第8章 昨日の出来事
注文を終えると、2人の間には穏やかな沈黙が流れた。
エミリーは頬杖をつき、ぼんやりと窓の外を眺めている。朝日がゆっくりと彼女の瞳に入り込み、その輝きが柔らかく揺らめいた。
レオンは、思わずその瞳に見入ってしまう。
その澄んだ光の反射がどこか幻想的で、言葉にできない美しさがあった。
しかし、そのままぼーっと見つめていると……
**コトンッ**
突然、テーブルの上にカップが置かれた音が響く。
レオンは驚いて音のした方を見上げた。
すると、先ほどの店員がニヤリと笑って、何も言わずに去っていった。
彼は知らぬ間に店員が近くにいたことに気づかず、少し恥ずかしくなる。
店員は恐らく30代半ばの女性だ。どこか親しみやすい雰囲気を持っているが、その笑みが意味深で、レオンはもやもやしながらコーヒーを口にした。
つられるように、エミリーもカップを手に取る。
一息つき、彼女は静かに話を切り出した。
「ねえ、昨日の倒木事件……偶然にしては出来すぎてる気がしない?」
レオンはカップを手にしたまま、考え込むように眉をひそめた。
「確かに……でも、強風のせいだろう。夜中の風は異常だったし」
「それはそうかもしれないけど……」
エミリーは言葉を選びながら、レオンの顔を見つめた。
「実は……この町、モーテルだけじゃなくて町の所々で怪奇現象が起きてるの。しかも、西風が強い日にね」
レオンはその言葉に、昨夜のローカルチャンネルの紙芝居を思い出した。
「それなら聞きたいことがあるんだけど……昨夜、ローカルチャンネルで流れてた変な映像、あれは何なんだ?」
エミリーは首をかしげた。
「変な映像?かわいいアニメじゃなかった?」
レオンは一瞬言葉を詰まらせる。
「いや、あれは……紙芝居みたいな奇妙な絵だったんだ。 ‘夜に外へ出るな’とか、不気味なことをひたすら言ってた」
エミリーは少し考えたあと、微笑んで言った。
「そんなの見たことないわ。でも、それって本当に君の見た番組だったの?」
レオンは自分を疑いつつも、あれは確実に現実だったと感じていた。
その時――
「お待たせしました」
先ほどの店員がプレートを手に運んできた。
しかし、プレートには頼んでいない**スクランブルエッグ**が乗っている。
レオンは驚いて店員を見る。
「頼んでいないんだけど……」
店員は軽く笑いながら言った。
「サービスよ」
そして、次の瞬間――
彼女はエミリーの耳元で囁く。
**「イケメンじゃない!」**
エミリーの耳が赤く染まり、店員を睨むようにしながら小さな声で照れたように言う。
「ちょっと、叔母さんっ!余計なことしないでっ!」
レオンはその会話が聞こえなかったフリをしながらも、心のなかでは照れているのだった。
「確かに……エミリーと似てるな……」
そう、彼は心の中で呟いた。
朝食がテーブルに並べられ、2人はゆっくりと手を伸ばした。
レオンはハンバーガーを手に取り、一口かじる。ジューシーな肉の旨味と香ばしいバンズの食感が絶妙で、思わず目を見開いた。
「……これ、めちゃくちゃうまいな」
エミリーはクスッと笑いながら頷いた。
「ここのハンバーガーはね、町の人たちの密かな自慢なの。地元で育てられた牛肉を使ってるんだから」
レオンは感心しながらもう一口頬張った。
次に、エミリーがナゲットを指さしながら言う。
「さあ、ナゲットはマスタードにつけて食べるのよ。バーベキューソースよりも断然合うんだから」
レオンは疑問を抱きながらも、マスタードをたっぷりとつけ、一口。
その瞬間、ナゲットの香ばしさとマスタードのピリッとした風味が絶妙なバランスを生み出していた。
「これは……!なんで今までバーベキューソースしか選ばなかったんだ…?」
彼は驚きとともに、過去の選択を悔やんだ。
エミリーは笑いながら慰めるように言った。
「バーベキューソースだって負けてないでしょ?ハッシュドポテトに付けて食べてみて。ここのソースはどちらも最高よ」
レオンはバーベキューソースをたっぷりつけたハッシュドポテトを頬張る。
それは……今まで食べた中で最高の味だった。
「うん、これも最高だ」
レオンが感動していると、エミリーは楽しそうに微笑みながら手を伸ばした。
「私にも一口ちょうだい!」
彼の手からハッシュドポテトをかじると、満足そうに笑った。
その笑顔を見て、レオンは心が温かくなるのを感じた。
**不可解な現象と西風の謎**
食事を進めながら、2人は話題を昨日の出来事へと戻した。
「それで……この町の怪奇現象って具体的にどんなものがあるんだ?」
レオンが尋ねると、エミリーは少し考えながら答えた。
「結構あるのよ。たとえば、町の雑貨屋では、強い西風の日だけ棚の商品が勝手に落ちるの。しかも、特定の棚だけ」
「それって……何かが動かしてるんじゃないのか?」
「それならいいけど、カメラに何も映ってないのよ」
レオンは驚きながら、さらに話を聞いた。
「それからね……公園にある古いブランコもそう。風が吹くと、ブランコがひとりでに動き出して、まるで誰かが乗ってるみたいなの」
「……不気味だな」
彼女は肩をすくめながら続けた。
「他にも、町の裏通りの倉庫では、西風の日にだけ中から微かな足音が聞こえるの。でも誰もいないし、鍵も閉まってる」
レオンはカップを持ったまま黙り込んだ。
「妙だな……それに、西風が強い日に限るっていうのが気になる」
エミリーはふと何かを思い出したように目を細めた。
「モーテルの213号室もそうよ。あそこの窓だけ、町並みの間から西側の山がよく見えるの。つまり、西風が直接当たる場所」
レオンは思い返した。昨夜、窓の外の夜空がやけに綺麗だったこと――それは西側の空だったのだ。
「……やっぱり、西風と西の山が関係してるのか?」
エミリーはゆっくりと頷いた。
「確かめるなら、実際にふもとまで行くしかないわね」
レオンはカップを置き、ニヤリと笑った。
「よし、食事が終わったら行こうか。俺のバイクで」
エミリーは少し驚いたように微笑みながら、軽くうなずいた。
**西側の山へ向かう**
食事を終えた2人は店を出ると、身支度を整えて駐車場へ向かった。
エミリーの視線が、レオンのバイクへと向かう。彼女はしばらくそのデザインを眺めた後、感心したように言った。
「珍しいデザインね、クールじゃない!」
レオンは待ってましたと言わんばかりに自慢げに答える。
「だろ!恐らくアメリカには数台、いや1台しかないかもしれないんだ」
メアリーは微笑みながら、軽く手をバイクのボディに沿わせる。
「じゃ、希少な1台ね……オーナーとしての誇りもあるわけだ」
**マグザムというバイク**
レオンのバイクはヤマハの「マグザム」というビッグスクーターだった。
本来アメリカでは販売されていないモデルだが、ある日、立ち寄ったバイク店で偶然見かけた。変わり者好きの店長が個人的に輸入したらしく、その流麗なフォルムにレオンは一目惚れしたのだった。
他にはないデザインに惚れ込み、レオンは店長に懇願して譲ってもらったのだ。
この車種はビッグスクーターの中でも特異なスタイルを持ち、**極端に低い車高**、そして **シート下とリアトランクの収納力の高さ**が特徴だった。
アメリカの広い道をゆったりとクルージングするには最適な一台で、レオンにとってはまさに「唯一無二」の愛車だった。
**車高の低さに対する疑問**
エミリーはバイクを見つめながら、ふと疑問を口にした。
「でもこんなに車体が低くて走れるの?」
地面に接しているようなフォルム――いや、着地しているようにすら見える。
「それには秘密があるんだ!」
レオンが説明を始めようとした瞬間――
「よう、兄ちゃん。おもしれーのに乗ってるな!」
低く響く声とともに、一人の屈強な男性が近寄ってきた。
黒革のジャケット、ジーンズ、そして重厚なブーツ。いかにも**クルーザー(日本でいうアメリカンバイク)**に乗っていそうな風貌だ。
彼は腕を組みながら、バイクをじっくりと眺める。
「おいおい、このバイク、いくらなんでも低すぎるぜ。サスが短すぎるんじゃないか?走れないだろ?まるでショーカー(展示専用の車体のこと)みたいだな」
エミリーと同じ疑問を持った男を見て、レオンは改めて説明を始める。
「これはエアサスなんだ、バネは無いよ!純正じゃなくてカスタムで組んでる」
**エアサスの仕組み**
エアサスペンションとは、従来の金属バネではなく**空気圧を利用して車体を支えるサスペンション**のことだ。
「だからここにエアコンプレッサーが入ってる。乗り心地も最高で、クールなカスタムさ!」
レオンはリアトランクを開け、奥にキレイに納められている**鏡面仕上げのタンク(エアコンプレッサー)**を見せた。
「この装置が、バイクの高さを自由に変えられるんだ。駐車する時は最低まで落として着地させ、走るときは適度に上げる。日本じゃ、このスタイルがイカしてるって言われてるんだ」
メアリーは面白そうに聞きながら、興味を持ったように尋ねた。
「へぇ、日本だとそれがカッコいいの?」
レオンはニヤリと笑いながら答えた。
「まあな!……って言いたいところだけど、これは俺が買ったバイク店の店長の受け売りさ」
さらに、シート下にも広々とした収納スペースがあり、**ツーリングにも最適な仕様**になっている。
その後もレオンの説明を2人は聞き入っていた。ひとしきり説明が終わると、男は深く頷きながら言った。
「俺の世代じゃバイクはハーレーって決まってんだ。その感覚が抜けてないからこの格好さ!ありがとよ、いいもの見せてもらったぜ!」
そう言い残し、男はゆっくりと去っていった。
**クルージングへの誘い**
エミリーはバイクをじっと見つめながら、クスッと笑って言った。
「じゃ、その快適な乗り心地とやらを体験させてもらおうかしら?」
レオンはわざとらしく胸を張りながら答える。
「上質なクルージングをプレゼントしましょう!」
レオンはバイクのキーを回し、エンジンをかける。
「ヘルメット、貸すよ」
そう言った瞬間、レオンの脳裏に朝食の会計時の出来事が蘇った。
**―レストランでの会計時―**
レオンは伝票に普段より多めのチップを挟んだ。いつもなら、お釣り程度しか置かない。
エミリーにちょっとカッコいいところを見せたかったのかもしれない。
2人が席を立つと、あの女性店員――エミリーの叔母がテーブルへと向かった。
伝票を手に取ると、挟まれた紙幣に気づき、すぐにレオンを呼び止める。
「ちょっと、お兄さん、忘れ物!」
レオンが足を止め、店員の方へ行くと、彼女は小声で笑った。
「カッコつけすぎよ、無理しなくていいの!」
そう言った次の瞬間、彼女はさりげなくレオンの手を取り、エミリーに見えないようにして余分なお金を渡してきた。
「ほら、これ。本当に置いていく気?」
レオンは一瞬迷ったが、彼女の気遣いを感じ取り、素直に受け取る。
そしてその直後、彼女はレオンの手を強く握りしめる――
レオンが見上げると、彼女の表情が少し真剣なものへと変わっていた。
「……あの子を悲しませたら、許さないからね」
それだけ言い残し、彼女は奥へと戻っていった。
レオンはその言葉を反芻しながら、ふとエミリーの横顔を思い出した。
**――回想終わり。**
「あたり前だろ、俺にとっての……」
レオンが小さくつぶやくと――
「なんか言った?」
ヘルメットを受け取りながら、エミリーが不思議そうにのぞき込んだ。
レオンは目をそらしながら微笑んで、エンジンを軽くふかした。
「バイクに乗るのは久しぶりかも。でも、こんな形で乗るなんて思わなかったわね」
レオンは軽く笑いながら言った。
「俺も、こんな町でこんな話を聞くとは思わなかったな」
**モーテルの事務所から現れる影**
エミリーはバイクの後ろに乗り、レオンがアクセルを回そうとすると――
バイクの音を聞きつけたのか、モーテルの事務所から一人の男性が出てきた。
メアリーの父だった。
彼は、娘にヘルメットを譲ったレオンを見た後、無愛想な表情のまま近づく。 恐らく娘のためにヘルメットを持ってきたのだろう…
そして、何も言わずヘルメットを差し出した。
「お前はこれを被れ、田舎町でも何かあったら困る。」
レオンは少し気まずさを覚えながらも、静かにヘルメットを受け取った。
「……ありがとう」
そうお礼を言うと、彼は軽く頷き、そのまま事務所へと戻っていった。
レオンはヘルメットを被ると、再度アクセルをまわす。
エンジン音が響き、バイクはゆっくりと幹線道路へと走り出した。
目的地は、西側の山のふもと。2人は走り出した――。
そして、その西風の謎を解明するために――。




