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どうしよう、向こうの世界へ行ってしまう!
とっさに止められないなんて、あたしはなんて愚図なんだろう!
祈る思いで、ドアがまたひらくのを待った。耳の奥で血がドクドクと流れる音がする。舌がひりひりするほどに乾く。足が震えて冷たくなる。
流水音がしたとき、緊張は最高潮に達していた。
ドアがあいて、司書さんの顔が見えると、あたしはタガが外れたように泣きだしてしまった。
「えー! 佐倉さん、ほんとに、どうしたの。ちょっと待ってよー手洗うから」
慌てふためく司書さんに抱きかかえられるようにして、斗真に託されたあたしは、しばらく泣きやむことができなかった。
長々と図書館のソファを借りて、紅茶まで入れてもらった。
挙句には、臨まない妊娠でもしたのか、と司書さんを心配させることになってしまい、申し訳ないにもほどがなかった。誤解とはいえ軽蔑のまなざしを向けられた斗真には、どんなに謝っても謝りきれない……。
「思春期だからね。悩みは掃いても掃いてもでてくるものだから、遠慮せずに相談してくれていいのよ?」
親身になってくれた司書さんに、トイレが異世界とつながっているかもしれないと知らせるべきか思案した。あの個室を使えないようにしてもらったほうが安心だ。
でも、さっきは何事もなかったのだ。この数日間にも何も起きていないのなら、どんな説明をすればいいんだろう。
向こうの世界へ迷い込んだら危険だ。斗真みたいに守ってくれる人が現れるとは限らない。
今までうっかりしていたけれど、きちんと対策をしておかないとまずいのではなかろうか?
うじうじ考えているあたしの肩を叩き、斗真が顎を引いた。ソファを立ち、司書さんに向き直る。
「あの右奥の個室で、どうも気分が悪くなるとのことなんです。つい先日もそこで倒れている子がいました。しばらく使用禁止にしてはいかがですか」
「そうなの? 私はなんともなかったけど」
司書さんは片手を頬にあてて考えていた。清掃の薬品のせいかしら、それとも不審物かしら、とあれこれ呟いている。
「うーん……そうね、いいわ。利用者の声ということで、上に知らせておきます」
「ありがとうございます」
あたしも斗真も、ほっとして頭を下げた。
謎のペーパーバックといい、この司書さんにはお世話になりっぱなしだ。今度、お礼に職場のみなさんで食べられるようにクッキーを焼いてこよう。
花が咲き乱れる庭を歩いていて、六時に近くなる頃、携帯に着信があった。帰りに牛乳と卵を買ってくるよう、お使いの依頼だ。
そういえばいまだに買い物を頼まれたことがなかったことに思い当たり、こどもでなく、ひとりの人間として認められたような気がしてやけに誇らしかった。十五歳にもなって何を、という不貞腐れた思いもあったけれど、心がふわりと軽くなるのを確かに感じたのだ。