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「年寄りは陰が陽を蝕んでるとか言ってる。陰の人間が、陽の人間をたぶらかして連れていく、ってな」
私を見下ろす斗真の頬に、自虐的な笑みが浮かぶ。
「俺もたぶらかされたってことになるんだろ。ばかばかしい、あの利己的で排他主義な世界が嫌になって、みんな出ていっただけかもしれないのに」
ぎり、と爪を噛む。彼は、自分自身の中にもある閉鎖的な考えをこころよく思っていない。あたしを助けてくれたのも、培われてきた思想に反抗するためだ。
『俺は俺の生き方を、自分で決められるようになりたい』
出会ったときに、彼はそう言った。
しんみりしていると、ふいに斗真が慌てたようにあたしの手をとった。
そうだ、ここは女子トイレなんだった。幸運にも誰に見咎められることなく、胸をなで下ろす。
あたしが向こうの世界に行っているあいだも、時間は変わらず流れていたみたいだ。壁の時計を見てみると、午後六時前。もうすぐ閉館だ。
閲覧室の窓際の机に、あたしの勉強道具と手提げカバンがそのまま残っていた。お財布や貴重品が無事だったことにホッとする。
「佐倉さん? どこ行ってたの」
顔なじみの司書さんが声をかけてきた。年は四十近いと聞いたけれど、若ぶりで気さくなお姉さんだ。
「あら? 逢い引きしてたのね。もー、心配したじゃない」
彼女は斗真を彼氏と勘違いして、楽しそうな足取りで仕事に戻っていった。
否定しそこねて恥ずかしがるあたしを見て、斗真が困った顔をする。
「おまえは、嫌なのか?」
胸をくすぐる低い小声で、問う。
「俺はもう、一花と離れる気はないんだけどな」
「あ、あの、……えっと。その」
あたしは俯いた。きっと顔、赤くなってる。
こっちの世界についてきてくれた斗真の気持ち、本当はわかってる。あたしだって、もう、彼がいなくなるなんて考えもしない。
出会って数時間――ううん、きっと出会った瞬間に、あたしたちは恋に落ちてたんだ。