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春日江さんを見上げると、困ったように唇を引き結んでいた。でもその顔は不快そうではなく、あたしの視線に気づくと、やさしい微笑を浮かべた。
「とりあえずだ、悪いようにはしないから、安心していなさい」
そしてちょうどリムジンが停車し、降りると、緑の庭園に囲まれた長方形の箱のような建物が見えた。
「あれが公邸だ」
公邸といえば、あたしの記憶違いでなければ、総理大臣のお屋敷ということ。そうなら、官邸に向かうという春日江さんは……。
「あの……」
「どうしたね」
「あの、春日江さんは、総理大臣……なんですか?」
「ああ、いや。私は違うよ」
否定したのち、あたしに次の追求を許さないまま、彼は部下の二人を伴い歩いていってしまった。整備された道の向こうに、公邸とよく似た形の建物が見える。
「さあ、お二人様はこちらへ」
いつのまにか迎えにきてくれていたらしい初老の男の人に声をかけられ、あたしと宏志さんは手前の公邸へいざなわれた。緊張しなかったわけではないけれど、実感もわかないし物珍しさのほうがまさって、玄関の様相や、一列に並んだメイド風の女の人たちをまじまじと見つめてしまった。
通された部屋は、雰囲気のある洋風な客室だった。雑誌で見るホテルのスイートルームみたいな感じだ。