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香ばしい匂いがする。そして暖かい。懐かしいような心地よい感覚に、俺は頬が緩むのを感じていた。このまま、ずっとこうしていたい。ずっと。

「……アリス。そろそろ起きてください、アリス」

 聞き覚えのない声。俺ははっとして目を覚ました。

「……!」

 がばり、と身を起こす。そして、そんなことが出来た自分に驚いた。

「あ、え?」

 大怪我をしているはずなのに、あのひどい痛みがやって来ない。そして、身体が軽い。自分の身体を見下ろすと、腹の辺りには薄い毛布がかけられていた。めくってみると、包帯も何もなくなっている。生々しい血の跡も、ない。

「ようやく起きましたね、アリス」

 声をかけられて、ようやく自分以外に意識を向けた。声の主は、俺の横で片膝をついていた。たぶん年上だろう。中世的な顔立ちだが、声からしてたぶん男。金色の髪に青い瞳。整った顔立ちだが、どこか冷たい印象を受ける。そしてどこかで見た和洋折衷の変な甲冑。

 ……そうだ、俺のことを多分ここまで運んだ男。あいつはどこへ?

 きょろきょろと周りを見回すと、どうやら今居るのは和室だった。小さい部屋だが、畳にちゃぶ台、障子まできちんと揃っている。……さっきの香ばしい匂いはどうやら畳だったらしい。どこからどう見ても和室だ。ちょっと殺風景ではあるが。しかし、部屋の壁にハワイアンキルトが飾ってあるのだけは恐ろしく不似合いだった。そこは普通掛け軸とかだろう。


「アリス、お久しぶりですね。私はきんです」

「きん? お久しぶり?」

「ええ、金です」

 中国人なのだろうか。でも、どう見ても西洋人みたいな顔をしている。しかも、また「アリス」だ。まるで旧知の仲のように親しく話しかけれられても、俺の頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。そんな俺にかまわず、金は淡々と話し始める。

「まさか貴方が記憶喪失だったとは、思いもよりませんでしたよ」

「きおく、そーしつ?」

「ええ、そうでしょう。だって私たちのことを覚えていないのですから」

 まったく困ったものだ、とばかりに腕を組んで、金は眉間にしわを寄せた。

「……何がなんだか」

 思わず頭を抱えそうになる。それに、俺の怪我は一体どうなったのだ。あんなにざっくり刺されたのに、どうして今平気で話せるのだろう。身体はどこも痛くも痒くもない。

「治しましたからね」

 俺の問いに、金はいともあっさりそう答えた。……なんだその当たり前ですけど何か、見たいな返答は!

「それじゃ、アリスも起きたようですし、将軍様の下へ行きますよ」

 金は俺ではなく誰か別の人間に向けて声をかけた。いつの間に居たのか、障子を開けた向こうにさっき俺を運んだ無精ひげの男。

「……おう」

 その声と表情は傍目にもわかるほど不機嫌だ。なんとも言えずにいると、金に耳打ちされた。

「アリス。桂馬けいまは貴方がアレを覚えていないことが悔しいのです」

「はあ……ケイマ?」

「アレの名前です」

 妙に申し訳ない気分になる。俺は本当に記憶喪失で、本当はこの世界の住人なのだろうか。自分の名前が思い出せないのも、記憶喪失だと考えれば納得がいく。……でも、この世界はおかしい。自分の常識の範疇を逸脱している。それだけは確信があった。障子から透けて見える外の景色。ピンク色の空。

 ――空の色は青だ。

 それだけは、譲れない俺の中の常識。


「その、将軍様、とか言う人のところに、俺は行かないと駄目なのか?」

 俺の問いに、金は深く頷いた。

「アリスの今後に関わると思われます」

「……なら、行く」

 決闘に赴くように言った俺に、金と桂馬は立ち上がった。


「桂馬、とか言ったか。なあ」

「……なんだ?」

声をかけた俺に、桂馬はむっすりと返事を返す。

「助けてくれたのに、礼言ってなかったな。ありがとう」

「そんなことは、いい」

「俺、何も覚えてないんだ。俺の名前も、お前のことも、この良くわからん国っつーか世界も」

「……そうらしいな」

「悪かったな」

 俺が何も「知らない」と言ったときのこの男の顔は、まるで大事なものを壊された子供のようで、思い出しても心が痛む。小さく謝った俺に、桂馬は口をぽかんと開けてから、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「アリスはそんなこと気にしなくていいんだよ! な、金」

「……まあ、記憶がないのはアリスのせいじゃありませんからね」

 どうやら悪いやつらではないらしい。俺はこの得体の知れない世界でようやく「安心」の端っこを掴むことが出来た。


「なあ、ここはどこだ? それに、あの白い部屋と狂ったうさ耳幼女は……」

 ようやく聞きたかったことを口に出せたのに、それはあっけなく金によってさえぎられる。

「アリス、そこから先は将軍様の下へ着いてからです」

「……分かった」

 まったく謎は深まるばかりだ。ため息をつく俺に、金と桂馬は俺の背中を次々にぽん、と軽く叩いたのだった。


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