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「よ」
短い挨拶が降ってきた。振り向くと、さっき発車していったバスを見送る斗真がいた。斜め下から見上げる彼は、逆光の中おだやかな顔をしている。
「おはよう……っ」
勢いよく立ち上がったはずみで、ベンチが斗真のほうに倒れてぶつかった。平気そうにしてるけど、膝、けっこう痛かったに違いない。
「ごめんね、大丈――、?」
駆け寄ったあたしは、そのまま斗真に抱きすくめられた。シャツ越しの胸は筋肉がついていて、あったかい。
「こんなに早くから待ってるとは思わなかった。ちゃんと寝たのか?」
斗真、どんな顔してるんだろう。声がちょっとだけ、弾んでいるように聞こえる。
あたしだって見つめ合うのは恥ずかしいけれど、こうして抱きしめられているのも、かなり、恥ずかしいのに。
ジョギングの人が走ってきてようやく、斗真はあたしを離してくれた。互いに別の方向を向いて、言葉もなく、やがてどちらからともなく手をつないだ。
開館まで、まだ一時間ある。図書館に行かなきゃ行けない理由もとくになく、あたしたちはあてもなく歩きだす。さりげなく斗真が荷物を持ってくれる。
彼は昨晩、突発的にバイトをして、その職場の気のいいおじさんの家に泊めてもらったらしい。そういうことってできるんだ、とあたしは驚くと同時に感心した。同じ立場に置かれたとしても、あたしには到底できそうにない。
尊敬したくなって斗真を見上げる。
彼はあたしの視線に気づいて、こちらに少しだけ顔を向ける。
「しばらくの宿は確保したから、心配するな」
つないだ手に力が入った。どぎまぎしながらも、あたしも握り返す。
最近になって整備された河川敷の広場で、あたたかくなりはじめた陽光を浴びながら、あたしたちはくっついていた。
木目の綺麗なベンチの前を犬の散歩の人が横切り、何かの運動部が集団で走っていく。
こんな、のんびりした時間を過ごすのはひさしぶりかもしれない。時が止まってしまえばいい、とはこういうことを言うのだと実感する。
あたしたちの前に困難はないように思えた。
でもそれは、あたしの勘違いでしかなかったんだ。