に金色の細工が施されている。金が一歩先に出て、大きな声を上げた。
「一番隊隊長、金将、ただ今アリスを連れて参上しました!」
言って、扉をぐいと大きくあける。それから、金は俺の方へ顔を向けた。これは、中に入れということだろう。先へ進むと、後から二人がついてくる。部屋は広く、そしてとにかく豪奢だった。
「よう来た、アリスよ」
重々しい声に顔を上げる。そこには、二人の男が居た。一人は正面に座り、一人はその脇でぴしりと立っている。正面の男はまさに「将軍」というイメージがそのまま具現化したような中年男だった。ちょんまげに甲冑。堂々としたたたずまい。……生のちょんまげ初めて見た。
甲冑のデザインは少々変だったが、金や桂馬よりはマシだ。機嫌よさそうに笑う「将軍様」に愛想笑いをして隣の男に視線をやり、俺は目を見張った。俺の視線に気づいた男はぺこりと一礼する。その顔は金と同じ顔だった。しかし、髪と瞳の色が違う。銀色の髪と赤い瞳。まさに色違い。
「あれは銀だ。金の双子の弟」
驚いている俺にこっそりと桂馬がささやきかける。……なるほど。納得はしたが、双子というより格闘ゲームのキャラクターの「2Pカラー」のようで少し気味が悪い。
「アリス。久しぶりだ、会いたかったぞ」
将軍に親しげに声をかけられて、俺は何も言えずに視線をさまよわせた。
「……将軍様、アリスは私たちの記憶がまったく無いようなのです」
金がフォローを入れてくれる。
「そうか、本当に金の言った通りだったようだな」
悲しげにうなずいてから、将軍は椅子に座りなおした。
「アリス。我らがアリス」
静かに言ってから、将軍は俺を見据えた。思わず息を呑む。
「我はこの城の主、玉将だ。この『宿新』の地を統べておる。お前とは以前に一度会っているのだが、忘れているとは残念だ」
「……すみません」
「いや、謝ることはない。お前に非はないのだから。――さてアリス、お前はどうして白の城に捕らわれていたのだ? ここに来るまでの間に何があったのか、覚えている限り、説明してくれはしまいか」
――ここに来るまでの話。それを説明するのは困難を極めた。まず自分が今どんな状況に置かれているのかも正直なところよく分かっていないのだ。大体、しろのしろってなんだ?
「あー、えっと……俺が気がついたときには、知ってるような知らない街に一人で立っていて、確か駅の看板に『谷渋』と書いてあったはずだ」
そこからウサギの耳の少女に腹を刺されて倒れたことや、気がついたら真っ白な部屋に閉じ込められていたこと、「女王様」の元へ行ったきり帰ってこない少女を待っていたら、桂馬が突然現れて、ここまで連れてこられたことまでを、たどたどしく説明した。言葉にして説明してみると、さらに異様だ。
やっぱりたちの悪い夢なのではないだろうか。俺は諦め悪く自分の腕を強くつねった。すごく痛かった。もう俺は自分の痛覚を信じられない。
だんだん腹が立ってくる。そして泣けてくる。俺は一体誰で、これからどうしたら良いのかも分からない……色々ともう、限界だった。
「この世界はなんなんだ。俺の見てる壮大な夢じゃないのか? 『谷渋』なんてどう見たって『渋谷』だった。それに、ピンク色の空。空の色は青って百年前から決まってる!」
「アリス……」
「それに、刺された傷はなぜかもう治ってるし、なんで皆俺のことを知ってる? アリスなんて知らない! 俺は自分の名前を覚えていないが、間違っても『アリス』なんて女みたいな名前じゃなかった!」
学校は、俺の親は、友達は? 疑問が次から次へと浮かんでくるのに、まっとうな返事など誰からも期待できない。八方塞りだ。
突然声を荒げた俺に、周りの皆が困ったように押し黙った。……なぜ、みんな悲しそうな顔をするんだ。まるで、俺が悪いことをしているみたいじゃないか。
「アリス」
しんとした中、金の片割れ、銀が初めて口を開いた。
「貴方は、もし今ここで起きていることがすべて夢だったとして、だとしたらどうするつもりですか?」
「え……」
落ち着いた口調で、はっきりと言葉をつむぐ銀。
「このまま目が覚めるまでずっとここにいて、何もしない。それも良いでしょう。でも、いつまで経っても目が覚めなかったら、きっと不安になる。苦しくなるでしょう。貴方は、それに耐えられますか?」
俺は何も言葉を返せなかった。夢なら覚めてくれ、と俺はもう何度も胸のうちで反芻している。たぶん口にも出している。でも、それは叶わなかった。なら、俺はこのままそれを待ち続けることが出来るのだろうか。
何も言えなくなってしまった俺の肩を、誰かが優しく叩く。桂馬だ。
「皆がお前をアリスと呼ぶのは、お前が前にそう俺たちに名乗ったからだ。それ以外の名前を、俺たちは知らないんだ」
――俺が「アリス」と名乗った!?
信じられない。目を丸くして口を開けた俺に、桂馬が苦笑した。
「そんな顔するなよアリス」
ごほん。咳払いが聞こえて、俺は居住まいを正した。そうだ、俺は将軍と話をしていたのだった。黙った俺たちに向かい重々しくうなずいてから、将軍は口を開いた。